オーディオ彷徨録~JBL4331AからALTEC620A~

今までのオーディオの改良や音楽の遍歴に、今後の改善も紹介。いい音に繋がる方法を色々模索したことや、好きな音楽を紹介する。

チャーリー・ミンガス

2017-02-16 11:46:02 | ジャズ
 今回は、チャーリー・ミンガス(本人は、チャールズと呼んでくれと言っていた)についてお話します。
 先ずは、チャーリー・ミンガスの経歴からお話しします。

 ■1)アバウト、チャーリー・ミンガス
 【人物】
 ”チャールズ・ミンガス(Charles Mingus、1922年4月22日 - 1979年1月5日)は、アメリカ合衆国のジャズ演奏家(ベーシスト・コンポーザー・バンドリーダー・時にピアニスト)。人種隔離反対運動でも有名。
 【経歴】
 ”1943年にルイ・アームストロングのバンドで活動。1945年に初レコーディングを経験。
1950年代前半には、チャーリー・パーカーやバド・パウエルと共演し、ベーシストとして名を広めていく。また、自分のレーベル、デビュー・レコードを立ち上げた。このレーベルの音源としては、チャーリー・パーカー(契約上の問題でチャーリー・チャンと表記された)やディジー・ガレスピーと共演した『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』が有名だが、ベースの音量が小さかったため、ミンガスがベースをオーバー・ダビングしたというエピソードがある。
1956年、ジャズに物語的要素を持ち込んだ『直立猿人』を発表し、作曲家としてもバンド・リーダーとしても名声を高めた。
1959年発表の『ミンガス Ah Um』は、差別主義者の白人を徹底的に皮肉った「フォーバス知事の寓話」や、後にジョニ・ミッチェルやジェフ・ベックがカヴァーした「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」を収録した、ミンガスの代表作の一つ。
1962年発表の『オー・ヤー』では、ベースを弾かずにヴォーカルとピアノを担当し、新たな一面を見せた。その後、ミンガス自身によるピアノ・ソロ作品『ミンガス・プレイズ・ピアノ』も発表。
ミンガスのバンドには、ジョン・ハンディ、エリック・ドルフィー、ローランド・カーク等の強者プレイヤーが出入りしてきた。1962年には、穐吉敏子も一時的に在籍。
1960年代後半は活動が停滞するが、1970年代に入ると再び活動が活発化。晩年は、筋萎縮性側索硬化症で車椅子生活となり、ベースを弾けなくなったが、作曲・編曲活動は死の直前まで続けていた。

 ■2)私の好きなミンガスのアルバム
 以下に、私が好きなミンガスの作品を載せます。

 左から、『直立猿人』 (1956)、『ミンガス Ah Um』 (1959)、『チュニジアムーズ』 (1957)のLPです。
 この中では、やはり代表作の、『ミンガス Ah Um』が一番好きなので、これを紹介します。左と真ん中のは、抽象画のようで洒落ています。

 ■3)『ミンガス Ah Um』 1959年5/5、5/12 NY録音 パーソネル:チャールズ・ミンガス(b)、ジョン・ハディ(as)、シャフィ・ハディ(ts)、ブッカー・アーヴィン(ts)、ジミー・ネッパー、ウィリー・デニス(tb)、ホレス・パーラン(p)、ダニー・リッチモンド(ds)。全ての曲がミンガスのオリジナル。
 タイトルは、ミンガスのラテン・ネームから付けたとのこと。これを初めて聴いたのは、油井先生の”アスペクト・イン・ジャズ”であったと記憶している。『直立猿人』の如何にも、猿人が、猛獣に脅えながら、キョロキョロと寂しく歩いているような、また叫び声をうめくのをホーン楽器で再現するなど物語性に新鮮な驚きを感じ、BlowUpを聴いた時のような斬新な感触を受けた。その次に、出てきたのが、『ミンガス Ah Um』で、一枚のアルバムに色んな音楽の要素を詰め込んでいる印象がある。
 印象的な曲をピックアップします。
 1. Better Git It In Your Soul (7:20)
 べースのイントロから始まる、ブルースを陽気にしたようなテーマだなあと思っていたら、油井さんによると、ゴスペル調になっているということでこれがゴスペルかと納得した。Tsのアドリブも中々いいのである。所々に入るシャウトや合いの手を聴くと教会音楽を思い起こさせる。ニュー・ジャズのフリー・トーンが、ミンガスのこのような演奏がヒントになったというのも頷ける。三拍子で演奏されるオリジナル。
2. Goodbye Pork-Pie Hat
 ポーク・パイ・ハットとは、この録音の2か月前に亡くなったレスター・ヤングのかぶっていた帽子のこと。サヨナラ、レスターという意味。レスター・ヤングは、以前に紹介したように、バードも手本にしてコピーしたとか、マイルスのクールの源流ななったとか考えると、ジャズのホーンのルーツと言っても言い過ぎではない。こっちは、前曲とはうって変わって、静かにレスターを偲ぶような哀愁を帯びた美しいバラードになっている。レスターに因み、ジョン・ハディのアルトが悲しみに満ち、ムーディに演奏されている。
3. Boogie Stop Shuffle
 ミンガスが、クラシック・ジャズのブギー・ウギーが持っていたエキサイトメントやホットなものを現代的にアレンジして演奏したもの。このスピード感とブギウギ感が良いですね。この感じ凄く好きです。特にイントロというかテーマがワクワクします。ホーンとピアノ他のアンサンブルというか全体の構成も良いですし、後半のドラムソロもいい味出してます。エンディングは混迷の内に終わります。
4. Self-Portrait In Three Colors
 このバラードは、ニューヨーク派の映画”アメリカの影”の為に書いたテーマミュージック。いかにもニューヨークを表していて、詩的な作品である。ジェリー・マリガンのナイト・ライツのムードである。
5. Open Letter To Duke
 ミンガスが、心酔していたエリントンに捧げたナンバー。初めは、アップテンポのスインギーな演奏でスタートする。後半からはエリントンサウンドになる。スリリングで陽気なサックスが上手くアレンジされている。ミンガスのべース・スタイルを決定付けたのは、エリントン楽団の天才ジミー・ブラントンである。
6. Bird Calls
 イントロからサックスの騒がしい電話の呼び鈴コールを表している。テーマからアップテンポンの軽快なサックスで飛ばす。気持ちのすくようなスインギーな曲である。ミンガスで一番好きな曲の一つでサックスやピアノのアドリブがいいです。ミンガスは、50年~51年のレッド・ノーヴォ・トリオで演奏した後、ロスからニューヨークに移住し、仕事も無く郵便局員になった。51年の暮れに、バードは近所まで来て作曲を誉め、頑張れと元気づけた。その説得により、ジャズ界に戻ったので、恩義を感じていた。そういう感謝をこめてこの曲を作ったのである。
7. Fables Of Faubus
 ミンガスの代表作でリトル・ロックの黒人と白人の共学問題で白人に味方して、大統領に反抗し州兵まで動員して人種差別をし、黒人から総スカンを喰らったアーカンソー州のフォーバス知事をやじった作品である。ここでは、コミカルなテーマに乗って上品に楽器でそれを訴えているが、別アルバム”ミンガス・プレゼンツ・ミンガス”では、『馬鹿な奴だよ、フォーバスは!』とののしるヴォーカルが入っている。それには、アルトでエリック・ドルフィが参加している。
8. Pussy Cat Dues
 ジミー・ネッパーのTbを大きくフィーチャーしたスローでカラフルな演奏。ミンガスらしいこれぞブルース的な演奏が印象的。ジョン・ハディのクラリネットもハイキーを上手く使って歌いあげる。ミンガスのべースソロもいい。
9. Jelly Roll
 ミンガスは、ジェリー・ロール・モートン(ジャズ黎明期ニューオーリンズの遊郭ストーリービルのピアニストから作曲家になった。38年3月にラジオがW・C・ハンディをジャズの創始者と紹介した所、モートンは、ボルチモアのアフロ・アメリカン新聞に抗議文を送り、”1902年にジャズを創造したのは、この私だ、大嘘つきの、W・C・ハンディは、著作権なきまま歌われていた俗謡を自分のものとして登録しただけだ”、と主張した。)を非常に尊敬していた。ここでは、コレクティブ・インプロヴィゼーションによる古風な演奏が、モートンを偲ばせる。これぞ、ブギウギという感じの演奏である。

 ■4)渡辺貞夫とミンガス
 マイディアライフを聴いていた時に、数年間毎週エアーチェック(FM放送を録音すること。今では死語か?)していた。ミンガス特集をしていたので、探したら、2週間連続でやっていた。1週目は、上の”ミンガス・アー・アム”から、1.7.6.と、デイ・ドリーム、3.の5曲を演奏した。2週目は、1.アッティカ刑務所のロックフェラーを忘れるな、2.デューク・エリントンズ・サウンド・オブ・ラブ、3.オー・ロード・ドント・レット・ミー・ダウンABオン・ミー、4、Goodbye Pork-Pie Hat 、5.ムーズ・ザ・ムーチェ、6.エンブレイサブル・ユーをやっていた。しかし、カセットデッキに昨夜入れてみたが、動かない。1か月前は、調子悪いというものの、何とか動いた。いかん、直さないといけない。直ったら、感想を追記します。この放送がいつだったのか、もし判る方は、教えて下さい。

 以下は、油井先生の”ジャズの歴史物語”を参照しています。
 ■5)ミンガスのべーススタイルを決めた人
 上の5曲目で紹介したが、ミンガスのべース・スタイルを決定付けたのは、エリントン楽団の天才ジミー・ブラントンである。ブラントンの影響を受けたベーシストは、オスカー・ぺティフォード、レイ・ブラウンと数多くいるが、ミンガスが誰より大きな影響を受けた。ベースが、従来のタイム・キーパーとしての役割から、大型ギター的なソロ楽器と変化したのは、ブラントンが源流といえる。

 ■6)ミンガスが、黒人問題に目覚めた時期
 これは、『直立猿人』 (1956)、からと言われています。それまでは、どちらかというと近代音楽に傾倒していた。テオ・マセロやテディ・チャールズとやっていた時代の彼は、黒人意識は稀薄だった。56年は、ロリンズの、”サキソフォン・コロッサス”や、マイルスクインテットの活躍で、ウエストの白人に奪われていたジャズの主導権をイーストの黒人が奪回するチャンスとなった重要な年となった。二度と白人に奪われてたまるかというこを実現するために、白人にできないような黒人らしさを強調したジャズを意識的に演奏するようになった。ミンガスが、黒人としての怒りに転じた時期と符合する。

 ■7)ミンガスの音楽のルーツ
 1つは、ホリネス・チャーチのゴスペル・ソングに若き血をたぎらせた事でもわかるように、ゴスペルである。2つ目は、生で聴いたエリントン・オーケストラの音楽である。5)で紹介したジミー・ブラントンも在籍した。

 ■8)『直立猿人』について
 『直立猿人』 は、5人で録音されたのに、ビッグバンドのサウンドを持っていたのも驚く。「直立猿人」は、ミンガス自身の説明によれば、「(進化)」「(優越感)」「(衰退)」「(滅亡)」の4部構成の組曲。人類の文明社会を風刺しているとも取れる曲で、ジャズに文学的要素を持ち込んだ曲として、高く評価された。巧みに計算されたテーマ部分と、破壊的な即興演奏が、激しいコントラストを織り成す。この中の、A Foggy Dayは、サンフランシスコの霧を表現したものであるが、繁栄とともにスモッグが発生することが、進化から滅亡へ至る過程であると、既に汚染問題を考えていたようである。70年に油井さんが話をした時に、”東京の空は、汚染されているか”と聞いたとのこと。油井さんは、”東京は空気どころか、あらゆるものが汚染されています。”と答えた。ちょっと言い過ぎと思う。当時ミンガスは公害問題に関心が高かったようだ。

 次回は、私の大好きな、JUJUさんのDELICIOUSについて、お話します。お楽しみに。

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