今回は、私の好きなクリフォード・ブラウン(愛称:ブラウニー)についてお話します。
■1)アバウト、ブラウニー
先ずは、彼の経歴をウィッキペディアから抜粋し、下記します。
”クリフォード・ブラウン(Clifford Brown、1930年10月30日 - 1956年6月26日)は、アメリカ合衆国のジャズミュージシャン(トランペット奏者)。ハード・バップ期初期の卓越したプレイヤーであり、ドラマーのマックス・ローチとのバンド活動は高く評価され、「ブラウニー」の愛称で親しまれている。その艶やかな音色からファッツ・ナバロの再来とも呼ばれた。1954年2月21日、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で、アート・ブレイキーを中心に行われた歴史的セッションに参加。この模様は『バードランドの夜』というタイトルでレコード化された。同年、マックス・ローチとともにクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット結成。1955年11月には、ソニー・ロリンズがメンバーとして加わる。1956年6月26日、リッチー・パウエル(バド・パウエルの弟)の妻、ナンシーの運転する車にリッチーと共に便乗してフィラデルフィアからシカゴに向かう途中、ペンシルベニア・ターンパイクで交通事故死。25歳。事故当夜は雨が降っており、ナンシーを含めて3人全員がこの事故で亡くなった。”
リーモーガンも33歳で射殺されたが、いあはや、ジャズトランペッターは、夭折ですね。下に私が知っている分だけでも以下あります。
ブラウニー 25才 交通事故(リッチーパウエルも同じく)
リー・モーガン 33才 愛人により射殺
ブッカー・リトル 23才 尿毒症
ウッディー・ショウ 44才 地下鉄のホームから転落左腕切断、3ヵ月後死去
ファッツ・ナバロ 27才 麻薬中毒・肺結核
トランペッター以外を含めるともっとありますが、トランペッターが特に多いのは何故?かくして、ブラウニーの死後この後に続く全てのトランペッターを呪縛したという迷信も生まれた。
50年代は、黒人には、厳しい時代で、麻薬とかに手を染めて、逃げるジャズメンが多かった。ビル・エヴァンスなんかは、黒人に近づく為に薬をやったとも言われています。(真偽?)
リー・モーガンが、夜空に光る雷の閃光としたら、ブラウニーは真昼に照る太陽のように人々を陽気に楽しく照らしてくれるような光です。
では、当方の好きなアルバムを紹介します。
左上かLPら、ベイジンストリートのローチとブラウン、スタディ・イン・ブラウン、左下CDが、イン・コンサート、CDのスタディ・イン・ブラウンです。この中で、私がもし天国なり地獄に行く時、ブラウニーのアルバムを1枚だけ持って行っていいと言われたら、迷わず、イン・コンサートを選びます。彼は、ライブでその本領を発揮したと思いますし、貴重なライブでのワンホーンのバラードが4曲しか残っていない中で、私が大好きなバラードのワンホーンが2曲も、しかも、絶好調の状態で残っているからです。惜しむらくは、もう少し録音が良くて、ステレオだったら、(ステレオ盤もあるようですが録音が・・)言うこと無しです。
■2)イン・コンサート
では、インコンサートについてお話します。自分の名前を冠したバンドを結成したばかりの初々しい奮発も伝わってくる、華やかさに充ちたデビュー・ライブであり、このコンビの唯一のライブ。
少し他のブログで上手いことを言う(正に同感)人がいてその表現をお借りすることをお許し願う(無断引用ごめんなさい)なら、こうです。
”これがジャズだ、これが理想のジャズコンボによる演奏だ、これらが理想のアレンジだ、このテイスト、この爽快感こそがジャズだ、 余計な能書きや蘊蓄をたれることなく、サクッと短い一言で「どうぞ」と薦め、あとは存分に楽しんでくださいと胸をはることが出来るアルバムの筆頭ともいえる。当時23歳。勢いにのりまくったクリフォード・ブラウンのブライトなトランペット、よどみなく溢れ出てくるフレーズの数々はどうだ。ドラマー、マックス・ローチとの一体感も素晴らしい。ローチとブラウニーのコンビが双頭リーダーを務めるコンボが結成されたのは1954年だが、このアルバムに収録されている半分の演奏は、グループ結成直後のライブの演奏が収録されている。場所はロス。 「やってやるぜ!」という気迫がひしひしと伝わってくる演奏群だ。残りの半分の演奏は、約半年後の演奏で、ブラウニーを代表する名曲、名演の1つ《ジョードゥ》が演奏されている。すでにこの時期になるとブラウニーのトランペットのスタイルも、グループとしてのまとまりも完成の域に達しており、「完璧」という言葉がもっとも相応しい。勢いのみならず、朗々と歌い上げ、深い表現力をみせつける《言いだしかねて》にも注目。20代前半の若者がこの演奏だ。 改めて、表現の深みの出せる出せないは年齢ではないのだなと思ってしまう。このアルバムの演奏にかぎらずだが、クリフォード・ブラウンの演奏は、すべてのジャズトランペッターが思い描く「このように吹けたらどんなにいいだろう」という理想の音を具現化してしまったものなのだろう。隙や破綻や突っ込みどころは皆無などころか人間的な暖かさにも満ち溢れ、これ以上一体何を求めようやの世界。
後にも先にも、テクニック・味わい・暖かさ・スピード感・瞬発力という5つの要素が「五味一体」となったトランペットを吹くトランペッターはクリフォード以外には存在しないと言っても過言ではない。この『イン・コンサート』は、ブラウン入門にも最適なアルバムだが、ブラウンの凄さを再発見するにも相応しいアルバムともいえる。また、ブラウン=ローチ・クインテットの唯一のコンサート・レコーディングだということも貴重だ。”
1〜4が54年8月ク:リフォード・ブラウン(tp)、リッチー・パウエル(pバド・パウエルの実弟)、ハロルド・ランド(ts)ジョージ・モロウ(b)、
5〜8が54年4月の演奏で、以下に変わる。カール・パーキンス(p)、テディ・エドワーズ(ts)、ジョージ・ブレッドソー(b)
「California Club」でのライブ
1. ジョードゥ
オバマ大統領みたいな声の司会者がバンドを紹介し、観客のアツい声援の中、ローチが曲紹介。1曲目JOR-DUが終わったあと、ローチによって、クリフォード・ブラウンの名前が告げられる。ローチは、ブラウニーと共演することを事の外楽しみにしていた。その嬉しさが読み取れる。ぞくっとするようなミディアムテンポのテーマから緊張感の漲るアドリブがブラウニーから溢れる泉の如く発せられる。続くランドのソロも快調。途中メロディを想起させるドラムソロの熱演があり、ブラウニーに戻りテーマをお浚いして終わる。
2. 言い出しかねて (ワンホーン)
そしてI CAN'T GET STARTEDが始まる。輝かしい音、淀みなく流れ出るフレーズ。トランペットという楽器が、これほどまでに華麗に演奏されたことが、かってあっただろうかとさへ思う。この曲は、ブラウニーの感傷的でチャーミングなテーマから始まるが、アドリブに入ると時にブリリアントに、時にリリカルに、自由自在にブローする。夜の都会のイメージである。これは、リーモーガンのバラードの私のベスト3に入る”オールザウェイ”に匹敵するバラードである。
3. 君にこそ心ときめく
アップテンポのブラウニーのテーマから入る。ブラウニーのアドリブは、快調に飛ばす。何もさえぎるものもいない道を疾走していくように驀進だ。スイング感もバリバリに、ジェットコースター並みに上がったり下ったりの連続。ランドもここでは、ロリンズ張りのブローを吹く。お次は、リッチーの番だ。兄貴にも負けない速いスイング感あるピアノ。後は、ローチのメロディアスなドラミングからはお決まりのコースで終了。この曲もすばらしい。
4. パリの舗道
ブラウニーのミディアムテンポのテーマから入る。直ぐにランドのソロになるが、ここでは、他の曲(カンカンレビューみたいな)の引用も出る位の余裕のソフィスティケートされたアドリブだ。次のブラウニーも、余裕綽々に何でも来い、何も苦にしないぞ、と吹き続ける。後は、ローチのお決まりのコースで掛け合いも交えて終わる。この曲もすばらしい。
5. 神の子はみな踊る
これも上と同様に素晴らしいブラウニーのアドリブが爆発する。テナーがテディに変わっているが、ブラウニーに比べたら、テディは、アドリブの変化の種類、巾どれをとっても格が違う。
6. テンダリー (ワンホーン)
彼の歌心の真髄を見た一曲。これは、私のtpバラードのベスト1のモーガンの”アイ・リメンバー・クリフォード”に匹敵すると思う。しっとりとした情感を伴ったテーマ、この曲は、ビル・エヴァンスもいいが、ブラウニーの方が寧ろいいと思う。夜の都会で、一人寂しく歩いている、又は当ての無いドライブでまったりと走っているそんなムードタップリ。ブラウニーのソロをお楽しみ下さい。
7. サンセット・アイズ(テディ・エドワーズのオリジナル)
流石にテディのテーマでスタート。ブラウニーに変わって、アドリブが断然冴え渡る。このころは、彼は何をやっても良いアイデアのアドリブが勝手に出てくる。そう、ロリンズの54年の状態だ。齢も同じで、ベストの時期も同じで、早く死んだか、まだ生きているかの差。
8. クリフォード・アクス(オリジナル)
これもブラウニーのテーマで始まるが、54年のロリンズと同じく、神が降臨しているような感じでアドリブも変幻自在。サイドメンもそれを感じていたはずだ。ローチとブラウニーの掛け合いは、お互いの関係を表して楽しくてしょうがないという感じだが、ロリンズとローチの場合は、例えば”イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー”の最後の4バースなんかは、真剣勝負と見受けられる。
■3)ベイズン・ストリートのクリフォード・ブラウン&マックス・ローチ
村上春樹の紀行文集にタイムマシーンがあるとすればどこに行きたいかという話しがあり、「1954年のニューヨークに飛んで、そこのジャズ・クラブでクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ五重奏団のライブを心ゆくまで聴いてみたい。それが僕の望むことだ。」とあります。これは、まさに、ベイズン・ストリートのことですね。
これも、同様に素晴らしい。これは、ニューヨークの名門クラブであるベイズン・ストリートに出演し、そのイメージや余韻を引っさげたままスタジオで録られたものとのこと。確かに、演奏自体はライブでやっている雰囲気に近い迫力が感じられる。しかし、例えは悪いかもしれないが、ボクシングの世界タイトルマッチをした後で、練習試合をしたとして、同じレベルで力を出せるかを考えたら無理です。それと、ハロルドランドとのコンビなら、リーダーとして皆から見られるし、ランドもそういう態度で臨むので、ブラウニーもやり易い。しかし、ロリンズもリーダーをしている当時飛ぶ鳥を落とす勢いの人なので、お互いが意識する、ましてや、スタジオならなおさらです。だから、2人のアドリブが何か少し遠慮しているように聴こえます。もし、ベイズン・ストリートでのライブそのものを録音していれば、”テナーマッドネス”でトレーンとロリンズが見せたようなライバル意識が良い方に働いて、イン・コンサートと勝るとも劣らないものとなったと思います。
■4)スタディ・イン・ブラウン
これも、名盤ですし、素晴らしいですが、ライブの方が勝る。チェロキーを聴けば、このアルバムが大体理解できます。
次回は、”アイ・リメンバー・クリフォード”を、リー・モーガンの次に素敵に演奏した、キース・ジャレットにします。
■1)アバウト、ブラウニー
先ずは、彼の経歴をウィッキペディアから抜粋し、下記します。
”クリフォード・ブラウン(Clifford Brown、1930年10月30日 - 1956年6月26日)は、アメリカ合衆国のジャズミュージシャン(トランペット奏者)。ハード・バップ期初期の卓越したプレイヤーであり、ドラマーのマックス・ローチとのバンド活動は高く評価され、「ブラウニー」の愛称で親しまれている。その艶やかな音色からファッツ・ナバロの再来とも呼ばれた。1954年2月21日、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で、アート・ブレイキーを中心に行われた歴史的セッションに参加。この模様は『バードランドの夜』というタイトルでレコード化された。同年、マックス・ローチとともにクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット結成。1955年11月には、ソニー・ロリンズがメンバーとして加わる。1956年6月26日、リッチー・パウエル(バド・パウエルの弟)の妻、ナンシーの運転する車にリッチーと共に便乗してフィラデルフィアからシカゴに向かう途中、ペンシルベニア・ターンパイクで交通事故死。25歳。事故当夜は雨が降っており、ナンシーを含めて3人全員がこの事故で亡くなった。”
リーモーガンも33歳で射殺されたが、いあはや、ジャズトランペッターは、夭折ですね。下に私が知っている分だけでも以下あります。
ブラウニー 25才 交通事故(リッチーパウエルも同じく)
リー・モーガン 33才 愛人により射殺
ブッカー・リトル 23才 尿毒症
ウッディー・ショウ 44才 地下鉄のホームから転落左腕切断、3ヵ月後死去
ファッツ・ナバロ 27才 麻薬中毒・肺結核
トランペッター以外を含めるともっとありますが、トランペッターが特に多いのは何故?かくして、ブラウニーの死後この後に続く全てのトランペッターを呪縛したという迷信も生まれた。
50年代は、黒人には、厳しい時代で、麻薬とかに手を染めて、逃げるジャズメンが多かった。ビル・エヴァンスなんかは、黒人に近づく為に薬をやったとも言われています。(真偽?)
リー・モーガンが、夜空に光る雷の閃光としたら、ブラウニーは真昼に照る太陽のように人々を陽気に楽しく照らしてくれるような光です。
では、当方の好きなアルバムを紹介します。
左上かLPら、ベイジンストリートのローチとブラウン、スタディ・イン・ブラウン、左下CDが、イン・コンサート、CDのスタディ・イン・ブラウンです。この中で、私がもし天国なり地獄に行く時、ブラウニーのアルバムを1枚だけ持って行っていいと言われたら、迷わず、イン・コンサートを選びます。彼は、ライブでその本領を発揮したと思いますし、貴重なライブでのワンホーンのバラードが4曲しか残っていない中で、私が大好きなバラードのワンホーンが2曲も、しかも、絶好調の状態で残っているからです。惜しむらくは、もう少し録音が良くて、ステレオだったら、(ステレオ盤もあるようですが録音が・・)言うこと無しです。
■2)イン・コンサート
では、インコンサートについてお話します。自分の名前を冠したバンドを結成したばかりの初々しい奮発も伝わってくる、華やかさに充ちたデビュー・ライブであり、このコンビの唯一のライブ。
少し他のブログで上手いことを言う(正に同感)人がいてその表現をお借りすることをお許し願う(無断引用ごめんなさい)なら、こうです。
”これがジャズだ、これが理想のジャズコンボによる演奏だ、これらが理想のアレンジだ、このテイスト、この爽快感こそがジャズだ、 余計な能書きや蘊蓄をたれることなく、サクッと短い一言で「どうぞ」と薦め、あとは存分に楽しんでくださいと胸をはることが出来るアルバムの筆頭ともいえる。当時23歳。勢いにのりまくったクリフォード・ブラウンのブライトなトランペット、よどみなく溢れ出てくるフレーズの数々はどうだ。ドラマー、マックス・ローチとの一体感も素晴らしい。ローチとブラウニーのコンビが双頭リーダーを務めるコンボが結成されたのは1954年だが、このアルバムに収録されている半分の演奏は、グループ結成直後のライブの演奏が収録されている。場所はロス。 「やってやるぜ!」という気迫がひしひしと伝わってくる演奏群だ。残りの半分の演奏は、約半年後の演奏で、ブラウニーを代表する名曲、名演の1つ《ジョードゥ》が演奏されている。すでにこの時期になるとブラウニーのトランペットのスタイルも、グループとしてのまとまりも完成の域に達しており、「完璧」という言葉がもっとも相応しい。勢いのみならず、朗々と歌い上げ、深い表現力をみせつける《言いだしかねて》にも注目。20代前半の若者がこの演奏だ。 改めて、表現の深みの出せる出せないは年齢ではないのだなと思ってしまう。このアルバムの演奏にかぎらずだが、クリフォード・ブラウンの演奏は、すべてのジャズトランペッターが思い描く「このように吹けたらどんなにいいだろう」という理想の音を具現化してしまったものなのだろう。隙や破綻や突っ込みどころは皆無などころか人間的な暖かさにも満ち溢れ、これ以上一体何を求めようやの世界。
後にも先にも、テクニック・味わい・暖かさ・スピード感・瞬発力という5つの要素が「五味一体」となったトランペットを吹くトランペッターはクリフォード以外には存在しないと言っても過言ではない。この『イン・コンサート』は、ブラウン入門にも最適なアルバムだが、ブラウンの凄さを再発見するにも相応しいアルバムともいえる。また、ブラウン=ローチ・クインテットの唯一のコンサート・レコーディングだということも貴重だ。”
1〜4が54年8月ク:リフォード・ブラウン(tp)、リッチー・パウエル(pバド・パウエルの実弟)、ハロルド・ランド(ts)ジョージ・モロウ(b)、
5〜8が54年4月の演奏で、以下に変わる。カール・パーキンス(p)、テディ・エドワーズ(ts)、ジョージ・ブレッドソー(b)
「California Club」でのライブ
1. ジョードゥ
オバマ大統領みたいな声の司会者がバンドを紹介し、観客のアツい声援の中、ローチが曲紹介。1曲目JOR-DUが終わったあと、ローチによって、クリフォード・ブラウンの名前が告げられる。ローチは、ブラウニーと共演することを事の外楽しみにしていた。その嬉しさが読み取れる。ぞくっとするようなミディアムテンポのテーマから緊張感の漲るアドリブがブラウニーから溢れる泉の如く発せられる。続くランドのソロも快調。途中メロディを想起させるドラムソロの熱演があり、ブラウニーに戻りテーマをお浚いして終わる。
2. 言い出しかねて (ワンホーン)
そしてI CAN'T GET STARTEDが始まる。輝かしい音、淀みなく流れ出るフレーズ。トランペットという楽器が、これほどまでに華麗に演奏されたことが、かってあっただろうかとさへ思う。この曲は、ブラウニーの感傷的でチャーミングなテーマから始まるが、アドリブに入ると時にブリリアントに、時にリリカルに、自由自在にブローする。夜の都会のイメージである。これは、リーモーガンのバラードの私のベスト3に入る”オールザウェイ”に匹敵するバラードである。
3. 君にこそ心ときめく
アップテンポのブラウニーのテーマから入る。ブラウニーのアドリブは、快調に飛ばす。何もさえぎるものもいない道を疾走していくように驀進だ。スイング感もバリバリに、ジェットコースター並みに上がったり下ったりの連続。ランドもここでは、ロリンズ張りのブローを吹く。お次は、リッチーの番だ。兄貴にも負けない速いスイング感あるピアノ。後は、ローチのメロディアスなドラミングからはお決まりのコースで終了。この曲もすばらしい。
4. パリの舗道
ブラウニーのミディアムテンポのテーマから入る。直ぐにランドのソロになるが、ここでは、他の曲(カンカンレビューみたいな)の引用も出る位の余裕のソフィスティケートされたアドリブだ。次のブラウニーも、余裕綽々に何でも来い、何も苦にしないぞ、と吹き続ける。後は、ローチのお決まりのコースで掛け合いも交えて終わる。この曲もすばらしい。
5. 神の子はみな踊る
これも上と同様に素晴らしいブラウニーのアドリブが爆発する。テナーがテディに変わっているが、ブラウニーに比べたら、テディは、アドリブの変化の種類、巾どれをとっても格が違う。
6. テンダリー (ワンホーン)
彼の歌心の真髄を見た一曲。これは、私のtpバラードのベスト1のモーガンの”アイ・リメンバー・クリフォード”に匹敵すると思う。しっとりとした情感を伴ったテーマ、この曲は、ビル・エヴァンスもいいが、ブラウニーの方が寧ろいいと思う。夜の都会で、一人寂しく歩いている、又は当ての無いドライブでまったりと走っているそんなムードタップリ。ブラウニーのソロをお楽しみ下さい。
7. サンセット・アイズ(テディ・エドワーズのオリジナル)
流石にテディのテーマでスタート。ブラウニーに変わって、アドリブが断然冴え渡る。このころは、彼は何をやっても良いアイデアのアドリブが勝手に出てくる。そう、ロリンズの54年の状態だ。齢も同じで、ベストの時期も同じで、早く死んだか、まだ生きているかの差。
8. クリフォード・アクス(オリジナル)
これもブラウニーのテーマで始まるが、54年のロリンズと同じく、神が降臨しているような感じでアドリブも変幻自在。サイドメンもそれを感じていたはずだ。ローチとブラウニーの掛け合いは、お互いの関係を表して楽しくてしょうがないという感じだが、ロリンズとローチの場合は、例えば”イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー”の最後の4バースなんかは、真剣勝負と見受けられる。
■3)ベイズン・ストリートのクリフォード・ブラウン&マックス・ローチ
村上春樹の紀行文集にタイムマシーンがあるとすればどこに行きたいかという話しがあり、「1954年のニューヨークに飛んで、そこのジャズ・クラブでクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ五重奏団のライブを心ゆくまで聴いてみたい。それが僕の望むことだ。」とあります。これは、まさに、ベイズン・ストリートのことですね。
これも、同様に素晴らしい。これは、ニューヨークの名門クラブであるベイズン・ストリートに出演し、そのイメージや余韻を引っさげたままスタジオで録られたものとのこと。確かに、演奏自体はライブでやっている雰囲気に近い迫力が感じられる。しかし、例えは悪いかもしれないが、ボクシングの世界タイトルマッチをした後で、練習試合をしたとして、同じレベルで力を出せるかを考えたら無理です。それと、ハロルドランドとのコンビなら、リーダーとして皆から見られるし、ランドもそういう態度で臨むので、ブラウニーもやり易い。しかし、ロリンズもリーダーをしている当時飛ぶ鳥を落とす勢いの人なので、お互いが意識する、ましてや、スタジオならなおさらです。だから、2人のアドリブが何か少し遠慮しているように聴こえます。もし、ベイズン・ストリートでのライブそのものを録音していれば、”テナーマッドネス”でトレーンとロリンズが見せたようなライバル意識が良い方に働いて、イン・コンサートと勝るとも劣らないものとなったと思います。
■4)スタディ・イン・ブラウン
これも、名盤ですし、素晴らしいですが、ライブの方が勝る。チェロキーを聴けば、このアルバムが大体理解できます。
次回は、”アイ・リメンバー・クリフォード”を、リー・モーガンの次に素敵に演奏した、キース・ジャレットにします。