まほまほろば

まほろばのように日々の思いを書き綴った日記

考えたいことも考えられない

 | デューン
言論の自由や思想の自由というのは一般的には認められています。

ただ、どちらかを犠牲にしろということになった場合、私はどちらを選ぶだろうかと考えたところ、言論の自由を犠牲にしたくなりました。

最近、ハンナ・アレント著の「全体主義の起源」を読んだのですが、その中で全体主義と専制主義(独裁)の違いについて言及されていました。

これを読む前までは、正直言ってどちらも同じようなものだと思っていましたが、細かく見ていくと様々な違いがあります。

一番の大きな違いは思想の自由についてです。

全体主義は思想の自由がないのに対し、専制主義には多少はあります。

具体例で示します。

「2かける2は4である。」という定理に対して、組織の上の人が「いや、2かける2は4ではなく5である。」と言ったとします。

このときに「そんな馬鹿な!2かける2は4である」と思える自由がないのが全体主義であり、思える自由はまだあるのは専制主義です。ただし、どちらも公然と言える自由についてはないと思われます。

間違っていると思う自由すらなく、2かける2は5であるのを疑いもせず当たり前としてしまうところにこの怖さがあります。

言いたいことを言えない不全さならまだなんとか我慢ができます。なぜなら心の中ではつぶやくことができるからです。

それすらもできない状態は非常に怖いことです。


以前、仕事上の上司で、休みの日に職場の上の人(顔の広い人でして、派閥を持っている人)の飲み会に誘われてうれしいと自慢している人がいました。さらに(デューンも)誘われるように頑張れよと言っていました。

私はこれを聞いたときに、この人はやばいな、大丈夫なのだろうかと思ってしまいました。

おかしいことに対して、おかしいと思うことすらできなくなってしまう思考停止状態に陥っていると思ったからです。

案の定、しばらくしたらその人は頑張りすぎたのか精神を壊してしまいました。


案外身近なところにも全体主義の萌芽があるものです。
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