matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

北京散歩その2-頤和園

2016-09-19 11:11:38 | 世界の都市(アジア)



(万寿山の仏香閣と昆明湖)

 北京その2

 頤和園へは、北京中心部から車で
40~50分程度です。

頤和園は北京最大の皇族庭園で、万寿山
とその南に広がる昆明湖の総称。

面積は約290万平方m、周囲は約8
km。


(東宮門)

1750年に清の乾隆帝が、生母の
60才の長命を祝って、旧称おう山
を万寿山と改め、庭園を造営したのが
始まりです。

乾隆帝は杭州の西湖を模した昆明湖
など、江南地方の風景をこの庭園に
映しました。



1860年に英仏連合軍に破壊されます
が、1888年に西太后が再建します。

再建費用は銀3000万両といわれ、
海軍の年間経費の15年分に相当し
ます。

1894年に勃発した日清戦争に清が
敗退した要因のひとつともいわれます。

1900年には8か国連合軍に再び
破壊されますが、西太后が1902年
再建したのが、現在に伝わる姿です。


(西太后が暮らした楽寿堂)

西太后は1年の3分の2を頤和園で
過ごし、毎日紫禁城から銀1万両が
運ばれたそうです。


(長廊)

昆明湖の北岸に沿って建てられている
回廊で、長さは278mあります。

現在のものは19世紀末に再建された
もの。

花鳥画、風景画、歴史画などが極彩色
で描かれています。


(清あんほう)

昆明湖北岸の西端にある石の船です。

神仏世界の蓬莱島へ向かう宝船を表して
います。

英仏連合軍によって破壊されますが、
西太后が修復します。


(蘇州河に架かる橋)

乾隆帝は蘇州の町をたいへん気に入り、
蘇州の街並みの一角を頤和園に再現
しました。

蘇州街一帯の后湖は蘇州河と呼ばれ、
8本の橋が架かっています。

権勢をほしいままに振るった西太后は
8ヵ国連合軍の北京入城で、西安に
逃走。
1908年、74才で世を去ります。

  (続く)




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