matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

松山の旅その2-湯築城跡と道後温泉

2016-10-15 11:11:56 | 旅行




 松山その2

 湯築城跡は松山市の中心部にあり、
道後温泉すぐ近くで、現在は道後公園
となっています。

発掘調査は昭和63年に開始されまし
た。

中世の城郭である湯築城は、近世の城郭
が持つ石垣や天守が無く、地形を利用し
て作られた平山城です。



平安時代末期から戦国期(12世紀末~
16世紀末)までの約400年間、伊予
を支配したのが河野一族でした。

源平合戦の壇ノ浦の戦いで、河野通信が
源氏の武将として功績をあげ、鎌倉幕府
の有力御家人となり、伊予国の統率権を
得ました。

鎌倉時代に時宗を興した一遍上人は、
河野通信の孫にあたります。



南北朝期の通盛の時(1335年前後)
に河野郷から湯築城(ゆづきじょう)へ
本拠を移します。

以後約250年間にわたり、河野氏の
居城となりました。

1585年豊臣秀吉の四国征伐により、
小早川隆景に湯築城を明け渡し、河野氏
は滅亡します。



丘の上にある展望台からは、はるか
松山城が見渡せます。


「道後公園」駅から伊予鉄道の路面電車
で一駅乗ると「道後温泉」駅です。



駅舎の前に小さな蒸気機関車が停まって
います。

坊ちゃんが東京から赴任してきたその日
乗った列車です。

「・・・停車場はすぐ知れた。切符も
訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ
箱の様な汽車だ。・・・」

伊予鉄道は現存する地方鉄道の中で最も
古い歴史を持つ鉄道会社です。



道後温泉本館は街のシンボル的存在の
共同浴場です。(愛称は坊ちゃん湯)

共同浴場番付で、東の横綱が湯田中温泉
大湯で、西の横綱がこの本館です。

1894(明治27)年、神の湯本館
が建立されます。

夏目漱石が松山中学の英語教師として
赴任したのは、翌1895年。

「坊ちゃん」の中で温泉は立派なもの
だと絶賛し、実際頻繁に通ったそう
です。




正岡子規像があります。

子規像の手前の句碑は、子規の友人
柳原極堂の

「春風や ふね伊予に寄りて

 道後の湯」



今もつづく俳誌「ホトトギス」は
1897(明治30)年、極堂が
創刊しました。

漱石が小説「吾輩は猫である」、
「坊ちゃん」を発表したことでも
知られます。

極堂は終生子規の顕彰に努めました。

  (続く)
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-12-02 20:10:11
ずっと昔、1973年に四国の修学旅行で

にぎやかに道後温泉本館へ。

数年前、四国ツアーの家族旅行で

久方ぶりの松山へ。

随分観光地化しましたが、
松山の風土・情緒はそれほどかわらず、ほっと。

時代情緒もすこし堪能できて、

ブログ写真で、

二度の松山の旅を思いだしています。

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