国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四六話

2016-06-29 23:12:52 | 国鉄関連_国会審議
ダラダラと続いたのですが、今回が最後になります。
ただ、最後のこの質問が非常に注目すべき質問をされていますので、逐次解説を挟みながらお話をさせていただこうと思います。

中馬弘毅委員は、大阪市出身の国会議員ですが特に注目したのは、交通に関する考え方について非常に明確な視点を持っておられたと言うことです。
逆説的に言えば、地方についてもよく理解されていると言う点です。
昭和54年当時でも農家の自家用車保有率は100%となり、鉄道を利用しなくとも生活が出来てしまう、実際には今度は高齢化により自動車を運転が困難になってしまったと言う問題も発生しているといえますが・・・。
「鉄道が通ったら町が、あるいは村が発展するということでもなく、逆にス-パーあたりが一つ店を開いた方が町が発展するというようなことでございます。」
これは、現在も行われていますが、AEONが出店することで町が活性化する・・・と言う安易な発想から結果的には地元の商店街を疲弊させてきたわけです。
そして、これは鉄道についても同じではないかと指摘しています、この辺の指摘は大変的確で35年以上前の指摘とは思えないと言うか、政府の交通政策が30年前と変わっていないのではないかと思ってしまうんですね。

「新幹線が通ったからといって、逆にそれは場合によっては過疎化を促進させているかもしれません。一つのバキューム効果ということで地方からどんどん東京の方に管理機能が移ってしまって、地方は少しさびれるというような状況にもなってまいります。人の意識も変わってまいりまして、少々高くてもスピードが速かったらその方を利用するし、あるいは安くてもサービスが悪かったら利用しないというようなことになってきているわけです。」

そして、この件で中馬委員が当時の鈴木善幸首相に言質を取っているのですが、実際にはこの言質が実行されず、一部政治家の利権の道具として整備新幹線が利用されている現状に対し、怒りを感じてしまいます。

といいますのは、中馬委員は国鉄再建法に関するローカル線の廃止について一定の理解を示し、「飛行機だとか鉄道だとか、あるいは自動車の特性を生かした効率的な交通体系を再構築するということを西中委員の御質問に対して答弁されたわけでございますけれども、今度の法律がただ単に国鉄の再建のための地方線の足切りではなくて、それぞれの交通の特性を生かしてバスに転換するということで、私たちはこれを評価しているわけですね。」と言うように他の委員が地方の活性化のために鉄道を残せと言う考え方と一線を画する考え方をしています。
 さらに、こうして鉄道伊賀の交通機関とも連携した交通もの発展をするものと考えているのですが、鈴木善幸首相が、整備新幹線に関しては
「 整備新幹線の問題が出ましたですけれども、それは閣議了解をしているからやるんだ、あるいは財源が調えばやるんだというお答えでございました。そうすると、本当に特性を生かした検討ということはもう聖域になってしまうのか。閣議で了解したからこのことは全く交通の特性に関係なく実施するんだというようにもとれてしまうのですけれども、そこのところはどうなんですか。そういうことも含めてもう一度一から交通の特性を生かした体系を組み立てるというおつもりではないのか、そこのところの御答弁をお願いしたいと思います。」
ということで、整備新幹線についても総合的な交通体系を作るのか否かと言う視点で質問をしており、それに対して、鈴木首相は
「この法律の精神に基づきまして最も適正合理的な基準を設定をいたしまして、それに基づき政令等がつくられた場合には、その運用に当たりましては厳正に、いささかも国民の疑惑、御批判を仰ぐことのないようなりっぱな運営をやってまいる、このことをはっきり申し上げておきます。」

と答弁しているのですが、残念ながら整備新幹線問題に関しては、国鉄改革の法案審議中は審議は棚上げにされていたにも関わらず、国鉄改革法案が通過した後すぐに、整備新幹線問題(着工の優先順位)などを審議し始めたのですから正直、総合交通体系など考えていないのではないかと思ってしまうんですね。
今となっては、当時のこの、鈴木首相の答弁が軽いものに思えてなりません。

なお、こうしたローカル線の問題にも繋がっていくように思えます。
なお、三江線に関する件は幣ブログ。鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blogでアップさせていただきます。

次回は、衆議院もしくは参議院の運輸委員会の議事録をアップさせていただく予定です。

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**********************以下は、本文になります。***************************

○小此木委員長 中馬弘毅君。

○中馬委員 このところ交通面の時代的な背景がずっと大きく変わってきているわけです。高度成長時代のように利用者がどんどんふえるわけでもなければ、あるいは道路も山奥まで整備されて、農家の自動車の保有率はほぼ一〇〇%という状況になっています。また、鉄道が通ったら町が、あるいは村が発展するということでもなく、逆にス-パーあたりが一つ店を開いた方が町が発展するというようなことでございます。それから、新幹線が通ったからといって、逆にそれは場合によっては過疎化を促進させているかもしれません。一つのバキューム効果ということで地方からどんどん東京の方に管理機能が移ってしまって、地方は少しさびれるというような状況にもなってまいります。人の意識も変わってまいりまして、少々高くてもスピードが速かったらその方を利用するし、あるいは安くてもサービスが悪かったら利用しないというようなことになってきているわけです。
 先ほど総理は、飛行機だとか鉄道だとか、あるいは自動車の特性を生かした効率的な交通体系を再構築するということを西中委員の御質問に対して答弁されたわけでございますけれども、今度の法律がただ単に国鉄の再建のための地方線の足切りではなくて、それぞれの交通の特性を生かしてバスに転換するということで、私たちはこれを評価しているわけですね。ところが、総理の御答弁の中で少しおかしいと考えられるところがありましたので、そのところを確かめさせてもらいます。
 整備新幹線の問題が出ましたですけれども、それは閣議了解をしているからやるんだ、あるいは財源が調えばやるんだというお答えでございました。そうすると、本当に特性を生かした検討ということはもう聖域になってしまうのか。閣議で了解したからこのことは全く交通の特性に関係なく実施するんだというようにもとれてしまうのですけれども、そこのところはどうなんですか。そういうことも含めてもう一度一から交通の特性を生かした体系を組み立てるというおつもりではないのか、そこのところの御答弁をお願いしたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 整備五線の問題は、わが国の将来の展望に立ったところの総合交通体系の骨格としてもともと立てたものでございます。ただ、現在その財源対策、また交通体系の形成に当たりまして他の交通機関との関連というものを十分配慮しながらこれを進めなければならないというのが私の考え方でございます。

○中馬委員 そういうことも含めて、本当に時代に合った交通体系を再構築されることを望んでおります。
 それから、冒頭に加藤委員から御質問があって、お答えをお求めになっておりませんでしたけれども、今度の特定交通線の選定、これは大変むずかしい問題だと思うのです。それぞれの方々にも各地域、各団体から陳情がたくさん来ているのですね。そうすると、国鉄当局の厳正中立的な基準に基づいて、いささかも政治的な配慮あるいは国民の疑惑を招くような決定を絶対させないということを、加藤さんはお答えをお求めになっておりませんでしたけれども、総理からひとつここで明言をしていただきまして、質問を終わらせたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 この法律の精神に基づきまして最も適正合理的な基準を設定をいたしまして、それに基づき政令等がつくられた場合には、その運用に当たりましては厳正に、いささかも国民の疑惑、御批判を仰ぐことのないようなりっぱな運営をやってまいる、このことをはっきり申し上げておきます。

○中馬委員 終わります。

○小此木委員長 次回は、来る三十一日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時十六分散会


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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四五話

2016-06-21 23:25:52 | 国鉄関連_国会審議
気が付くと2週間以上放置状態でしたので、改めてアップさせていただきます。
正直、ここ最近本当に多忙なんです。
まぁ、多忙なことを楽しんでいるのでその辺は問題ないのですが、笑
さて、本日も飛び飛びとなっているのですが、昭和54年の答弁を少し私の解説を加えながらアップさせていただきます。

さて、今回は短く一つの質問だけに絞ってお話をさせていただこうと思います。
公共料金値上げの問題の一環として国鉄の値上げについて質問しています。
実際、50%の大幅値上げ以降国鉄離れが深刻化し、値上げ分だけ増収になるとは言えず、仮に値上げで100位億円の増収を見込めるとしても実際には70億円ほどにしかならず、残りの30億円が不足分としてさらに借金として補填されてしまうような状況であったと言えましょう。

ただ、ここで注目しなくてはいけないのは負担増も大きいのですが、預貯金の利息が8%近くあったと言うことです、8%の利息と言うことは複利計算では9年で元金が倍になる計算となります。
ということで、今のように預貯金の金利が付かないどころかマイナス金利と比べれば値上げはあるけれどその分預貯金も増えると言う構図でした。
ですから、国民の負担ばかりを増やすと言いながらも実際には土地の値上がりなどを含め概ね右肩上がりの経済成長でしたのでこの手の値上げはある意味、経済成長の影響でと解釈しています。

ただ、国鉄の運賃値上げは、「国鉄はますます国民から愛されなくなってしまう。これでは経営基盤を確立するということにほど遠いのではないか、さらに減量経営を進めていかなければならない、こういう事態に落ち込むのではないかというふうに思います。」
と言う発言は当たらずとも遠からずであり、57年頃から国鉄は減量ダイヤ(特に貨物輸送)に入ることとなり、動労は組合員構成の特殊性(動力車乗務員のみで構成)から、方針の転換が行われていったことは注目される部分ではないかと思われます。



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******************************以下は、議事録本文となります。******************

○鈴木内閣総理大臣 塩川運輸大臣からきわめて懇切丁寧な御答弁がございました。その答弁をもって政府の答弁とお受け取りいただきたい。

○四ツ谷委員 ただいまの総理の御答弁はまことに無責任であります。塩川運輸大臣の答弁のとおりなどとおっしゃいましたけれども、私の質問はそういう質問ではなかったはずでございます。いままで政府・自民党が進めてきた政策と今度の法案の中身とは非常に矛盾をし、国民に対して無責任である、それに対して総理が的確に答弁をなさらないのはまことに無責任と思いますが、時間がありませんので、次に簡単な質問を一つさせていただきます。
 総理はこの間の十月三日の所信表明で、物価の安定こそ国民生活を安定させる基礎条件である、このように政府の基本方針をお述べになりました。ところが、来年度以降の予算関連の公共料金の値上げを見てみますと、まずこの国鉄運賃の二千百億円を含め、厚生年金、国民年金、健康保険、郵便、米価など、各料金が軒並み値上げを予定しておって、約二兆円の負担を国民にかけよう、こういうふうな状態に追い込んでいるわけです。これは物価対策上から見ましても国民生活を直撃するものである、総理がおっしゃった物価の安定こそ国民生活を安定させる基礎条件である、この点から見てもきわめて遺憾なできごとではないか、このように思います。
 ここで国鉄運賃の問題だけにしぼりますと、国鉄運賃の値上げ、しかも引き続きましてこれからもどんどん上げていくとおっしゃっています。先ほどから抑えるとおっしゃっているけれども、上げていく方向には変わりがない。それから、地方ローカル線についても、五〇%もの割高運賃を導入しようということがはっきりしてきたし、定期の割引率についてもさらに引き下げよう、まさに国民の国鉄離れを促進するような方向で国鉄運賃の値上げを進めていこうとしている。これでは物価対策上から見ましても、また国鉄を再建するという観点から見ましても、国鉄はますます国民から愛されなくなってしまう。これでは経営基盤を確立するということにほど遠いのではないか、さらに減量経営を進めていかなければならない、こういう事態に落ち込むのではないかというふうに思います。
 その点、このような所信表明をされました総理として、物価対策上、国民の暮らしを守るという観点からと、それから国鉄を真に国民の足として、国民の足を守るために、国鉄運賃の値上げ、これを凍結されるお考えはないかどうか、これをお聞きしたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 公共料金の問題につきましては、短期的な視野とまた長期的な観点、こういう点をよく考えなければならないわけでございます。当面これを抑える、それは目先はいいのでありますけれども、将来にわたって大変な禍根を残す。国鉄財政にしても御承知のような厳しい状況下にございます。私どもは国民の税金でそれを負担するのか、受益者に応分の御負担を願うのか、こういう観点でこの問題は御検討をいただきたい、こう思います。消費者物価等、国民の生活を守る点につきましては、私ども政府を挙げて全力を尽くしておるところでございます。

○四ツ谷委員 どうもありがとうございました。
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南海キハ5501と白浜直通準急 第3話【くろしお号の発展と急行きのくにの引退】

2016-06-17 07:10:05 | 国鉄思いで夜話
すみません、10日以上も空けてしまいました。

ちょっとばたばたしていて、blogの更新がままなりませんでした。
それと、いま古い資料を読んでいまして(昭和26年頃)時間を取られています。
私が昔の資料にこだわるのは、一次資料であると言うこと。
当時の記録ですから、一番正確性が高いわけで、そうした資料を読みこむことの重要性を感じています。

さて、余談はともかくとして、「特急くろしお」の増発と「急行きのくに」の衰退について書かせていただきます。

国民の所得向上もあって、特急利用はますます大衆化していき、特に昭和45年の万国博覧会では新幹線利用が一般化するなど、それまでは、東海道新幹線が開業しても特急以外の旅客は、新幹線に移動しないと見込んでいたのですが、実際には、在来線から新幹線への転移が進み、九州直通急行の「桜島・高千穂」を除けば「長距離急行はほぼ全滅、「急行・東海」は、新幹線の恩恵を受けにくい静岡地区への区間輸送に、また、「急行・比叡」が名古屋~大阪間に残る程度となりました。

紀勢本線でも1967年(昭和42年)改正で、天王寺~名古屋間に加えて、天王寺駅~白浜駅間と、天王寺駅~新宮駅間で1往復ずつ増発されて3往復に、昭和43年の改正でも2往復増発された特急は5.5往復まで成長、急行きのくにもこの時点では天王寺発10本、天王寺行き8本、季節列車3往復の最高13本が特急とは別に運転されていたことになります。
当時は、白浜は大阪からの湯治場として栄えており、並行する高速道路もありませんでしたし、新婚旅行客も多く、特急・急行ともグリーン車を2両連結されていました。

昭和47年の改正では、日本海縦貫線の電化完成に伴い余剰となったボンネット型先頭車のキハ81形を含む「いなほ」「ひたち」運用の車両が転入し、天王寺~名古屋間限定運用で紀勢西線電化まで活躍しました。
現在は、京都の鉄道博物館に保存されているのはご存じのとおりです。



昭和53年になると紀勢西線も電化が行われ、381系が、新製投入されたほか113系も何編成化は新製投入(多くは首都圏からの転用)され

阪和線新快速色と同じ塗装に変更されて投入されました、「急行・きのくに」だけは、南海電車からの乗り入れ、「しらはま」など和歌山線経由の急行列車の存在、機関区の統廃合の問題もあったかと思うのですが(当初は和歌山機関区(当時の名称)を電車区に改装しようとしたが反対されたと言った話を聞いたことがあります。詳細は不明のため今後調査していきたいと思います。ご存じの方おられましたら、ぜひご教示願います。)

昭和53年の時点では紀勢本線の急行列車は架線下急行として昭和60年まで走ることとなりました。

昭和60年のダイヤ改正では、増収目的もあって急行列車を廃止して特急くろしおに吸収されることとなり。新たに、急行のみ停車駅であった海南駅・椿駅・周参見駅・古座駅・太地駅・湯川駅・那智駅に新たに特急が停車するようになり箕島駅・湯浅駅・南部駅ともども停車することとなり、特急の急行化がさらに進むこととなりました。

昭和60年の特急化に際しては、余剰気味だった485系を短編成化し、サハ481を改造した新形式クハ480が誕生しました。
この列車は4+4で運転し白浜駅で後部4両を切り離して運転するとされており振子列車ではないので速度も急行列車と殆ど変わらず評判は悪かったです。

結局1年で「やくも」を短編成化で捻出した、381系を転入させ、全列車、381系化することになり、485系は転出してしまいました。
歴史にIFは無いですが、仮に南海電車が485系を導入していたら・・・(車体幅に関しては特認をとる必要があったと思われますが)「特急くろしお」は比較的遅い時期まで485系による「くろしお」が、「きのくに」の流れをくむ特急として君臨していたかもしれませんね。

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南海キハ5501と白浜直通準急 第2話

2016-06-06 07:47:09 | 国鉄思いで夜話

みなさまおはようございます、先日キハ5501のお話を書かせていただいたのですが、本日はその続きとなります。
その前に少しだけ、簡単に「きのくに号」の歴史について振り返ってみたいと思います。

現在でも観光地として人気を誇る白浜ですが、古くは昭和8年に天王寺(当時は阪和鉄道)から紀伊田辺まで直通運転が開始され、「黒潮」号と名付けられたのが最初と記録されています。
当時は省形客車がモヨ100等の阪和形の電車にけん引されて乗り入れていたようです、運転開始から1か月ほどで白浜口(現・白浜)まで延長されたそうで、当時から大阪からの湯治場として人気を誇っていたことが判ります。
また、昭和9年には同じく南海電鉄から、難波~白浜口駅間で運転を開始したとされています。
戦後はいつごろ廃止になったのか現在調査中ですが、戦後は昭和25年10月に設定される臨時快速が「黒潮」の愛称を与えられたおり、これが戦前の流れをくむものと言われています。
さらに昭和27年、南海電鉄ではスハ43に準じた客車サハ4801を新造、国鉄の客車が茶色もしくは紺色の中、南海電車の緑の塗装の客車が登場しました。
内装はスハ43ですが、出入り口上部には「南海」の文字が入り優等客車のように思えたものでした。この車両は1両しか作られなかったため多客時には国鉄のスハ43を借り入れて乗り入れをしていたようです。

さた、肝心のキハ5501「きのくに」の話ですが、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に伴い帝国車両でキハ5501・5551が製造されることになります。(前述)
昭和36年3月の改正で、「準急南紀」は3往復になりそのうち1往復はなんば発着とすることとなり南海電鉄でもキハ5501増備することとなります。


昭和36年3月時刻表


昭和38年時刻表
さらに昭和38年10月のダイヤ改正では、なんば駅発着を増発、全列車が天王寺・難波~新宮の運転となったそうです。

明けて、昭和40年3月の改正では和歌山機関区にキハ80系特急気動車が配置され、天王寺~名古屋間を結ぶ「特急くろしお」並びに、東和歌山~名古屋(阪和線・関西線経由)の「特急あすか」が設定されました。
「特急あすか」は配置区である和歌山機関区に戻すために設定された列車でしたが、東和歌山(現・和歌山)駅が7:00発、22:30到着で、かつ天王寺を経由しないダイヤであったことから利用は低迷、昭和42年のダイヤ改正で廃止になっています。

昭和42年の改正で廃止になる特急あすか 和歌山駅を7:02では利用者もいないであろうと思われる。

戦後、愛称変更で廃止になった「平和」を除くと初めての廃止特急となりました。

特急あすか 短命に終わった。

さて、それまでは紀勢本線の最優等列車の位置づけであった「準急きのくに」はその地位を「特急くろしお」に譲ることになります。

準急としての「きのくに」は昭和41年国鉄の方針に伴い急行に格上げされることとなります。
というのは、それまでは車両の優劣で急行と準急の差をつけていたのですが、新車の増備も進んだことから100km以上を走行する準急は急行に格上げすることで増収を図ろうということになりました。


元々準急用で製作したキハ5501ではいささか見劣りするのですが、塗装をキハ58並みに変更した以外は特に変わったところは無く「急行きのくに」として引き続き活躍することになります。

さて、そんなキハ5501ですが、国鉄では列車種別が準急であったり・急行だったのですが。南海本線内ではあくまで特急として運転されていました。正確には「連絡準急(急行)」と言う名称です。
連絡急行は指定席料金を取っていたようで、区間利用者を極力排除していたような印象があります。
なお、南海本線内の停車駅は昭和38年10月のダイヤを見てみましても、堺・岸和田のみが停車駅となっています。それ以前は、泉大津・岸和田・泉佐野にも停車していたようです。


なお、和歌山市到着後はそのまま渡り線を通って紀勢本線に乗り入れ(実際は紀和駅手前までは南海電鉄の保有)て紀和(昭和43年2月から、それ以前は和歌山駅)駅を経て和歌山(昭和43年3月から、それ以前は東和歌山駅)に乗り入れそこで天王寺から来た編成と連結していました。
南海の車両は常に白浜方に連結されていました。


次回は、くろしお号の発展ときのくに号の衰退を含めて書かせていただきます。

コメント (1)
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南海キハ5501と白浜直通準急 第1話

2016-06-03 23:29:41 | 国鉄思いで夜話

南海本線と紀勢本線

その昔、南海電鉄では南紀観光の一環として「急行きのくに」に併結する形で、「なんば」からキハ55形気動車が走っていました。
その当時のお話などを昔の時刻表などを参照しながら私の覚えている範囲でお話をさせていただこうと思います。
しばしお付き合いいただければ幸いです。

なお、サハ4800に関しては私もあまり詳しくないので端折らせていただくことを最初にお断りしておきます。
また、今回は昭和36年から40年までの概略とさせていただきます。(昭和40年以降は後日書かせていただきます。)
さて、南海のキハ5500が導入されたのは「準急きのくに」に使うためだったようで、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に合わせて2往復に増発された「臨時列車きのくに」東和歌山~白浜口間で南海から乗り入れたキハ55を連結したのが始まりと言われています。

特に当時の「準急きのくに」というのは当時の時刻表を見てみますと、東和歌山(現:和歌山)の次は御坊、紀伊田辺・白浜口(現:白浜)という今のくろしおよりも停車駅が少ない準急で、続行で準急南紀がありますが、こちらは海南駅や湯浅駅にも停車する準急で客車列車でした。

ということで、特急列車無き時代の「準急きのくに」は和歌山県にしてみれば特急に相当する列車だったといえましょう。

更に南海線内も扱いは特急だったそうですが、自社での運転士の養成が追い付かず最初は電車にけん引されたとか・・・。(+_+)

実は動力車の免許は、運転する車両によって分類されており、電車の免許を持っていても,気動車は新たな免許を取得する必要があるようです。

甲種電気車運転免許(電気機関車と電車)
甲種内燃車運転免許(内燃機関車と内燃動車)
参考 動力車操縦者 wikipedia

それはさておき、「準急列車」用に製造されたキハ55、南海では5501形と5551形と名乗っていたようで、片運転台車がキハ5501形、両運転台車がキハ5551形と呼ばれ、両運転台の5551形はトイレが省略された形で製造されました。

外観は、国鉄のキハ55-100番台と同じ一段上昇窓でしたが、ドア横に南海の社章が入るとともに、窓下2か所に南海の表示(内側から電照式になっていて、ちょうど寝台車出入り口上部にあるA寝台とかB寝台の表示と同じようなイメージ)がされるようになっていました。
また、南海電車は私鉄の地方定規に定められた車体幅が少し小さいため、国鉄形に準じたキハ5500形は、車体窓下に保護棒が付けられており、手などを出せないようになっていました。
その効果はどれほどあったのかは判りませんが・・・。



それ以外は、国鉄形に準じており、堺市鳳にあった帝国車両(現在は東急車両に吸収合併)で製造されました。【帝国車両は、その後東急に合併されましたが、2003年に工場は廃止、跡地には、「アリオ鳳」を中心とする居住施設となっています。

当時の南海電車【7001系や7101系】は、帝国車両で製造されており、今でも古い車両では帝国車両の銘板を見るt個が出来る場合があります。また、その名残で現在も、南海の車両は東急で製造されているのは皆様よくご存じのことだと思います。

製造当初は、準急型の標準塗装であるクリーム色に赤帯で登場しますが、その後国鉄のキハ55と同じ急行塗装に変更されました。

話が前後してしまいましたが、「準急」列車ですが、「きのくに」に限定されることはなく、「南紀」「きのくに」等で使われていることがわかります。
(昭和35年10月の時刻表参照)
堺・岸和田以外はノンストップの特急となっているのがご覧いただけるとかと思います。
(昭和36年3月の時刻表参照)

和歌山市~東和歌山間も準急として運転されますが、和歌山市から難波間は特急扱いでした、昭和35年10月号の時刻表を参照しますと、「第二きのくに」として運転されています。

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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四四話

2016-06-03 09:55:59 | 国鉄関連_国会審議
久々に更新させていただきます、このような議事録を見ていますと当時のことが思い起こされます。
確かにここに書かれているような、合理化反対と書かれた看板などが駅構内等で数多く見られましたし、50年頃までは春闘に電車で落書き(鉄労粉砕とか、マル生粉砕といった無茶苦茶と言えるような内容が平気で書かれていました。
そして、現場では現場協議と言う名前の管理者つるし上げが公然と行われたいたした時期であり国鉄管理者としては一番冬の時代であったかと思われます。
実際、当時の国鉄総裁であった高木文雄総裁(元大蔵官僚)が国鉄総裁を引き受ける際に組合問題だけは関わるなと当時の首相大平氏から特に言われたと言う記録も残っています。

官僚としては非常に優秀で何冊か金融に関する本も書かれていますが、国鉄総裁といういわば手足を縛られた巨人ではその動きは緩慢にならざるを得なかったであろうと言うことは、今となってみれば見えてくるものではあります。
前置きが長くなってしまいましたが、中村委員が指摘されるように、国鉄の職場は上記のような状態で、色々な場所でこうした張り紙などがされたものでした。
それが、中村委員が指摘した一般的な見解ではないかと思います。

>中村(正雄)委員
総理は恐らく国電やあるいは列車にお乗りになる機会はないから御存じないかもわかりませんが、われわれは国電に乗ったり列車に乗って沿線を見ておりますと、日本国有鉄道の建物の中に、合理化反対であるとか、三十五万人体制打破という字が相当書かれております。しかも、国鉄の現場の管理者はこれを見て見ぬふりをいたしております。恐らく総裁も御承知だと思いますが、総裁が現場の管理者にこのような違法状態は排除しろと指令されたということは聞いておりません。それが現在の国鉄の状態でございます。

> 総裁以下四十数万の職員が一丸となって再建に取り組むとすれば、従来のようなサボタージュであるとかあるいはストライキというような違法行為は絶対今後やらさないということを総理に確約願いたい、

> 四ツ谷光子元衆議院議員(日本共産党公認)の質問ですが、四ツ谷議員は昭和54年当選ですのでこの時は1期目になります。
質問の主旨としては、素手の質問されている内容とほぼ同じで新味は有りません。
いわゆる、「廃止対象とする路線の選定は一方的に政令にゆだねられている。」これは怪しからんから首相の責任で撤回せよといった質問で、いきなり欠陥法案であると決めつける方式はどうかと思うんですね。
さらに、もう一つ質問しておりこの辺はかなり面白いので私なりに検討してみたいと思います。

「地方交通線対策の問題が、いままで政府・自民党がとってこられました地方ローカル線に対する政策、言動の上から大いに矛盾がある、こういうことを私は指摘したいと思うのです。」

これは、従前自民党は明治に交付された鉄道敷設法に基づき鉄道建設を行ってきた、「鉄道の発展=国力の充実」と言う観点から、さらに地方ローカル線の場合はその多くが本線への培養線であったりバイパス線であると言う観点から積極的に国鉄財政が悪化してからも続けられた、そしてそこには当然のことながら政治家の思惑も入ってくる。
それを指摘しているわけで、。

> 総理はかつて鉄道建設審議会の会長を歴任をされたことがございます。この鉄道建設審議会は、赤字に構わず、がばがばとローカル線をおつくりになった、そういう法律上重要な役割りを果たしてこられたところだと私は思っております。総理が鉄建審会長でいらっしゃいました四十八年の十月に、鈴木会長名で越美線と五新線の基本計画の組みかえと、それから宮守線を福知山まで延長するための鉄道敷設法の改正を建議していらっしゃるのですが、その後、五十年にこの建議を受けて宮守線延長のための法改正が政府から提案をされ、全党一致でこれは通過しております。

正直鈴木善幸と言う人は言ってみれば昔の地域利益誘導型の典型的な議員でしたし、昭和48年頃までは鉄道建設は色々な利権なども絡んで来たのではないかと推測しております。

> もう一点は、政府が今回提案をされましたこの再建法案の内容、とりわ
>  今回の地方交通線対策におきましては、その地域における国鉄の果たしている役割りが、地域住民の暮らしやあるいは経済の上で非常に大きな役割りを果たしているということを非常に軽く見ている。ただ利用人員だとか輸送トン数が一定量以上か以下かということでふるいにかけている、こういうふうなところに非常に欠陥があると私は思うのです。
>  先ほど久保委員からも言われましたが、ところが、このときはすでに国鉄は赤字になって再建をしなければならないというふうなことが出ておった。その中で赤字線を建設することの可否を政府は問われて、当時の運輸大臣はこのように答えていらっしゃるわけなんです。「しかし国鉄の持っております使命という点から考えまして、特に過疎地域にいる人たちの生活基盤を整備するという面から考えますと、その地方に鉄道を敷設していくということは国家的には非常に重要な意義を持つわけでございます。したがいまして、国鉄の持っております公共性という面からいきまして、こういう地帯にこういった鉄道新線を建設するということは、またやらなければならない使命の一つであろうと思うわけでございます。」こういうふうに当時の運輸大臣ははっきりとお答えになっているわけでございます。

この辺からの答弁は正直かなり苦しい?言い訳にも聞こえてきますが、鉄道の利便性は認めるけれど、地方ローカル線も国鉄が国民の足の確保を謳っておりますが、必ずしも地方ローカル線に今後はこだわらないよと言っているわけで、これは裏を返せば地方ローカル線の
建設や存続だけでは票につながりませんと言っているのかもしれません。
実際そうした見方をする本もあります。
私の個人的にはそうした点があったのではないかと思っています。

>塩川国務大臣 
過疎地域と国鉄との関係でございますが、過疎地域に対する足の確保というのは依然として政府の基本政策の一つでございますから、それは私たちは今後におきましても行政措置をもって足の確保を努めてまいります。しかし、昭和四十八年、第一次石油ショック以降、産業構造の転換なり、あるいはその地方におきます道路の発達、そういう社会的な条件も変わってまいりましたし、また、省エネルギーという問題は国民のこれは必須の課題でございますが、その際にやはり省エネルギーの政策を勘案するならば、交通機関の効率という点から考えてまいりますと、どうしても過疎における足の確保ということと、それがために国鉄を鉄道として運用しなければならぬという問題との間には、やはり政策として考慮すべき点があるのは当然でございます



**************************以下は国会審議の本文になります。**********************

○中村(正雄)委員 それに関連いたしまして、総理は恐らく国電やあるいは列車にお乗りになる機会はないから御存じないかもわかりませんが、われわれは国電に乗ったり列車に乗って沿線を見ておりますと、日本国有鉄道の建物の中に、合理化反対であるとか、三十五万人体制打破という字が相当書かれております。しかも、国鉄の現場の管理者はこれを見て見ぬふりをいたしております。恐らく総裁も御承知だと思いますが、総裁が現場の管理者にこのような違法状態は排除しろと指令されたということは聞いておりません。それが現在の国鉄の状態でございます。
 また、いま総理がおっしゃいましたように、総裁以下四十数万の職員が一丸となって再建に取り組むとすれば、従来のようなサボタージュであるとかあるいはストライキというような違法行為は絶対今後やらさないということを総理に確約願いたい、この点を重ねてお尋ねいたしたい。

○鈴木内閣総理大臣 大変強い御鞭撻をいただきまして、私ども肝に銘じまして御趣旨に沿うように最善を尽くしたい、こう思っております。

○中村(正雄)委員 私は最後に、先ほど加藤君からもちょっとお話がありましたが、国鉄の経営自体の再建という一つの方策はこれが最後の機会ではないかと思います。このことを政府も国鉄の役員も職員も十分考えて真剣に取り組み、少なくとも、この法案の骨子であります六十年度においては、国鉄の分野において収支の均衡がとれるように努力を願いたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。

○小此木委員長 四ツ谷光子君。

○四ツ谷委員 初めに、二問続けてお尋ねさせていただきます。
 本法案の中にある地方交通線対策におきまして、廃止対象とする路線の選定は一方的に政令にゆだねられている。これはこの委員会でも大いに論議をされているところですけれども、その肝心かなめの政令につきましても、運輸省の考えと申しますか、案の案というふうな話がありましたけれども、わずかにそういうものが示されただけであって、これから関係各省庁で協議を重ねていくというふうな状態では、鈴木内閣としては国民に対して全く無責任な態度と言わなければならないと思うのです。先ほど三浦議員が質問をいたしまして、廃止対象路線を選定する際に非常に大切な個々の営業線の決め方が法律上全く欠落をしているという点が明らかになったのですけれども、そのときに鉄監局長が御答弁になりましたが、国鉄の営業線を区分し、特定する場合は、国鉄線路名称を基本にして政令で決めたい、このように御答弁になりましたが、これは営業線区分を政府が自由に動かせる、こういうことです。たとえば現在幹線の一部になっている枝線も抜き打ち的に廃止対象路線に入るかもわからない。そうすれば、地域住民にとってはまさに寝耳に水という重大な事態も起こりかねないということではないでしょうか。しかも、この法律では、営業線を区分し、特定することについて政令に委任していないという点でも全く欠陥法案と言うことができると思うのです。
 内閣の総責任者としての総理大臣として、このような法律上致命的な欠陥を持ち、運用上も大変な矛盾と不公正をもたらすような欠陥法案は直ちに撤回をされるべきだと私は思いますが、総理の御所見を求めたいと思います。
 もう一点は、政府が今回提案をされましたこの再建法案の内容、とりわけ地方交通線対策の問題が、いままで政府・自民党がとってこられました地方ローカル線に対する政策、言動の上から大いに矛盾がある、こういうことを私は指摘したいと思うのです。
 今回の地方交通線対策におきましては、その地域における国鉄の果たしている役割りが、地域住民の暮らしやあるいは経済の上で非常に大きな役割りを果たしているということを非常に軽く見ている。ただ利用人員だとか輸送トン数が一定量以上か以下かということでふるいにかけている、こういうふうなところに非常に欠陥があると私は思うのです。
 先ほど久保委員からも言われましたが、総理はかつて鉄道建設審議会の会長を歴任をされたことがございます。この鉄道建設審議会は、赤字に構わず、がばがばとローカル線をおつくりになった、そういう法律上重要な役割りを果たしてこられたところだと私は思っております。総理が鉄建審会長でいらっしゃいました四十八年の十月に、鈴木会長名で越美線と五新線の基本計画の組みかえと、それから宮守線を福知山まで延長するための鉄道敷設法の改正を建議していらっしゃるのですが、その後、五十年にこの建議を受けて宮守線延長のための法改正が政府から提案をされ、全党一致でこれは通過しております。ところが、このときはすでに国鉄は赤字になって再建をしなければならないというふうなことが出ておった。その中で赤字線を建設することの可否を政府は問われて、当時の運輸大臣はこのように答えていらっしゃるわけなんです。「しかし国鉄の持っております使命という点から考えまして、特に過疎地域にいる人たちの生活基盤を整備するという面から考えますと、その地方に鉄道を敷設していくということは国家的には非常に重要な意義を持つわけでございます。したがいまして、国鉄の持っております公共性という面からいきまして、こういう地帯にこういった鉄道新線を建設するということは、またやらなければならない使命の一つであろうと思うわけでございます。」こういうふうに当時の運輸大臣ははっきりとお答えになっているわけでございます。
 しかも、この間の中央公聴会で公述人の方が、国鉄の特性について非常に具体的に述べていらっしゃるわけでございます。国鉄はバスに比べて非常に安い。それから、時間も正確である。もし降雪地域であれば、バス等に転換すれば交通事故も起こるであろうし、そういうことを考えると国鉄の果たす役割りは非常に大きい。今度の法案のようにただ運ぶ人数、そういうふうなものだけで地方ローカル線の対策を考えてもらうのは非常に困る。こういうふうな具体的な公述があったわけでございます。
 いままで地方ローカル線の問題につきましては、各党派、各地域の人たちの大変な協力の中で進めてこられたし、また歴代の自民党の総務会長が、先ほど言いました鉄道建設審議会の会長を歴任してこられて、地方ローカル線推進の先頭に立ってこられたわけでございます。
 そういうふうに考えますと、今度の法案と、いままでとってこられた政府・自民党の立場は非常に矛盾をしているというふうに私は考えるわけでございます。総理・総裁としての鈴木さんと、そして総務会長として、鉄道建設審議会の会長としての鈴木さんと別人格なのでしょうか。その点について総理の明確な御答弁をお願いしだいと思います。

○塩川国務大臣 最初に、政令の基準が明確でない、したがって、この法案は欠陥法案であるという御指摘がございましたが、私たちは決してこの法案そのものに何ら瑕疵はあるものとは思っておりません。ただ、この委員会の審議を通じまして私たちが感じておりますことは、要するに政令を制定するに際しまして、公平にして合理的な基準というものを明示するということでございまして、そのことは今後におきます政令づくりの中で必ず御要望に沿うように明確な政令を提示いたすようにいたしたいと思っております。したがって、政令の基準が定まってまいりますと、この法案におきます欠陥性というものはなくなってくるものでございますゆえ、そのようにひとつ御認識を改めていただきたいと思うのでございます。
 それから、過疎地域と国鉄との関係でございますが、過疎地域に対する足の確保というのは依然として政府の基本政策の一つでございますから、それは私たちは今後におきましても行政措置をもって足の確保を努めてまいります。しかし、昭和四十八年、第一次石油ショック以降、産業構造の転換なり、あるいはその地方におきます道路の発達、そういう社会的な条件も変わってまいりましたし、また、省エネルギーという問題は国民のこれは必須の課題でございますが、その際にやはり省エネルギーの政策を勘案するならば、交通機関の効率という点から考えてまいりますと、どうしても過疎における足の確保ということと、それがために国鉄を鉄道として運用しなければならぬという問題との間には、やはり政策として考慮すべき点があるのは当然でございますし、そういう点から見ましても、今回国鉄再建の一つの方法といたしまして、鉄道としての特性を失っておるところ、この地域におきますところの鉄道は代替交通機関等に転換いたしたいということをお願いしておるわけでございます。でございますから、過疎におきます交通の確保という問題は、これは行政の責任として今後とも懸命の努力を進めていきますので、これは政策上から申しましても私は矛盾するものではない、こう思っておりますので、御了解いただきたいと思います。

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