国鉄があった時代blog版

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

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紀勢本線にやってきた特急列車



みなさま、おはようございます。
昨日は色々なコメントをいただきありがとうございました。

本日は、和歌山にやってきた特急列車のお話などさせていただこうと思います。
昭和40年、国鉄では紀勢本線に最初の特急「くろしお」号を運転させるのですが、その配置区は「和歌山機関区」でした。

現在は、日根野電車区の一支所という位置づけですが、当時は立派な扇形庫こそ有りませんでしたが、ターンテーブルや、給炭庫のある比較的大きな機関区で、C57やC58、C50、8620などの多くの機関車が屯するところに配置されたのですから驚きでした。

しかし残念なことに、5歳の子供に、「くろしお」号が特急になることも、まして新車が配置されたことなど知る由もなかったのですが、父親が何を思ったか、私を自転車に乗せて昔住んでいた和歌山駅【現紀和駅】付近に連れていってくれたのです。

時間は、夕刻だったかもしれません、日が西に傾き、銀色の屋根が眩しく光っていたことを今も鮮明に覚えています。



今思えば、当時父親は天王寺鉄道管理局に勤務していたので、事前に運転情報を聞いていたのかも知れません。ただ、鉄道に関しては全く興味のなかった父親でしたので、【父親は建築関係の仕事でしたので、直接車両などに触れる機会は無かったため。】もしかしたら、鉄道好きな私のために時間を割いてくれたのかもしれません。

父も他界し、いまさら話を聞くことも不可能ですが懐かしい思い出としていつまでも私の記憶の中に残っていくことでしょう。

当時のかすかな記憶を引き起こしてみると、7両編成の車体は眩しく、JNRマークも誇らしげな車体をいつまでも眺めていたかったのですが、父親に乗せられての移動だったのであまり長い時間ではなかったのかもしれません。

さて、ここで車体の屋根が銀色だったということに違和感を感じた方もいるのではないでしょうか。

485系の国鉄型も屋根はグレーですし、ボンネット型の車両も全てグレーですから、銀色というのは光にあたってそう見えたと思われているかもしれませんが、実は、最初に登場した151系からスタートする特急群は銀色の屋根をまとって登場しました。

151系の場合は、アルミを蒸着したフィルムを屋根に張り付けていたと鉄道ファンか何かの記事で呼んだ記憶があるのですが、80系の場合は塗装だったかもしれません。

ただし、電車と異なり常にばい煙による汚れが目立つため、その保守は大変だったと思います。

晩年JR東海がキハ80系で南紀号を運転していた頃、屋根を正統な銀色の塗りなおし、その美しさを保っていたのには驚かされました。

新幹線ばかりで合理化されすぎたイメージばかりが先行するJR東海ですが、駅名表示のフォントなどは国鉄書体をそのまま流用したようなフォントですし、制帽の徽章も桐と動輪を残すなど国鉄時代の伝統を残しているのかなと感じることが多々ありますね。

おっと、話しがまた脱線してしまった。

今日はこのへんで失礼しますね。

ジャンル:
鉄道
キーワード:
鉄道ファン鉄道管理局ターンテーブル日根野電車区和歌山機関区

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コメント

  • Unknown
  • (こう@電車おやじ)
  • 2011-12-10 14:45:56
  • 銀色だったのは屋根が塗装処理だったからです。
    電車や20系客車などは屋根にイボリュームを貼っていましたし、25系客車などは屋根がロンテックス仕様だったからです。

    高砂では特急気動車の屋根は最後まで 銀色塗装でしたよ。

  • Unknown
  • (やまちゃん)
  • 2011-12-10 21:02:20
  • 今の紀和駅付近は道路が拡張されたりしてるので、黒猫さんいや白猫さんの幼少期と全く違うでしょうね!和歌山通いも間もなく一年半です。朝の和歌山行きが近大付属高や開智高の生徒が結構大阪付近から通学してるのにはビックリしました!だから、朝は座れませんです。それより、阪和線が余りにも遅れが多いのにはさらにビックリです。

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