国鉄があった時代blog版

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桐と動輪 主に国鉄の制服のお話について第1話

2017-04-03 23:55:58 | 国鉄思いで夜話
桐と動輪と言えば、檀上 完爾氏が鉄道ジャーナルで書いていた鉄道員の活躍を描いたエッセーであることはご存じのことと思います。
私も、中学生で初めて鉄道ジャーナルを買ったときに、巻末に掲載されているのを何度も何度も読み直したものでした。

時々私が、blackcat(kato.y)のブログとして小説風の書き物をしているのは一つに、桐と動輪に影響を受けていることを最初にお断りしておきます。

ただ、氏のような名文をかける訳もなく、まして鉄道に奉職したことも無いものが鉄道の物語を書くこと自体がかなり無茶なのですが・・・。

想像力を最大限生かして、妄想しております。苦笑

さて、そんな与太話はともかくとして早速本題に入りたいと思います。

桐と動輪、言うまでもなく国鉄時代の制帽などに使われていたもので、官帽以外にも技術系の略帽も小型でしたが桐と動輪の制帽が使われていました、機関士の制帽は桐のみで動輪は描かれていません。
また、船舶は抱き茗荷に動輪のマークとなっていて、海軍に非常に似た制帽でありました。

私もさらに詳しく調べてみないと判らない部分があるのですが、鐵道院や工部省の頃は鉄道の制服では工部省の「工」が使われていました。
確か京都の博物館で明治期の判任官待遇(駅長)の制帽はあたりから桐と動輪が使われたデザインになっていたような気がします。


桐はご存じのとおり菊のご紋と同様は皇室専用の家紋であったが、後に皇室以外でも広く使われるようになり、国有鉄道法により全国の鉄道が国有化された頃から国鉄でも制帽に桐と動輪をデザインした官帽を制定したようです。
下記のサイトを参照しますと、昭和9年に詰襟の制服が採用されたとされています。
最近は少なくなりましたが、昔は普通に務ることが出来た学生服で見られる詰襟で、襟の両側には、桐紋のバッチを付けるようになっていました。

その後、戦後の昭和23年には海軍や陸軍の制服に似たスタイルの開襟式の制服が制定されました。
技術職も、駅員も同じ制服で紺色で詰襟時代は詰襟の両側に付けていたバッジは襟に着けるようになっていました。

なお、当時の給仕の制服は白の詰襟が使用されていました。ただし、木綿のため見た目は貧相に見えたものです。


その後、昭和41年には新しい制服が制定され、青灰色とでもいうのでしょうか、独特の色合いの制服が誕生しました。
国鉄末期、その後JR発足1年後までこの制服が使われましたので覚えている方も多いかと思います。


この制服は、駅員と機関士で同じような制服jでありながらデザインが違いましたし、指定駅の駅長、専務車掌以上はダブルになるなど、趣味的に見ても楽しいものでした。

なお、余談ですが、この制服のデザインの元になったのは、おそらく昭和34年だったかに東京駅の駅長制服として制定された白の夏制服(麻製)がその原型になったものと思われます。
3つボタンの制服型で、今までの桐のバッチの代わりに、動輪のバッチを襟の両端に着けるようになっていました。
個の動輪のバッチも2種類あったようで、技術職などは動輪の周りの飾りモールが金属製、接客向けの制服にはフェルトと銀モールになっていたように記憶しています。


もう少し書きたかったのですが、次回は技術職の制服について改めて書かせていただきます。

制服の写真等を探して居ましたら、こんなサイト見つけました。
http://blue-units.sakura.ne.jp/seifukukaisetu/seihukukaisetu.htm

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