国鉄があった時代blog版

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四五話

2016-06-29 23:12:52 | 国鉄関連_国会審議
ダラダラと続いたのですが、今回が最後になります。
ただ、最後のこの質問が非常に注目すべき質問をされていますので、逐次解説を挟みながらお話をさせていただこうと思います。

中馬弘毅委員は、大阪市出身の国会議員ですが特に注目したのは、交通に関する考え方について非常に明確な視点を持っておられたと言うことです。
逆説的に言えば、地方についてもよく理解されていると言う点です。
昭和54年当時でも農家の自家用車保有率は100%となり、鉄道を利用しなくとも生活が出来てしまう、実際には今度は高齢化により自動車を運転が困難になってしまったと言う問題も発生しているといえますが・・・。
「鉄道が通ったら町が、あるいは村が発展するということでもなく、逆にス-パーあたりが一つ店を開いた方が町が発展するというようなことでございます。」
これは、現在も行われていますが、AEONが出店することで町が活性化する・・・と言う安易な発想から結果的には地元の商店街を疲弊させてきたわけです。
そして、これは鉄道についても同じではないかと指摘しています、この辺の指摘は大変的確で35年以上前の私的とは思えないと言うか、政府の交通政策が30年前と変わっていないのではないかと思ってしまうんですね。

「新幹線が通ったからといって、逆にそれは場合によっては過疎化を促進させているかもしれません。一つのバキューム効果ということで地方からどんどん東京の方に管理機能が移ってしまって、地方は少しさびれるというような状況にもなってまいります。人の意識も変わってまいりまして、少々高くてもスピードが速かったらその方を利用するし、あるいは安くてもサービスが悪かったら利用しないというようなことになってきているわけです。」

そして、この件で中馬委員が当時の鈴木善幸首相に言質を取っているのですが、実際にはこの言質が実行されず、一部政治家の利権の道具として整備新幹線が利用されている現状に対し、怒りを感じてしまいます。

といいますのは、中馬委員は国鉄再建法に関するローカル線の廃止について一定の理解を示し、「飛行機だとか鉄道だとか、あるいは自動車の特性を生かした効率的な交通体系を再構築するということを西中委員の御質問に対して答弁されたわけでございますけれども、今度の法律がただ単に国鉄の再建のための地方線の足切りではなくて、それぞれの交通の特性を生かしてバスに転換するということで、私たちはこれを評価しているわけですね。」と言うように他の委員が地方の活性化のために鉄道を残せと言う考え方と一線を画する考え方をしています。
 さらに、こうして鉄道伊賀の交通機関とも連携した交通もの発展をするものと考えているのですが、鈴木善幸首相が、整備新幹線に関しては
「 整備新幹線の問題が出ましたですけれども、それは閣議了解をしているからやるんだ、あるいは財源が調えばやるんだというお答えでございました。そうすると、本当に特性を生かした検討ということはもう聖域になってしまうのか。閣議で了解したからこのことは全く交通の特性に関係なく実施するんだというようにもとれてしまうのですけれども、そこのところはどうなんですか。そういうことも含めてもう一度一から交通の特性を生かした体系を組み立てるというおつもりではないのか、そこのところの御答弁をお願いしたいと思います。」
ということで、整備新幹線についても総合的な交通体系を作るのか否かと言う視点で質問をしており、それに対して、鈴木首相は
「この法律の精神に基づきまして最も適正合理的な基準を設定をいたしまして、それに基づき政令等がつくられた場合には、その運用に当たりましては厳正に、いささかも国民の疑惑、御批判を仰ぐことのないようなりっぱな運営をやってまいる、このことをはっきり申し上げておきます。」

と答弁しているのですが、残念ながら整備新幹線問題に関しては、国鉄改革の法案審議中は審議は棚上げにされていたにも関わらず、国鉄改革法案が通過した後すぐに、整備新幹線問題(着工の優先順位)などを審議し始めたのですから正直、総合交通体系など考えていないのではないかと思ってしまうんですね。
今となっては、当時のこの、鈴木首相の答弁が軽いものに思えてなりません。

なお、こうしたローカル線の問題にも繋がっていくように思えます。
なお、三江線に関する件は幣ブログ。鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blogでアップさせていただきます。

次回は、衆議院もしくは参議院の運輸委員会の議事録をアップさせていただく予定です。

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****************************以下は、本文になります。*******************************

○小此木委員長 中馬弘毅君。

○中馬委員 このところ交通面の時代的な背景がずっと大きく変わってきているわけです。高度成長時代のように利用者がどんどんふえるわけでもなければ、あるいは道路も山奥まで整備されて、農家の自動車の保有率はほぼ一〇〇%という状況になっています。また、鉄道が通ったら町が、あるいは村が発展するということでもなく、逆にス-パーあたりが一つ店を開いた方が町が発展するというようなことでございます。それから、新幹線が通ったからといって、逆にそれは場合によっては過疎化を促進させているかもしれません。一つのバキューム効果ということで地方からどんどん東京の方に管理機能が移ってしまって、地方は少しさびれるというような状況にもなってまいります。人の意識も変わってまいりまして、少々高くてもスピードが速かったらその方を利用するし、あるいは安くてもサービスが悪かったら利用しないというようなことになってきているわけです。
 先ほど総理は、飛行機だとか鉄道だとか、あるいは自動車の特性を生かした効率的な交通体系を再構築するということを西中委員の御質問に対して答弁されたわけでございますけれども、今度の法律がただ単に国鉄の再建のための地方線の足切りではなくて、それぞれの交通の特性を生かしてバスに転換するということで、私たちはこれを評価しているわけですね。ところが、総理の御答弁の中で少しおかしいと考えられるところがありましたので、そのところを確かめさせてもらいます。
 整備新幹線の問題が出ましたですけれども、それは閣議了解をしているからやるんだ、あるいは財源が調えばやるんだというお答えでございました。そうすると、本当に特性を生かした検討ということはもう聖域になってしまうのか。閣議で了解したからこのことは全く交通の特性に関係なく実施するんだというようにもとれてしまうのですけれども、そこのところはどうなんですか。そういうことも含めてもう一度一から交通の特性を生かした体系を組み立てるというおつもりではないのか、そこのところの御答弁をお願いしたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 整備五線の問題は、わが国の将来の展望に立ったところの総合交通体系の骨格としてもともと立てたものでございます。ただ、現在その財源対策、また交通体系の形成に当たりまして他の交通機関との関連というものを十分配慮しながらこれを進めなければならないというのが私の考え方でございます。

○中馬委員 そういうことも含めて、本当に時代に合った交通体系を再構築されることを望んでおります。
 それから、冒頭に加藤委員から御質問があって、お答えをお求めになっておりませんでしたけれども、今度の特定交通線の選定、これは大変むずかしい問題だと思うのです。それぞれの方々にも各地域、各団体から陳情がたくさん来ているのですね。そうすると、国鉄当局の厳正中立的な基準に基づいて、いささかも政治的な配慮あるいは国民の疑惑を招くような決定を絶対させないということを、加藤さんはお答えをお求めになっておりませんでしたけれども、総理からひとつここで明言をしていただきまして、質問を終わらせたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 この法律の精神に基づきまして最も適正合理的な基準を設定をいたしまして、それに基づき政令等がつくられた場合には、その運用に当たりましては厳正に、いささかも国民の疑惑、御批判を仰ぐことのないようなりっぱな運営をやってまいる、このことをはっきり申し上げておきます。

○中馬委員 終わります。

○小此木委員長 次回は、来る三十一日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時十六分散会


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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四五話

2016-06-21 23:25:52 | 国鉄関連_国会審議
気が付くと2週間以上放置状態でしたので、改めてアップさせていただきます。
正直、ここ最近本当に多忙なんです。
まぁ、多忙なことを楽しんでいるのでその辺は問題ないのですが、笑
さて、本日も飛び飛びとなっているのですが、昭和54年の答弁を少し私の解説を加えながらアップさせていただきます。

さて、今回は短く一つの質問だけに絞ってお話をさせていただこうと思います。
公共料金値上げの問題の一環として国鉄の値上げについて質問しています。
実際、50%の大幅値上げ以降国鉄離れが深刻化し、値上げ分だけ増収になるとは言えず、仮に値上げで100位億円の増収を見込めるとしても実際には70億円ほどにしかならず、残りの30億円が不足分としてさらに借金として補填されてしまうような状況であったと言えましょう。

ただ、ここで注目しなくてはいけないのは負担増も大きいのですが、預貯金の利息が8%近くあったと言うことです、8%の利息と言うことは複利計算では9年で元金が倍になる計算となります。
ということで、今のように預貯金の金利が付かないどころかマイナス金利と比べれば値上げはあるけれどその分預貯金も増えると言う構図でした。
ですから、国民の負担ばかりを増やすと言いながらも実際には土地の値上がりなどを含め概ね右肩上がりの経済成長でしたのでこの手の値上げはある意味、経済成長の影響でと解釈しています。

ただ、国鉄の運賃値上げは、「国鉄はますます国民から愛されなくなってしまう。これでは経営基盤を確立するということにほど遠いのではないか、さらに減量経営を進めていかなければならない、こういう事態に落ち込むのではないかというふうに思います。」
と言う発言は当たらずとも遠からずであり、57年頃から国鉄は減量ダイヤ(特に貨物輸送)に入ることとなり、動労は組合員構成の特殊性(動力車乗務員のみで構成)から、方針の転換が行われていったことは注目される部分ではないかと思われます。



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******************************以下は、議事録本文となります。******************

○鈴木内閣総理大臣 塩川運輸大臣からきわめて懇切丁寧な御答弁がございました。その答弁をもって政府の答弁とお受け取りいただきたい。

○四ツ谷委員 ただいまの総理の御答弁はまことに無責任であります。塩川運輸大臣の答弁のとおりなどとおっしゃいましたけれども、私の質問はそういう質問ではなかったはずでございます。いままで政府・自民党が進めてきた政策と今度の法案の中身とは非常に矛盾をし、国民に対して無責任である、それに対して総理が的確に答弁をなさらないのはまことに無責任と思いますが、時間がありませんので、次に簡単な質問を一つさせていただきます。
 総理はこの間の十月三日の所信表明で、物価の安定こそ国民生活を安定させる基礎条件である、このように政府の基本方針をお述べになりました。ところが、来年度以降の予算関連の公共料金の値上げを見てみますと、まずこの国鉄運賃の二千百億円を含め、厚生年金、国民年金、健康保険、郵便、米価など、各料金が軒並み値上げを予定しておって、約二兆円の負担を国民にかけよう、こういうふうな状態に追い込んでいるわけです。これは物価対策上から見ましても国民生活を直撃するものである、総理がおっしゃった物価の安定こそ国民生活を安定させる基礎条件である、この点から見てもきわめて遺憾なできごとではないか、このように思います。
 ここで国鉄運賃の問題だけにしぼりますと、国鉄運賃の値上げ、しかも引き続きましてこれからもどんどん上げていくとおっしゃっています。先ほどから抑えるとおっしゃっているけれども、上げていく方向には変わりがない。それから、地方ローカル線についても、五〇%もの割高運賃を導入しようということがはっきりしてきたし、定期の割引率についてもさらに引き下げよう、まさに国民の国鉄離れを促進するような方向で国鉄運賃の値上げを進めていこうとしている。これでは物価対策上から見ましても、また国鉄を再建するという観点から見ましても、国鉄はますます国民から愛されなくなってしまう。これでは経営基盤を確立するということにほど遠いのではないか、さらに減量経営を進めていかなければならない、こういう事態に落ち込むのではないかというふうに思います。
 その点、このような所信表明をされました総理として、物価対策上、国民の暮らしを守るという観点からと、それから国鉄を真に国民の足として、国民の足を守るために、国鉄運賃の値上げ、これを凍結されるお考えはないかどうか、これをお聞きしたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 公共料金の問題につきましては、短期的な視野とまた長期的な観点、こういう点をよく考えなければならないわけでございます。当面これを抑える、それは目先はいいのでありますけれども、将来にわたって大変な禍根を残す。国鉄財政にしても御承知のような厳しい状況下にございます。私どもは国民の税金でそれを負担するのか、受益者に応分の御負担を願うのか、こういう観点でこの問題は御検討をいただきたい、こう思います。消費者物価等、国民の生活を守る点につきましては、私ども政府を挙げて全力を尽くしておるところでございます。

○四ツ谷委員 どうもありがとうございました。
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南海キハ5501と白浜直通準急 第3話【くろしお号の発展と急行きのくにの引退】

2016-06-17 07:10:05 | 国鉄思いで夜話
すみません、10日以上も空けてしまいました。

ちょっとばたばたしていて、blogの更新がままなりませんでした。
それと、いま古い資料を読んでいまして(昭和26年頃)のそんな根案で時間を取られています。
私が昔に資料にこだわるかと言うと、一次資料であると言うこと。
当時の記録ですから一番正確性が高いわけで、そうした資料を読みこむことの重要性を感じています。

さて、余談はともかくとして、「特急くろしお」の増発と「急行きのくに」の衰退について書かせていただきます。

国民の所得向上もあって、特急利用はますます大衆化していき、特に昭和45年の万国博覧会では新幹線利用が一般化するなど、それまで東海道新幹線が開業しても特急の旅客は新幹線に移動すると読んでいましたが、それ以上に転移が進み九州直通急行の「桜島・高千穂」を除けば「急行東海」が新幹線の恩恵を受けにくい静岡地区への区間輸送に、また名古屋~大阪間に比叡のみになるなど変化していきました。

そんな中、紀勢本線でも1967年(昭和42年)改正で、天王寺~名古屋間に加えて、天王寺駅~白浜駅間と、天王寺駅~新宮駅間で1往復ずつ増発されて3往復に、昭和43年の改正でも2往復増発された特急は5.5往復まで成長、急行きのくにもこの時点では天王寺発10本、天王寺行き8本、季節列車3往復の最高13本が特急とは別に運転されていたことになります。
当時は、白浜は大阪からの湯治場として栄えており、並行する高速道路もありませんでしたし、新婚旅行客も多く、特急・急行ともグリーン車を2両連結されていました。

昭和47年の改正では、日本海縦貫線の電化完成に伴い余剰となったボンネット型先頭車のキハ81形を含む「いなほ」「ひたち」運用の車両が転入し、天王寺~名古屋間限定運用で紀勢西線電化まで活躍しました。
現在は、京都の鉄道博物館に保存されているのはご存じのとおりです。

昭和53年になると紀勢西線も電化が行われ、381系が新製投入

されたほか113系も何編成化は新製投入(多くは首都圏からの転用)

され阪和線新快速色と同じ塗装に変更されて投入されましたが、「急行きのくに」だけは、南海電車からの乗り入れ、「しらはま」など和歌山線経由の急行列車の存在、機関区の統廃合の問題もあったかと思うのですが(当初は和歌山機関区(当時の名称)を電車区に改装しようとしたが反対されたと言った話を聞いたことがあります。詳細は不明のため今後調査していきたいと思います。ご存じの方おられましたら、ぜひご教示願います。)

昭和53年の時点では紀勢本線の急行列車は架線下急行として昭和60年まで走ることとなりました。

昭和60年のダイヤ改正では、増収目的もあって急行列車を廃止して特急くろしおに吸収されることとなり。新たに、急行のみ停車駅であった海南駅・椿駅・周参見駅・古座駅・太地駅・湯川駅・那智駅に新たに特急が停車するようになり箕島駅・湯浅駅・南部駅ともども停車することとなり特急の急行化がさらに進むこととなりました。

昭和60年の特急化に際しては、余剰気味だった485系を短編成化し、サハ481を改造した新形式キハ480が誕生しました。
この列車は4+4で運転し白浜駅で後部4両を切り離して運転するとされており振子列車ではないので速度も急行列車と殆ど変わらず評判は悪かったです。

結局1年ほどで転出してしまい、その代わりとして「特急やくも」を短編成化して捻出された381系を使ってすべて381系化したわけで、歴史にIFは無いですが、仮に南海電車が485系を導入していたら・・・(車体幅に関しては特認をとる必要があったと思われますが)「特急くろしお」は比較的遅い時期まで485系による「くろしお」が、「きのくに」の流れをくむ特急として君臨していたかもしれませんね。

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南海キハ5501と白浜直通準急 第2話

2016-06-06 07:47:09 | 国鉄思いで夜話
みなさまおはようございます、先日キハ5501のお話を書かせていただいたのですが、本日はその続きとなります。
その前に少しだけ、簡単に「きのくに号」の歴史について振り返ってみたいと思います。

現在でも観光地として人気を誇る白浜ですが、古くは昭和8年に天王寺(当時は阪和鉄道)から紀伊田辺まで直通運転が開始され、「黒潮」号と名付けられたのが最初と記録されています。
当時は省形客車がモヨ100等の阪和形の電車にけん引されて乗り入れていたようです、運転開始から1か月ほどで白浜口(現・白浜)まで延長されたそうで、当時から多さからの湯治場として人気を誇っていたことが判ります。
また、昭和9年には同じく南海電鉄から、難波~白浜口駅間で運転を開始したとされています。
戦後はいつごろ廃止になったのか現在調査中ですが、戦後は昭和25年10月に設定される臨時快速が「黒潮」の愛称を与えられたおり、これが戦前の流れをくむものと言われています。
さらに昭和27年、南海電鉄ではスハ43に準じた客車サハ4801を新造、国鉄の客車が茶色もしくは紺色の中、南海電車の緑の塗装の客車が登場しました。
内装はスハ43ですが、出入り口上部には「南海」の文字が入り優等客車のように思えたものでした。この車両は1両しか作られなかったため多客時には国鉄のスハ43を借り入れて乗り入れをしていたようです。

さた、肝心のキハ5501「きのくに」の話ですが、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に伴い帝国車両でキハ5501・5551が製造されることになります。(前述)
昭和36年3月の改正で、「準急南紀」は3往復になりそのうち1往復はなんば発着とすることとなり南海電鉄でもキハ5501増備することとなります。

昭和38年時刻表
さらに昭和38年10月のダイヤ改正では、なんば駅発着を増発、全列車が天王寺・難波~新宮の運転となったそうです。

明けて、昭和40年3月の改正では和歌山機関区にキハ80系特急気動車が配置され、天王寺~名古屋間を結ぶ「特急くろしお」並びに、東和歌山~名古屋(阪和線・関西線経由)の「特急あすか」が設定されました。
「特急あすか」は配置区である和歌山機関区に戻すために設定された列車でしたが、東和歌山(現・和歌山)駅が7:00発、22:30到着で、かつ天王寺を経由しないダイヤであったことから利用は低迷、昭和42年のダイヤ改正で廃止になっています。

昭和42年の改正で廃止になる特急あすか 和歌山駅を7:02では利用者もいないであろうと思われる。

戦後、愛称変更で廃止になった「平和」を除くと初めての廃止特急となりました。

特急あすか 短命に終わった。

さて、それまでは紀勢本線の最優等列車の位置づけであった「準急きのくに」はその地位を「特急くろしお」に譲ることになります。

準急としての「きのくに」は昭和41年国鉄の方針に伴い急行に格上げされることとなります。
というのは、それまでは車両の優劣で急行と準急の差をつけていたのですが、新車の増備も進んだことから100km以上を走行する準急は急行に格上げすることで増収を図ろうということになりました。


元々準急用で製作したキハ5501ではいささか見劣りするのですが、塗装をキハ58並みに変更した以外は特に変わったところは無く「急行きのくに」として引き続き活躍することになります。

さて、そんなキハ5501ですが、国鉄では列車種別が準急であったり・急行だったのですが。南海本線内ではあくまで特急として運転されていました。正確には「連絡準急(急行)」と言う名称です。
連絡急行は指定席料金を取っていたようで、区間利用者を極力排除していたような印象があります。
なお、南海本線内の停車駅は昭和38年10月のダイヤを見てみましても、堺・岸和田のみが停車駅となっています。それ以前は、泉大津・岸和田・泉佐野にも停車していたようです。


なお、和歌山市到着後はそのまま渡り線を通って紀勢本線に乗り入れ(実際は紀和駅手前までは南海電鉄の保有)て紀和(昭和43年2月から、それ以前は和歌山駅)駅を経て和歌山(昭和43年3月から、それ以前は東和歌山駅)に乗り入れそこで天王寺から来た編成と連結していました。
南海の車両は常に白浜方に連結されていました。


次回は、くろしお号の発展ときのくに号の衰退を含めて書かせていただきます。
コメント (1)
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南海キハ5501と白浜直通準急 第1話

2016-06-03 23:29:41 | 国鉄思いで夜話
南海本線と紀勢本線

その昔、南海電鉄では南紀観光の一環として「急行きのくに」に併結する形で、「なんば」からキハ55形気動車が走っていました。
その当時のお話などを昔の時刻表などを参照しながら私の覚えている範囲でお話をさせていただこうと思います。
しばしお付き合いいただければ幸いです。

なお、サハ4800に関しては私もあまり詳しくないので端折らせていただくことを最初にお断りしておきます。
また、今回は昭和36年から40年までの概略とさせていただきます。(昭和40年以降は後日書かせていただきます。)
さて、南海のキハ5500が導入されたのは「準急きのくに」に使うためだったようで、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に合わせて2往復に増発された「臨時列車きのくに」東和歌山~白浜口間で南海から乗り入れたキハ55を連結したのが始まりと言われています。

特に当時の「準急きのくに」というのは当時の時刻表を見てみますと、東和歌山(現:和歌山)の次は御坊、紀伊田辺・白浜口(現:白浜)という今のくろしおよりも停車駅が少ない準急で、続行で準急南紀がありますが、こちらは海南駅や湯浅駅にも停車する準急で客車列車でした。

ということで、特急列車無き時代の「準急きのくに」は和歌山県にしてみれば特急に相当する列車だったといえましょう。

更に南海線内も扱いは特急だったそうですが、自社での運転士の要請が追い付かず最初は電車にけん引されたとか・・・。(+_+)

実は動力車の免許は、運転する車両によって別らしくて、電気運転であっても電気機関車と電車は別の免許が必要だそうです。

JR東海が機関車列車を廃止した原因の一つに乗務員に機関車免許を取らせなかった著言うのも原因としてあるでしょうね。
まぁ、東海の場合機関車を運転する機会は限りなく少ないですからという判断なのでしょうが、それ故に機関車牽引のブルトレをけん引できなくなったという弊害もありそうです。

それはさておき、「準急列車」用に製造されたキハ55、南海では5501形と5551形と名乗っていたようで、片運転台車がキハ5501形、両運転台車がキハ5551形と呼ばれ、両運転台の5551形はトイレが省略された形で製造されました。

外観は、国鉄のキハ55-100番台と同じ一段上昇窓でしたが、ドア横に南海の社章が入るとともに、窓下2か所に南海の表示(内側から電照式になっていて、ちょうど寝台車出入り口上部にあるA寝台とかB寝台の表示と同じようなイメージ)がされるようになっていました。
また、南海電車は私鉄の地方定規に定められた車体幅のため2700mm程度ですが、キハ55は国鉄形に準じてあるため車体幅は2900mmあったことから車体には窓下に保護棒が付けられており手などを出せないようになっていました。
その効果はどれほどあったのかは判りませんが・・・。



それ以外は、国鉄形に準じており、帝国車両(現在は東急車両に吸収合併)で製造されました。
当時の南海電車は基本帝国車両で製造されており、現在もその名残で南海時代の車両は東急で製造されています。

また、製造当初は準急型の標準塗装であるクリーム色に赤帯で登場しますが、その後きのくにが急行に格上げされて、南紀方面に向かう急行列車が「きのくに」に統一されるにいたり、キハ58に準じた塗装に変更になりました。

話が前後してしまいましたが、「準急」列車ですが、「きのくに」に限定されることはなく、「南紀」「きのくに」等で使われていることがわかります。(昭和36年3月の時刻表から参照)

和歌山市~東和歌山間も準急として運転されますが、和歌山市から難波間は特急扱いでしたが、昭和36年頃の時刻表ではそこまで確認する事が出来ませんでした。

ということで、昭和37年以降のお話は後日時刻表などを参照しながらお話をさせていただこうと思いますのでしばしお待ちくださいませ。

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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四四話

2016-06-03 09:55:59 | 国鉄関連_国会審議
久々に更新させていただきます、このような議事録を見ていますと当時のことが思い起こされます。
確かにここに書かれているような、合理化反対と書かれた看板などが駅構内等で数多く見られましたし、50年頃までは春闘に電車で落書き(鉄労粉砕とか、マル生粉砕といった無茶苦茶と言えるような内容が平気で書かれていました。
そして、現場では現場協議と言う名前の管理者つるし上げが公然と行われたいたした時期であり国鉄管理者としては一番冬の時代であったかと思われます。
実際、当時の国鉄総裁であった高木文雄総裁(元大蔵官僚)が国鉄総裁を引き受ける際に組合問題だけは関わるなと当時の首相大平氏から特に言われたと言う記録も残っています。

官僚としては非常に優秀で何冊か金融に関する本も書かれていますが、国鉄総裁といういわば手足を縛られた巨人ではその動きは緩慢にならざるを得なかったであろうと言うことは、今となってみれば見えてくるものではあります。
前置きが長くなってしまいましたが、中村委員が指摘されるように、国鉄の職場は上記のような状態で、色々な場所でこうした張り紙などがされたものでした。
それが、中村委員が指摘した一般的な見解ではないかと思います。

>中村(正雄)委員
総理は恐らく国電やあるいは列車にお乗りになる機会はないから御存じないかもわかりませんが、われわれは国電に乗ったり列車に乗って沿線を見ておりますと、日本国有鉄道の建物の中に、合理化反対であるとか、三十五万人体制打破という字が相当書かれております。しかも、国鉄の現場の管理者はこれを見て見ぬふりをいたしております。恐らく総裁も御承知だと思いますが、総裁が現場の管理者にこのような違法状態は排除しろと指令されたということは聞いておりません。それが現在の国鉄の状態でございます。

> 総裁以下四十数万の職員が一丸となって再建に取り組むとすれば、従来のようなサボタージュであるとかあるいはストライキというような違法行為は絶対今後やらさないということを総理に確約願いたい、

> 四ツ谷光子元衆議院議員(日本共産党公認)の質問ですが、四ツ谷議員は昭和54年当選ですのでこの時は1期目になります。
質問の主旨としては、素手の質問されている内容とほぼ同じで新味は有りません。
いわゆる、「廃止対象とする路線の選定は一方的に政令にゆだねられている。」これは怪しからんから首相の責任で撤回せよといった質問で、いきなり欠陥法案であると決めつける方式はどうかと思うんですね。
さらに、もう一つ質問しておりこの辺はかなり面白いので私なりに検討してみたいと思います。

「地方交通線対策の問題が、いままで政府・自民党がとってこられました地方ローカル線に対する政策、言動の上から大いに矛盾がある、こういうことを私は指摘したいと思うのです。」

これは、従前自民党は明治に交付された鉄道敷設法に基づき鉄道建設を行ってきた、「鉄道の発展=国力の充実」と言う観点から、さらに地方ローカル線の場合はその多くが本線への培養線であったりバイパス線であると言う観点から積極的に国鉄財政が悪化してからも続けられた、そしてそこには当然のことながら政治家の思惑も入ってくる。
それを指摘しているわけで、。

> 総理はかつて鉄道建設審議会の会長を歴任をされたことがございます。この鉄道建設審議会は、赤字に構わず、がばがばとローカル線をおつくりになった、そういう法律上重要な役割りを果たしてこられたところだと私は思っております。総理が鉄建審会長でいらっしゃいました四十八年の十月に、鈴木会長名で越美線と五新線の基本計画の組みかえと、それから宮守線を福知山まで延長するための鉄道敷設法の改正を建議していらっしゃるのですが、その後、五十年にこの建議を受けて宮守線延長のための法改正が政府から提案をされ、全党一致でこれは通過しております。

正直鈴木善幸と言う人は言ってみれば昔の地域利益誘導型の典型的な議員でしたし、昭和48年頃までは鉄道建設は色々な利権なども絡んで来たのではないかと推測しております。

> もう一点は、政府が今回提案をされましたこの再建法案の内容、とりわ
>  今回の地方交通線対策におきましては、その地域における国鉄の果たしている役割りが、地域住民の暮らしやあるいは経済の上で非常に大きな役割りを果たしているということを非常に軽く見ている。ただ利用人員だとか輸送トン数が一定量以上か以下かということでふるいにかけている、こういうふうなところに非常に欠陥があると私は思うのです。
>  先ほど久保委員からも言われましたが、ところが、このときはすでに国鉄は赤字になって再建をしなければならないというふうなことが出ておった。その中で赤字線を建設することの可否を政府は問われて、当時の運輸大臣はこのように答えていらっしゃるわけなんです。「しかし国鉄の持っております使命という点から考えまして、特に過疎地域にいる人たちの生活基盤を整備するという面から考えますと、その地方に鉄道を敷設していくということは国家的には非常に重要な意義を持つわけでございます。したがいまして、国鉄の持っております公共性という面からいきまして、こういう地帯にこういった鉄道新線を建設するということは、またやらなければならない使命の一つであろうと思うわけでございます。」こういうふうに当時の運輸大臣ははっきりとお答えになっているわけでございます。

この辺からの答弁は正直かなり苦しい?言い訳にも聞こえてきますが、鉄道の利便性は認めるけれど、地方ローカル線も国鉄が国民の足の確保を謳っておりますが、必ずしも地方ローカル線に今後はこだわらないよと言っているわけで、これは裏を返せば地方ローカル線の
建設や存続だけでは票につながりませんと言っているのかもしれません。
実際そうした見方をする本もあります。
私の個人的にはそうした点があったのではないかと思っています。

>塩川国務大臣 
過疎地域と国鉄との関係でございますが、過疎地域に対する足の確保というのは依然として政府の基本政策の一つでございますから、それは私たちは今後におきましても行政措置をもって足の確保を努めてまいります。しかし、昭和四十八年、第一次石油ショック以降、産業構造の転換なり、あるいはその地方におきます道路の発達、そういう社会的な条件も変わってまいりましたし、また、省エネルギーという問題は国民のこれは必須の課題でございますが、その際にやはり省エネルギーの政策を勘案するならば、交通機関の効率という点から考えてまいりますと、どうしても過疎における足の確保ということと、それがために国鉄を鉄道として運用しなければならぬという問題との間には、やはり政策として考慮すべき点があるのは当然でございます



**************************以下は国会審議の本文になります。**********************

○中村(正雄)委員 それに関連いたしまして、総理は恐らく国電やあるいは列車にお乗りになる機会はないから御存じないかもわかりませんが、われわれは国電に乗ったり列車に乗って沿線を見ておりますと、日本国有鉄道の建物の中に、合理化反対であるとか、三十五万人体制打破という字が相当書かれております。しかも、国鉄の現場の管理者はこれを見て見ぬふりをいたしております。恐らく総裁も御承知だと思いますが、総裁が現場の管理者にこのような違法状態は排除しろと指令されたということは聞いておりません。それが現在の国鉄の状態でございます。
 また、いま総理がおっしゃいましたように、総裁以下四十数万の職員が一丸となって再建に取り組むとすれば、従来のようなサボタージュであるとかあるいはストライキというような違法行為は絶対今後やらさないということを総理に確約願いたい、この点を重ねてお尋ねいたしたい。

○鈴木内閣総理大臣 大変強い御鞭撻をいただきまして、私ども肝に銘じまして御趣旨に沿うように最善を尽くしたい、こう思っております。

○中村(正雄)委員 私は最後に、先ほど加藤君からもちょっとお話がありましたが、国鉄の経営自体の再建という一つの方策はこれが最後の機会ではないかと思います。このことを政府も国鉄の役員も職員も十分考えて真剣に取り組み、少なくとも、この法案の骨子であります六十年度においては、国鉄の分野において収支の均衡がとれるように努力を願いたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。

○小此木委員長 四ツ谷光子君。

○四ツ谷委員 初めに、二問続けてお尋ねさせていただきます。
 本法案の中にある地方交通線対策におきまして、廃止対象とする路線の選定は一方的に政令にゆだねられている。これはこの委員会でも大いに論議をされているところですけれども、その肝心かなめの政令につきましても、運輸省の考えと申しますか、案の案というふうな話がありましたけれども、わずかにそういうものが示されただけであって、これから関係各省庁で協議を重ねていくというふうな状態では、鈴木内閣としては国民に対して全く無責任な態度と言わなければならないと思うのです。先ほど三浦議員が質問をいたしまして、廃止対象路線を選定する際に非常に大切な個々の営業線の決め方が法律上全く欠落をしているという点が明らかになったのですけれども、そのときに鉄監局長が御答弁になりましたが、国鉄の営業線を区分し、特定する場合は、国鉄線路名称を基本にして政令で決めたい、このように御答弁になりましたが、これは営業線区分を政府が自由に動かせる、こういうことです。たとえば現在幹線の一部になっている枝線も抜き打ち的に廃止対象路線に入るかもわからない。そうすれば、地域住民にとってはまさに寝耳に水という重大な事態も起こりかねないということではないでしょうか。しかも、この法律では、営業線を区分し、特定することについて政令に委任していないという点でも全く欠陥法案と言うことができると思うのです。
 内閣の総責任者としての総理大臣として、このような法律上致命的な欠陥を持ち、運用上も大変な矛盾と不公正をもたらすような欠陥法案は直ちに撤回をされるべきだと私は思いますが、総理の御所見を求めたいと思います。
 もう一点は、政府が今回提案をされましたこの再建法案の内容、とりわけ地方交通線対策の問題が、いままで政府・自民党がとってこられました地方ローカル線に対する政策、言動の上から大いに矛盾がある、こういうことを私は指摘したいと思うのです。
 今回の地方交通線対策におきましては、その地域における国鉄の果たしている役割りが、地域住民の暮らしやあるいは経済の上で非常に大きな役割りを果たしているということを非常に軽く見ている。ただ利用人員だとか輸送トン数が一定量以上か以下かということでふるいにかけている、こういうふうなところに非常に欠陥があると私は思うのです。
 先ほど久保委員からも言われましたが、総理はかつて鉄道建設審議会の会長を歴任をされたことがございます。この鉄道建設審議会は、赤字に構わず、がばがばとローカル線をおつくりになった、そういう法律上重要な役割りを果たしてこられたところだと私は思っております。総理が鉄建審会長でいらっしゃいました四十八年の十月に、鈴木会長名で越美線と五新線の基本計画の組みかえと、それから宮守線を福知山まで延長するための鉄道敷設法の改正を建議していらっしゃるのですが、その後、五十年にこの建議を受けて宮守線延長のための法改正が政府から提案をされ、全党一致でこれは通過しております。ところが、このときはすでに国鉄は赤字になって再建をしなければならないというふうなことが出ておった。その中で赤字線を建設することの可否を政府は問われて、当時の運輸大臣はこのように答えていらっしゃるわけなんです。「しかし国鉄の持っております使命という点から考えまして、特に過疎地域にいる人たちの生活基盤を整備するという面から考えますと、その地方に鉄道を敷設していくということは国家的には非常に重要な意義を持つわけでございます。したがいまして、国鉄の持っております公共性という面からいきまして、こういう地帯にこういった鉄道新線を建設するということは、またやらなければならない使命の一つであろうと思うわけでございます。」こういうふうに当時の運輸大臣ははっきりとお答えになっているわけでございます。
 しかも、この間の中央公聴会で公述人の方が、国鉄の特性について非常に具体的に述べていらっしゃるわけでございます。国鉄はバスに比べて非常に安い。それから、時間も正確である。もし降雪地域であれば、バス等に転換すれば交通事故も起こるであろうし、そういうことを考えると国鉄の果たす役割りは非常に大きい。今度の法案のようにただ運ぶ人数、そういうふうなものだけで地方ローカル線の対策を考えてもらうのは非常に困る。こういうふうな具体的な公述があったわけでございます。
 いままで地方ローカル線の問題につきましては、各党派、各地域の人たちの大変な協力の中で進めてこられたし、また歴代の自民党の総務会長が、先ほど言いました鉄道建設審議会の会長を歴任してこられて、地方ローカル線推進の先頭に立ってこられたわけでございます。
 そういうふうに考えますと、今度の法案と、いままでとってこられた政府・自民党の立場は非常に矛盾をしているというふうに私は考えるわけでございます。総理・総裁としての鈴木さんと、そして総務会長として、鉄道建設審議会の会長としての鈴木さんと別人格なのでしょうか。その点について総理の明確な御答弁をお願いしだいと思います。

○塩川国務大臣 最初に、政令の基準が明確でない、したがって、この法案は欠陥法案であるという御指摘がございましたが、私たちは決してこの法案そのものに何ら瑕疵はあるものとは思っておりません。ただ、この委員会の審議を通じまして私たちが感じておりますことは、要するに政令を制定するに際しまして、公平にして合理的な基準というものを明示するということでございまして、そのことは今後におきます政令づくりの中で必ず御要望に沿うように明確な政令を提示いたすようにいたしたいと思っております。したがって、政令の基準が定まってまいりますと、この法案におきます欠陥性というものはなくなってくるものでございますゆえ、そのようにひとつ御認識を改めていただきたいと思うのでございます。
 それから、過疎地域と国鉄との関係でございますが、過疎地域に対する足の確保というのは依然として政府の基本政策の一つでございますから、それは私たちは今後におきましても行政措置をもって足の確保を努めてまいります。しかし、昭和四十八年、第一次石油ショック以降、産業構造の転換なり、あるいはその地方におきます道路の発達、そういう社会的な条件も変わってまいりましたし、また、省エネルギーという問題は国民のこれは必須の課題でございますが、その際にやはり省エネルギーの政策を勘案するならば、交通機関の効率という点から考えてまいりますと、どうしても過疎における足の確保ということと、それがために国鉄を鉄道として運用しなければならぬという問題との間には、やはり政策として考慮すべき点があるのは当然でございますし、そういう点から見ましても、今回国鉄再建の一つの方法といたしまして、鉄道としての特性を失っておるところ、この地域におきますところの鉄道は代替交通機関等に転換いたしたいということをお願いしておるわけでございます。でございますから、過疎におきます交通の確保という問題は、これは行政の責任として今後とも懸命の努力を進めていきますので、これは政策上から申しましても私は矛盾するものではない、こう思っておりますので、御了解いただきたいと思います。

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名鉄8000系のお話

2016-05-29 21:26:18 | 国鉄思いで夜話
名鉄にはかつて8500系という特急気動車が存在し名鉄名古屋から犬山線経由で美濃太田から単独高山線に乗り入れ運転がされていましたが、名鉄の歴史はかなり古く名古屋鉄道の前身である「名岐鉄道」時代の1932年(昭和7年)10月から週末に、名古屋から下呂まで直通運転を行う列車を運転したと言う記録があります。
その後戦争が激しくなりこの乗入は中止となり長らく乗入行われませんでした。

1960年頃から観光開発の目的で国鉄への乗り入れ再開が望まれましたがなかなか実現しませんでしたが、昭和40年、名鉄築港線によって担われてきた東名古屋港駅からの貨車輸送が国鉄が出資した第3セクター鉄道名古屋臨海鉄道に無理やり変更したことへの見返りとして高山への乗り入れが認められて高山本線への直通運転が認められたと言われています。
実際に、この臨港鉄道に関しては国鉄の方がかなり強引で既得権を持つ名鉄にしてみれば大きな収入源となることもありその補償的意味合いが強かったと聞いています。

そして乗入用に作られた気動車が8000系気動車でした。
当時の7000系と同じ完全冷房で固定窓でありながら準急という破格な待遇でスタートしました。
更に特筆すべきことは、1等車も製造されていたそうですが、昭和44年には早々と普通車に改造されているようですね。

スキャナーで見えない部分を拡大してみました。

当初は「準急たかやま」としてデビューしますが、その後国鉄の施策で準急という区分が廃止になると急行たかやまに、その後昭和45年の改正では「北アルプス」の名称を見る事が出来ます。

昭和45年の時刻表から

その後昭和50年には、国鉄の増収施策の一環として、車両はそのままで「特急北アルプス」に格上げ?という出世?を遂げることとなりました。

おそらく、私鉄乗入の列車で最初に特急となった例だと思われます。


その後、JRキハ85とも併結可能なキハ8500が製造されましたが長続きせずにそのまま廃車という運目を辿ったのはご存じのとおりです。
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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四三話

2016-05-29 00:12:02 | 国鉄関連_国会審議
また、10日ほど空けてしまいましたが、引き続き国鉄改革に関する審議の国会議事録から拾ってみたいと思います。
本当はもっと小まめにアップすべきなのですが、能力が足りなくて中々書く事が出来ず申し訳ありません。
今回も民社党「中村正雄」議員の質問になります。

この審議で最も注目すべきことは地方ローカル線に関しては基本的には日本国有鉄道の経営から分離しますよと明言したことだと言われており、実際にこの法案が成立したことで第1次から第3次までの特定地方交通線が選定され(一部代替道路不備という理由で只見線や名松線、三江線のように残された路線もありますが、(余談ですが三江線は赤字83線時代にも廃止対象となっていた。)
国鉄があった時代赤字83線 

それ以外の国鉄が責任を持って運営すると明言された地方交通線以外はことごとく国の経営から離れて地方なりの責任となった旨の質問をされています。

> 、運輸大臣は、これらの地方交通の経営については日本国有鉄道の経営責任を解除して、国と地方自治体において責任を持って地方交通の対策に当たる、このように答弁されました。また、現在地域住民が受けておりまする交通の利便を現在よりも下げないということで国が責任を持ってやるのだ、このように答弁されましたが、これは政府の責任者としての鈴木総理として確約できますかどうか、簡単に御答弁を願いたいと思います。

それに対して、鈴木首相としても地域住民の足を確保することが一番重要な問題と位置付けていると答弁(そこで、盛線・久慈線の未開業部分を含む地方への移管という手法に出たと思われます。元々鈴木善幸首相が古いタイプの「地元利益誘導型政治家」であったこととも関連性があると思われます。
国鉄として地方線を維持させるにはこれ以上は無理であり、国鉄から分離させて地方で経営させる仕組みを作ることで炉、地方への利益誘導と国鉄改革の実績を上げられると考えたのかもしれません。
その辺を含んだ答弁が下記の答弁に繋がったかと思います。

> 地方交通線問題、特定地方交通線の整理ということにつきましては、その裏づけとして後の地域住民の足を確保するということが一番大事な問題でございますから、その点につきましては政府、国鉄相協力をし、また地元の御協力を得まして足の確保については万全を期したい、こう考えております。

更にそれに対して、中村正雄議員が質問しており、現在国鉄が行っている程度の利便性を維持できるかという責任を国が持てるのかといういささか厳しい質問をしているようです。
さらに、運輸大臣が国鉄はローカル線の経営責任を解除されたと言う旨の発言に対しては、折り返し塩川運輸大臣が反論しているわけでその辺りもお読みいただければと思います。

○中村(正雄)委員 今後地方線のうちで特定地方交通線として指定されるであろうこの法案の内容については、この委員会でも一番中心課題でいろいろと討議されました。それに対しまする基本的な考え方として、運輸大臣は、これらの地方交通の経営については日本国有鉄道の経営責任を解除して、国と地方自治体において責任を持って地方交通の対策に当たる、このように答弁されました。また、現在地域住民が受けておりまする交通の利便を現在よりも下げないということで国が責任を持ってやるのだ、このように答弁されましたが、これは政府の責任者としての鈴木総理として確約できますかどうか、簡単に御答弁を願いたいと思います。

中村大臣の質問に対して下記のとおり反論しております。
まぁ、言ってみればこの辺も「言葉のあや」とでも言いましょうか実質的には国から地方に経営が移管する、国鉄が地域交通に何ら責任がない…実際的には地方のバス会社に移管という形でしたのでこの答弁は「国鉄は責任を持たないよ。」が正確だったんですけどね。苦笑

> ○塩川国務大臣 国鉄の責任を解除していただきたいと申しておりますのは、現に国鉄が鉄道として運用しておりますその鉄道としての運用の免除をお願いいたしたい、こういうことを言っておるのでございまして、国鉄が地域交通に何ら責任がない、そんなことは私は一言も申しておりません

国鉄があった時代特定交通線一覧

さらに中村議員は、首相に対して国鉄の体質について質問していきます。
「国鉄の総裁その他職員が一体となって合理化の徹底、企業の効率化、再建のために努力をするようにいたします、こういう答弁はいたしておりますが、そういう体制がつくれるという確約はいたしておりません。」とかなり手厳しい質問をされています。
当時の国鉄総裁は、高木文雄総裁で元大蔵官僚であり、特にマル生運動直後に就任したこともあり、労働運動等に関しては殆どタッチするなと言われていたと言います。
その辺も消極的な総裁と映ったかもしれませんね。
高木文雄


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******************以下は本文になります。***********************

○鈴木内閣総理大臣 地方交通線問題、特定地方交通線の整理ということにつきましては、その裏づけとして後の地域住民の足を確保するということが一番大事な問題でございますから、その点につきましては政府、国鉄相協力をし、また地元の御協力を得まして足の確保については万全を期したい、こう考えております。

○中村(正雄)委員 ただ運輸大臣と答弁の違います点は、運輸大臣は国有鉄道の経営責任を解除する、国と地方自治体で責任を持つんだ、速記録にはっきり載っておると思いますから、この点は後からお読みになって確約を願いたいと思います。

○塩川国務大臣 国鉄の責任を解除していただきたいと申しておりますのは、現に国鉄が鉄道として運用しておりますその鉄道としての運用の免除をお願いいたしたい、こういうことを言っておるのでございまして、国鉄が地域交通に何ら責任がない、そんなことは私は一言も申しておりませんし、ましてや代替バスを出そうと言っておるのでございますから、国鉄の責任はそういうことで明確にしていただきたい、こういうことでございます。

○中村(正雄)委員 この法案の趣旨は、先ほども言いましたように、破産に瀕しております国鉄の経営を改善するということが趣旨でございまして、結果として財政の均衡を図る、赤字の解消を図る、その根本はやはり経営の改善にあるということで、政府のやるべき問題と国鉄のやるべき問題とをはっきりと限界をつけて、国鉄は企業体として破産寸前の国鉄を再建する、そのためには一滴の血も流さないけれども、定員削減ということで人員の整理をやる。また、終局的には国民の税金で賄うことになりまする債務の六兆円のたな上げをやるということで、いわゆる減量経営の基盤をつくって、その上で国鉄自身が企業体として合理化の徹底をやり、企業の効率を上げて、言いかえれば企業としての生産性の向上を図って国鉄の再建をやる、これは民間の破産に瀕した企業の再建に当たる人から見れば非常に恵まれた再建の方策であろうと私は思います。私はこの点を運輸省も国鉄自身も十分認識して真剣に取り組んでもらいたいと思います。
 したがって、この法案の趣旨が達成できるかどうかは、国有鉄道の総裁以下四十数万の職員が一体となって再建に立ち向かう姿勢ということが根本だと思います。これができなければ私は再建はできないと思います。いままでの答弁の中で、国鉄の総裁その他職員が一体となって合理化の徹底、企業の効率化、再建のために努力をするようにいたします、こういう答弁はいたしておりますが、そういう体制がつくれるという確約はいたしておりません。これが国鉄の現状でございます。
 監督官庁でありまする運輸省、政府の責任者でありまする総理大臣に私は特にお聞き願いたいと思いますのは、国民の六兆円に近い血税をつぎ込んで国鉄を再建するわけでございます。したがって、四十数万の職員が一体となって国鉄の再建のために取り組んでいくという体制を国鉄に対してつくらしめると総理は確約できるかどうか、この点お尋ねしたいと思います。決意をお聞きいたします。

○鈴木内閣総理大臣 中村先生御所見のとおり、私も全く同感でございます。これは国鉄労使が本当に一体になり、国民の犠牲の上にこれがなされることでございますから、そのことを十分踏まえてこの再建につきましては最善を尽くしてもらいたい。また、私どもも厳しくその実行につきまして指導し、鞭撻をしてまいる考えでございます。
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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四二話

2016-05-17 23:57:10 | 国鉄関連_国会審議
みなさまおはようございます、本日も国会審議からの記録をお読みください。
今回質問にあがった、中村正雄議員は民社党選出議員で、戦前の国鉄(鉄道省)に入省、戦後労働運動を経て昭和22年日本社会党から参議院選全国区で出馬し当選、6年後に右派社会党で出馬するも落選、3年後統一社会党から再び参議院全国区で出馬して以後3回連続当選、昭和35年には民社党結成にも参加して、昭和47年12月から衆議院に鞍替え出馬するも落選、4年後の昭和51年12月の衆議院選挙で当選その後も連続5期当選という経歴であり、質問した時点では民社党議員としての質問となります。
なお、民社党は新進党の結党に伴い解党しています。

ここの質問で注目すべきは、国鉄の経営改善に対しての質問がなされていますが、国鉄では特定人件費と呼ばれる、部分を除いての収支均衡を61年度の決算で実現しています。
当初目標は60年度でしたので1年のズレは有ったとはいえ、昭和39年の赤字決算以来実に22年ぶりに黒字を計上する事が出来ました。
また、実際にこの法案以後国鉄に対して国も積極的に支援をしていきますが、それに伴い国鉄にあっても新規採用の停止や修繕費等の節約などが課されました。
国鉄の国鉄職員の採用中止は昭和58年度から実施されました。
これにより、高校卒業者に対しては約5年程新入社員が入ってこないという異常事態となりました。

前置きが長くなりましたが、ここで中村議員は、国鉄の赤字が昭和55年から59年までの約5年間で赤字が毎年発生するわけでこれに対して政府が全額補助するだけの覚悟があるのかと言った趣旨の質問をしているのですが、

> 本法案は、申すまでもなく、国鉄の運営について政府が責任を負う分野と国鉄自体が責任を負う分野とを明確に区別いたしまして、国鉄が責任を負わなければならない範囲について、国鉄の経営改善に懸命な努力をすることによって昭和六十年度、収支の均衡を図ろうというのがこの法案の骨子であろうと思います。したがって、これは裏を返せば五十五年から五十九年度までは国鉄の赤字が続くということを十分認識の上で政府は提案されていると思います。したがって、この五カ年間におきまする赤字については、累積すれば三兆円になるか五兆円になるかわかりませんけれども、これは政府が責任を持って毎年予算において処置されるものだと私は確信いたしますが、総理がどうお考えになっているか、確約願いたいと思います。



これに対して、政府としては助成はしますが全面的に面倒を見ないと婉曲的には回答しているといえます。
実際、国鉄の赤字に対して次ページ以降に出てきますが、地方ローカル線の廃止とそれに伴う転換費用などの負担や長期債務のうち昭和54年度末の5兆599億円の債務については棚上げを行うとともに、償還資金の無利子貸し付けなどを行うなどの措置をとっています。
それでも、東北・上越新幹線の減価償却費等もあって国鉄の赤字は増え続けていました。
鈴木首相としては、「構造的な欠損」・・・地方ローカル線での学生運賃割引なども然りでしょうし、戦後引き上げの伴い採用した職員の退職金問題等も含めた構造的な部分については考慮するとしています。
ただ、中村議員として、毎年発生するであろう赤字の負担についてはどうかという質問に対して、鈴木首相は
「六十年度までに国鉄経営の健全な基盤を確立をしてもらいたい、そして国鉄が真に国民の足を確保するという観点から十全に機能を果たし得るような形に合理化を進めてもらいたい、体制を整えてもらいたい、このように考えております。そのかわり政府におきましても、構造的な欠損につきましては責任を持ってこれを助成をし、補てんをしていく」という答弁をしています。
中村議員は、何があっても国鉄財政の収支均衡が図れるまで、政府としても赤字を十分補てんするための覚悟があるかと問いただしていることに対して、国鉄自身の変革は期待するしそれでもなお、赤字が出るところは補てんすると明言しているのでほぼ筆問に沿った回答のようにも読み取ることが出居るのですが、中村議員としては、国鉄問題は政府が主導で赤字補てんをしますといった確約が取れなかったことで若干不満を述べられているようです。

> 五十五年度から五十九年度までは国鉄の努力によっても赤字が出るということは承知してこの法案を提案されておるわけですから、それは政府の責任において処置するのが当然計画の基礎になっておると思う。したがって、その点の確約を求めているわけで、総理の答弁はちょっと私の質問とは違った答弁になっていると思います。

******************以下は衆議院議事録の本文になります。***********************

○小此木委員長 中村正雄君。

○中村(正雄)委員 この法案について今日までこの委員会で討議いたしました。政府なり国鉄当局からいろいろと答弁がございました。その重要な点について、総理に確約を求めるという意味で二、三の点について質問をいたしたいと思いますので、ひとつ要点だけ簡単に御答弁願いたいと思います。
 本法案は、申すまでもなく、国鉄の運営について政府が責任を負う分野と国鉄自体が責任を負う分野とを明確に区別いたしまして、国鉄が責任を負わなければならない範囲について、国鉄の経営改善に懸命な努力をすることによって昭和六十年度、収支の均衡を図ろうというのがこの法案の骨子であろうと思います。したがって、これは裏を返せば五十五年から五十九年度までは国鉄の赤字が続くということを十分認識の上で政府は提案されていると思います。したがって、この五カ年間におきまする赤字については、累積すれば三兆円になるか五兆円になるかわかりませんけれども、これは政府が責任を持って毎年予算において処置されるものだと私は確信いたしますが、総理がどうお考えになっているか、確約願いたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 中村さん御指摘のように、この国鉄再建の問題につきましては、国鉄自体において努力すべき責任を明らかにしております。また、政府がこれに対して公的助成、構造的な欠損という面につきましては政府がこれに助成をしていくということで責任を明確に分かち合っておるわけでございます。私は、六十年度までに国鉄経営の健全な基盤を確立をしてもらいたい、そして国鉄が真に国民の足を確保するという観点から十全に機能を果たし得るような形に合理化を進めてもらいたい、体制を整えてもらいたい、このように考えております。そのかわり政府におきましても、構造的な欠損につきましては責任を持ってこれを助成をし、補てんをしていく、こういう考えでございます。
 いま中村さんのお話では、国鉄が努力しても国鉄の経営分野において赤字が出た場合はどうするかというお話でございますが、私は国鉄の労使は、この厳しい置かれておる立場というものを踏まえて、そういう赤字が出ないように、構造的なものは政府が負いますから、経常的な収支については赤字が出ないようにがんばってもらいたい、こう思っております。

○中村(正雄)委員 政府の出しております案は、六十年度に国鉄の分野において収支の均衡を図る。したがって、五十五年度から五十九年度までは国鉄の努力によっても赤字が出るということは承知してこの法案を提案されておるわけですから、それは政府の責任において処置するのが当然計画の基礎になっておると思う。したがって、その点の確約を求めているわけで、総理の答弁はちょっと私の質問とは違った答弁になっていると思います。

○鈴木内閣総理大臣 私は、六十年までに赤字が出ないように、財政の健全化ができるように、そういう計画に沿ってのことは政府としてはやるつもりでございます。
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防犯ベルの話

2016-05-15 22:30:29 | 国鉄思いで夜話
最近は新幹線などでは防犯カメラまで設置されて監視社会と言われて余計に窮屈になっていますが、何らかの犯罪を起こすものがいる以上仕方がないといえそうですが、実はこうした防犯カメラ等の取り組みというのが今から半世紀前からあったとようで、今日はそんな記事を書かせていただこうと思います。

昭和38年6月号の鉄道ピクトリアルの記事からの引用ということで、今から53年前の記事なのですが、これによると車両の中に防犯ベルを取り付けて車内で鳴らすことにより被害者だけでなく他の乗客にも知らせて犯罪発生時に乗客の協力を得て速やかに犯罪を防止するといったもので、乗務員に知らせると言った代物では無かったようです。


記事によりますと、昭和37年度に、要注意列車に試験的に取り付けたとあり、東鉄局(当時は分離していなかった)管内70両、高崎局管内15両、大阪局管内35両に試験的に設置されたと書かれています。


効果の程はどれほどあったのかは判りませんがさほど普及しなかったところを見るとさほど効果は無かったのかもしれませんね。

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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四一話

2016-05-10 22:50:58 | 国鉄関連_国会審議
皆さまこんばんは、本日も国会審議のお話をさせていただこうと思います。
今回の質問では、西中議員からの質問が行われていますが、この質問では、国鉄における各種割引に打ち手質問がなされています。
通学定期については、学生の保護者の負担を考慮して大幅な割引が行われていました。
他にも、身体障がい者割引、戦傷病者割引といった割引が行われておりこれらはすべて鉄道事業者の負担となっていました。
これ以外にも、実は国会議員の議員パスも国鉄の負担だったのですが、その辺りは華麗にスルーしていますね。
その額は、下記のとおり。

・通学定期割引として、昭和二十四年から五十四年度を見てまいりますと六千八百四十億円
・身体障害者割引で二百八十九億円
・戦傷病者割引で十二億円

さらに、議員としてはこれに加えて地方線における特定加算運賃や定期割引率の減少についても言及しています。
実際の申請内容は下記の通りとなっています。

運輸白書参照

 この申請は,56年4月20日から旅客運賃,貨物運賃をあわせて平均9.7%引き上げようとするもので,その主な内容は,
 (1) 普通旅客運賃を平均9.5%引き上げる。初乗り運賃は,100円を110円とする。
 (2) 料金は,座席指定料金を除き平均9.4%引き上げる。
 (3) 通勤定期旅客運賃は,普通旅客運賃の改定を反映して平均9.6%引き上げる。
 (4) 通学定期旅客運賃は,割引率を平均3.0%引き下げ,普通旅客運賃の改定に伴う改定とあわせ,平均23.9%引き上げる。
 (5) 貨物運賃は,コンテナ貨物運賃及び車扱貨物運賃とも賃率を平均9.9%引き上げる。
 というものであった。
  運輸省は,この申請を受けて,運輸審議会,物価問題に関する関係閣僚会議等に諮り,56年4月10日,通学定期旅客運賃の割引率の引き下げの実施期日を56年7月1日とする修正を加えて認可した。
  これにより,56年度は1,956億円(増収率7.9%)の増収が見込まれている。

ということで、通学定期については54年頃から毎年引き上げられており70%代にまで低下していたわけで、かなり負担増になっていたと重まれます。

そうした質問に対して、塩川運輸大臣としても、各省庁にお願いしたけれど色よい返事は帰ってこなかったよと言っています。
さらには、国鉄自身におきましてもまた公共負担が財政再建に支障を来さないような、そういう営業の努力も続けて、できるだけのカバーをしていくように努めなければならぬと思っております。・・・ということで、この頃はまだそこmで徹底していませんでしたが昭和57年以降は国鉄の部内ではかなり節約が浸透し、機関区の公開などで行くと手渡されるガリ版刷りの資料の裏面が裏(いわゆるチラシの裏)であったりして驚かされたものです。

昭和55年頃はいよいよ国鉄もその経営が立いかなくなり、毎年繰り返される運賃値上げとストライキはすっかり春の風物詩となった感がありました。
実際、昭和54年で初乗り運賃が80円から100円に、翌年の55年に100円から110円に変更、昭和61年の運賃改定までの短期間で初乗り運賃が30円以上、通学定期券も80%引きから70%台に段階的に引き下げられたわけです。

そんな事情も併せてお読みくださいませ。


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*************************以下は、国会審議の内容です。**************************

○西中委員 時間もなくなりましたが、地方交通線、地元の負担ということについても地方自治体は、特定地方交通線、これはいろいろと助成措置が講じられますけれども、一定の期限を切っておりますから、その後の心配は依然として除かれておらないわけでございます。同時に、これまで国鉄は、通学定期割引として、昭和二十四年から五十四年度を見てまいりますと六千八百四十億円、身体障害者割引で二百八十九億円、戦傷病者割引で十二億円、合計七千百四十一億円を負担してまいりました。五十五年度予算では、以上の三つの事項でさらに六百八十四億円を計上いたしておるわけであります。これは国鉄の経営の健全性を取り戻すという点について、今日まで委員会の附帯決議その他国鉄の諮問委員会の提案等々あるわけでございますけれども、やはりこれは財政再建の上では見逃すことはできない問題だと私たちは考えておる。と同時に、今回特別運賃というものが設定をされる話でございますし、しかも定期の割引率を引き下げる、こういうことも言われておるわけでありまして、これは通学生徒を持っておる御家庭、身体障害者その他そういった皆さん方の御負担というものは非常に過大になるわけでございます。
 こういう点について各省庁間の意見がこれまたばらばらでございまして、何ら対応を考えておらないというのが当委員会における今日までの答弁でございます。やはりこれは本当に弱い立場にある方々をどうしても守るという観点から、総理の指導性において一日も早く解決を見ていただくということを私は強く要求をしたいわけでございまして、総理の決意のほどを伺っておきたいと思います。

○塩川国務大臣 総理の答弁の前に私から一言御説明申し上げたいと思うのでございます。
 確かに国鉄が過去におきまして公共負担、多額なものをいたしてまいりました。しかし、今日の国鉄の破局的な財政のもとにおいては、こういう負担はなかなかしんどいことになってまいりました。そこで、運輸省といたしましては、政策担当の各省庁に対しまして、これらの負担方の要請を強くいたしておるところでございます。しかしながら、各政策担当官署にいたしましても、国の財政が非常に窮迫しておるときでございますので、それぞれの省庁において努力はいたしておるのでございますけれども、その実効が上がってきておらないということは残念に存ずるのであります。しかし、われわれといたしましては、国鉄の再建との関係もございますしいたしますので、なお各担当省庁に対しまして強く要請いたしますと同時に、国鉄自身におきましてもまた公共負担が財政再建に支障を来さないような、そういう営業の努力も続けて、できるだけのカバーをしていくように努めなければならぬと思っております。

○鈴木内閣総理大臣 公共割引の問題をどう処理するか、この問題は多年の懸案でもございます。国鉄の財政再建の問題と絡みましていま関係省庁におきまして鋭意話し合いをいたしておるところでございます。五十六年度予算編成までに結論を出したい、このように考えております。

○西中委員 終わります。
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幻に終わった151系電車、宮原配置計画 昭和36年10月鉄道ピクトリアルの記事から

2016-05-09 09:30:41 | 国鉄思いで夜話
昭和36年10月改正の記事が載った鉄道ピクトリアル10月号を見ていると興味ある記事を発見したのでここに披露させていただこうと思います。

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昭和36年の改正通称、サンロクトウと呼ばれた改正で、全国に特急網が誕生した画期的なダイヤ改正でもありました。
特急「白鳥」や「まつかぜ」「かもめ」といった気動車特急が誕生したのもこの改正でした。
特に前年の「はつかり」の失敗から80系気動車にあっては約1か月実際のダイヤで試運転が行われたといいます。
流石に往復1000kmを越える距離を走ってくると所々エンジンは不具合を出して停止してお、ガスケット割れによるオイル漏れ等を起こしたりということが多発したそうで連日その修理に追われたと言われています。

さて、そんな中で興味を持ったのは宮原区に151系を配置すると言う記事でした。
既にご存知の方も多いかと思いますが、特急こだまを含む151系はすべて東京田町に配置してあったことから何らかの理由で大阪まで151系電車が到着できなかった場合は宮原区の153系が臨時特急として向かうこととなり、国鉄としては100円引き(現在の価格であれば1000円程度)割引で対応したと記録されていますが、旅客サービス上、好ましいことではないことはもちろんです。

かなりの頻度であったようで、当初は153系の種別表示板は巻取り式ではなくアクリルの板をはめ込む方式だったそうですが、「特急」という表示も用意されていたそうですからかなりの頻度で走ったのではないでしょうか。

この記事を見ますと、サービスアップのため本年度中(昭和36年度)にもう11両を作成して、これを大阪に配置するというものでした。

余談ですが、昭和39年に静岡で発生したmクロ151とダンプカーの衝突事故ではその煽りを受けて、大阪~宇野間の区間運転の列車として80系旧型国電が7両編成で急きょ運転されたと記録されています。


80系電車による代用運転


歴史にIFはないですが、仮にここで書かれているように、大阪に予備車配置が行われていたら、上記のような措置は無かったかもしれませんね。
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20系寝台車誕生のころ スニ20?

2016-05-01 13:19:23 | 国鉄思いで夜話
みなさまこんにちは、久々に投稿させていただこうと思います。
今回は、20系客車についてのお話です。

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寝台列車のイメージを決定付けたのは20系客車であることを否定する人はいないと思います。
この列車が最初に投入されたのは「あさかぜ」号で、電源車ではディゼル発電機により潤沢な電気が作られ、冷暖房も完備されたオール電化の列車は庶民にとって憧れを持って迎え入れられたと思います。荷物室は3tと小さく、電源車はスニ20として計画されたのですが・・・実際に完成して検重してみるとス級で収まっていないことがわかってあわててマ級に変更したとかしなかったとか・・・。
当時の製造当時の動画を見るとスニ20で製造される場面が出てきますよね。

鉄道映画 20系特急あさかぜ

急ぎの方は4分5秒あたりからご覧くださいね。

ここで連結されていた電源車、当時は新聞輸送はあまり主と考えられていなかったのか最低限の積載量で3tだったと記憶しています。


当時の編成を見てみますと、1等A寝台と呼ばれる個室(オール個室で一部は二人部屋)の寝台、一人個室は洗面器はあるとはいえ現在のA寝台、サンライズのシングルDXbゆと比べると通路両側に寝台があるため乗ってしまうと身動きが取れないという代物でした。

鉄道ピクトリアル85年3月号 20系寝台車特集から引用

それでも、国会議員や芸能人などプライバシーを気にする人の利用は多かったようです。
その次の車両は、開放式A寝台こちらも今となっては時代遅れ感を免れませんよね。

そして、あさかぜのみは唯一1等車(デビュー当時は2等車)が1両連結されていました。
そして食堂車、3等寝台(B寝台)へと続いていくのですが、最後の2両は寝台ではなく座席車が連結されていました。

これも、当時寝台車だけで構成した場合列車として成り立たないのではないかと危惧して座席車を連結したといわれています。

実際には今の特急列車と違って本当に特別な列車でしたのでそれでもやはり乗らない人が多いのではないかという危機感から2・3等座席車を連結するわけですが結果的にはそうした心配は危惧に終わり、その後「さくら・はやぶさ・みずほ」が20系客車に置き換えられていきますが、このときも完全寝台化には不安があったのか途中分割する基本編成(中間車)にも3等座席車ナハフ21が1両連結されていました。2両の座席車が離れていたことになりますね。

昭和36年の時刻表から引用
その後、これら座席者は「ゆうづる」に転用されましたが、昭和45年までにすべて寝台車に改造されてしまいました。
なお、この20系座席車はちょっと特殊で電車の座席は3等車も任意の場所で回転できたのに対して、車端いずれかから回転していかないと変更できない構造になっていたそうですね。
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東海道新幹線開業前のよもやま話

2016-04-23 23:30:52 | 国鉄思いで夜話
東海道新幹線の話

鉄道ピクトリアル10月号の記事から拾い読み

昭和39年10月1日に開業する新幹線ですが、次の予定として下記のような記事が載っていました。併せてアップしてみたいと思います。

以下は鉄道ピクトリアル10月号の記事から拾い読みしたものです。

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新幹線は、10月1日の開業後当分は、東京~大阪間を超特急「ひかり」=名古屋・京都だけ停車=は4時間、「こだま」=新横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜羽島・米原・京都の各駅停車=は5時間の暫定ダイヤで走ることは、別掲のとおりである。
 これは、完成後当分は、線路・路盤が落着かず、開業時に10カ所程度の徐行区間が残るため安全確保上から上記の時間がきまったわけで、いずれ公約の正式ダイヤに切替えるふくみをもったものであった。
 切替えの時期については、このほど新幹線開業準備委員会で検討の結果、来年3月頃には正式ダイヤ移行可能との見通しがつき、さらに8月24・25両日の試運転が予定通り成績をあげ、なお列車の走行能力にかなりの余裕があり、あと半年間あれば線路整備の見通しもついたので、来年4月から、超特急「ひかり」3時間、特急「こだま」4時間の正式ダイヤによる運転をはじめることに内定した。

昭和40年の3月には超特急ひかりの運転が行われることが内定となっていますが、実際に3時間10分運転が行われるのは昭和40年11月なんですよね。

昭和40年10月のダイヤ改正ではまだ新幹線は4時間運転です。苦笑

昭和40年10月1日改正 超特急の所要時間は4時間のままです。

さらに、「新幹線のつぎの夢は2時間半」という記事が出ています。

こちらも全文引用してみましょう。

 新幹線の3時間運転は、別項のように来春実現することはほぼまちがいないが、さて新幹線の将来計画ほ、また山陽新幹線はいつ実現するかなどは、読者のひとしく知りたいとごろ。国鉄当局としても確定的な結論は出ていないようであるが、"わだい"子が入手した情報の大要を要約するとつぎのとおりである。
 新幹線は、来年10月頃には55往復(開業時30往復)5年後の昭和45年頃には現在の12両編成が16両編成になったうえ、毎日68往復の超特急・特急が、東京~大阪間を通勤電車なみのヘッドウェイで走ることになる・CTC・ATCは、列車が最小5分ヘッドで走れるよう設備されているから、近い将来は、有効時間帯を6時から夜の9時までの15時間とすると、上下16本の列車が運転される。また、東京~大阪間ノンストップ、最高時連250キロ、所要時間2時間半という研究が着々進められている.
 つぎに、山陽新幹線であるが、新幹麓の耕牲については、超特急の乗車効率85%、特急80%と推定Lて,3,800億円の建設費は30年で十分償却できるとの見通しのもとに,山陽新幹線の実現は早くから決定,今年の6月からは,大阪~博多聞560キロルート選定のための航空写真撮影がはじまり,すでに85%を完成した・国鉄の長期計画では,昭和45年までた,新大阪~岡山間に新幹線を延ばすことになっているといわれる。


昭和45年の時刻表から。ひかりは16両編成、こだまは12両と編成が別れていました。

この辺も大変興味深い話なのですが、昭和45年頃には16両編成は確かに実現していますが、昭和45年では5分ヘッドまでは言っていなかったかもしれませんが、かなりの列車の本数は確保されていました。

> 東京~大阪間ノンストップ、最高時連250キロ、所要時間2時間半という研究が着々進められている.

こちらについては、国鉄時代から研究は進められていたようですが日の目を見るのはJR東海になってからで300系による270km/h運転で実現される運びとなりました。

この辺の事情は国鉄の赤字と労使関係の悪化など複数の要因が考えられますね。
山陽新幹線に関しては当初予定より2年遅れたものの、予定通り開業させたと言えます。

以上、昭和39年10月の鉄道ピクトリアル、「鉄道の話題」から引用しました。

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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第三九話

2016-04-21 11:53:41 | 国鉄関連_国会審議
みなさまこんにちは、気が付けば10日以上も空けてしまいました。
しばしお付き合いの程、お願いいたします。
今回も、久保議員の質問が続くのですが、そこで今後は地方のローカル鉄道については国鉄では建設しないが第3セクターや民鉄事業者で作らせる方向で動いていくのかという質問がなされています。
「第三セクターとか民鉄業者とか、そういうものにつくらせるということについてははっきりしているようでありますが、国鉄で引き続いてやらせないという御答弁はないのですが、重ねてお伺いしますが、国鉄新線というのはAB線についてはつくらせない、つくりませんということでありますか、それともその第三セクターでやるのかどうか、いかがですか。」
この質問に対して、塩川運輸大臣が「国鉄としての新線建設は原則的に行わない」と明言しています。

「これが建設を完了したといたしましても特定地方交通線とみなされる線区につきましては、工事を続行するわけにはまいりません。」

当時のシステムでは、鉄建公団(鉄道建設公団 以下鉄建公団と略す)が建設するAB線(地方開発線(A線)、地方幹線(B線))に関しては、鉄建公団が建設後は無償譲渡とされていました。

鉄建公団が出来た経緯というのも詳しく書くとこれだけで1ページ使ってしまうのですが簡単に言えば国鉄としては明治に出来た鉄道敷設法(その後改定が続けられていましたが国鉄が廃止になるまで有効でした。)に基づき路線を建設することとなっていましたが国鉄としては儲かる路線(新幹線など)は積極的に建設するが、儲からないローカル線は建設したがらないわけで、そこで鉄建公団という建設専門の部隊を作ってそこで線路を建設させることにしたのです。

特にAB線は最初から儲からない路線ですので受け取った国鉄とすれば貰ったはいいけど動かせば動かすほど赤字が増えるというジレンマを抱えることとなっていました。

実際、それ以前の赤字83線時代に国鉄としては、今回の1次指定にも指定され路線などを廃止しようとしましたが、それと同じ程度の輸送量しかない新規路線を押し付けられたりした、さらに国鉄が施工した路線と異なり、高架線等を使って建設してあるので維持コストがかかる構造だったりして非常に高コストの状態になっていました。

画像Wikipedia 三江線宇津井駅 地上20mのところに駅があるがエレベータ等の設置は無く、高齢者にしてみれば利用したくとも利用しにくい駅の代表のようになっています。

さて、ここで再び国会答弁に戻りますが、鈴木内閣総理大臣が塩川大臣の答弁を受けて答えているのですが、あくまでも今後第3セクターなどで建設を予定しているのは、現在国鉄線として建設中の路線で地元がその導入を望む路線等であると明言しており、この発言は三陸鉄道を建設するための意思表示とも受け取れます。
実際、鈴木善幸首相は、古い地元利益誘導タイプの政治家でしたので、この発言はそうしたことを踏まえた発言であったのではないかと推測しています。

画像 wikipediaから引用

>「全然いま着手もしていない、用地買収もできてない路線、ただ鉄道敷設法に予定線として載っておる、そういうようなもの、現実に形も全然できてないというようなものを、民間業者がこれを経営したいから、そういう要請に基づいて新線建設をする、そういうようなことであればまさに久保さんがおっしゃる政治路線というようなそしりを免れない、批判を受けるかもしれません。しかし、ただいま運輸大臣も申し上げましたように、鉄建公団で現に建設を進めておる、工事半ばである、もう少しでこれが完成をする、そういう路線であって、そして国鉄としては、直接それが、この完成を見、運営をするということになりますと、特定地方交通線になりかねない。そういうようなものを第三セクターなり地方住民の要望にこたえて地元が受け入れ体制をつくってその運営に当たろう、こういう場合におきましては、私は決してそれは政治路線ではない、地域住民の足の確保の上から当然なすべきことである、このように考えております。」

ということで、ここで一つの整理が図れたと思うのですが、現在建設中の未成線のうち地元が望むものは第3セクターもしくは民間事業者に譲渡させることを目的に建設するという方針が固まったと言えましょう。

これにより、三陸鉄道の他にも北越急行や智頭急行と言った路線が開業することになりました。
最も、智頭急行も北越急行も元々は最高速度95km/h程度の路線でしたが建設に際しては分岐器の一線スルー化など高速対応を行うことで130km/h(ほくほく線は160km/h)の高速鉄道として誕生することになったわけですが、少なくとも国鉄としてこの2線が開業していたら単なるローカル線として誕生していたかもしれませんので、その辺は歴史のいたずらとでも言えましょうか。


画像 wikipediaから引用

画像 wikipediaから引用

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以下は、当時の国会答弁の内容です。

○久保(三)委員 どうも総理も運輸大臣の御答弁も、第三セクターとか民鉄業者とか、そういうものにつくらせるということについてははっきりしているようでありますが、国鉄で引き続いてやらせないという御答弁はないのですが、重ねてお伺いしますが、国鉄新線というのはAB線についてはつくらせない、つくりませんということでありますか、それともその第三セクターでやるのかどうか、いかがですか。

○塩川国務大臣 この法案の中に流れております精神をくんでいただければ御理解していただけると思うのでございますが、これが建設を完了したといたしましても特定地方交通線とみなされる線区につきましては、工事を続行するわけにはまいりません。

○久保(三)委員 わかりました。私もそうだろうと思うのですね。片方ではめくろうというのに、その先は建設していこうというのは、どうも理屈に合いませんからね。だから、結局、国鉄ではなくて民間あるいは第三セクターでやらせるというふうになりますね。わかりました。
 だから、これは形を変えた政治路線を今後も引き続き敷設していくということに相なりはしないかというのが巷間伝えられるうわさであります。いかがでしょうか。

○鈴木内閣総理大臣 久保さんの御質問の御趣旨が、あるいは私、間違った理解をするかもしれませんが、全然いま着手もしていない、用地買収もできてない路線、ただ鉄道敷設法に予定線として載っておる、そういうようなもの、現実に形も全然できてないというようなものを、民間業者がこれを経営したいから、そういう要請に基づいて新線建設をする、そういうようなことであればまさに久保さんがおっしゃる政治路線というようなそしりを免れない、批判を受けるかもしれません。しかし、ただいま運輸大臣も申し上げましたように、鉄建公団で現に建設を進めておる、工事半ばである、もう少しでこれが完成をする、そういう路線であって、そして国鉄としては、直接それが、この完成を見、運営をするということになりますと、特定地方交通線になりかねない。そういうようなものを第三セクターなり地方住民の要望にこたえて地元が受け入れ体制をつくってその運営に当たろう、こういう場合におきましては、私は決してそれは政治路線ではない、地域住民の足の確保の上から当然なすべきことである、このように考えております。

○久保(三)委員 四十線ほどございますね。これはいまの総理の御答弁だというと、全部そういう形を変えてやろうじゃないか、こういうお話にも受け取れますが、いかがですか。

○鈴木内閣総理大臣 私は、バスあるいは第三セクター、地方と民間業者、そういうような形で、この特定地方交通線を廃止した後、足が確保されるということは望ましい、こう考えております。しかし、なかなか厳しい諸条件があろうかと思いますので、四十線全部そういう体制で受け入れられるかどうかということにつきましては非常に頭を痛めておるところでございます。どうしてもそういうことができない場合は、バスでもってこの足は確保してやらなければいけない。私どもの考えておりますのは、まずこの後の交通、足というものを必ず何らかの形で確保するということが必要である。それに向かって最善を尽くす考えでございます。

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