国鉄があった時代blog版

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第20話

2017-01-20 10:45:28 | 国鉄関連_国会審議
皆様、長らく開けてしまいましたが再び参議員の国会議事録から再開させていただきたいと思います。

当初の整備新幹線計画

国鉄問題が議論されている中で、整備新幹線の建設が進められようとしている矛盾に対して日本社会党、鳥取県選挙区選出の「広田幸一参議院議員」が質問されているのですが、1980年(昭和55年)度4月現在でて五兆二千三百億円の費用が必要で、年間三千億円の赤字が出ると、運輸省が依頼をした運輸経済研究センターの試算で出てきている、更にこれを国鉄に押し付けるとなると、現状では国鉄の赤字路線を廃止したうえで、新たに年3000億円の赤字を生み出すものを押し付けるのかと、極めて正論を述べています。
さらに、これに対して運輸省としては、現在各省庁などと事務方で調整しているがなかなか難しい問題であると、問題に踏み込むことを避けているように思われます。

さらに、ここは注目すべき点かと思うのですが。

「北海道なんか、私この間行ってみましたが、あれを切られるともう五〇%は国鉄の輸送機関がなくなってしまって、北海道の開発はどうなるかというような問題を私は生に聞いてきたんですがね。」

実際、昭和55年当時の国鉄路線と現在のJR路線を比較すると、見事に線路が剥がされてしまっているというのが見てといることが出来ます。
最近)として転換される等、JRとしての路線はそれこそ大きく減少しています。

さらに、下記にも書いていますように。
国鉄は再建するための改革をこれから吸埋めよというなかで、こうした赤字を増やすものを更に押し付けるのはどうかと言う視点で質問しています。

「 赤字の国鉄をいかにしてここで再建をするかということで、国鉄も一生懸命にやっておるわけでしょう。こういうものをまた引き受けなきゃならぬわけですよ、国鉄としてはね。しかも、これから論議になると思いますけれども、いわゆる九十線という赤字路線、これを切っていくということでしょう。さっきもお話がありましたように、」

現在の整備新幹線計画

まぁ、これに対しては政府としては明言を避けるというか、お互い持ちまわって逃げを打っている、そんな風に見えてしまうんですね。
さらに、政府としては。
最近はどうも財源の審議は停滞しておる・・・と暗に財源が無いことを認めています。
実際、1975年から1989年まで継続して赤字国債が発行されており、現在も良く問題になる国の借金問題に行きつく部分でもあるわけです。
実際に、自国消化の国債ですので、外貨建てと違い償還に際して実際の現金を用意しなくてはいけないとはなりませんが、あまり好ましい状況でない事だけは確かと言えましょう。

山路進鉄道監督局長としても、この辺は非常に歯切れが悪いというか、以下のような発言をされています。
いわゆる、言語明瞭、意味不明瞭と言うのでしょうね。

「交通体系全体について御関係のある国土庁、それから大蔵省、自治省、それから私どもとが集まっていろいろ議論をしているということでございまして、従来から、いまお示しになりました運輸省の方の調査もございますし、それから国土庁の方の調査もございます。今後こういった問題について、非常にむずかしい問題でございますけれども、やはり最後は事務的に詰めなきゃいけないということでございます」

ようは頑張りますけど、各省庁との連携を含めて面倒なんですよ・・・としか聞こえてきません。

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*********************以下は国会審議の本文になります。********************


○広田幸一君 これはどうも政治的な絡みがあるように私ども思うわけです。ですから、鉄監局長にどうだああだ言ったって、私は、あなたの判断には――もう質問するのはちょっと無理だと思うんですが、大臣にちょっとお尋ねしますけれども、政府としては、この新線整備五線について財源をどうするかということで、総理府に整備新幹線財源打合会というのがございまして、構成メンバーは、大蔵省、経済企画庁、国土庁、自治省、総理府、運輸省、こういうふうになっておるようでありますが、どういうふうになっておるのか。これは大臣が御承知なのか、局長の方が御答弁になるのか。ここなんかどうなっておるのか。また、自民党の方としては、国鉄問題調査会の何か新幹線の委員会というようなものもあって、ここでもいろいろやっておられるようであります。
 ついでに申し上げますが、運輸省が依頼をした運輸経済研究センターのこの資料によりますと、まずこれは、五十五年度の四月現在のお金として五兆二千三百億円の金が要ると言っておるわけですね。この資料によりますと、これに必要な五兆円の金を全部国が補助をしてくれた場合にはどうなるかという、こういうのが出ておるわけですね。その場合でも、年間三千億円の赤字が出ると、こう出ておるわけです。運輸省が権威あるところとしてこの運輸経済研究センターに依頼しておるわけです。その出た数字がこうなっておるわけですね。この財源としては、目的税とか国債を発行するとか、建設国債ですね、そういうものをもって充てなければとてもむずかしいだろうということが書いてあるわけですわ。
 まあ、一般的に見まして、これを見る限りにおいては私はノーという数字が出ると思うんですよ、ノーという数字が。そういう感じがするわけですよね。しかも、さっきから申し上げておりますように、赤字の国鉄をいかにしてここで再建をするかということで、国鉄も一生懸命にやっておるわけでしょう。こういうものをまた引き受けなきゃならぬわけですよ、国鉄としてはね。しかも、これから論議になると思いますけれども、いわゆる九十線という赤字路線、これを切っていくということでしょう。さっきもお話がありましたように、北海道なんか、私この間行ってみましたが、あれを切られるともう五〇%は国鉄の輸送機関がなくなってしまって、北海道の開発はどうなるかというような問題を私は生に聞いてきたんですがね。
 そういうような、国鉄に課せられた非常に大きな重荷を担っておるときに、五兆円という金を背負わせるような、こんなことをやるのは、こんなことにもたもたしておるというのは、私は国家的にちょっと判断に苦しむんですが、大臣として、この新線の着工問題について、わかりました、この辺で決着をしますと、する場合にはこういう方針でやりますというようなことはもう出なければならないと思うんですが、大臣いかがでございますか。

○国務大臣(塩川正十郎君) 整備五線の建設につきましては、これは国民的要請が強かったものでございますから、その整備五線について財源の見通しがつけばやるという決定になっております。
 ところで、総理府において設置されておりますその委員会等にもまだ私たちもお呼びにあずかったこともございません。最近はどうも財源の審議は停滞しておるように思うんでございますが、ついては各機関でそれぞれ熱心にその財源問題を研究しておられることもございますしいたしますんで、その辺の内容等につきましては鉄監局長から説明させます。

○政府委員(山地進君) 整備五線財源打合会ということでございますが、いまおっしゃったのは。総理府の審議室が中心になりまして、こういった交通体系全体について御関係のある国土庁、それから大蔵省、自治省、それから私どもとが集まっていろいろ議論をしているということでございまして、従来から、いまお示しになりました運輸省の方の調査もございますし、それから国土庁の方の調査もございます。今後こういった問題について、非常にむずかしい問題でございますけれども、やはり最後は事務的に詰めなきゃいけないということでございますので、まあ党の方でもいろいろお考えになっているようでございますから、そういうものと相呼応しながら、この問題をどういうふうに進めたらいいかということで検討している次第でございます。
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急行出雲のお話

2017-01-14 14:46:04 | 国鉄思いで夜話
画像 Wikipedia

出雲と言えば、サンライズ出雲として、現在も東京~出雲市を結ぶ列車として君臨していますが、その歴史は古く昭和27年から東京と大社を結ぶ列車として運転されていたようです。
手元にあります、昭和28年の時刻表を参照しますと、今と同じ「せと」と併結になっています、ただし、岡山で分離ではなく、大阪駅で分離、「いずも」は福知山線経由で大社を目指す列車となっていました。
当時の時刻は、東京 22:00発、大阪9:06 福知山11:49 鳥取14:55 出雲今市(現・出雲市)17:54 大社 18:05ということで、東京から約20時間の道のりでした。現在では東京を22:00に出発して翌朝の09:57で約12時間の道のりです。

東京22:00発 「せと」に併結されて大阪まで運転


沼津~岐阜間の運転


岐阜~岡山間 大阪駅で大社行き編成を切り離し


大阪~福知山間

福知山~米子間

米子~出雲今市(現・出雲市)間

逆にいえば、当時の列車で当時の「急行いずも」の宝塚到着で9:55であり、列車が宝塚に到着した頃、現在のサンライズ出雲は、目的地である出雲市に到着していたことになります。

もともとこの列車は、大阪9:30発の準急列車を、昭和26年の改正で東京始発の「せと」に併結する形で東京から運転、大阪駅で増結してそのまま大社を目指したそんな列車のようです。

大阪始発だった頃の準急 名称はありません。

単純に時間だけ言われるとピンときませんが、そうして比べてみるといかに当時の速度がゆっくりだったか・・・。
もちろん、新幹線を使えばもっと8時間前後で移動できるわけですからね。

さて、当時の編成はちょっと調べてみたのですが、申し訳ありませんがわかりませんでした。
ご存じの方がおられましたら是非ご教示願います。
なお、2・3等急行となっていて寝台車は連結されておらず、2等車(現在のグリーン車)はオロ40(向い合せ式の4人掛けで、1,300mm幅の広窓で窓の開閉がしにくいと苦情が多かった車両だったそうです。(バランサーなどが実用化されていない時代でかつ冷房も無い時代ですから。)

そんな余談はともかく、少しだけ昔のお話ということで、私が生まれる前のお話でした。
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姫路発伊勢行き快速があった頃のお話 

2017-01-07 20:43:40 | 国鉄思いで夜話
伊勢と言うと近鉄と言うイメージが強いですが、・・・。画像 Wikipedia

その昔、姫路から伊勢神宮に向けて走る快速列車があったことをご存じの方はどれほどいるでしょうか。
私も実は知らなくて、Facebookで教えていただいて調べてみたら・・・本当にこんな列車が走っていたと知った次第。

昭和39年4月の時刻表までは、記述があるので昭和39年10月のダイヤ改正で廃止になったものと思われます。
なお当時の時刻は、上り列車が、姫路6:25に出発、終点鳥羽には12:11到着となっています。
途中の停車駅は、加古川・明石・兵庫・神戸・三ノ宮・大阪・京都・大津・草津・貴生川・柘植・亀山・下庄・津・松阪・多気・伊勢市・二見浦・鳥羽の順番に停車していました。
下り列車は、15:30に鳥羽を出発し20:53に姫路に戻るダイヤであり、日帰り可能なダイヤとなっていたようです。

姫路6:25始発の文字が見えると思います。1等車(現在のグリーン車)も連結された豪華な?普通列車でした。

姫路を6:25に出発、京都までは電気機関車で牽引、京都で蒸気機関車に交換されていたようです。

京都駅で8分停車の後、草津線経由で柘植・亀山を経て伊勢市(当時の駅名は山田)を目指します。



昭和40年7月の改正ではすでに運転されていません。
いまなら、現在ならJRと近鉄の組み合わせで6:33に姫路を新快速で出発、鶴橋で近鉄特急に乗り換えれば10:10には鳥羽まで快適に行けそうです。


全て調べきれていませんが、戦前から運転されていたようで。手元にある昭和15年の復刻版時刻表を参照しますと、姫路5:24 鳥羽着11:42で設定されています。
他にも不定期列車として京都始発で8:18 鳥羽着11:29と言う列車も設定されていました。



参宮線と言う名称が示すように、元々は伊勢神宮参詣のために設けられた線路で、元々は亀山駅~鳥羽駅間の線路でしたが、紀勢本線が全通した1959年に亀山~多気間は紀勢本線に組み入れられたため、参宮線は多気駅~鳥羽駅間のローカル線扱いになってしまいました。

現在は、JR東海の管轄路線ですが、国鉄時代は亀山駅を含めて紀勢本線・名松線・参宮線は天鉄局の管轄とされていました。
国鉄末期に参宮線の処分(今後の保守方針)と言う資料をちらっと家で見かけたことがあるのですが、(何かの折に父親が家に持って帰っていたのかもしれませんが)その資料では、参宮線に関しては線路の保守に関しては最低限とするといった書き込みが見られました。(線路種別は4級線?扱い)と言ったことが書かれていたと思います。

仮に、JR西日本が参宮線を運営していたとしたら、キハ120により細々と運転されるローカル鉄道になっていたかもしれませんが、JR東海が参宮線を伊勢神宮輸送の路線でありと言う本来の視点に立ち返って投資して行ったことにより、現在はキハ75による「快速みえ」が近鉄特急には及ばないもののそれなりの存在感を示してくれていると思っています。

画像 wikipedia

歴史にIFはありませんが、そうした意味では参宮線は積極的な投資でよみがえった路線と言えそうです。


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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第19話

2016-12-29 22:37:48 | 国鉄関連_国会審議
10日ぶりに更新させていただきます。
今回も、引続き鳥取県選挙区選出、日本社会党、広田幸一参議院議員の質問です。
その中で、鉄建公団によるAB線(地方開発線・地方幹線)を第三セクター方式により開業させるのは納得しないとと言っておりますが、智頭線を第3セクターとして開業させた、智頭急行のように、結果的に第3セクター鉄道で開業していなければ日の目を見なかったであろう鉄道もあります。

さらに、ここで注目すべきは、整備新幹線の財源について質問しています。

>新幹線のいわゆる整備五線ですね、これはすでにもう調査をほとんど終わって着工するかどうか、あとは財源問題だというふうに私たちは聞いておるわけでありますが、これも財源をこうしてもう切り詰められておる時期でありまして、仮に一億にしても二億にしても、むだなものは早くなくする、そうしてけりをつけて新しく出発するということが私は望ましいと思うんですが、どういうふうになっておりますか。

この質問に対して、運輸省(当時)の山地進鉄道監督局長は、「54年度・55年度とも50億の予算を投入しており、環境影響評価などもほぼ終わっていると発言しています。」

ここでいう整備五線とは、現在の整備新幹線と呼ばれている、北海道新幹線、東北新幹線 (盛岡市から青森市まで)北陸新幹線、九州新幹線 (鹿児島ルート)、九州新幹線 (長崎ルート)のことであり、東北新幹線 (盛岡市から青森市まで)と九州新幹線 (鹿児島ルート)については開業までこぎつけましたが、北陸新幹線並びに、北海道新幹線は、未だ一部区間のみとなっています。
この時も、大きな問題は財源問題であり、整備のための調査はすでに終わり、建設に際し手後は財源だけ…ただし、その財源が見つからなくて、結果的に政府の予算原案の中で決めていくことだと発言しています。

「この種のものを決定するのは、政府の予算原案が決まるときに同時に決めていくというのが通例でございます。」

ということで、この後昭和57年の国鉄改革答申で、整備新幹線の建設を凍結すべきではんという議論がなされ、9月に入ると。整備新幹線の新規建設を認めない方向が決定となっていくのですが、この時点でも政府の意向次第で決まる…そんな風に聞こえてしまうのは私だけでしょうか。

参考 全国新幹線鉄道整備法

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**************下は国会審議・・・本文になります。**************

○広田幸一君 これもいずれまたいろいろと論及する時期があろうと思いますが、私はいまのAB線の第三セクター方式によるのはやっぱり了解することができません。
 そこで、次に入りたいと思いますが、次は、さっき江島さんの質問の中にもちょっと出ておりましたが、新幹線のいわゆる整備五線ですね、これはすでにもう調査をほとんど終わって着工するかどうか、あとは財源問題だというふうに私たちは聞いておるわけでありますが、これも財源をこうしてもう切り詰められておる時期でありまして、仮に一億にしても二億にしても、むだなものは早くなくする、そうしてけりをつけて新しく出発するということが私は望ましいと思うんですが、どういうふうになっておりますか。

○政府委員(山地進君) 五十四年度には、環境影響評価のために五十億の調査費を鉄建公団並びに国鉄につけております。
 それから、五十五年度予算におきましては、工事着工のための調査といたしまして同額をつけております。環境影響評価についてはほぼ完了しておりますし、工事着工のための調査といたしましては、地質の悪いところ、あるいは軟弱土盤、あるいは都市部との交差部とか、あるいは経済的なものというようなことで調査を現在進めておるわけでございます。おっしゃるように、財源問題というのが今後非常に大きな問題であるというふうに考えております。

○広田幸一君 それで、財源問題ですけれども、いつごろに決着がつくんですか。

○政府委員(山地進君) 財源問題につきましては、私どもとして各方面といろいろ御相談をし、知恵を拝借しているわけでございますが、やはりこのような種のものは、予算の政府原案が決まる時点というのが一つの区切りであるというふうに考えております。

○広田幸一君 恐縮です、いまちょっと局長おっしゃったのを、もう一遍言ってくれませんか。

○政府委員(山地進君) この種のものを決定するのは、政府の予算原案が決まるときに同時に決めていくというのが通例でございます。

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紀和駅が和歌山駅と言われていた頃、2

2016-12-27 13:04:30 | 国鉄思いで夜話
紀和駅が和歌山駅と言われていた頃、駅前には日通の倉庫がありその横には当時としては近代的なアパートが建っていました。

紀和駅前に有ったアパート(昭和61年頃撮影)

そのアパートなども取り壊されてしまいました。

子供が自転車で遊ぶこの付近が元々小荷物輸送の集約基地として建設されましたが4年程でこちらの建物も使われなくなり、61年頃には更地になってしまいました。

また、後方に見えるのは市営アパートであり、昔は転車台や給炭設備などがこの付近に建っていました。

こうしてみると、かっての華やかだった和歌山駅(紀和駅)の衰退ぶりを思い知らされます。

紀和駅方向から和歌山城方向を見る。

紀和駅方向を見る。

今でも時々和歌山に戻るのですが、紀和駅付近の惨状をみると情けなくなってきますね。

下記の画像は、この付近には信号所があり、紀和駅構内の信号を扱っていましたが、グリーンマックスで信号所の模型がありますが、本当にあのような形の信号所が建っていました。



現在は道路になってしまってその辺の面影も現在は無さそうです。

是非とも昔の写真をお持ちの方はご協力いただけると幸いです。

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紀和駅が和歌山駅と言われた頃

2016-12-24 23:52:17 | 国鉄思いで夜話
紀和駅と言えば、今は高架線の上に短いホームがあるだけの駅になってしまいましたが、元々は和歌山を代表する駅でした。

この画像のみ Wikipedia
和歌山駅が紀和駅になったのは、昭和43年2月1日
和歌山駅と呼ばれたていた当時は、和歌山駅本屋側には物資部や診療所等の施設が線路に沿って和歌山市方向に延びていました。
木造の古い建物でしたが子供心には母親に連れて行ってもらって物資部などに買い物に行くのは楽しみでした。

更に、駅の裏側には図で書けばわかりやすいのですが、西側には客車区の洗浄線があり、東京行きの寝台車などもこちらで整備されていたはずです。
なお、駅構内の反対側は洗浄線の後ろに独身寮があり、その後は風呂。保線区・建築区・検査区・電気区といった建物が並んでいたように記憶しています。
検査区と電気区は比較的遅くまで紀和駅裏に残っていたようで、小学校3年生の頃には父親に連れられて検索高の木工職場で夏休みの工作ということで、父親と一緒に船を作ったのですが・・・、考えてみたらも良く在どこで調達したんだろう・・・。まぁ今となっては時効でしょうけど。
いまだったら横領ダーと言って大変なことになっていますね。

色々な意味で緩い時代だったと思います。

まぁ、その辺の余談はさておき、駅の裏側は客貨車区が併設されていましたので、機関車の入れ替えが終日行われており、駅構内はいくつかの投光器で照らし出されていました。

そして、機関車の音も

私の生家は丁度そうした機関車の音がまじかに聞こえるところでしたので、物心つく前から蒸気機関車の音とにおいを嗅いで育ったわけで、そうした意味では鉄道趣味というよりも国鉄は自分の生活の中の一部だったと言えましょう。

さらに、東に進むと給炭設備と給水タンクがありました、さらに当時の和歌山駅(紀和駅)構内は現在の紀伊中ノ島駅まで伸びており、紀伊中ノ島駅の丁度独身寮や宿舎が立ち並んでいる辺りまで線路が敷き詰められていました。

昭和48年頃にはもうほとんど使われていませんでしたが線路だけが延々と広がっていました。
貨車の入れ替え等に使われていた様に思いますが、いまとなってはそうしたことも含めて兵どもが夢のあと状態になっています。

思いつくままに少しだけ書いてみました。

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第18話

2016-12-18 23:12:16 | 国鉄関連_国会審議
引続き、広田幸一議員の質問が続くのですが、ここで鉄道を残すことのたいして自治省の見解がでていますが、こうしてみると第1次地方交通線で鉄道を残した地域というのはかなり地方自治体としても悩んだと思うんです。
広田議員も質問しています、少し長いですが全文引用させていただきます。

「いま私どもが聞いておるのは五年間でしょう。ですから、六年以降赤字になった場合はどうするかという問題を先々考えるわけですね、そういうことですね。ですから、そのことを私はさらに将来を含めて心配しておるわけです。
 そこで、自治省の方おいでになっておると思うんですが、自治省はいまの問題についてどういうふうにこの見解をお持ちでございますか。」

それに対して、 自治大臣官房地域政策課長藤原良一氏は、自治省としては、ローカル線を引き継ぎ、かつ赤字が出てもそれに対して下記のように、慎重に判断するべきとしています。
「将来大きな地方の財政負担問題が生ずるおそれもございますので、慎重の上にも慎重に対処すべきであろうと思い、地方公共団体の方にもそのように申し上げておるところでございます。」

更に、その答弁に対して広田幸一議員は、地元として鉄道を残すという選択をした場合は、自治省は何もい言わないのか。もしくは、制度的に自治省は何も自治体に対して救済政策を考えているのか否かという質問をしており、その質問に対して自治大臣官房地域政策課長藤原良一氏は、下記のように回答しており、特別扱いは無いという回答をしています。

「将来財政負担が生じた場合、自治省といたしましては交付税等の特別の財源措置を講ずることはできないと申し上げております。ただ最終的にはやはり地方公共団体が自主的に御判断して決められるべき問題ではあるというふうに考えております。」

ということで、自治省としては鉄道を地元の意思で残す場合は自己責任ですよ・・・・的な言い方をしている。
逆に、そうした中で特に1次交通線に指定されたところで鉄道を残した、若桜鉄道や北条鉄道などは、当時に自治体としてかなり大きな決断をされたと思います。
ただ、地域として維持していける自治体と残せない自治体の差はどこにあるのか、更に自分なりに研究してみる必要はあろうかと思います。


画像 Wikipedia


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*********************************以下は、国会審議の本文になります。********************************


○広田幸一君 これは今度提案されておる法案の、ちょっとまだどうなるかわからぬわけですから、少し先取りしたようなかっこうになっておるわけですけれども、いま局長は、二分の一補助するとおっしゃるけれども、いま私どもが聞いておるのは五年間でしょう。ですから、六年以降赤字になった場合はどうするかという問題を先々考えるわけですね、そういうことですね。ですから、そのことを私はさらに将来を含めて心配しておるわけです。
 そこで、自治省の方おいでになっておると思うんですが、自治省はいまの問題についてどういうふうにこの見解をお持ちでございますか。

○説明員(藤原良一君) この問題につきましては、いずれの線も経営が容易でないと思いますし、また将来大きな地方の財政負担問題が生ずるおそれもございますので、慎重の上にも慎重に対処すべきであろうと思い、地方公共団体の方にもそのように申し上げておるところでございます。

○広田幸一君 もうすでにそういうもの出ておるんですか、そういう場合にはこうだということは出ておるんですか。ちょっと最後を聞き取れなかったので。

○説明員(藤原良一君) 会議等を通じまして、慎重に対処するように申し上げておるところでございます。

○広田幸一君 慎重に対処せいということは、地元がいいことだというふうにして決めた場合は、それに対して自治省がどうとも言う、そういう介入をすることはできるものか、できないか、制度的にはどうなるのか、その辺ですね。また後で泣きついたって知らぬぞと、こういうふうなことになるのか。その辺をひとつ明確に。

○説明員(藤原良一君) 将来財政負担が生じた場合、自治省といたしましては交付税等の特別の財源措置を講ずることはできないと申し上げております。ただ最終的にはやはり地方公共団体が自主的に御判断して決められるべき問題ではあるというふうに考えております。
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紀勢本線 末端区間(和歌山市~和歌山駅の電化)

2016-12-15 11:28:38 | 国鉄思いで夜話
本日も国鉄時代のお話ということで、紀勢本線のお話をさせていただこうと思います。
紀勢本線は、昭和53年に和歌山駅~新宮間が電化され、非電化区間として残ったのは新宮~多気 和歌山~和歌山市でした。
和歌山線も昭和55年に五条まで電化されたものの、五条~和歌山間は非電化で残され、和歌山機関区も、急行運用が残る「きのくに」並びに「和歌山線」・「紀勢本線支線区間」の受持ちとなりました。
この当時は、奈良から転出したキハ35が中心になっていたように思います。

ここで、和歌山線の電化方式と紀勢本線の電化区間では電化方式が異なりました。

2016-11-24の「和歌山線・桜井線が電化された頃のお話。後編 」でもお話させていただきましたが、和歌山線は直接吊架線方式が採用され、紀勢本線の和歌山~和歌山市間は一般的なシンプルカテナリー式架線が採用されていました。


和歌山線・桜井線が電化された頃のお話。後編

紀勢本線電化前は4連の普通列車が直接和歌山市まで乗り入れていましたが、紀勢本線が電化されて末端区間が非電化で残ってからは2連のキハ35・36が往復するだけとなりました。
しかし、一部区間だけが非電化で残るのは不経済であり、和歌山市~和歌山間並びに、和歌山~五条間も電化されることとなりました。

この時登場したのが103系改造の105系でした。
元は常磐線で使われていた103系1000番台を改造したものであり。
運転台がある場合は、貫通幌を取り付け、中間車の場合は運転台部分を新製して接合する方式が採用されました。

こちらも、419系や715系同様1全検(8年程度)使えれば良いという考え方で改造されたため、改造当初の運転台取り付け車の場合内装の変更などが行われなかったため、運転台直後の化粧板が淡いグリーンできれいなのですが、それ以外の場所がくすんだグリーンだったりして、その落差がいかにもいかにも・・・でした。
それ以外にもローカル線での運用ということで、冷房化も見送られ、JR化以降に簡易冷房でバス用冷房装置を取り付けたりしていますが、効きは悪いようですね。

そしてもう一つ、この末端区間ですが、113系の2連が走ったことがあります。
福知山線電化で投入される113系800番台の試運転を兼ねて一時期紀勢本線の和歌山~和歌山市間に運転されたと記憶しているのですが。

記録お持ちの方おられましたら是非ともお知らせくださいませ。

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第17話

2016-12-14 23:45:31 | 国鉄関連_国会審議
もうしわけありません、また2週間ほど開けてしまいました。
今回も、参議院の運輸委員会の議事録からのお話を書かせていただこうと思います。

社会党出身、広田幸一議員の質問として、「一般論として今日地方自治体の財政というものは非常に厳しいと思うんですよね。あなたがおっしゃるようなそういう将来性があるならば国鉄がやったらいいじゃないか。そういうことになるんじゃないでしょうか。」
ということで、地方自治体が主導ではなく、国鉄でもよいのではないかという質問をしているのですが、赤字になるであろう鉄道を押し付けてきたのも国であり、また「こうして地元が求めているんだから国鉄の手で完成させてあげれば良いのではないか」という意見を述べているのですが、本格的な少子化時代を迎え、何でもかんでも国鉄なりJRが維持していくというのは困難なのではないでしょうか。

当時の社会党の考え方というのが一般的な庶民感覚に近いものがあると思うのですが、下記にも出てきますように、「国鉄の――わかりますよ、赤字ということは。しかしながら、公共性があるわけですから、そういう面の構えはどういうふうになるのか。」

と質問されているように、「国鉄は公共性のあるものだから赤字があっても仕方がないのではないか。もしくは国鉄は公共性があるのだから、地元の為に負担するのは当たり前だ。」という意見を述べています。
実際に、それが当時の一般的な世論であったろうと思います。

しかし、現状では、国鉄に対して過度に依存してきたというところも否定できないと思います。
その顕著な例は、赤字83線で示されたように、ローカル線として存続させるよりもバス転換を図った時期がありましたが、当時の田中角栄が建設を渋る国鉄にしびれを切らせて、鉄建公団を設立、新線建設は新幹線など一部の直轄事業以外は鉄建公団が引き継ぐこととなり、地方ローカル線を建設して無償譲渡という方法で国鉄に押し付け、さらに湖西線などに代表される地方幹線等は有償で譲渡(30年年賦の分割払い)等により赤字だけをいたずらに広げたというきらいもあります。
歴史にIFは無いですが、こうしたローカル線の建設と同時に町の産業開発が進んでいたら、もう少しこの問題も分割民営化という流れを辿らず、また違った結果になっていたかもしれません。

さらに、広田幸一議員の質問は続くのですが、第3セクター鉄道を地方自治体が引き受けることは、財政の上ではかなり厳しいのではないかと質問しています。

ただ、個々のやり取りを見ていると微妙にずれている、国鉄は公共性のあるものであり地方に任せるべきではないのではないかと質問する、その反面国鉄には戦後は多くのライバルというべきものが誕生して国鉄がそうした負担まで出来なくなったから減量経営すべきであり、その辺は認めて欲しいという・・・
敢えて、ここで聞きたいのは総合交通体系も地方の均衡ある発展ということも意識せずに先延ばししてきたのではないのかと思ってしまうのですが、皆さんはどう感じられますか?

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*****************以下は、参議院運輸委員会の議事録になります。*********************************


○広田幸一君 局長のお話を聞いておりますと、まことにいい話で、あの辺の開発、特に観光開発とか、そういうものを並べていきますと一つのいい絵がかけるんですけれども、私も現地知りませんから、ここで現地を知らないでいいとか悪いとかということは言えませんけれども、一般論として今日地方自治体の財政というものは非常に厳しいと思うんですよね。あなたがおっしゃるようなそういう将来性があるならば国鉄がやったらいいじゃないか。そういうことになるんじゃないでしょうか。私はそういうところに、とにかく国鉄はもうやらないと、一つのおどしですよ、悪く言えば。そして地元としてはここまで来たんだから何とかこの国鉄を完成をさして、地域住民の皆さんの便宜を図りたいという一心だろうと思うんですね。
 ですから、そういうところに、安易な第三セクターに頼ろうとする、依存しようとするところに私は国鉄の――わかりますよ、赤字ということは。しかしながら、公共性があるわけですから、そういう面の構えはどういうふうになるのか。
 私ちょっと大臣にお尋ねしたいんですが、こういう問題については、これからあなたも本当に取り組んでいかなきゃならない非常に大きな責任があるわけですけれども、閣僚の一人として考えましても、今日の地方自治体の財政というものは非常に厳しいと思うんですね。そういうところにいまお話を申し上げたようなことで、県、市町村、結局は住民の負担になるようなことを押しつけていいのかどうなのか、私は押しつける、結果的にはそうなると思うんですよ。その点についてどうお考えになりますか。
 この間鈴木総理大臣の所信表明があり、代表質問に対する答弁、それから予算委員会における答弁等私たち聞いておりまして、とにかく政治の恩恵を平等に潤うようにするということを終始お話しになっておるわけですから、やっぱりそういう格差ができるような状態を、しかも国鉄がやるということについては私は問題があると思うんですが、大臣、私の言っておることはどのように受けとめられますか。

○国務大臣(塩川正十郎君) 御質問の内容は私も非常に同調いたすものでございます。
 思うにこの国鉄は明治の初期、そして鉄道省という役所で運営してまいりました。そのときには鉄道の延長施設というものが、いわば国策の点と、それから一つは住民の福祉を重点に置かれてきた。その当時は国鉄はいわば輸送機関におきましては独占的な形態でやってまいりましたし、でございますから、その当時の運賃というものは、当時の物価と比較いたしましたならば相当高額なものをとっておったことは事実でございまして、これは先生お調べになったらおわかりいただけると思う。
 ところが戦後になりまして、国鉄は道路の発達なりあるいは空港の整備というもの等が相進んでまいりまして、国鉄全体を見ましたならば、実は大変なライバルがあったということでございまして、そのライバルが今日に来たら大きくなってしまって、国鉄はそれがためにその競争にやっぱり公共性という名のもとにおいて競争ができなかった。で、現在国鉄の状況を見ましたら、人事管理にいたしましても、鉄道の敷設にいたしましても、なかなか鉄道、国鉄自身の考えだけでは決定できないようになってきておると思います。そのように公共性ということが、いわゆる競争力を制限してきたということもこれまた事実であったと思うんです。そうすると、国鉄全体としてはいまや大変な窮状に陥ってきている。
 ところで、いままでは確かに国鉄が地域の交通機関でもありました。しかしながら、今日においては、地域の交通というものが非常に多様化してきております。そうでございますから、その住民の方々がどんな交通に頼るかということは、それはやっぱり住民の意思というものが相当働いてくるであろう。そこで、私は、今日まで地方自治体は、交通に関しましては、地域の交通でございますが、いわば第三者的な立場で陳情なり意見を言うというようなことが中心でございましたけれども、これからの地域の交通というものを考える場合に、地方自治体、つまり住民の方々、この方がどういうふうに地方の交通をあるべきかということを考えるべきときだと私は思っておるんです。それなくしてやっぱり地域の交通の整合性もとれていけないし、またそれの有効な利用ということもできないと思っております。
 ところで、この国鉄の再建法案を提出さしていただきましたこのときに当たりまして、国鉄が今日まで、現在もそうでございます、将来においてもそうですけれども、いわば公共機関としてやってきたけれども、これだけ大きい負債を背負うことになって、企業としての実体をなさなくなってきた場合に、その場合には少しは減量さしていただいて国鉄の体質を一回変えさしてもらいたい。そして鉄道本来の使命に邁進さしてもらいたい。そのためには地域の交通に今日まで寄与してまいりましたこの線を、どのように地域で利用していただくかということをもう一回考えてもらえぬだろうか。といって輸送の責任は、あるいは交通の責任は逃れるものではございません。しかし、これはやっぱり地方自治体なり政府の責任であって、あくまでも国鉄の責任において地域の交通を維持していけということは、これは現在の国鉄の力ではなかなかできないんではないか。
 そこで、先ほどお尋ねございました野岩線のこういう問題がこれから各地に起こってくると思うんです。これらは必ず地域の協議を経て、そしてどうあるべきかということを決めていくものだと思うんです。その意味におきましても、私はいま、まあいわば地域ですね、地域の陸上公共機関のこの整備というものを一つの大きい概念としてひとつ成立さしていくべきではないか。そのためにはいろんな資金の問題も起こってくるでしょう。先ほど江島さんの質問の中にもありましたが……

○広田幸一君 大臣、時間があれですから、大体要点でいいです。

○国務大臣(塩川正十郎君) 財源の問題も私は当然、そして各役所の整合性ということも当然やっていかなきゃならぬ。そういう意味において地域を中心とした陸上公共機関の整備の、そういう考え方をここに植えつけていくべきだと、それによって前進していくべきだと、こう思います。
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阪和線と新快速、紀勢本線電化の頃に

2016-12-05 19:40:07 | 国鉄思いで夜話
阪和線の新快速は、昭和47年の新幹線岡山開業で誕生しました。
元々、東海道・山陽線で使っていた113系を転出させた形で実現しました。

113系は冷房装置付きだったので、大鉄局はかなり難色を示したそうですが結果的に、天鉄局に転出させることになりました。

新快速カラーとして、大鉄局の153系に準じた塗り分けで、灰色9号と呼ばれた明るい灰色と、青22号(JR西になってから阪和線で使用された青帯は青22号特と呼ばれ少しくすんだ色となりました。一度だけ工場出場時に青22号で出場し、色が間違っていると当時のBBSなどで出ていましたが、国鉄時代の塗装で出場しただけなんですけどね。苦笑

阪和線にしてみれば、70系が阪和色で入ったとき以来の阪和線オリジナル色で、長く阪和線・紀勢本線の顔となりました。

なお、昭和47年に誕生した新快速ですが、鳳だけの利用では乗車率は悪く、すでに書いた通り昭和52年には熊取・和泉砂川にも停車するようになり45分運転から49分運転に後退しました。
それでも、阪和間を50分前後で走っていたわけで、南海電車が60分近くかかっていたのと比べ「速い阪和線」と「快適な南海電車(当時は冷房化は南海の方が進んでいた)」と言われたものでした。
さて、そんな阪和線の新快速ですが昭和53年には紀勢本線が新宮まで電化されることとなりました。
紀勢本線の新宮まで電化することとなりました。
ただ、普通列車の運転区間は紀伊田辺で分離され、和歌山~紀伊田辺間と紀伊田辺~新宮間で運転区間が区切られることとなりました。

昭和53年10月時刻表から

原則として従前の新快速は、快速電車として格下げされたものの、紀伊田辺行き直通電車となり、6連がそのまま紀伊田辺まで運転されることとなりました。
当時は1時間に1本だけでしたが、それまでの気動車のダイヤと比べると大幅に改善されたと感じたものです。

試運転で紀伊田辺まで入線した113系

なお、この時には珍しく天鉄局に113系2000番台が新製配置され冷房付きかつ、シートピッチが広がった1400mm→1470mmになった車両が投入されています。
381系とともに国鉄本社からのちょっとしたプレゼントでした。

試運転で紀伊田辺まで入線した381系

なお、この改正では、特急列車も「くろしお」が電車化され、名古屋直通であった「くろしお」は新宮で系統分割の上紀伊勝浦~名古屋間の「南紀」として運転を開始しました。
現在のJR東海の南紀号はこの時期に誕生しました。

また、この「南紀号」設定に伴い、紀勢本線夜行普通列車の名前は「南紀」→「はやたま」に変更されました。


「はやたま」・・・熊野速玉大社にちなんだ名前で、紀南らしい名前と言えましょう。

ただ、急行列車は全列車気動車で残され、全区間架線の下を延々と気動車が走ると言うなんとも珍妙な状況となりました。

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第16話

2016-12-05 17:30:42 | 国鉄関連_国会審議
みなさまこんにちは、本日も堅い内容で恐縮ですが綴らせていただこうと思います。
国鉄改革の一環として、古くて新しい問題であった国鉄ローカル線に関する問題は、国鉄からの切り離しと言う方向で話が進むこととなりました。
ここで、問題となったのは、国鉄から切り離された地方鉄道をどうするかと言う問題でした。
そこで、一つの考え方として出てきたのが第3セクターとしての鉄道による存続でした。

画像 wikipedia
三陸鉄道がその先鞭を切ったわけですが、三陸地域を結ぶ路線は、三陸縦貫鉄道構想として計画され、昭和5年(1930年)久慈駅 - 八戸駅(現本八戸駅)間(八戸線)が開通下のを皮切りに、昭和10年(1935年)気仙沼駅 - 盛駅間(大船渡線)昭和4年(1939年)釜石駅 - 宮古駅間(山田線)が開通、その後も戦争による中断はあったにせよ昭和50年(1975年)普代駅 - 久慈駅間(久慈線)に開通するまで、順次開業を繰り返し、残すは、吉浜駅 - 釜石駅間15.2kmと田老駅 - 普代駅間32.2kmとなったとき、国鉄改革の煽りで新規の建設はストップ。双方の線路は路盤がほぼ完成、線路の敷設もほぼ終わり、後は開業を待つだけの状態となっていました。更に盛線、宮古線、久慈線も一次ローカル線としての指定を受け廃線の危機になりました。


画像 wikipedia

今回質問に出ているのは、野岩線と呼ばれる、第3セクター鉄道で元々「日光線今市駅と会津線会津滝ノ原駅」を結ぶ路線として計画されていたものの、上記三陸鉄道同様、新規路線の建設が止まった路線であり、工事が進んでいた藤原 - 会津滝ノ原間について東武鬼怒川線の新藤原と接続する形で誕生させた鉄道であり、元々国鉄線として建設されていながら私鉄と直接乗り入れする形となった稀有な例ですが、その辺について、広田幸一議員から下記のように建設が中止された鉄道を第3セクターとして引き継ぐのは問題ではないのかという質問をしています。
「運輸省としては、今度の法案にも出ておるわけですが、結局第三セクターで引き受けてくれるところがある、そういう線はこれから国鉄はさらに工事を継続をして完了しますと、こういうことになっておるわけですね。問題は、第三セクターが受けるということについていささかわれわれは問題があると思っておるわけです。」

その内容としては、鉄道を残したいから安易に、引き受けます・・・と言っているのではないのか。
そうしたことに対しての一定の縛りはあるのか…と言う質問をされています。
実はこの辺の議論が本当は大事だったのですが、転換交付金の問題もあって安易に鉄道を選択して結果的には鉄道を維持できなかったと第3セクター鉄道もとして「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」のように)ここは特殊性が有ったので一概に言い切れないのですが。)のように結局廃止になってしまう場合もある、現状でも国鉄から転換した第3セクター鉄道は赤字経営が続き、若桜鉄道のように第3セクターでかつ上下分離することで運行経費を圧縮するなどして維持していくための方策を模索している鉄道もあるわけです。

今回の審議では、野岩線を地元が引き受けて野岩鉄道として引き受ける際の確認書なるものを県が運輸省(現在の国土交通省)に提出したと言う話が出ているが、その判定基準を聞きたいと言う質問をしています。

「福島県と栃木県の間を走るであろう野岩線について、両県が引き受けます、そういうふうなことを決めて確認書を運輸省に出して、運輸省としてはその内容を現在検討しておると、こういうことでありますが、第三セクター言いましても、私は現実にはやっぱり県とか市町村、そういう自治体が核になると思うんですね。そういうところは引き受けましても、特にこういうところはやっぱり山間部の過疎地域が多いと思うんですがね。そういうものを抱えてうまくやっていけるだろうかと、これから五年、六年やっていけなかった場合はまた国鉄に、政府に返すと、そういうふうな安易な考え方に、やっぱり引いてもらいたいわけですからそういうふうな気持ちになる場合もある。ですから、ここ四、五年やっておいて、後のことは何とかなるだろうという安易な気持ちがありゃせぬだろうかと、こういうふうに思うわけでありますが、そういう場合の確認書を出しておって、じゃこれはいいとか悪いとかいう判定を下す基準というものはあるのかないのか、その内容を少し詳しくお聞かせいただきたいと思います。」

それに対して、山地鉄道監督局長の回答しては、第3セクター鉄道は国鉄と異なり縛りが少ないので、 「路線によっていろんな特性があると思いますけれども、観光事業と一緒にやったらどうだとか、それから人員の点でもいろんな事業と兼業みたいな形で何とかできないだろうか。」と言うように、」という回答をしており、積極的な兼業などで稼ぐことを示唆していると言えます。

「政府委員(山地進君) いまの野岩線の確認書というのが、先生の御承知のとおり初めて出てきたわけでございます。私どもの第三セクターという考え方は、従来の国鉄だけではできないというからそれをギブアップするという意味だけではございませんで、一つは鉄道経営を、国鉄がなぜ赤字になるかということについては、もう少し諸事業とあわせてトータルな事業としてつかまえてやったらどうだろうかという積極的な考え方もあるわけです。」

野岩線は、開業から30年を経て現在も運営されていますが、赤字であることには変わりありません。
ということで、下記のような計画通りにはいかなかったと言うことになります。
ただ、ここでも指摘されていますが、地元の協力があってこそ、維持されていると言えるでしょう。
地方鉄道の存続は30年の時を経て更に、大きな問題となってきていると言えましょう。

> 企業でございますから永続性のないようなことで建設をするということになりまするといけませんので、これを厳正に見なきゃいけないと思っておりますが、計画の概要としては非常に実現性の高い、かつ地元が相当協力するという形で出てきているというのが私どもの感じでございました。

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********************以下は、国会議事録の本文となります。*****************************

○広田幸一君 そこで、運輸省としては、今度の法案にも出ておるわけですが、結局第三セクターで引き受けてくれるところがある、そういう線はこれから国鉄はさらに工事を継続をして完了しますと、こういうことになっておるわけですね。問題は、第三セクターが受けるということについていささかわれわれは問題があると思っておるわけです。
 この間新聞にも出ておりましたけれども、福島県と栃木県の間を走るであろう野岩線について、両県が引き受けます、そういうふうなことを決めて確認書を運輸省に出して、運輸省としてはその内容を現在検討しておると、こういうことでありますが、第三セクター言いましても、私は現実にはやっぱり県とか市町村、そういう自治体が核になると思うんですね。そういうところは引き受けましても、特にこういうところはやっぱり山間部の過疎地域が多いと思うんですがね。そういうものを抱えてうまくやっていけるだろうかと、これから五年、六年やっていけなかった場合はまた国鉄に、政府に返すと、そういうふうな安易な考え方に、やっぱり引いてもらいたいわけですからそういうふうな気持ちになる場合もある。ですから、ここ四、五年やっておいて、後のことは何とかなるだろうという安易な気持ちがありゃせぬだろうかと、こういうふうに思うわけでありますが、そういう場合の確認書を出しておって、じゃこれはいいとか悪いとかいう判定を下す基準というものはあるのかないのか、その内容を少し詳しくお聞かせいただきたいと思います。

○政府委員(山地進君) いまの野岩線の確認書というのが、先生の御承知のとおり初めて出てきたわけでございます。私どもの第三セクターという考え方は、従来の国鉄だけではできないというからそれをギブアップするという意味だけではございませんで、一つは鉄道経営を、国鉄がなぜ赤字になるかということについては、もう少し諸事業とあわせてトータルな事業としてつかまえてやったらどうだろうかという積極的な考え方もあるわけです。
 たとえば路線によっていろんな特性があると思いますけれども、観光事業と一緒にやったらどうだとか、それから人員の点でもいろんな事業と兼業みたいな形で何とかできないだろうか。たとえばよく駅の切符を、もういま無人化しているからそういう人はいないわけですけれども、無人化になったら切符を全然買ってくれないじゃないか。そういう場合、そこのたばこ屋のおばさんあたりが売ってくれてれば買える場合もあるかもしれません。そういった意味で非常に地元の協力と、それからそういった全体的な事業の一環として何とかできないだろうかということを期待して第三セクターという考え方を持っているわけでございます。
 ところで、野岩線についていま出ておりますのは、千二百五十人ぐらいの輸送密度でございます。ですから、ほかの路線から比べて非常にすぐれているとかいうようなところではないわけでございます。川治温泉という温泉がある、あるいは日光のそばである。東武線からつながるというのはこれは非常に特殊事情だと私も思うわけでございますがこの野岩線の第三セクターは東武、それから福島の方のバス会社、地元の市町村、金融機関というようなものが出資者になりまして、約三億でございますけれども、それから三十六人ぐらいの職員というようなことで、非常にコンパクトな経営をすると。それから気動車というんでございますが、列車等は中古品を買うとか、そういったいろんな意味の省力化とか合理化といいますか、そういうものを節約を非常にうまくやりまして経営をするということで、資金計画、それから経営の計画というものが出てきておるわけでございます。それで七、八年たてば赤字が解消する、その累積赤字も含めまして解消するという現在の計画になっております。
 それが本当にそうなるのかどうかということについては、先生の御指摘のとおり安易な計画であるかどうかということについては、私どもとしては厳正に見なけりゃいけない。企業でございますから永続性のないようなことで建設をするということになりまするといけませんので、これを厳正に見なきゃいけないと思っておりますが、計画の概要としては非常に実現性の高い、かつ地元が相当協力するという形で出てきているというのが私どもの感じでございました。
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新快速が阪和線を走った頃

2016-12-02 23:01:49 | 国鉄思いで夜話
新快速と言えばJR西日本のアーバンネットワークの代表列車として、敦賀から播州赤穂まで運転される快速電車ですが、阪和線にも新快速が走っていた時期がありました。
昭和47年10月の改正から運転が開始され、昭和53年10月の紀勢本線電化により廃止になった快速電車で、当時は天王寺~和歌山間を46分で運転されていました。

昭和47年公社時刻表から

戦前の阪和線では45分運転を行っていましたのでそれより1分遅くなっていますが、戦前は天王寺~和歌山間をノンストップで走っていたことを考えるとほぼ同じ時間での運転と言えます。
運転開始当初の113系は、6両編成、当時の大鉄局の153系に準じたグレーの地に水色の帯を巻く新快速塗装登場しました。

画像 wikipedia

天鉄局に配置された113系は元々万博輸送などで首都圏から転用された冷房付きのいわば大鉄局の「虎の子」だったそうですが、半ば無理やり取り上げられて天鉄局の鳳電車区(当時は日根野はまだできていない)に配置されたわけで、非冷房車ばかりだった阪和線にしてみれば新快速運用が始まったことは大変喜ばしいことでした。

特に梅雨時などの季節には蒸し暑さから解放されるだけに大好評を持って迎え入れられました。
新快速としての運用は、朝9:20~15:20までの毎時20分後の出発で、これは天王寺駅も和歌山も同じでした。
46分+14分(折り返し時間)で折り返すようになっていました。

さて、この新快速電車は天王寺を出発すると鳳駅までノンストップ、約15分で到達、鳳を出発すると次は和歌山まで停車しないため、鳳駅で乗車が無ければそのまま和歌山まで変わらないわけで、空気を運んでいると揶揄されるほど乗車率は良くありませんでした。

更に、当時は国鉄労使問題もあって運転席はもちろん、後部運転台の車掌も遮光幕を下ろしているので、隣は何をする人ぞ・・・よろしく全く見えなくなっていました。

さらに、線路の保守があまり良くなかったのか、酷く揺れる。
線路を眺めていると所々白くなっているところがあったりします。
路盤が白くなっているところは、線路が脆弱で道床から泥が噴き出しているのだと言った内容を本で読んだことがありましたので、きっとそうなんだろうなぁと思いつつ乗っていましたが、本当に良く揺れる。
揺れるだけならいいのですが時に脱線するのではないかと思わせるくらい揺れるものですから、乗っていて怖いと感じたことが何回もありました。
それでも、私自身が国鉄びいきだったので、利便性では南海の方が有利であったにも関わらず阪和線の113系を利用して大阪まで行くときには利用していました。
根っからの国鉄びいきでしたから。(^^♪

そんな新快速ですが、当然のことながら鳳のみ停車では空気輸送になってしまうので昭和52年の改正では、熊取・和泉砂川駅に停車するように改められました。
更に、翌年の昭和53年の紀勢本線電化開業で、阪和線快速の紀伊田辺まで直通運転と引き換えに新快速は廃止されてしまいました。

さらに、当初は立派なヘッドマークを付けていましたが、大きなヘッドマークは邪魔と言う意見が有ったのか否かは知りませんが。
途中から、下記のような、小さな丸いヘッドマークになってしまいました。

また、昭和48年の関西線電化以降は春日塗の113系も新快速運用に入る場合があり、この場合は新快速と言えども非冷房であり、見る分には楽しいのですが、乗る分には辛い新快速でした。


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111系が和歌山線を走った頃

2016-11-30 23:54:23 | 国鉄思いで夜話


111系と言う電車をご存じであろうか。
熱心な国鉄ファンでしたら、ご存じの方もあるかと思いますが、国鉄均衡型新性能電車の第1弾として誕生した形式で、東海道本線で活躍していましたが、電動車に関しては、1962年(昭和37年)から、モーター出力を向上した113系に移行したため、製造量数はその後の113系と比べると少数派でした。
静岡に最後まで残っていた111系のうち国鉄時代に四国に渡った、モハ111/110-13・24・36の3ユニットですが、実は四国の電化が完成するまでの間一時的に天鉄局に配置され和歌山線などで活躍していました。
どういった経緯で天鉄で走っていたのかわかりませんが、春日塗の制御車に挟まれた湘南色が異彩を放っていました。
当時の113系は当然のことながら冷房は無く夏でしたので、窓全開で走っていました。

画像 wikipedia

当時、私は王寺(河合町)に有った郵政研修所にて研修中で、休みの日に和歌山に帰る際に関西線・阪和線を使わず、モハ111に乗りたいがために和歌山線経由で帰ったことも。笑

その後、四国の電化完成で111系の上記3ユニットは手を携えて四国に渡っていきました。
あまり記録としては出てきませんが、そんな時代もあったということを覚えておいていただければ幸いです。


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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第15話

2016-11-30 12:22:11 | 国鉄関連_国会審議
今回も、鳥取選挙区選出、広田幸一参議院議員の質問になります。
自分の私見を交えながら、簡単な解説を添えさせていただきました。

画像 wikipedia (留萌線)
現在、JR北海道の路線維持が困難と言うことで廃止を含めた議論がなされ、またJR西日本でも三江線の廃止問題が出ています。
いずれも有効な策を出せないままですが、この問題は結局40年前からの問題を先送りにしてきたつけともいえるかと思います。

下記の通り、「ダイヤの中で、利用しようと思ってもなかなか利用できないというそういう意見が非常に強いわけです。」

これは、現在のローカル線廃止問題でも良く聞く話ですが、利用しづらいから…云々は後から付けた理由にしかならないと考えます。
10人が居れば10人、その時間の使い方は異なります。
通学輸送などであれば、開始と終業の時刻が決まっていますから、その時刻に合わせてダイヤを組めばいい。その反面一般の人にしてみれば、自分が都合の良い時間と言うのは千差万別で、10時が丁度よい時間帯の人もいれば11時台が・・・となってくるわけで。それなら車という便利なものがあれば、自分で運転するなどしてしまう。
そうした、鉄道を利用しない人が「利用しようと思ってもなかなか利用できない」と言う言い訳をしているように聞こえてしまうと言うのは言いすぎでしょうか。廃止問題で揉める三江線

更に下記のような質問をされていますが、当時の国鉄では、値上げと客離れの悪循環に陥っており、少しでも収入を上げるために「急行」→「特急」への格上げなどが行われ、急行並みの速度の特急が多数誕生しました。(設備が良くなった分だけサービス向上ですと言う名目で)それと並行して列車本数の削減による経費の削減が同時並行的に行われたことも事実であり、住民の意見等を斟酌したとは言えないであろうと思われます。

「国鉄としてもいろいろ集約をしておられると思うのですが、私はそういうことを考えますがゆえに、今度のダイヤ改正について、そういう住民の皆さんの意見というものがどの程度反映されたであろうかと、こういうふうに思ってこの問題を質問したわけです」

さて、最後の質問事項で下記の通り、

「私は新線建設の現状と今後の方針ですね、これをお聞きしたいと思うんですが、まず最初にいわゆるAB線――地方開発線と地方幹線、このAB線の工事の現状がどうなっておるかということを大まかにひとつ御報告願いたいと思います。」

ローカル線建設の現状について質問されています。
ここでいう、AB線――地方開発線と地方幹線について聞かれているのですが、こうした路線は実は国鉄は建設しない代わりに無償譲渡後運営する義務がありました。
今回話題に上っている、三江線なども浜原~口羽間は公団が建設したA線(地方開発線)であり開業当初から、大幅な赤字になることが約束?されていたような路線であり、国鉄の財政問題と公共性の狭間でどうあるべきかと言う議論が十分なされないまま建設が進められていったわけで、この後国鉄改革が本格化する中で、ローカル線の建設自体は一時中止となり、智頭急行のように凍結後再開されて陰陽連絡の幹線に成長した路線もあれば、その反面、根北線などのようにそのまま打ち捨てられてしまう未成線が多数出現することとなりました。

画像Wikipedia 根北線の未成線区間

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*************************以下は国会審議での議事録になります。*********************

○広田幸一君 いま総裁もお認めになりましたように、確かに問題のところもあるということでございまして、まあ始めてからまだ二十日間ぐらいしかたっておりませんから、その結果について、国鉄の方としてもいろいろと経過を集約をされて改善をすべきところは改善をされると、こういうふうに思っておるわけですけれども、いま国鉄再建法案が問題になっておりまして、私もこの四月ごろからその対象線の幾つかを見てまいりました。そこで共通的に出ました住民の皆さんの率直な意見は、われわれもこの赤字路線を何とかして協力をして解消しなきゃならない、そういう切なる住民の皆さんの気持ちがありますね。
 ただ、ダイヤの中で、利用しようと思ってもなかなか利用できないというそういう意見が非常に強いわけです。それで今度は、ひがみではありませんけれども、結局伸ばすところには国鉄は力を入れるけれども、もうだめだというところは初めから意図的にそういうダイヤ改正についての取り組みはやってないじゃないかというような意見もあるわけでして、こういう点についてはそれが本当に妥当か妥当でないかということは国鉄としてもいろいろ集約をしておられると思うのですが、私はそういうことを考えますがゆえに、今度のダイヤ改正について、そういう住民の皆さんの意見というものがどの程度反映されたであろうかと、こういうふうに思ってこの問題を質問したわけですが、いずれまた委員会で国鉄再建法案等の問題をめぐって論議があると思いますから、そのときにまた具体的な例を挙げて論及したいと思いますので、きょうはほかに一つ特に聞きたいことがありますので、この問題はこの辺で終わります。
 そこで、私は新線建設の現状と今後の方針ですね、これをお聞きしたいと思うんですが、まず最初にいわゆるAB線――地方開発線と地方幹線、このAB線の工事の現状がどうなっておるかということを大まかにひとつ御報告願いたいと思います。
 時間がありませんから要点だけよろしくお願いします。

○政府委員(山地進君) 大体いま工事中の路線というのが四十線近くございます。それにつきまして今後どういうふうに進めていくかということにつきましては、今回の国鉄再建法案で、在来線をバス等に転換するということも整合性をあわせて、ことしの予算では百五十億の予算を計上して、これについては国鉄再建法案と矛盾しない形で運用したいと、かように考えております。昨年度は四百億の予算でございました。
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和歌山線・桜井線が電化された頃のお話。後編

2016-11-24 10:18:51 | 国鉄思いで夜話
久々に更新させていただきます。
和歌山線の電化ですが、五条までの電化が完成した以降は、国鉄の財政も急速に悪化していきましたが、運用の効率化と言う思惑もあったと思うのですが、和歌山線も全線電化されることとなりました。
なお、この時期に紀勢本線の孤島となっていた、和歌山~和歌山市間も電化されています。

これにより、今まで気動車の保守区として残っていた和歌山機関区には「急行きのくに」等の為に残っていた、キハ58などが姿を消して、代わりに103系1000番台改造の105系が屯するようになり、気動車に書かれていた、「天ワカ」の電報略号も思い出になってしまいました。
さて、そんな余談はともかくとして昭和59年には和歌山線の五条~和歌山間と和歌山~和歌山市間が電化されることとなりました。

ただ、この電化で特徴的であったのは、電化家の経費を少しでも抑えるためでしょうか、直接吊架式(直吊架線方式)と呼ばれる、路面電車と同じ電化方式が採用されました。
最高速度が低く(85km/h最大、平均40㎞/h程度なので問題は無いと判断されたのかもしれません、ほぼ同じ時期に施工された弥彦線・越後線でも採用されています。

直接吊架式の様子が理解していただけると思います。


他にも、境線の米子~後藤寺間も昭和57年に電化されていますが、これは工場への入出場列車の回送のためですので営業運転区間で導入されたのは、この3線のみとなりそうです。
JR化後西日本でも木津~加茂間などが電化されていますが、こちらは従来のカテナリー式架線が採用されています。


紀和駅を出発する105系

直接町架線方式の場合、架線の振幅がそのまま波及しやすいため、高速運転には向かないのですが、国鉄末期に381系を使って和歌山~粉河間で速度向上試験が行われています。
95km/hまでの速度試験を行なわれたと記憶しています。

和歌山線に381系試験列車 1/21~23

日根野区の381系6連が和歌山線、和歌山~粉河間に入線、同線五条~和歌山間の将来的スピードアップを検討するため

引用元 http://jnrera3.webcrow.jp/nenpyou/shouwa_JNR/s_62.html

この後特段の速度向上の話はないのですが・・・その後はどうなったのでしょうか?

それは余談ですが、今回の和歌山線電化では113系ではなく105系が導入されました。
それも、新車ではなく常磐線で使用されていた103系1000番台を改造の上投入されました。

MM'のユニットではなく1M方式に変更されるなどかなりの大工事であったかと思いますが、同じように改造された105系の一部は可部線の旧形電車置換えに充当されました。

そう考えると今も活躍する105系ですが、30年以上走っているのかと思うとちょっと不思議な感じがします。

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