国鉄があった時代blog版

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

和歌山線に急行が走った頃

2016-07-30 10:39:07 | 国鉄思いで夜話

今でこそローカル列車しか走らない和歌山線ですがその昔、急行列車や東京行きの列車が走っていたのを覚えているでしょうか?

和歌山線は、和歌山~王寺を結ぶ路線ですが、現在の新在家~和歌山駅間の路線は昭和36年に敷設された貨物支線で、メインはあくまでも紀伊中ノ島経由となっていました。

今では、線路跡地には家が建ち当時の面影を残すのは紀伊中ノ島駅ホーム程度です。

そして、この短絡線を使ってかつては、白浜から東京方面に向かう列車が運転されていました。

その列車が、準急「南紀観光」号でした。
これは以前にも書きましたが、レディメードの団体旅行で、東京を出発後伊勢神宮・二見浦を経由して白浜で宿泊、翌日は和歌山線・奈良線経由で京都に、京都で乗客は宿泊、列車はそのまま前日京都観光した旅行客を乗せて一足先に東京に帰着すると言うパターンで、旧形客車の台枠のみを活用して改造されたオハネ17が主力車両として使われたようです。

なお、団体専用列車用の専用車は、車体裾部にクリーム色の帯を入れていたので直ぐ見分けがついたと言われています。

当時の写真を見ると、寝台車の裾部にクリーム色のラインを引いた寝台列車の編成を見る事が出来ます。

準急「はやたま」のヘッドマーク
さらには、昭和37年には新宮発和歌山経由名古屋行き準急「はまゆう」や、白浜口(現・白浜)発京都・名古屋行き「はやたま」が運転を開始したと記録されています。(当時の準急列車は管理局長権限で設置できた。)

準急「はまゆう」の試運転

他にも、急行大和に連結される普通列車が走っていました。
急行列車にするほどの需要が無いと言うか、集客することが目的で各駅に停車しながら乗客を拾っていく形で運転されており、17:52に和歌山市を出発、紀伊中ノ島駅を経由して王寺に20:59、3時間7分かけて王寺まで到着・・・今でしたら4時間もあれば和歌山から東京に到着してしまいますのでそう考えると何とものんびりした時代だったと思います。

昭和36年の時刻表から抜粋

こちらは、和歌山(紀和)駅の案内板などでは赤字で「東京」と書かれた時刻が印象的でした。

昭和42年の時刻表を参考に書いてみました。

この列車も実は昭和43年の改正で廃止されていますので、私の記憶にあるのは、昭和42年(1967)年ですので半世紀前の記憶と言うことになりそうです。(^^♪

東京行きの直通列車は廃止されましたが、準急「はまゆう」と「はやたま」は昭和42年に急行に格上げ、その後愛称統合で「しらはま」に統一されたのちも和歌山線を経由する優等列車として活躍していました。

昭和42年の時刻表から抜粋

昭和53年の紀勢本線電化後は、「急行きのくに」の格上げなどにより「急行しらはま」は昭和55年10月の改正で、和歌山~京都間のローカル急行に格下げされてしまいましたが、一番の観光地である白浜と繋がっていないことから、昭和59年には利用者数減少と言うことで廃止されてしまいました。

それ以降は、和歌山線には優等列車が走っていませんが、和歌山線の活性化と言う意味合いからも今一度優等列車が走って欲しいなぁと思う今日この頃です。笑

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第三話

2016-07-29 23:42:15 | 国鉄関連_国会審議
画像 Wikipediから引用

すみません、3週間以上も空けてしまいました。
内容が内容だけに、読んでいて面白くないだろうなぁと思いつつも、こうしたこともきちんとやはり検証していくことも大切かと思っています。
この審議録は昭和55年ですから実は30年以上前に議論された話なのですが、こうした議論が今も同じことを繰り返しているのはどうしたことかと怒りを感じるとともに、現在の技術をもってすれば解決できる課題もあるもしくは、ヒントがあるのかな、なんて思っています。

昭和55年当時でも、「交通機関のエネルギー消費量は国内の輸送機関につきましては全体のエネルギー消費の一四%、ただし石油だけで見ると二六%というような比較的大きなシェアになってまいります。」と言うように、言われていますが、現状でもさほどこのシェアは変わっていないような気がします。」
さらに、現状では原子力発電が停止していることによる石油消費の増大もあり、本格的にトラック輸送等で消費されるエネルギー消費をいかに抑えるか、総合交通体系というものを道路も含めて如何に考えていくかと言う曲がり角に来ているわけです。

そこで、「交通機関のエネルギー使用量というのをいかにして減らすか。それは先生先ほどからお話ございますような、鉄道のようなきわめてエネルギー効率のよろしいところに転換をしていくということが第一番目の要件かと思います。」
というお話になっていく訳です。
そのためには、「できるだけ公共交通機関の整備、またそれを利用していただきやすいようなサービスの向上というようなものを第一義的な政策として今後とも強化していかなきゃならぬ。」
と言われているわけで、その辺は全くその通りだと言えるのですが、現状はどうでしょうか?
道路は道路で整備、鉄道はといえば鉄道で整備するけれど並行在来線は切り離しと言うことで問題が大きくなっていると言う現状があります。
この辺は、むしろ当時よりもさらに後退していると言えましょう。

また、この指摘も注目に値すると思うのですが。
総合交通体系と言いながら、実際には、船・飛行機・鉄道 と 道路(車)ということで自動車を含めた総合交通体系を目指すべきなのに、それがなされていないと言う指摘がされています。

> 総合交通政策を検討していただいておると言いますけれども、私が一番、これは全般的に言えることでございますが、この運輸委員会でもいろいろ議論されておりますけれども、交通と運輸、総合交通といいましても、ここで議論されるのは鉄道、航空あるいは海上というふうなことの議論でありまして、道路が抜けておる。道路の方は建設委員会の方でいろいろまた議論がある。いろいろ会合に出ていましても、総合交通といっても、いまじゃ一番大きいウエートを占めておる道路がいつも外にあって、そして予算その他においても道路は道路財源の確保でもう大変だ。これは絶対に不可欠のものだと言って、いろいろなところで気勢を上げておられるということでありますから、総合交通体系で道路を外した総合交通の検討ということは意味がない、のじゃないかという感じがいたしますけれども、現実的にはいろいろな会合に出席しても、わりあいに道路は道路ということで独立をしておるということであります。

結局当時もそうですが、高速道路の建設が利権となってしまってその取り分に必死になっている、それがために本来総合的に議論すべき総合交通体系(自動車輸送を含めた)と言う議論が全くできていないことを指摘しています。

さらに、質問では、「トラックの輸送がふくそうしておる。それで、もういまの東名道路がパンクするから、第二東名が必要なのだということであります。
 ところが、一方を見ますと、東海道線の方は、貨物はまだまだ余裕があるじゃないかと思うわけです。一方ががらがら、そしてしかもその投資がしてあるということならば、同じ投資をするなら、その第二東名のものの分を東海道の貨物の辺にも注ぎ込んで、そしてお客も便利なように、乗りやすい、あるいは確実に荷物が低コストで運べるように投資するということが本当の総合交通体系じゃないかと思うのでありますが、どうも私が見ておりますと、建設省関係の道路関係の方がどんどん先に進んでいるような関係がある。」

この辺の指摘は非常に注目すべきことだと思うのですが、実際現在第二東名が建設されており、160km/h走行可能な道路として建設されている。
また、鉄道に対しては嫌がらせかと思うほど地方都市などでも高速道路が鉄道に沿うように延伸されていくと言う現実、結果的に鉄道利用が減って利用しづらくなる。

高速道路を作ったことで結果的に町が疲弊したと言う笑えない現実。
実際それが現実ですよね。

少なくとも現在の問題はすでに30年前に問題提起されているわけですから、逆に言えばそこに答えというかヒントが隠されているような気がします。


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****************以下は、本文になります。***********************

○政府委員(石月昭二君) 御指摘のごとく、交通機関のエネルギー消費量は国内の輸送機関につきましては全体のエネルギー消費の一四%、それから国際輸送機関を含めまして一六%ということでございます。しかし石油の消費量ということについて見ました場合には、これは二六%というような比較的大きなシェアになってまいります。また先生ただいまお話ございましたように、やはり交通機関は移動するものでございますので、ほかの燃料転換ということが非常にむずかしいという問題で、エネルギーの確保ということについてはきわめて細心な注意を払っていかなきゃならぬ問題だと思っております。
 したがいまして、私ども先ほど申し上げましたような形で将来のエネルギーの予測というものを精密にいたしているわけでございますけれども、まあ、これも予測でございますので、ただいまのイラン・イラク戦争のような突発的な問題もございますし、細心の上にも細心の注意を重ねて予測をしなけりゃいかぬと考えております。
 同時に、交通機関のエネルギー使用量というのをいかにして減らすか。それは先生先ほどからお話ございますような、鉄道のようなきわめてエネルギー効率のよろしいところに転換をしていくということが第一番目の要件かと思います。したがいまして、できるだけ公共交通機関の整備、またそれを利用していただきやすいようなサービスの向上というようなものを第一義的な政策として今後とも強化していかなきゃならぬ。
 それから第二番目といたしましては、現在使われております公共交通機関のエネルギー効率をより高めるという形での、たとえばトラックでございましたら、むだな交錯輸送を避けるための共同輸送であるとか、そのための帰り荷のあっせんであるとかいうようなソフトの政策も強化していかなきゃならぬ。さらには将来に備えまして、非常にむずかしい問題ではございますけれども、エネルギー源の転換もしくは現在のエネルギー消費を減らすような新技術の開発というような問題を進めていくというようなハード、ソフトの両面にわたりましたエネルギー政策につきまして、目下真剣に検討しているというのが実情でございます。
○江島淳君 早くそういうことなどを検討していただきたいと思うものでございます。
 それから、いま総合交通政策を検討していただいておると言いますけれども、私が一番、これは全般的に言えることでございますが、この運輸委員会でもいろいろ議論されておりますけれども、交通と運輸、総合交通といいましても、ここで議論されるのは鉄道、航空あるいは海上というふうなことの議論でありまして、道路が抜けておる。道路の方は建設委員会の方でいろいろまた議論がある。いろいろ会合に出ていましても、総合交通といっても、いまじゃ一番大きいウエートを占めておる道路がいつも外にあって、そして予算その他においても道路は道路財源の確保でもう大変だ。これは絶対に不可欠のものだと言って、いろいろなところで気勢を上げておられるということでありますから、総合交通体系で道路を外した総合交通の検討ということは意味がないんじゃないかという感じがいたしますけれども、現実的にはいろいろな会合に出席しても、わりあいに道路は道路ということで独立をしておるということであります。
 この八〇年というのは、いままでのような非常に景気のいい時代と違って、投資についてもプライオリティーをつけなきゃならぬ時代だどいうふうなことをよく言われておりますけれども、まず道路との総合交通体系で、たとえば投資をするときも、どちらが先行するかというふうなことの議論が一番大切なんじゃないかと思うわけです。
 たとえば、いろいろちまたに聞きますと、東京-名古屋間で、たとえば第二東名高速道路が必要だということが道路関係ではよく言われております。これは主に東名間の貨物が、非常にトラックの輸送がふくそうしておる。それで、もういまの東名道路がパンクするから、第二東名が必要なんだということであります。
 ところが、一方を見ますと、東海道線の方は、貨物はまだまだ余裕があるじゃないかと思うわけです。一方ががらがら、そしてしかもその投資がしてあるということならば、同じ投資をするなら、その第二東名のものの分を東海道の貨物の辺にも注ぎ込んで、そしてお客も便利なように、乗りやすい、あるいは確実に荷物が低コストで運べるように投資するということが本当の総合交通体系じゃないかと思うんでありますが、どうも私が見ておりますと、建設省関係の道路関係の方がどんどん先に進んでいるような関係がある。
 たとえば、いま整備五新幹線のこともいろいろ地方から言われておりますけれども、これに対して国土庁の方でも資料が出ておる。私もいつか拝見したのでありますけれども、そういうふうな資料を見ますと、非常に道路の方がいいというふうな印象を与えるような資料が非公式的にもできておるというふうなことでありますから、そういうものがいろいろなところでばらまかれますと、いまの総合交通体系で、来年に運政審の結論が出るという前に、すでにもう偏ったそういったような意見が非常に進んでおるという感じがするわけであります。したがいまして、本当に国民経済的に、何に投資したら一番正しいのか、国民経済としても、先ほど石月さんが言われたように、そういうふうな最もミニマムになるかということの検討をやる前に、そういうふうな道路は道路、ほかの機関は機関というふうなことがあるというのを非常に憂えるわけであります。
 したがいまして、これはぜひ運輸大臣にも閣議なんかでその辺のことを総合的にみんなで検討するというふうなことを特に強調していただきたいと思うんでありますが、そういう点に関しまして、いかがでございましょうか。
○政府委員(石月昭二君) 先生御指摘のように、現在の交通行政は、運輸省、建設省、警察庁というような各省に所管がまたがっております。したがいまして、総合性に欠けるという問題につきましては、そういう点もあろうかと思います。しかしながら、私どもこれから運輸政策審議会で議論いたします場合には、単に運輸省所管の交通施設だけではございませんで、道路も含めまして、たとえばその道路のコスト、それからエネルギー消費、それから要すれば需要量と道路コストというような関係も含めまして、各交通機関にわたりまして、施設整備のあり方、それから優先性、優劣というようなものについても議論をしていくつもりでございます。そういう意味におきまして、道路の問題もこの際十分に議論していきたいと思っておるわけでございます。
 それから、第二東名のことにつきましては、私も新聞で承知しておるところでございますが、一つには、やはり道路投資の方が進んで、鉄道の整備がおくれるという先生の御指摘かと思いますけれども、この点につきましては、道路の方の財源調達システムというものが非常にうまくできておると申しますか、鉄道の方で、そういう資金の調達システムというものが、非常に調達が困難になっておるというような事情が一つあろうかと思います。この点につきましては、そういう問題も踏まえまして、私ども過去に資金調達のための特会というようなものも要求してまいったわけでございますが、諸般の事情でこれが実現できなかったということは先生御承知のところだと思います。
 また、道路と鉄道の優劣の問題でございますけれども、これにつきましては、やはり鉄道の場合には、端末でどうしても自動車輸送を必要とする、小運送を必要とするというような問題もあり、それから現在の輸送機関選択の場合の荷主の選択基準というものが、トータルコストで物を考える。やはり幹線上の輸送コストだけでなくて、たとえばその端末輸送、さらには保管に要する費用というようなことも踏まえて輸送機関を選択する。したがって、幹線輸送が安くとも、大量に鉄道で輸送される場合には、それを保管する必要がある。
 そういうような場合には、やはり若干高くともトラック輸送を使った方がトータルコストで安いというような、いろいろ荷主サイドの事情というものもあろうかと思いますので、この点につきましては、鉄道の輸送がそういう荷主の需要に対応するような、たとえばコンテナ輸送であるとか、機動性に富み、なおかつ小ロットの輸送が可能であるような輸送であるとか、そういう形で、鉄道の側でサービスの改善その他の努力をしていかなければならないと考えておりますし、そのような努力が現に行われているというように理解しているところでございます。
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消えた釜めし屋 天王寺駅編

2016-07-22 07:32:53 | 国鉄思いで夜話
おはようございます、今日も少しだけ昔話などさせていただこうと思います。

天王寺駅の8番線側に「釜めし屋」さんだかががあったことを覚えている方はどれほどいるでしょうか。

今は、自動販売機などが並ぶスペースですが、当時は細長い店舗が並んでいました。
思い出すだけでも、喫茶店・「すっぽんの粉末?」、それと釜めし屋さんですかね。


これらの店舗は国鉄末期の昭和60年頃から出現して平成3年頃には消えていったように思うのですが、・・・実はこちらの「釜めし屋」も国鉄の民営化に際し、職員の職場対策で作られた国鉄直営店でした。

私も郵政局に通っていた頃は、阪和線4番線ホームの屋台共々良く利用させてもらったものです。

店は本当に狭くて細長い厨房とカウンター、一応座れるように配慮されていましたが椅子の後ろがすぐ出入り口と言うことで落ち着かない事甚だしかったように記憶しているのですが、さすがに30年ほど前の記憶なのでちょっとあやふやです。苦笑

まぁ、釜めし屋さんをよく利用した一つには国鉄(JR直営店)ということで利用していたと言ったところもあったかもしれません。

こうした直営店に配置された方、多くは国労の組合員で有ったと思います。
人材活用センター・直営売店…等々
ヤード系輸送の廃止に伴う機関車乗務員を中心とする過員問題は当然のことながら仕事がない人を産んでしまう結果となり、出向や期間を決めての派遣などが行われるとともに、他省庁や地方公務員への転職といったことも行われました。

そんな中で咲いた、いわばこうした直営店は時代の仇花とでも言うのでしょうか。

やがて、これら直営売店はJRの子会社に移行し、従業員も国鉄職員から一般の採用されたおばちゃん?などに変わっていったと記憶しています。

そんな中で、私自身が一番印象に残っているのが、大阪駅に有ったカレー屋さんです。

現在も大阪駅にハートインのコンビニの横に「カレーショップ」名称はちょっと忘れたのですが・・・有ったかと思うのですが。
私の記憶が確かならば、国鉄直営店でスタートしたように記憶しています。(もしかしたらそれ以前からあったかもしれませんが、大阪駅構内でカレーショップがあって、そこで国労の元運転士がそこでカレーを販売していたと言う記憶があるからです。

何故?と思われるかもしれませんが。
天王寺駅の場合は国労バッチとか付けていなかったのですが、大阪駅のカレー屋さんでは。胸に国労バッチをして名札が元の所属を書いた名札を着用。「元高槻電車区加藤」みたいな・・・・。
感じで自己主張していました。

だからすごく印象に残っているのです。

私自身、「国鉄は潰れない」、「親方日の丸」と言った言葉を母親から聞かされていましたので、「親方日の丸の企業」が今潰されようとしていることの凄く衝撃を受けて、幸い中等部と言って働きながら学べる環境に居たことから授業が終わってから毎日図書館でそうした記事をスクラップしたり、当時の「公企労レポート」をコピーして読み込んだりしていたものでした。

国鉄改革から30年以上経っていまこうして蘊蓄を語れるのも当時こうした資料を集めていたことも大きな要因だと思っています。

ただ、複数の引っ越しと経済的困窮などで手放してしまった資料や散逸してしまった資料も多数ですが、今一度体系的に整理して自分の中で発表して行ければと思っています。
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紀勢本線を走った夜行鈍行、「はやたま」のお話

2016-07-17 11:22:02 | 国鉄思いで夜話
国鉄時代、普通列車にも寝台車が付いていた時代がありました、接客態度が悪いとさんざん言われた国鉄でしたがこうしたハード面でのサービスは意外と良かったのかなぁ・・・なんて思っています。

画像 Wikipedia

さて、紀勢本線における夜行列車の歴史を遡ると戦前まで行ってしまうのですが、あまり古い話をしても面白くないでしょうから、紀勢本線電化前後の昭和50年頃からお話を始めたいと思います。

大阪から南紀方面への釣り客御用達の列車が現在は御坊止まりになっている天王寺23:00台に発車する列車で、当時は天王寺駅から直接環状線に乗り入れる経路は無かったので天王寺始発だったのですが、行止り式のホームどのようにして列車を入れていたのでしょうか?

紀勢本線直通の夜行列車の客車は竜華区所属であり、実は環状線よりの線路から阪和線ホームに上がる線路が当時は有ったのです。
現在は撤去されていますが、今でもその遺構を見る事が出来ます。
毎日、毎日、天王寺駅で機関車の位置を入れ替えて推進運転で昼間は普通列車の発着に使う7番・8番ホームに据え付けられるのでした。
特急・急行が1番・2番ホームに入って駅には中間改札が有り、いかにも優等列車の出発駅と言う風情だったのたいし、7番線で発車を待つ新宮行き(名古屋行き)普通列車(阪和線内はノンストップ)は、寝台車の検札以外は車掌も現れないのんびりした雰囲気だったのです。

さて、ここで時代の針を昭和51年頃に合わせたいと思います。
元々寝台列車の需要は、串本方面への釣り客の一部からの要望もあったことから最後尾に1両連結されていました。最盛期は2両あったような記憶もあるのですがその辺は不明瞭です。
なお、寝台券の発行に際しては、マルスではなく天王寺駅など一部の駅で昔ながらの手作業発券でした。

それが昭和51年3月、合理化の一環でマルスに収容することになったのです。
マルスは基本的に列車名と一意で紐づけされていたため普通列車と雖も指定席を導入する場合は愛称を付けてやる必要がありました。
現在も東海道本線を走る臨時運行の快速列車が「ながら」と言う愛称を付け、マリンライナーが快速でありながら愛称があるのは、そうした理由からです。

紀勢本線が全通する以前から天王寺始発の夜行列車は有って、天王寺方からの主な利用者は、串本方面に向かう太公望向であり、それ以外は和歌山まで行乗客で、和歌山市までの直通「最終快速」の役割も果たしていました。

余談ですが、昭和40年代にはサハ4801が夜行列車として、南海なんば駅から乗り入れて、和歌山駅で連結作業をしていたようですが、昭和50年頃にはその乗入客車も廃止になっていましたが、和歌山市発名古屋行きの列車は残されており、1両だけが機関車にけん引されて、和歌山市から和歌山駅まで走っていました。

(昭和45年の時刻表から 難波始発列車ありと明記されています。)

さて、当時寝台車を連結した普通列車は全国で4つの列車、北海道の「からまつ」、山陰本線の「山陰」。長崎本線を走った「ながさき」そして紀勢本線の夜行列車には「南紀」の愛称が命名されました。


実は、この南紀の愛称ですが名前が偉大過ぎたのか、昭和53年の時刻改正で天王寺~新宮間が電化されて、特急くろしおの運転系統が分断された際、勝浦から名古屋間を結ぶ特急列車の愛称に抜擢されてしまったのです。

これにより、新宮行き夜行列車は再び愛称を失ったのですが、今度は熊野速玉大社から取った「はやたま」の愛称で運転されるようになります。


その後約6年は安泰だったのですが、昭和59のダイヤ改正では老朽化した寝台車を廃止、同時に「はやたま」の愛称も廃止になります。同時に客車は12系に変更されました。
寝台車の廃止は残念でしたが、12系客車になったことは夏場の利用者にしてみれば快適性が増したことになりました。


その後、国鉄最後の改正と言われた昭和61年のダイヤ改正では、天王寺始発の列車は残ったものの、天王寺に5時に到着する列車が無くなってしまうとともに、12系客車から165系電車6連に変更、今までであれば和歌山市をこの列車に乗れば、天王寺5:00新大阪始発の新幹線に間に合わなくなってしまいました。



電車化のメリットはその加速性を生かして阪和線内も快速停車駅に停車することで利便性を図ったほか後ろ3両は田辺切り離しで、翌日の普通電車として運用に入っていましたが一番混雑する時間に3連で165系でしたからね、郵政局に通っているころよく利用しましたが大変でした。(^^♪

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第二話

2016-07-06 12:02:32 | 国鉄関連_国会審議
93-参-運輸委員会-2号 昭和55年10月16日

今回も少しだけ、参議院の議事録を見ていこうと思います。
今回も引き続き、広島鉄道管理局長から転身した江島議員の質問になります。
質問の中で、出てくるレーバープランですが、これにつきましては昭和46年の運輸白書に既に出ているので、そこからしばし引用させていただきます。

> 西ドイツでも,いわゆるレーバープランの中で都市交通問題の解決のために鉱油税を増額し,その増額分を都市交通問題のみに支出する目的税として全国21都市で近代的な高速電車線を建設し,単に市内交通のみならず近郊交通も統合した新交通秩序を作り出そうとしている。

> S46 運輸白書
> 第3章 望まれる公共輸送機関の健全な発展
> 第1節 公共輸送機関の再認識

結果的には、この政策は失敗したと書かれており、私もこれから少し調べていこうと思うのですが、やはり鉄道の方が余程効率が良いからと言っても強制するのはそぐわないと言えるかもしれません。

それと、今もそうなのですが、日本の場合エネルギー自給率が決して高くないわけで、その辺りをどうしていくのか考えていく必要があります。
特に、物流業界を見た場合、トラック輸送による二酸化炭素の排出に加えてドライバーの不足と言う構造的な問題を抱えているわけです。
今後、さらにドライバーの高齢化が問題となるわけですから、その辺をどう考えていくのでしょうか。

意外と、この問題は言われながらもなかなか解決に向かっていないように思えてなりません。
今後さらに、トラック輸送の1割でもさらにコンテナ輸送に移行すれば、物流に占めるエネルギー消費と、ドライバー不足の問題の両方は解決するのではないでしょうか?

31FTコンテナの直接輸送がもっともっと増えればと個人的には思っていますが・・・。

まぁ、そうした個人的な意見は余談として、今回も今から35年ほど前の質問を読んでいただければと思います。

JR貨物31FTコンテナの取り組み

*****************以下は当時の、質問の議事録になります。**********************

○江島淳君 よくお話わかるのでありますけれど、少し古いんでありますが、西独でのレーバー・プランというのがございましたですね。まあこれはレーバーという運輸大臣がいろいろな交通の比較をやって、トラックと鉄道と、ドイツにおいてはある程度長距離は貨物が鉄道に行った方が経済的であると、国民経済的にということで、現在ドイツにはオートバーンというりっぱなものがあるにもかかわらず、それでも大量貨物の方は長距離は鉄道の方が効果的であるということで、相当いろいろトラックに課税をしたりして強制的にやったというふうに私は理解しております。
 そしてドイツなどで見ますと、エネルギーの自給率が約五〇%ですか、四六%ぐらい。日本はエネルギーの自給率が一二%というふうに非常に低いわけです。そういうドイツにおいてすら、しかもりっぱなオートバーンが既存しておるにもかかわらず、それほどの効果があるということでやったと。この結果は、仄聞するところによりますと余り成功しなかったというふうに聞いておりますけれども、こういうことも、先ほど利用者の自由選択というお話もございましたけれども、やはり国民経済的に見ますと、ある程度行政的にもそういうことをしないとなかなか……、そして、そういうふうなことができるようにいろいろな設備もする、便利なようにするということが大きな運輸行政の観点じゃないかと思うわけであります。
 私は勉強不足で、レーバー・プランがどこが悪かったのかということちょっと勉強しておりませんけれども、そういう点に関しまして、こういうことに対する方向づけというものはこれからなさる意思がないのかですね、何かやっぱりそういうふうなことをある程度方向づけをする必要があるんじゃないかと思うんですが、その点はいかがでございましょうか。

○政府委員(石月昭二君) ただいま先生がお話しされましたようなレーバー・プラン等につきましては、先生お話がありましたように、余り成功しなかったと私も理解しております。同じような試みが一九六八年のイギリスの運輸法の改正でなされようとしましたが、これも結果的には法制化されなかったというようなこともございました。確かに利用者選択ということだけで物事は決められるわけではないということは私ども十分理解しておりますが、また逆に利用者がそれについてくるような社会的に見て合理性のある誘導でなければ、これまた結果としてはむだな投資というような形に終わってしまうという危険性もあると考えておる次第でございます。
 しかし、ただいま先生おっしゃいましたような誘導策というものは、いずれにいたしましても、今後運輸政策審議会におきましてどのような形でとるかということについて、たとえばエネルギーの問題につきましては、目標年度といたしております六十五年度までにどの程度のエネルギー量が確保できるのか、それに対してどれだけ交通機関で必要なのか、結果的にどれだけ油種別に見たら不足するのかと、じゃ、それに対応するにはどのようにすべきだというような問題を具体的に詰めていくことになろうかと思います。したがいまして、その結果を見ましてどのような誘導策をとるかということが決まることになろうかと思います。
 それから、やはり総合交通政策のあり方といたしましては、鉄道のみならず自動車、内航海運といった各交通機関の特性がおのおの十分に発揮されるということが目標でございますので、そういう意味におきまして鉄道の特性と自動車の特性、内航海運の特性といったものをそれぞれ組み合わせました輸送政策のあり方、全体として一番省エネルギー的であり、その交通空間の節約になる、また環境問題にも非常によろしいというような政策体系を追求していくことになろうかと思います。

○江島淳君 全体に占める輸送関係のエネルギーなどをいろいろ検討するというお話でございますけれども、まあ去年など運輸省から出しておられる資料なんか見ますと、全エネルギーのうちの輸送の占むる部分は一四%ぐらいであると。余り多くないけれども、将来的にも、ことに輸送部門の自動車関係は、代替エネルギーの石炭だとかあるいは原子力などが余り利用できないから、この一四%というわりあい少ない数字だけれども、相当にやはり切り詰めていかなければいかぬというふうな資料を拝見したことがあるんですけれども、そういうことですから、パーセンテージのいかんにかかわらず、その辺のことは早く手を打っておかなくちゃいけないんじゃないかと思うんですが、その辺がいつも非常に、総論はありますけれども、もう少し具体的に早くやらにゃいかぬじゃないかというように私は感じておるのですが、その辺に関していかがでございますか。

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紀勢本線昔々・・・昭和48年編 和歌山市発串本行き

2016-07-06 10:17:36 | 国鉄思いで夜話
今でこそ、和歌山から御坊までしか直通で運転されない紀勢本線ですが、昭和48年頃にはこんな列車が走っていました。

和歌山市発串本行き、
和歌山市を16:49に出発して串本に21:49着、これは昭和48年の時刻表から引っ張り出してきたのですが、実はこの頃の紀勢本線は大変だったんです。

ちょっと考えられませんが、この列車に充当されていたのが、キハ35ロングシート車

というのも、それまでは和歌山機関区にはキハ17やキハ20、虎の子のキハ45が配置されていたのですが、関西線が電化されたことにより、今まで関西線で使用していたキハ35が余剰となりそのまま大挙して和歌山線や紀勢本線のローカル列車用として入って来たのです。
関西線で使われていたキハ35・36はその活躍の場を紀勢本線に求めたのです。

当然ながら、この頃の串本行きも、その一つ前の周参見行きもキハ35の4連なんていう列車が走っていました。

国鉄の気動車はキハ17からキハ58まで同じエンジン、同じ制御方式ですからキハ17とキハ45を連結しても普通に運転が可能でしたが、当時は紀勢本線に大挙してキハ35が押し寄せてしまってキハ35+36でペアを組んで4連が一般的であり、たまに検査の都合なのかは知りませんが、45が連結される場合がありました

皆様は覚えておられますか?
紀勢本線をキハ35系列が走り回ったこと。

さらに、一つ前の周参見行きは、天王寺から「急行きのく」にでやって来たキハユニ15を先頭にした5連で走っていました。

荷物輸送の使命を持っていたので、天王寺から和歌山までは急行列車の先頭に・・・旅客扱いはしていなかったと思うのですが、記録によるとしっかり座席としても使っていて、急行料金も取っていたと言う話もあって・・・おいおいそれはあんまりにもぼったくりだろうと思うんですけど真相はいかがだったんでしょうか?
キハ17を「準急かすが」で走らせたときも非難轟轟だったと聞いていますから、その辺はどうだったのでしょう。

私自身は、和歌山までは締め切り扱いと聞いていたのですが。
でも、考えたら不思議な感覚ですよね。
急行列車の先頭に堂々と湘南顔の10系気動車が連結されていると言うのは・・・。

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第一話

2016-07-03 07:43:53 | 国鉄関連_国会審議
本日から、昭和55年10月16日開催の、参議院運輸委員会第2号から、国鉄関連のお話をさせていただこうと思います。

本日から参議院運輸委員会の議事録をアップさせていただこうと思います。
どうかよろしくお願いいたします。

最初に質問されたのが、もと国鉄職員であったそうで、広島鉄道管理局局長から、参議院に出馬して当選しています。
なお、自民党所属「江島 潔」議員は、子息になるそうです。

ここで質問されている総合交通体系ですが、概略を昭和46年の国鉄線を参照することでおおむね知る事が出来るのですが、要約すると、今後は高速道路の発展などで自動車による旅客に移動が増えるであろうこと、また飛行機の利用も増えるであろうことからそうした周辺整備を行う必要があること、その反面ローカル線に有っては、その有用性を検討し培養路線・今後発展が見込まれる路線に有っては存続させる必要があるがそうでない場合は地元の合意を得ながらバス転換などを図っていく必要があるといったことが書かれていたようです。
ただ、その後昭和48年の第1次石油ショックなどで鉄道の省エネルギー性が見直されることとなったこともあり、下記のような質問になったと思われます。

下記、国鉄線から抜粋してみました。




> 省エネルギー的なことから申しますと、鉄道と自動車と比べた場合、あるいは飛行機と比べた場合、エネルギー比率から申しますと、自動車と鉄道と比べれば八倍ぐらい、貨物船と比べても何倍増しかと、あるいは旅客に関しましても、これはパスや飛行機に比べますとエネルギーが非常に少なくてできるというふうな大量の輸送の効果があるということにつきまして、その辺のことで、これは今回の提出されておる再建法案とも大いに絡むわけでございますが、鉄道をどういうふうな位置づけをするかということが、まず一番の基本ではないかと思われます。
>  いま、その位置づけにつきまして、どういうふうな審議が進んでおるか、あるいはどういうふうなお感じかということを承りたいと思うんでありますが。

その質問に対して、運輸大臣官房総務審議官である、石月 昭二氏としても一般的な見解の範疇と言いますか、「輸送量の比較的多い都市間の基幹的輸送、それから大都市圏の輸送、大量定形貨物輸送といった分野で鉄道の特性を発揮していただく」ということで幹線系は国鉄が保有し運営していくが地方鉄道に有ってはその意向を地方の実情に応じて見直しを図っていくことを言下ににおわせて下記のように発言しています。

>  鉄道というものを今後どのように位置づけて考えていくかというお話でございますが、私どもは、鉄道というものは自動車の持つ機動性、利便性というような特性に対しまして、輸送量が大量にある場合には、大量、高速、確実な輸送をきわめて低コストで、省エネルギーでやれる特性を持った交通機関であるというぐあいに認識しておるわけでございます。したがいまして、将来の鉄道の位置づけといたしましては、やはり輸送量の比較的多い都市間の基幹的輸送、それから大都市圏の輸送、大量定形貨物輸送といった分野で鉄道の特性を発揮していただくことが国民経済的にも最も望まれるところであるというぐあいに考えておりますし、またこれから御審議いただきます国鉄再建法案におきましても、鉄道の位置づけというものをそのように考えておると理解しております。

なお、ローカル線のバス化は当時の国鉄としてもどちらかと言えば行いたいと言うのが本音でしたが、鉄道建設公団の存在がどんどん予算を付けて新規ローカル線を開業させて、半ば国鉄に押し付けてしまう状況と言うのが昭和50年頃までの状況でした。
いま、廃止問題に揺れる三江線などもまさにその典型でした。
その辺の詳細は別途アメブロの方で話をさせていただこうと思います。

*******************以下は、審議議事録の本文になります。*************************


93-参-運輸委員会-2号 昭和55年10月16日

昭和五十五年十月十六日(木曜日)
   午前十時二分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         黒柳  明君
    理 事
                伊江 朝雄君
                山崎 竜男君
               目黒今朝次郎君
                桑名 義治君
    委 員
                江島  淳君
                梶原  清君
                高平 公友君
                内藤  健君
                安田 隆明君
                青木 薪次君
                瀬谷 英行君
                広田 幸一君
                小笠原貞子君
                柳澤 錬造君
                田  英夫君
   国務大臣
       運 輸 大 臣  塩川正十郎君
   政府委員
       運輸大臣官房総
       務審議官     石月 昭二君
       運輸省海運局長  永井  浩君
       運輸省船員局長  鈴木  登君
       運輸省港湾局長  吉村 眞事君
       運輸省鉄道監督
       局長       山地  進君
       運輸省自動車局
       長        飯島  篤君
       運輸省航空局長  松本  操君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        村上  登君
   説明員
       大蔵省銀行局保
       険部保険第二課
       長        松田 篤之君
       資源エネルギー
       庁石油部備蓄課
       長        米村 紀幸君
       運輸省自動車局
       整備部長     宇野 則義君
       労働省労政局労
       働法規課長    中村  正君
       自治大臣官房地
       域政策課長    藤原 良一君
       日本国有鉄道総
       裁        高木 文雄君
       日本国有鉄道常
       務理事      加賀山朝雄君
       日本国有鉄道常
       務理事      半谷 哲夫君
   参考人
       日本鉄道建設公
       団総裁      仁杉  巖君
       日本鉄道建設公
       団理事      藤田 雅弘君
       日本航空株式会
       社常務取締役   北 雄一郎君
       日本航空株式会
       社常務取締役   萩原雄二郎君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○運輸事情等に関する調査
 (総合交通政策に関する件)
 (国鉄の経営改善問題等に関する件)
 (新線建設問題に関する件)
 (新幹線の整備計画に関する件)
 (交通の安全性確保及び倉庫の危険物管理問題
 に関する件)
 (青函トンネルの建設問題等に関する件)
 (日本航空株式会社の労務対策に関する件)
 (個人タクシーの免許等に関する件)
 (中東地域における船舶の安全確保及び保険問
 題に関する件)
 (空港整備計画に関する件)
 (新幹線公害訴訟問題に関する件)
    ―――――――――――――

○委員長(黒柳明君) ただいまから運輸委員会を開会いたします。
 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 運輸事情等に関する調査のため、本日の委員会に日本鉄道建設公団総裁仁杉巖君、同公団理事藤田雅弘君、日本航空株式会社常務取締役北雄一郎君及び同萩原雄二郎君を参考人として出席を求めることに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○委員長(黒柳明君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――

○委員長(黒柳明君) 運輸事情等に関する調査を議題といたします。
 この際、塩川運輸大臣から発言を求められておりますので、これを許します。塩川運輸大臣。

○国務大臣(塩川正十郎君) 第九十三回国会に臨みまして、一言ごあいさつを申し上げます。
 御承知のとおり現在運輸行政に関しては、重要かつ緊急な課題が山積しており、私といたしましては、これらの課題に積極的に取り組むとともに、その解決に最大限の努力をしてまいりたいと考えております。
 特に、最重要課題である国鉄再建に関しましては、昨年十二月に策定した国鉄再建対策の実施のための法的措置として、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法案を提出し、御審議をお願いしているところであります。私は、全力を挙げて国鉄再建を推進してまいる決意でありますので、何とぞよろしく御指導、御協力を賜りたいと存じます。
 また、地域における公共輸送の維持整備等につきましては、地方公共団体と協力しつつ地域交通対策の推進に努めてまいったところでありますが、今後とも施策の計画的実施に留意しながら努力を重ねてまいる所存であります。
 このほか、目下、国の財政は窮迫しておりますが、国民的要請にこたえるため、財政再建の趣旨をわきまえ、投資の効率を配慮して、鉄道、港湾、空港等の運輸関係社会資本の整備充実のために努力いたす所存であります。
 また、陸海空にわたる運輸関係事業の経営の安定化及び船員雇用対策の推進、観光の振興、海上保安、気象業務の充実、国際協力の推進等の諸施策につきましても、国民に満足してもらえるよう心がけて進めてまいりたいと考えております。
 さらに、交通の安全確保及び環境対策、防災対策につきましても、従前にも増して所要の施策を積極的に推進してまいる考えであります。
 最後に、今後の技術の進歩、地域開発の整備等を考えるとき、各種の交通機関のあり方もそれに伴い変化することは必至であります。したがって私は、将来にわたる交通需要を見通し、各種交通機関の整合性及び相互の連係を重視することがきわめて重要であり、今後の総合交通政策について、運輸政策審議会に諮問しているところでありますが、その審議等を踏まえ、八〇年代の新しい運輸行政の展開に努力をいたす所存であります。
 以上、運輸行政の考え方に関し申し述べましたが、これらは委員各位の御理解と絶大なる御支援とを必要とする問題ばかりでございます。何とぞ皆様方の御指導、御鞭撻を賜りますよう重ねてお願い申し上げまして私のごあいさつといたします。ありがとうございました。(拍手)

○委員長(黒柳明君) これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。

○江島淳君 運輸行政一般について、主として鉄道関係に関する御質問をいたしたいと思います。
 私は、ただいま質問する側に立っておりますが、実はことしの一月までは鉄道の職員として現場の管理局長をいたしておりました。そのときにいろいろ現場で感じておりましたことを含めましていろいろ御質問いたしたいと思うのであります。
 ただいま、運輸大臣が、総合交通体系のことについていろいろ検討しているというお話がございました。四十六年の経済企画庁で、そのときは総合交通体系と言っておったと思うんでありますが、そのときにいろいろ検討いたされまして、それから大分日にちがたっておりまして、いろいろなエネルギー事情というものが大いに変わっております。それにつきまして鉄道も、昔の独占企業であったものがだんだんほかとの競合輸送機関というものが出てまいりまして、鉄道のシェアが少なくなってきたということで、これをどういうふうな位置づけをするかということが非常に問題ではないかと思うのであります。
 ことにイラン・イラク戦争などが起こりまして、省エネルギー的な見地というのがいままでより以上に重要なファクターになってきたんではないかと思います。
 省エネルギー的なことから申しますと、鉄道と自動車と比べた場合、あるいは飛行機と比べた場合、エネルギー比率から申しますと、自動車と鉄道と比べれば八倍ぐらい、貨物船と比べても何倍増しかと、あるいは旅客に関しましても、これはパスや飛行機に比べますとエネルギーが非常に少なくてできるというふうな大量の輸送の効果があるということにつきまして、その辺のことで、これは今回の提出されておる再建法案とも大いに絡むわけでございますが、鉄道をどういうふうな位置づけをするかということが、まず一番の基本ではないかと思われます。
 いま、その位置づけにつきまして、どういうふうな審議が進んでおるか、あるいはどういうふうなお感じかということを承りたいと思うんでありますが。

○政府委員(石月昭二君) お答え申し上げます。
 先生からただいまお話のございましたように、四十六年に運輸政策審議会におきまして、総合交通体系のあり方について御答申をいただいたわけでございます。それに基づきまして、また関係各省で調整いたしました結果、御承知のように、臨時総合交通問題閣僚協議会の総合交通に関する答申をいただいているわけでございます。私どもその答申が現在においても妥当なものと考えておりますけれども、その後、ただいま先生から御指摘ございましたようなエネルギーの問題、それから交通空間の問題、環境問題というような問題につきまして、大分経済社会情勢というものが変わってまいりましたので、これらの問題を踏まえて見直すべきであるという議論がございまして、ただいま運輸政策審議会に諮問いたしているところでございます。
 鉄道というものを今後どのように位置づけて考えていくかというお話でございますが、私どもは、鉄道というものは自動車の持つ機動性、利便性というような特性に対しまして、輸送量が大量にある場合には、大量、高速、確実な輸送をきわめて低コストで、省エネルギーでやれる特性を持った交通機関であるというぐあいに認識しておるわけでございます。したがいまして、将来の鉄道の位置づけといたしましては、やはり輸送量の比較的多い都市間の基幹的輸送、それから大都市圏の輸送、大量定形貨物輸送といった分野で鉄道の特性を発揮していただくことが国民経済的にも最も望まれるところであるというぐあいに考えておりますし、またこれから御審議いただきます国鉄再建法案におきましても、鉄道の位置づけというものをそのように考えておると理解しております。
 今後の鉄道のシェアと申しますか、位置づけはそういうようなことでございますが、初めに申し上げましたように、やはり交通機関がどのような形のシェアを持つかということは原則的には各交通機関の特性を踏まえまして利用者が自由な選択をやると、その結果おのずからシェアというものが決められるということがやはり一番合理的なことだろうと思います。しかしながら、先生がいまおっしゃいましたようなエネルギーの制約問題、交通空間の制約問題、環境問題というようないろいろな諸制約条件がございますので、それらの制約条件というものによりましてはそういう基本的原則というものを場合によって変更していかなきゃならぬと、このように考えておりまして、それらの評価、機関特性、利用者の選択、社会的制約条件というような問題をどのように評価し位置づけるかということが今後の運輸政策審議会における課題だと存じている次第でございます。

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国鉄の貨物輸送(昭和44年)、将来の貨物輸送から

2016-07-02 10:52:32 | 国鉄思いで夜話
国鉄が発行していた部内誌に「国有鉄道」と言う冊子があります。
そこで、昭和44年度の貨物輸送と言う記事が出てきます。

これによりますと、今後の国鉄貨物は工業製品が中心となり、臨海工業地帯から兄陸部への輸送が増えるので、それに合わせた輸送方式並びに輸送設備を再編するとのことであり。
具体的には、フレートライナー方式(現在のコンテナ輸送方式)ピストン輸送方式(拠点間輸送)、地域間直行方式が中心になると予測されていると書かれています。

特にこの時期に顕著な改善が行われたのは、地域間急行と呼ばれた貨物列車であり、これには貨物ダイヤシステムが構築されたそうです、これはのちにエポックスと呼ばれるシステムとしてフレートライナー(後のコンテナ特急)に導入されていきます。

昭和44年当時、将来の貨物輸送と称してコンテナを中心としたフレートライナーの輸送網が完成するとして、その構想図が描かれていました。

現在のように液晶ディスプレーに表示されるよな代物ではなくてさん孔テープで出力される記号を見て判断する方式でした。

他にも興味ある話としては、博多まで新幹線が開業し貨物列車が新幹線まで走る予想が描かれています。
新幹線による貨物輸送は結局鳥飼付近に用地を確保したものの夜間保守間合いの確保などの理由から結果的には貨物輸送計画は白紙となりましたが、仮に国鉄時代に貨物輸送が始まっていたらその後はどのような展開になっていったのでしょうか?

そこで、今回はこうした夢にあるお話はひとまず置いておいて、「地域間貨物輸送」についてお話をさせていただこうと思います。

実は、国鉄の貨物輸送については昔からその改善が急務と言われており、ヤードを経由する貨物列車の場合途中駅で連結開放を繰り返すことから駅ごとの滞留時間が24時間を超える場合があるなど現在から見れば前時代的な輸送方法でした。

昭和44年当時でも貨物の表定速度は5km/hとか10km/hなどと言われていました。
幾ら高速度で運転しても、駅での待ち時間が大きいため結果的でした。

実際に、昭和30年代からその辺は問題視されており、昭和40年代になると急速に貨物取扱駅の集約が行われて行きました。約4000ある貨物駅を1000駅まで集約すると言うことでしたが、実際には中々進まなかったのが現状でした。

さらに、昔の貨物は人力による積み下ろしが一般的で、積み下ろしによる荷痛みの問題もありました。

昭和30年代後半からは、パレット輸送に適したワム80000と呼ばれる貨車が開発されていったほか、貨物版マルスと呼ばれた「地域間急行貨物列車」というものを設定していました。

地域間急行貨物列車の車票(イメージです)

ただ、貨物列車の場合「急行」と名前はついても運賃に急行料金が上乗せされるわけではありません。
列車を組成する時点で出来るだけ同方向(九州であれば小倉以遠等)向けの列車で組成して途中駅での入換を極力少なくなるように計画された列車で、ヤードを通過しない分だけ到着時間が早くなりサービス向上につながると言われました。

こうした地域間貨物を支えたのが貨物列車のコンピュータ管理でした。(名称はちょっと今思い出せません。)
さらに、将来に予測と言うのを見ていますと昭和44年に10年後にはヤードを廃止する構想があると書かれていることに驚かされます。

国有鉄道発行、国鉄線から引用

こちらも、実際には武蔵野ヤードのように高度に自動化されたヤードが作られ、結果的に10年ほどしか使わずに廃止になるなど無駄な投資に終わった部分もありましたが、昭和40年当時の国鉄の貨物輸送の雰囲気を感じていただければと思います。

今後も、国鉄線と言う、国鉄時代の資料を参考に書かせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします。

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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四六話

2016-06-29 23:12:52 | 国鉄関連_国会審議
ダラダラと続いたのですが、今回が最後になります。
ただ、最後のこの質問が非常に注目すべき質問をされていますので、逐次解説を挟みながらお話をさせていただこうと思います。

中馬弘毅委員は、大阪市出身の国会議員ですが特に注目したのは、交通に関する考え方について非常に明確な視点を持っておられたと言うことです。
逆説的に言えば、地方についてもよく理解されていると言う点です。
昭和54年当時でも農家の自家用車保有率は100%となり、鉄道を利用しなくとも生活が出来てしまう、実際には今度は高齢化により自動車を運転が困難になってしまったと言う問題も発生しているといえますが・・・。
「鉄道が通ったら町が、あるいは村が発展するということでもなく、逆にス-パーあたりが一つ店を開いた方が町が発展するというようなことでございます。」
これは、現在も行われていますが、AEONが出店することで町が活性化する・・・と言う安易な発想から結果的には地元の商店街を疲弊させてきたわけです。
そして、これは鉄道についても同じではないかと指摘しています、この辺の指摘は大変的確で35年以上前の私的とは思えないと言うか、政府の交通政策が30年前と変わっていないのではないかと思ってしまうんですね。

「新幹線が通ったからといって、逆にそれは場合によっては過疎化を促進させているかもしれません。一つのバキューム効果ということで地方からどんどん東京の方に管理機能が移ってしまって、地方は少しさびれるというような状況にもなってまいります。人の意識も変わってまいりまして、少々高くてもスピードが速かったらその方を利用するし、あるいは安くてもサービスが悪かったら利用しないというようなことになってきているわけです。」

そして、この件で中馬委員が当時の鈴木善幸首相に言質を取っているのですが、実際にはこの言質が実行されず、一部政治家の利権の道具として整備新幹線が利用されている現状に対し、怒りを感じてしまいます。

といいますのは、中馬委員は国鉄再建法に関するローカル線の廃止について一定の理解を示し、「飛行機だとか鉄道だとか、あるいは自動車の特性を生かした効率的な交通体系を再構築するということを西中委員の御質問に対して答弁されたわけでございますけれども、今度の法律がただ単に国鉄の再建のための地方線の足切りではなくて、それぞれの交通の特性を生かしてバスに転換するということで、私たちはこれを評価しているわけですね。」と言うように他の委員が地方の活性化のために鉄道を残せと言う考え方と一線を画する考え方をしています。
 さらに、こうして鉄道伊賀の交通機関とも連携した交通もの発展をするものと考えているのですが、鈴木善幸首相が、整備新幹線に関しては
「 整備新幹線の問題が出ましたですけれども、それは閣議了解をしているからやるんだ、あるいは財源が調えばやるんだというお答えでございました。そうすると、本当に特性を生かした検討ということはもう聖域になってしまうのか。閣議で了解したからこのことは全く交通の特性に関係なく実施するんだというようにもとれてしまうのですけれども、そこのところはどうなんですか。そういうことも含めてもう一度一から交通の特性を生かした体系を組み立てるというおつもりではないのか、そこのところの御答弁をお願いしたいと思います。」
ということで、整備新幹線についても総合的な交通体系を作るのか否かと言う視点で質問をしており、それに対して、鈴木首相は
「この法律の精神に基づきまして最も適正合理的な基準を設定をいたしまして、それに基づき政令等がつくられた場合には、その運用に当たりましては厳正に、いささかも国民の疑惑、御批判を仰ぐことのないようなりっぱな運営をやってまいる、このことをはっきり申し上げておきます。」

と答弁しているのですが、残念ながら整備新幹線問題に関しては、国鉄改革の法案審議中は審議は棚上げにされていたにも関わらず、国鉄改革法案が通過した後すぐに、整備新幹線問題(着工の優先順位)などを審議し始めたのですから正直、総合交通体系など考えていないのではないかと思ってしまうんですね。
今となっては、当時のこの、鈴木首相の答弁が軽いものに思えてなりません。

なお、こうしたローカル線の問題にも繋がっていくように思えます。
なお、三江線に関する件は幣ブログ。鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blogでアップさせていただきます。

次回は、衆議院もしくは参議院の運輸委員会の議事録をアップさせていただく予定です。

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****************************以下は、本文になります。*******************************

○小此木委員長 中馬弘毅君。

○中馬委員 このところ交通面の時代的な背景がずっと大きく変わってきているわけです。高度成長時代のように利用者がどんどんふえるわけでもなければ、あるいは道路も山奥まで整備されて、農家の自動車の保有率はほぼ一〇〇%という状況になっています。また、鉄道が通ったら町が、あるいは村が発展するということでもなく、逆にス-パーあたりが一つ店を開いた方が町が発展するというようなことでございます。それから、新幹線が通ったからといって、逆にそれは場合によっては過疎化を促進させているかもしれません。一つのバキューム効果ということで地方からどんどん東京の方に管理機能が移ってしまって、地方は少しさびれるというような状況にもなってまいります。人の意識も変わってまいりまして、少々高くてもスピードが速かったらその方を利用するし、あるいは安くてもサービスが悪かったら利用しないというようなことになってきているわけです。
 先ほど総理は、飛行機だとか鉄道だとか、あるいは自動車の特性を生かした効率的な交通体系を再構築するということを西中委員の御質問に対して答弁されたわけでございますけれども、今度の法律がただ単に国鉄の再建のための地方線の足切りではなくて、それぞれの交通の特性を生かしてバスに転換するということで、私たちはこれを評価しているわけですね。ところが、総理の御答弁の中で少しおかしいと考えられるところがありましたので、そのところを確かめさせてもらいます。
 整備新幹線の問題が出ましたですけれども、それは閣議了解をしているからやるんだ、あるいは財源が調えばやるんだというお答えでございました。そうすると、本当に特性を生かした検討ということはもう聖域になってしまうのか。閣議で了解したからこのことは全く交通の特性に関係なく実施するんだというようにもとれてしまうのですけれども、そこのところはどうなんですか。そういうことも含めてもう一度一から交通の特性を生かした体系を組み立てるというおつもりではないのか、そこのところの御答弁をお願いしたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 整備五線の問題は、わが国の将来の展望に立ったところの総合交通体系の骨格としてもともと立てたものでございます。ただ、現在その財源対策、また交通体系の形成に当たりまして他の交通機関との関連というものを十分配慮しながらこれを進めなければならないというのが私の考え方でございます。

○中馬委員 そういうことも含めて、本当に時代に合った交通体系を再構築されることを望んでおります。
 それから、冒頭に加藤委員から御質問があって、お答えをお求めになっておりませんでしたけれども、今度の特定交通線の選定、これは大変むずかしい問題だと思うのです。それぞれの方々にも各地域、各団体から陳情がたくさん来ているのですね。そうすると、国鉄当局の厳正中立的な基準に基づいて、いささかも政治的な配慮あるいは国民の疑惑を招くような決定を絶対させないということを、加藤さんはお答えをお求めになっておりませんでしたけれども、総理からひとつここで明言をしていただきまして、質問を終わらせたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 この法律の精神に基づきまして最も適正合理的な基準を設定をいたしまして、それに基づき政令等がつくられた場合には、その運用に当たりましては厳正に、いささかも国民の疑惑、御批判を仰ぐことのないようなりっぱな運営をやってまいる、このことをはっきり申し上げておきます。

○中馬委員 終わります。

○小此木委員長 次回は、来る三十一日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時十六分散会


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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四五話

2016-06-21 23:25:52 | 国鉄関連_国会審議
気が付くと2週間以上放置状態でしたので、改めてアップさせていただきます。
正直、ここ最近本当に多忙なんです。
まぁ、多忙なことを楽しんでいるのでその辺は問題ないのですが、笑
さて、本日も飛び飛びとなっているのですが、昭和54年の答弁を少し私の解説を加えながらアップさせていただきます。

さて、今回は短く一つの質問だけに絞ってお話をさせていただこうと思います。
公共料金値上げの問題の一環として国鉄の値上げについて質問しています。
実際、50%の大幅値上げ以降国鉄離れが深刻化し、値上げ分だけ増収になるとは言えず、仮に値上げで100位億円の増収を見込めるとしても実際には70億円ほどにしかならず、残りの30億円が不足分としてさらに借金として補填されてしまうような状況であったと言えましょう。

ただ、ここで注目しなくてはいけないのは負担増も大きいのですが、預貯金の利息が8%近くあったと言うことです、8%の利息と言うことは複利計算では9年で元金が倍になる計算となります。
ということで、今のように預貯金の金利が付かないどころかマイナス金利と比べれば値上げはあるけれどその分預貯金も増えると言う構図でした。
ですから、国民の負担ばかりを増やすと言いながらも実際には土地の値上がりなどを含め概ね右肩上がりの経済成長でしたのでこの手の値上げはある意味、経済成長の影響でと解釈しています。

ただ、国鉄の運賃値上げは、「国鉄はますます国民から愛されなくなってしまう。これでは経営基盤を確立するということにほど遠いのではないか、さらに減量経営を進めていかなければならない、こういう事態に落ち込むのではないかというふうに思います。」
と言う発言は当たらずとも遠からずであり、57年頃から国鉄は減量ダイヤ(特に貨物輸送)に入ることとなり、動労は組合員構成の特殊性(動力車乗務員のみで構成)から、方針の転換が行われていったことは注目される部分ではないかと思われます。



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******************************以下は、議事録本文となります。******************

○鈴木内閣総理大臣 塩川運輸大臣からきわめて懇切丁寧な御答弁がございました。その答弁をもって政府の答弁とお受け取りいただきたい。

○四ツ谷委員 ただいまの総理の御答弁はまことに無責任であります。塩川運輸大臣の答弁のとおりなどとおっしゃいましたけれども、私の質問はそういう質問ではなかったはずでございます。いままで政府・自民党が進めてきた政策と今度の法案の中身とは非常に矛盾をし、国民に対して無責任である、それに対して総理が的確に答弁をなさらないのはまことに無責任と思いますが、時間がありませんので、次に簡単な質問を一つさせていただきます。
 総理はこの間の十月三日の所信表明で、物価の安定こそ国民生活を安定させる基礎条件である、このように政府の基本方針をお述べになりました。ところが、来年度以降の予算関連の公共料金の値上げを見てみますと、まずこの国鉄運賃の二千百億円を含め、厚生年金、国民年金、健康保険、郵便、米価など、各料金が軒並み値上げを予定しておって、約二兆円の負担を国民にかけよう、こういうふうな状態に追い込んでいるわけです。これは物価対策上から見ましても国民生活を直撃するものである、総理がおっしゃった物価の安定こそ国民生活を安定させる基礎条件である、この点から見てもきわめて遺憾なできごとではないか、このように思います。
 ここで国鉄運賃の問題だけにしぼりますと、国鉄運賃の値上げ、しかも引き続きましてこれからもどんどん上げていくとおっしゃっています。先ほどから抑えるとおっしゃっているけれども、上げていく方向には変わりがない。それから、地方ローカル線についても、五〇%もの割高運賃を導入しようということがはっきりしてきたし、定期の割引率についてもさらに引き下げよう、まさに国民の国鉄離れを促進するような方向で国鉄運賃の値上げを進めていこうとしている。これでは物価対策上から見ましても、また国鉄を再建するという観点から見ましても、国鉄はますます国民から愛されなくなってしまう。これでは経営基盤を確立するということにほど遠いのではないか、さらに減量経営を進めていかなければならない、こういう事態に落ち込むのではないかというふうに思います。
 その点、このような所信表明をされました総理として、物価対策上、国民の暮らしを守るという観点からと、それから国鉄を真に国民の足として、国民の足を守るために、国鉄運賃の値上げ、これを凍結されるお考えはないかどうか、これをお聞きしたいと思います。

○鈴木内閣総理大臣 公共料金の問題につきましては、短期的な視野とまた長期的な観点、こういう点をよく考えなければならないわけでございます。当面これを抑える、それは目先はいいのでありますけれども、将来にわたって大変な禍根を残す。国鉄財政にしても御承知のような厳しい状況下にございます。私どもは国民の税金でそれを負担するのか、受益者に応分の御負担を願うのか、こういう観点でこの問題は御検討をいただきたい、こう思います。消費者物価等、国民の生活を守る点につきましては、私ども政府を挙げて全力を尽くしておるところでございます。

○四ツ谷委員 どうもありがとうございました。
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南海キハ5501と白浜直通準急 第3話【くろしお号の発展と急行きのくにの引退】

2016-06-17 07:10:05 | 国鉄思いで夜話
すみません、10日以上も空けてしまいました。

ちょっとばたばたしていて、blogの更新がままなりませんでした。
それと、いま古い資料を読んでいまして(昭和26年頃)のそんな根案で時間を取られています。
私が昔に資料にこだわるかと言うと、一次資料であると言うこと。
当時の記録ですから一番正確性が高いわけで、そうした資料を読みこむことの重要性を感じています。

さて、余談はともかくとして、「特急くろしお」の増発と「急行きのくに」の衰退について書かせていただきます。

国民の所得向上もあって、特急利用はますます大衆化していき、特に昭和45年の万国博覧会では新幹線利用が一般化するなど、それまで東海道新幹線が開業しても特急の旅客は新幹線に移動すると読んでいましたが、それ以上に転移が進み九州直通急行の「桜島・高千穂」を除けば「急行東海」が新幹線の恩恵を受けにくい静岡地区への区間輸送に、また名古屋~大阪間に比叡のみになるなど変化していきました。

そんな中、紀勢本線でも1967年(昭和42年)改正で、天王寺~名古屋間に加えて、天王寺駅~白浜駅間と、天王寺駅~新宮駅間で1往復ずつ増発されて3往復に、昭和43年の改正でも2往復増発された特急は5.5往復まで成長、急行きのくにもこの時点では天王寺発10本、天王寺行き8本、季節列車3往復の最高13本が特急とは別に運転されていたことになります。
当時は、白浜は大阪からの湯治場として栄えており、並行する高速道路もありませんでしたし、新婚旅行客も多く、特急・急行ともグリーン車を2両連結されていました。

昭和47年の改正では、日本海縦貫線の電化完成に伴い余剰となったボンネット型先頭車のキハ81形を含む「いなほ」「ひたち」運用の車両が転入し、天王寺~名古屋間限定運用で紀勢西線電化まで活躍しました。
現在は、京都の鉄道博物館に保存されているのはご存じのとおりです。

昭和53年になると紀勢西線も電化が行われ、381系が新製投入

されたほか113系も何編成化は新製投入(多くは首都圏からの転用)

され阪和線新快速色と同じ塗装に変更されて投入されましたが、「急行きのくに」だけは、南海電車からの乗り入れ、「しらはま」など和歌山線経由の急行列車の存在、機関区の統廃合の問題もあったかと思うのですが(当初は和歌山機関区(当時の名称)を電車区に改装しようとしたが反対されたと言った話を聞いたことがあります。詳細は不明のため今後調査していきたいと思います。ご存じの方おられましたら、ぜひご教示願います。)

昭和53年の時点では紀勢本線の急行列車は架線下急行として昭和60年まで走ることとなりました。

昭和60年のダイヤ改正では、増収目的もあって急行列車を廃止して特急くろしおに吸収されることとなり。新たに、急行のみ停車駅であった海南駅・椿駅・周参見駅・古座駅・太地駅・湯川駅・那智駅に新たに特急が停車するようになり箕島駅・湯浅駅・南部駅ともども停車することとなり特急の急行化がさらに進むこととなりました。

昭和60年の特急化に際しては、余剰気味だった485系を短編成化し、サハ481を改造した新形式キハ480が誕生しました。
この列車は4+4で運転し白浜駅で後部4両を切り離して運転するとされており振子列車ではないので速度も急行列車と殆ど変わらず評判は悪かったです。

結局1年ほどで転出してしまい、その代わりとして「特急やくも」を短編成化して捻出された381系を使ってすべて381系化したわけで、歴史にIFは無いですが、仮に南海電車が485系を導入していたら・・・(車体幅に関しては特認をとる必要があったと思われますが)「特急くろしお」は比較的遅い時期まで485系による「くろしお」が、「きのくに」の流れをくむ特急として君臨していたかもしれませんね。

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南海キハ5501と白浜直通準急 第2話

2016-06-06 07:47:09 | 国鉄思いで夜話
みなさまおはようございます、先日キハ5501のお話を書かせていただいたのですが、本日はその続きとなります。
その前に少しだけ、簡単に「きのくに号」の歴史について振り返ってみたいと思います。

現在でも観光地として人気を誇る白浜ですが、古くは昭和8年に天王寺(当時は阪和鉄道)から紀伊田辺まで直通運転が開始され、「黒潮」号と名付けられたのが最初と記録されています。
当時は省形客車がモヨ100等の阪和形の電車にけん引されて乗り入れていたようです、運転開始から1か月ほどで白浜口(現・白浜)まで延長されたそうで、当時から多さからの湯治場として人気を誇っていたことが判ります。
また、昭和9年には同じく南海電鉄から、難波~白浜口駅間で運転を開始したとされています。
戦後はいつごろ廃止になったのか現在調査中ですが、戦後は昭和25年10月に設定される臨時快速が「黒潮」の愛称を与えられたおり、これが戦前の流れをくむものと言われています。
さらに昭和27年、南海電鉄ではスハ43に準じた客車サハ4801を新造、国鉄の客車が茶色もしくは紺色の中、南海電車の緑の塗装の客車が登場しました。
内装はスハ43ですが、出入り口上部には「南海」の文字が入り優等客車のように思えたものでした。この車両は1両しか作られなかったため多客時には国鉄のスハ43を借り入れて乗り入れをしていたようです。

さた、肝心のキハ5501「きのくに」の話ですが、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に伴い帝国車両でキハ5501・5551が製造されることになります。(前述)
昭和36年3月の改正で、「準急南紀」は3往復になりそのうち1往復はなんば発着とすることとなり南海電鉄でもキハ5501増備することとなります。

昭和38年時刻表
さらに昭和38年10月のダイヤ改正では、なんば駅発着を増発、全列車が天王寺・難波~新宮の運転となったそうです。

明けて、昭和40年3月の改正では和歌山機関区にキハ80系特急気動車が配置され、天王寺~名古屋間を結ぶ「特急くろしお」並びに、東和歌山~名古屋(阪和線・関西線経由)の「特急あすか」が設定されました。
「特急あすか」は配置区である和歌山機関区に戻すために設定された列車でしたが、東和歌山(現・和歌山)駅が7:00発、22:30到着で、かつ天王寺を経由しないダイヤであったことから利用は低迷、昭和42年のダイヤ改正で廃止になっています。

昭和42年の改正で廃止になる特急あすか 和歌山駅を7:02では利用者もいないであろうと思われる。

戦後、愛称変更で廃止になった「平和」を除くと初めての廃止特急となりました。

特急あすか 短命に終わった。

さて、それまでは紀勢本線の最優等列車の位置づけであった「準急きのくに」はその地位を「特急くろしお」に譲ることになります。

準急としての「きのくに」は昭和41年国鉄の方針に伴い急行に格上げされることとなります。
というのは、それまでは車両の優劣で急行と準急の差をつけていたのですが、新車の増備も進んだことから100km以上を走行する準急は急行に格上げすることで増収を図ろうということになりました。


元々準急用で製作したキハ5501ではいささか見劣りするのですが、塗装をキハ58並みに変更した以外は特に変わったところは無く「急行きのくに」として引き続き活躍することになります。

さて、そんなキハ5501ですが、国鉄では列車種別が準急であったり・急行だったのですが。南海本線内ではあくまで特急として運転されていました。正確には「連絡準急(急行)」と言う名称です。
連絡急行は指定席料金を取っていたようで、区間利用者を極力排除していたような印象があります。
なお、南海本線内の停車駅は昭和38年10月のダイヤを見てみましても、堺・岸和田のみが停車駅となっています。それ以前は、泉大津・岸和田・泉佐野にも停車していたようです。


なお、和歌山市到着後はそのまま渡り線を通って紀勢本線に乗り入れ(実際は紀和駅手前までは南海電鉄の保有)て紀和(昭和43年2月から、それ以前は和歌山駅)駅を経て和歌山(昭和43年3月から、それ以前は東和歌山駅)に乗り入れそこで天王寺から来た編成と連結していました。
南海の車両は常に白浜方に連結されていました。


次回は、くろしお号の発展ときのくに号の衰退を含めて書かせていただきます。
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南海キハ5501と白浜直通準急 第1話

2016-06-03 23:29:41 | 国鉄思いで夜話
南海本線と紀勢本線

その昔、南海電鉄では南紀観光の一環として「急行きのくに」に併結する形で、「なんば」からキハ55形気動車が走っていました。
その当時のお話などを昔の時刻表などを参照しながら私の覚えている範囲でお話をさせていただこうと思います。
しばしお付き合いいただければ幸いです。

なお、サハ4800に関しては私もあまり詳しくないので端折らせていただくことを最初にお断りしておきます。
また、今回は昭和36年から40年までの概略とさせていただきます。(昭和40年以降は後日書かせていただきます。)
さて、南海のキハ5500が導入されたのは「準急きのくに」に使うためだったようで、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に合わせて2往復に増発された「臨時列車きのくに」東和歌山~白浜口間で南海から乗り入れたキハ55を連結したのが始まりと言われています。

特に当時の「準急きのくに」というのは当時の時刻表を見てみますと、東和歌山(現:和歌山)の次は御坊、紀伊田辺・白浜口(現:白浜)という今のくろしおよりも停車駅が少ない準急で、続行で準急南紀がありますが、こちらは海南駅や湯浅駅にも停車する準急で客車列車でした。

ということで、特急列車無き時代の「準急きのくに」は和歌山県にしてみれば特急に相当する列車だったといえましょう。

更に南海線内も扱いは特急だったそうですが、自社での運転士の要請が追い付かず最初は電車にけん引されたとか・・・。(+_+)

実は動力車の免許は、運転する車両によって別らしくて、電気運転であっても電気機関車と電車は別の免許が必要だそうです。

JR東海が機関車列車を廃止した原因の一つに乗務員に機関車免許を取らせなかった著言うのも原因としてあるでしょうね。
まぁ、東海の場合機関車を運転する機会は限りなく少ないですからという判断なのでしょうが、それ故に機関車牽引のブルトレをけん引できなくなったという弊害もありそうです。

それはさておき、「準急列車」用に製造されたキハ55、南海では5501形と5551形と名乗っていたようで、片運転台車がキハ5501形、両運転台車がキハ5551形と呼ばれ、両運転台の5551形はトイレが省略された形で製造されました。

外観は、国鉄のキハ55-100番台と同じ一段上昇窓でしたが、ドア横に南海の社章が入るとともに、窓下2か所に南海の表示(内側から電照式になっていて、ちょうど寝台車出入り口上部にあるA寝台とかB寝台の表示と同じようなイメージ)がされるようになっていました。
また、南海電車は私鉄の地方定規に定められた車体幅のため2700mm程度ですが、キハ55は国鉄形に準じてあるため車体幅は2900mmあったことから車体には窓下に保護棒が付けられており手などを出せないようになっていました。
その効果はどれほどあったのかは判りませんが・・・。



それ以外は、国鉄形に準じており、帝国車両(現在は東急車両に吸収合併)で製造されました。
当時の南海電車は基本帝国車両で製造されており、現在もその名残で南海時代の車両は東急で製造されています。

また、製造当初は準急型の標準塗装であるクリーム色に赤帯で登場しますが、その後きのくにが急行に格上げされて、南紀方面に向かう急行列車が「きのくに」に統一されるにいたり、キハ58に準じた塗装に変更になりました。

話が前後してしまいましたが、「準急」列車ですが、「きのくに」に限定されることはなく、「南紀」「きのくに」等で使われていることがわかります。(昭和36年3月の時刻表から参照)

和歌山市~東和歌山間も準急として運転されますが、和歌山市から難波間は特急扱いでしたが、昭和36年頃の時刻表ではそこまで確認する事が出来ませんでした。

ということで、昭和37年以降のお話は後日時刻表などを参照しながらお話をさせていただこうと思いますのでしばしお待ちくださいませ。

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第093回国会 衆議院運輸委員会 第7号 第四四話

2016-06-03 09:55:59 | 国鉄関連_国会審議
久々に更新させていただきます、このような議事録を見ていますと当時のことが思い起こされます。
確かにここに書かれているような、合理化反対と書かれた看板などが駅構内等で数多く見られましたし、50年頃までは春闘に電車で落書き(鉄労粉砕とか、マル生粉砕といった無茶苦茶と言えるような内容が平気で書かれていました。
そして、現場では現場協議と言う名前の管理者つるし上げが公然と行われたいたした時期であり国鉄管理者としては一番冬の時代であったかと思われます。
実際、当時の国鉄総裁であった高木文雄総裁(元大蔵官僚)が国鉄総裁を引き受ける際に組合問題だけは関わるなと当時の首相大平氏から特に言われたと言う記録も残っています。

官僚としては非常に優秀で何冊か金融に関する本も書かれていますが、国鉄総裁といういわば手足を縛られた巨人ではその動きは緩慢にならざるを得なかったであろうと言うことは、今となってみれば見えてくるものではあります。
前置きが長くなってしまいましたが、中村委員が指摘されるように、国鉄の職場は上記のような状態で、色々な場所でこうした張り紙などがされたものでした。
それが、中村委員が指摘した一般的な見解ではないかと思います。

>中村(正雄)委員
総理は恐らく国電やあるいは列車にお乗りになる機会はないから御存じないかもわかりませんが、われわれは国電に乗ったり列車に乗って沿線を見ておりますと、日本国有鉄道の建物の中に、合理化反対であるとか、三十五万人体制打破という字が相当書かれております。しかも、国鉄の現場の管理者はこれを見て見ぬふりをいたしております。恐らく総裁も御承知だと思いますが、総裁が現場の管理者にこのような違法状態は排除しろと指令されたということは聞いておりません。それが現在の国鉄の状態でございます。

> 総裁以下四十数万の職員が一丸となって再建に取り組むとすれば、従来のようなサボタージュであるとかあるいはストライキというような違法行為は絶対今後やらさないということを総理に確約願いたい、

> 四ツ谷光子元衆議院議員(日本共産党公認)の質問ですが、四ツ谷議員は昭和54年当選ですのでこの時は1期目になります。
質問の主旨としては、素手の質問されている内容とほぼ同じで新味は有りません。
いわゆる、「廃止対象とする路線の選定は一方的に政令にゆだねられている。」これは怪しからんから首相の責任で撤回せよといった質問で、いきなり欠陥法案であると決めつける方式はどうかと思うんですね。
さらに、もう一つ質問しておりこの辺はかなり面白いので私なりに検討してみたいと思います。

「地方交通線対策の問題が、いままで政府・自民党がとってこられました地方ローカル線に対する政策、言動の上から大いに矛盾がある、こういうことを私は指摘したいと思うのです。」

これは、従前自民党は明治に交付された鉄道敷設法に基づき鉄道建設を行ってきた、「鉄道の発展=国力の充実」と言う観点から、さらに地方ローカル線の場合はその多くが本線への培養線であったりバイパス線であると言う観点から積極的に国鉄財政が悪化してからも続けられた、そしてそこには当然のことながら政治家の思惑も入ってくる。
それを指摘しているわけで、。

> 総理はかつて鉄道建設審議会の会長を歴任をされたことがございます。この鉄道建設審議会は、赤字に構わず、がばがばとローカル線をおつくりになった、そういう法律上重要な役割りを果たしてこられたところだと私は思っております。総理が鉄建審会長でいらっしゃいました四十八年の十月に、鈴木会長名で越美線と五新線の基本計画の組みかえと、それから宮守線を福知山まで延長するための鉄道敷設法の改正を建議していらっしゃるのですが、その後、五十年にこの建議を受けて宮守線延長のための法改正が政府から提案をされ、全党一致でこれは通過しております。

正直鈴木善幸と言う人は言ってみれば昔の地域利益誘導型の典型的な議員でしたし、昭和48年頃までは鉄道建設は色々な利権なども絡んで来たのではないかと推測しております。

> もう一点は、政府が今回提案をされましたこの再建法案の内容、とりわ
>  今回の地方交通線対策におきましては、その地域における国鉄の果たしている役割りが、地域住民の暮らしやあるいは経済の上で非常に大きな役割りを果たしているということを非常に軽く見ている。ただ利用人員だとか輸送トン数が一定量以上か以下かということでふるいにかけている、こういうふうなところに非常に欠陥があると私は思うのです。
>  先ほど久保委員からも言われましたが、ところが、このときはすでに国鉄は赤字になって再建をしなければならないというふうなことが出ておった。その中で赤字線を建設することの可否を政府は問われて、当時の運輸大臣はこのように答えていらっしゃるわけなんです。「しかし国鉄の持っております使命という点から考えまして、特に過疎地域にいる人たちの生活基盤を整備するという面から考えますと、その地方に鉄道を敷設していくということは国家的には非常に重要な意義を持つわけでございます。したがいまして、国鉄の持っております公共性という面からいきまして、こういう地帯にこういった鉄道新線を建設するということは、またやらなければならない使命の一つであろうと思うわけでございます。」こういうふうに当時の運輸大臣ははっきりとお答えになっているわけでございます。

この辺からの答弁は正直かなり苦しい?言い訳にも聞こえてきますが、鉄道の利便性は認めるけれど、地方ローカル線も国鉄が国民の足の確保を謳っておりますが、必ずしも地方ローカル線に今後はこだわらないよと言っているわけで、これは裏を返せば地方ローカル線の
建設や存続だけでは票につながりませんと言っているのかもしれません。
実際そうした見方をする本もあります。
私の個人的にはそうした点があったのではないかと思っています。

>塩川国務大臣 
過疎地域と国鉄との関係でございますが、過疎地域に対する足の確保というのは依然として政府の基本政策の一つでございますから、それは私たちは今後におきましても行政措置をもって足の確保を努めてまいります。しかし、昭和四十八年、第一次石油ショック以降、産業構造の転換なり、あるいはその地方におきます道路の発達、そういう社会的な条件も変わってまいりましたし、また、省エネルギーという問題は国民のこれは必須の課題でございますが、その際にやはり省エネルギーの政策を勘案するならば、交通機関の効率という点から考えてまいりますと、どうしても過疎における足の確保ということと、それがために国鉄を鉄道として運用しなければならぬという問題との間には、やはり政策として考慮すべき点があるのは当然でございます



**************************以下は国会審議の本文になります。**********************

○中村(正雄)委員 それに関連いたしまして、総理は恐らく国電やあるいは列車にお乗りになる機会はないから御存じないかもわかりませんが、われわれは国電に乗ったり列車に乗って沿線を見ておりますと、日本国有鉄道の建物の中に、合理化反対であるとか、三十五万人体制打破という字が相当書かれております。しかも、国鉄の現場の管理者はこれを見て見ぬふりをいたしております。恐らく総裁も御承知だと思いますが、総裁が現場の管理者にこのような違法状態は排除しろと指令されたということは聞いておりません。それが現在の国鉄の状態でございます。
 また、いま総理がおっしゃいましたように、総裁以下四十数万の職員が一丸となって再建に取り組むとすれば、従来のようなサボタージュであるとかあるいはストライキというような違法行為は絶対今後やらさないということを総理に確約願いたい、この点を重ねてお尋ねいたしたい。

○鈴木内閣総理大臣 大変強い御鞭撻をいただきまして、私ども肝に銘じまして御趣旨に沿うように最善を尽くしたい、こう思っております。

○中村(正雄)委員 私は最後に、先ほど加藤君からもちょっとお話がありましたが、国鉄の経営自体の再建という一つの方策はこれが最後の機会ではないかと思います。このことを政府も国鉄の役員も職員も十分考えて真剣に取り組み、少なくとも、この法案の骨子であります六十年度においては、国鉄の分野において収支の均衡がとれるように努力を願いたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。

○小此木委員長 四ツ谷光子君。

○四ツ谷委員 初めに、二問続けてお尋ねさせていただきます。
 本法案の中にある地方交通線対策におきまして、廃止対象とする路線の選定は一方的に政令にゆだねられている。これはこの委員会でも大いに論議をされているところですけれども、その肝心かなめの政令につきましても、運輸省の考えと申しますか、案の案というふうな話がありましたけれども、わずかにそういうものが示されただけであって、これから関係各省庁で協議を重ねていくというふうな状態では、鈴木内閣としては国民に対して全く無責任な態度と言わなければならないと思うのです。先ほど三浦議員が質問をいたしまして、廃止対象路線を選定する際に非常に大切な個々の営業線の決め方が法律上全く欠落をしているという点が明らかになったのですけれども、そのときに鉄監局長が御答弁になりましたが、国鉄の営業線を区分し、特定する場合は、国鉄線路名称を基本にして政令で決めたい、このように御答弁になりましたが、これは営業線区分を政府が自由に動かせる、こういうことです。たとえば現在幹線の一部になっている枝線も抜き打ち的に廃止対象路線に入るかもわからない。そうすれば、地域住民にとってはまさに寝耳に水という重大な事態も起こりかねないということではないでしょうか。しかも、この法律では、営業線を区分し、特定することについて政令に委任していないという点でも全く欠陥法案と言うことができると思うのです。
 内閣の総責任者としての総理大臣として、このような法律上致命的な欠陥を持ち、運用上も大変な矛盾と不公正をもたらすような欠陥法案は直ちに撤回をされるべきだと私は思いますが、総理の御所見を求めたいと思います。
 もう一点は、政府が今回提案をされましたこの再建法案の内容、とりわけ地方交通線対策の問題が、いままで政府・自民党がとってこられました地方ローカル線に対する政策、言動の上から大いに矛盾がある、こういうことを私は指摘したいと思うのです。
 今回の地方交通線対策におきましては、その地域における国鉄の果たしている役割りが、地域住民の暮らしやあるいは経済の上で非常に大きな役割りを果たしているということを非常に軽く見ている。ただ利用人員だとか輸送トン数が一定量以上か以下かということでふるいにかけている、こういうふうなところに非常に欠陥があると私は思うのです。
 先ほど久保委員からも言われましたが、総理はかつて鉄道建設審議会の会長を歴任をされたことがございます。この鉄道建設審議会は、赤字に構わず、がばがばとローカル線をおつくりになった、そういう法律上重要な役割りを果たしてこられたところだと私は思っております。総理が鉄建審会長でいらっしゃいました四十八年の十月に、鈴木会長名で越美線と五新線の基本計画の組みかえと、それから宮守線を福知山まで延長するための鉄道敷設法の改正を建議していらっしゃるのですが、その後、五十年にこの建議を受けて宮守線延長のための法改正が政府から提案をされ、全党一致でこれは通過しております。ところが、このときはすでに国鉄は赤字になって再建をしなければならないというふうなことが出ておった。その中で赤字線を建設することの可否を政府は問われて、当時の運輸大臣はこのように答えていらっしゃるわけなんです。「しかし国鉄の持っております使命という点から考えまして、特に過疎地域にいる人たちの生活基盤を整備するという面から考えますと、その地方に鉄道を敷設していくということは国家的には非常に重要な意義を持つわけでございます。したがいまして、国鉄の持っております公共性という面からいきまして、こういう地帯にこういった鉄道新線を建設するということは、またやらなければならない使命の一つであろうと思うわけでございます。」こういうふうに当時の運輸大臣ははっきりとお答えになっているわけでございます。
 しかも、この間の中央公聴会で公述人の方が、国鉄の特性について非常に具体的に述べていらっしゃるわけでございます。国鉄はバスに比べて非常に安い。それから、時間も正確である。もし降雪地域であれば、バス等に転換すれば交通事故も起こるであろうし、そういうことを考えると国鉄の果たす役割りは非常に大きい。今度の法案のようにただ運ぶ人数、そういうふうなものだけで地方ローカル線の対策を考えてもらうのは非常に困る。こういうふうな具体的な公述があったわけでございます。
 いままで地方ローカル線の問題につきましては、各党派、各地域の人たちの大変な協力の中で進めてこられたし、また歴代の自民党の総務会長が、先ほど言いました鉄道建設審議会の会長を歴任してこられて、地方ローカル線推進の先頭に立ってこられたわけでございます。
 そういうふうに考えますと、今度の法案と、いままでとってこられた政府・自民党の立場は非常に矛盾をしているというふうに私は考えるわけでございます。総理・総裁としての鈴木さんと、そして総務会長として、鉄道建設審議会の会長としての鈴木さんと別人格なのでしょうか。その点について総理の明確な御答弁をお願いしだいと思います。

○塩川国務大臣 最初に、政令の基準が明確でない、したがって、この法案は欠陥法案であるという御指摘がございましたが、私たちは決してこの法案そのものに何ら瑕疵はあるものとは思っておりません。ただ、この委員会の審議を通じまして私たちが感じておりますことは、要するに政令を制定するに際しまして、公平にして合理的な基準というものを明示するということでございまして、そのことは今後におきます政令づくりの中で必ず御要望に沿うように明確な政令を提示いたすようにいたしたいと思っております。したがって、政令の基準が定まってまいりますと、この法案におきます欠陥性というものはなくなってくるものでございますゆえ、そのようにひとつ御認識を改めていただきたいと思うのでございます。
 それから、過疎地域と国鉄との関係でございますが、過疎地域に対する足の確保というのは依然として政府の基本政策の一つでございますから、それは私たちは今後におきましても行政措置をもって足の確保を努めてまいります。しかし、昭和四十八年、第一次石油ショック以降、産業構造の転換なり、あるいはその地方におきます道路の発達、そういう社会的な条件も変わってまいりましたし、また、省エネルギーという問題は国民のこれは必須の課題でございますが、その際にやはり省エネルギーの政策を勘案するならば、交通機関の効率という点から考えてまいりますと、どうしても過疎における足の確保ということと、それがために国鉄を鉄道として運用しなければならぬという問題との間には、やはり政策として考慮すべき点があるのは当然でございますし、そういう点から見ましても、今回国鉄再建の一つの方法といたしまして、鉄道としての特性を失っておるところ、この地域におきますところの鉄道は代替交通機関等に転換いたしたいということをお願いしておるわけでございます。でございますから、過疎におきます交通の確保という問題は、これは行政の責任として今後とも懸命の努力を進めていきますので、これは政策上から申しましても私は矛盾するものではない、こう思っておりますので、御了解いただきたいと思います。

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名鉄8000系のお話

2016-05-29 21:26:18 | 国鉄思いで夜話
名鉄にはかつて8500系という特急気動車が存在し名鉄名古屋から犬山線経由で美濃太田から単独高山線に乗り入れ運転がされていましたが、名鉄の歴史はかなり古く名古屋鉄道の前身である「名岐鉄道」時代の1932年(昭和7年)10月から週末に、名古屋から下呂まで直通運転を行う列車を運転したと言う記録があります。
その後戦争が激しくなりこの乗入は中止となり長らく乗入行われませんでした。

1960年頃から観光開発の目的で国鉄への乗り入れ再開が望まれましたがなかなか実現しませんでしたが、昭和40年、名鉄築港線によって担われてきた東名古屋港駅からの貨車輸送が国鉄が出資した第3セクター鉄道名古屋臨海鉄道に無理やり変更したことへの見返りとして高山への乗り入れが認められて高山本線への直通運転が認められたと言われています。
実際に、この臨港鉄道に関しては国鉄の方がかなり強引で既得権を持つ名鉄にしてみれば大きな収入源となることもありその補償的意味合いが強かったと聞いています。

そして乗入用に作られた気動車が8000系気動車でした。
当時の7000系と同じ完全冷房で固定窓でありながら準急という破格な待遇でスタートしました。
更に特筆すべきことは、1等車も製造されていたそうですが、昭和44年には早々と普通車に改造されているようですね。

スキャナーで見えない部分を拡大してみました。

当初は「準急たかやま」としてデビューしますが、その後国鉄の施策で準急という区分が廃止になると急行たかやまに、その後昭和45年の改正では「北アルプス」の名称を見る事が出来ます。

昭和45年の時刻表から

その後昭和50年には、国鉄の増収施策の一環として、車両はそのままで「特急北アルプス」に格上げ?という出世?を遂げることとなりました。

おそらく、私鉄乗入の列車で最初に特急となった例だと思われます。


その後、JRキハ85とも併結可能なキハ8500が製造されましたが長続きせずにそのまま廃車という運目を辿ったのはご存じのとおりです。
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