国鉄があった時代blog版

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄 旧武田尾駅から旧型客車

2016-08-19 08:35:59 | 寝台列車論
懐かしい画像がYoutubeでアップされていましたので、紹介させていただきます。

国鉄 旧武田尾駅から旧型客車
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消えた引き込み線 本州化学への鉄路

2016-08-15 23:46:18 | 国鉄思いで夜話
和歌山市にはオークワと言う地元のスーパーマーケットがありますが、実はその敷地を横切るように鉄道の引き込み線がその昔ありました。

今では、殆ど面影が残っていませんが、航空写真をみると何となくこの辺に鉄道がとおっていたのかなと思わせてくれます。

丁度、オークワ本部のビルがある向かい側に本州化学と言う工場があります。
ここに原料を運ぶ、もしくは製品を搬出するのでしょうね。1日2回ほど走っていたようです。
私が記憶しているのは、15時頃だったと思いますが、引き込み線から引き出されたタンク車が小さな機関車に引かれて和歌山操駅まで走っていくのが印象的でした。

本州化学

当時の国体道路は今と比べるとこの付近はまだまだ田畑も多く、広い道を遮るように大きな踏切が道路を遮るようになっていました。
バーではなく、上からロープが下りて来るイメージです。

現在沖斎場がある辺りを線路が横切っていました。

ただ、こうした引き込み線の列車は1日1本程度ですので、踏切信号機と呼ばれる信号機が踏切に設けられてありました。

引用元 http://law.jablaw.org/br_railroad

踏切信号があれば、一旦停止しなくてもよいのはご存じの通りだと思います。
私も、この引き込み線を走る列車は1階しか見たことが無いのですが、移動機ではなく、本州化学で保有している機関車だったような気がします。

今となっては、当時そんな線路があったことを示すのは、オークワ駐車場の一部にその痕跡を残すだけとなりました。


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元気な昭和のニッポン、昭和40年代の長距離急行列車~Express train

2016-08-14 14:15:37 | 国鉄思いで夜話
昔はこんな時代でしたね、駅で長時間待つのは当たり前、そんな時代でした。
そして、旧形客車冷房などもちろん無くて窓を開放にして・・・何も無かったけれどむしろ、人が支えあえるそんな時代でした。


元気な昭和のニッポン、昭和40年代の長距離急行列車~Express train
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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第五話

2016-08-14 12:11:51 | 国鉄関連_国会審議
しばらく開けてしまいましたが、久々に更新させていただきます。
ここで、地方交通線に関する問題として江島議員が質問されています。
「地交線」をどうするかということに対しては、闇雲に反対と言うことではなく、「道路等の整備をやって、そして地方住民の足が奪われないようにする、そういうことの不安感を除くということがこの地方交通線対策として一番必要なんじゃなかろうか。」と言う質問をされています。

そして、その後の秀銀難度の経緯を見ていますと、こうしたローカル線問題と言うのは地域の反対(自分は利用しないけれど、あると何かと便利だから的な発想ですね。)により一部地域では、ローカル線を鉄道で残しましたが、かなり厳しい経営を強いられていることは間違いないのではないでしょうか。
 その辺の話は今後の話として、ここで注目したいのは、下記のくだりです。

> 地交線などは非常に北海道は多いということで、北海道関係の皆さんからの要望事項が非常にあります。たとえば北海道では北海道開発庁がございまして、年間に七千億という巨大な投資がしてあって、北海道開発のために国が投資しておるということからしますと、先ほどのいろいろな総合交通政策とすれば、その七千億のうちからも、鉄道の整備だとかあるいは鉄道を維持していくための金ということなどが当然あって、それが国家的な見地じゃないかと思うんですけれども、そういう点に関して恐らく実際的にはなかなかタブー視されておって進んでおらないのじゃないかと思うんですが、そういうことに関してどういうふうになっているのか


少し長いですが引用させていただきました。
 ここからは、しばし個人的な私見を述べさせていただくのですが。
現在のJR北海道の現況を考えるとき、この会社は存続すること自体が難しい状況に置かれていると言えます。
 改めて北海道だけでも再国有化というか、(元々上場していないので実質的な国営会社ですが)北海道開発庁辺りが一体となって鉄道政策を行っていかないと言うのも一つの方策ではないかと言う気もするのです。
北海道の場合は本州地域と異なり、その特殊性から鉄道による冬季の高速輸送などは必要であり、特に貨物輸送の充実などを考えれば、新幹線による貨物輸送も含めた方策なども積極的に考えるべきではないでしょうか。

以上私見終わり

なお、それに対して山地進鉄道監督局長の見解として下記のように述べられています。

> 北海道のローカル線問題というのがほかの地域から比べて非常に大きな問題であるということは私どもも十分認識しているわけでございまして、これをどういうふうな形で政令等で処理していくのか。地方交通線対策を進めるに当たりましては、廃止、転換の基準等は政令で定めることに私ども考えておるわけでございますが、政令をつくる段階においてこれまた閣議で決定するわけでございますので、関係各省と十分協議しながらその点について実施をして図っていきたい、かように考えております。

同じく引用させていただいたのですが、最初の質問に関してはさほど目新しい内容は無く、また北海道に関しても「廃止、転換の基準等は政令で定めることに私ども考えておるわけでございます」と書かれていますが、これが後になって政令で定めるということで恣意的になるのではないかと色々物議を読んだと記憶しております。

結果的には、線区ごとの通過人員と言う形で整理が図られたのですが、北海道の場合はそれ故にかなり大幅な路線廃止、更に路線廃止による培養線の廃止もあって国鉄改革前の北海道と比べると路線網は大幅に減少することとなったのは皆様よくご存じのとおりかと思います。


昭和53年(1978年)国鉄の営業路線線


平成15年(2003年)JR北海道の営業路線

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以下は、国会審議の本文になります。

○江島淳君 それから二番目に、「公的助成等」という項がございます。そして、いろいろ書いてありますが、たとえば今度御審議に係ってくる再建法案などでも、一番大きくなるのがたとえば地交線をどうするかというふうなことだと思いますが、その辺の対策として、先ほども私がしばしば申し上げておりますが、まずやはり道路等の整備をやって、そして地方住民の足が奪われないようにする、そういうことの不安感を除くということがこの地方交通線対策として一番必要なんじゃなかろうか。地方では、私たちがいろいろ見開きしておりますと、非常にその辺の、交通量は少ないけれども、地方の住民にとっては必要な足だということになっておるわけです。
 ですから、それの代替として、これを見ますと、道路の整備もするんだとかいうことがありますけれども、実際に具体的に建設省なんかと、たとえば地交線対策として特別に予算を、これだけの金を見るぞと、これだけの項を設けると、そういうふうなことを具体的に決めないと、なかなか地方に落としても、建設省に行ってもあるいは県に行っても、その辺の道路整備の金は、そんなものありませんと言われるのが落ちじゃないかと思うんですが、その辺のことを具体的にもうちょっと詰めていく必要があるんじゃないかと思いますが、それが実際に建設省とそういうふうなことが進んでおるのかどうかということが一点。
 それと、たとえば今度の地交線などは非常に北海道は多いということで、北海道関係の皆さんからの要望事項が非常にあります。たとえば北海道では北海道開発庁がございまして、年間に七千億という巨大な投資がしてあって、北海道開発のために国が投資しておるということからしますと、先ほどのいろいろな総合交通政策とすれば、その七千億のうちからも、鉄道の整備だとかあるいは鉄道を維持していくための金ということなどが当然あって、それが国家的な見地じゃないかと思うんですけれども、そういう点に関して恐らく実際的にはなかなかタブー視されておって進んでおらないのじゃないかと思うんですが、そういうことに関してどういうふうになっているのか、そういう具体的なことをもうちょっと詰めていただかないといけないのじゃないかという感じがするんでありますが、それに対していかがでございましょうか。
 たとえばいろいろな自治省とか建設省との話し合いを具体的に詰めていきませんと、ここには非常にきれいなことが書いてありますけれども、本当にどれだけのものが実っておるかと。たとえばけさテレビで見ておりましたら、山地局長がきのうの衆議院の運輸委員会でいろいろ言われたことに対して、もうすでにあれは大蔵省の方で反発しておるとかいうふうなことのコメントをきのうのテレビでも言っておりましたけれども、そういうふうなことをもう少し具体的に詰めていかないと、この辺、実際に進んでいくのが非常にむずかしいのじゃないかと思いますが、それに対して。
○政府委員(山地進君) まず最初の地方交通線対策で、関連道路の整備等で建設省等他省といろいろ相談をしながらやっていかなきゃいけないのじゃないか、そういうことについてどうだというお尋ねでございます。この閣議了解そのものは御承知のとおり閣議で決定したものでございまして、その中に、「国鉄地方交通線の転換に伴い、関連道路の整備を図る等所要の措置を講ずる」というのが建設省も含めた各省の合意事項でございます。ただし、建設省と、おっしゃるように具体的に個々の地方交通線の問題を議論するときには、さらに細かいお話し合いということがぜひ必要になるわけでございまして、かねてから、この法案を出す前から道路局の方とはいろいろと事あるごとにお話をして、私どもの方の国鉄の窮状をお助けいただくようにひとつ御配慮いただきたいという観点から話を進めているわけでございます。
 それから二番目に、北海道の問題を全般的に考えるべきであろうというお話でございまして、北海道開発それから交通等の整備に関しまして、北海道開発計画等で北海道開発庁がお進めいただいているわけでございますが、この地方交通線対策の実施に当たりまして、北海道のローカル線問題というのがほかの地域から比べて非常に大きな問題であるということは私どもも十分認識しているわけでございまして、これをどういうふうな形で政令等で処理していくのか。地方交通線対策を進めるに当たりましては、廃止、転換の基準等は政令で定めることに私ども考えておるわけでございますが、政令をつくる段階においてこれまた閣議で決定するわけでございますので、関係各省と十分協議しながらその点について実施をして図っていきたい、かように考えております。
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国社分界点があった頃 中之島駅点描

2016-08-12 22:42:37 | 国鉄思いで夜話
紀勢本線の始点は、和歌山市~多気間になっていると思うのですが、元々は、和歌山(紀和)~多気間であり。

和歌山(紀和)~和歌山市までは南海線の保有となっていました。
ですから、正確には和歌山市~和歌山(紀和)間は他社路線に乗り入れていることになるのですが、私鉄時代からの慣行でそのまま運賃も和歌山市まで国鉄の運賃で通算すると方式が取られており、JR化後は、国社分界点から競輪場付近までの線路をJR西が南海から線路を借りる第2種鉄道事業とされていました。
ですから、見かけ上はJR西日本が管理しているように見えましたが、国社分界点は残っていました。
その後、しばらくしてから国社分界点自体が白ペンキで塗りつぶしていたので、JR西がこの区間の路線を買い取ったのかもしれません。

JR時代はこの付近までJRが南海から借り受ける第2種鉄道事業になっていました。

さて、この国社分界点現在は高架化されていることもあり、国社分界点そのものが過去のものとなってしまいました。

画像はイメージです。



今となっては場所を特定するのも困難なのですが、多分この辺ではなかったろうかと言うことで写真を撮ってきましたので、皆様に見ていただきご批評をいただければ幸いです。



さて、もう1枚は紀伊中ノ島駅の和歌山線ホーム


こちらはホームが残っていますから、かってはここに線路があったのかなと何となくわかりますが、後ろに立っている社宅(当時は国鉄官舎)が立っている場所も実は線路が何本も引かれた貨車の留置場になっていました。

昭和49年頃には既に使っていませんでしたが、その後線路は撤去され官舎が建ったと記憶しています。
それでも、築で言うと53年頃とすれば築40年ほどになるのですが、それ以上に古臭く感じるのは何故なのでしょうか・・・と言うか、老朽化して殆ど住んでいないようです。

しかし、若い人にしてみればかつて、ここの駅の前を通って東京行きの列車が走っていたとはにわかに信じられないでしょうね。

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国鉄時代の0系新幹線や京浜東北103系 田町駅

2016-08-10 06:59:20 | 国鉄思いで夜話
EF66がブルトレ牽引で上がってきますが、ヘッドマークを付けていませんので回送の「さくら」ではないかと思われます。
京浜東北線の103系や0系新幹線も懐かしいですね。
思わず見とれていました。


国鉄時代の0系新幹線や京浜東北103系 田町駅
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国鉄和田岬線

2016-08-07 21:10:46 | 寝台列車論
なんともマニアックな画像がありました。
オハ64を従えた通勤列車です。
片側だけ両開きの外釣りドアが付いているのも愛嬌でした。
現在は電化されて印象代わってしまいましたが・・・。(^^♪

国鉄和田岬線
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たった1両の東京行き 急行大和に併結された和歌山市発東京行き

2016-08-06 21:40:30 | 国鉄思いで夜話
先日、和歌山線を急行列車が走っていたことをお話しましたが、そこでもちらっと書いたが1日1往復だけ東京まで直通する列車がありました。

急行大和の一部として連結され、東京まで直通する寝台車でした。

そこで、急行大和の歴史を少し遡って見たいと思います。

昭和28年時刻表から

急行大和は、昭和25年から。東京~湊町・鳥羽間で運転を開始、その後昭和28年11月の改正で鳥羽編成を独立させて、急行「伊勢」として単独運転となりました。

昭和30年時刻表から

昭和34年7月、紀勢本線が全通しますと、新たに、急行那智が東京~新宮間で毎日運転の臨時列車として設定されました、東京~多気間は伊勢と併結運転とされました。

9月には早くも定期列車化され、更に名古屋で、能登と併結(当時、能登は東海道・北陸本線経由で運転されていました。)され、東京~名古屋間は珍しい3層建ての列車として運転されました。

編成表 3列車へいけつになっていることに注目

昭和36年10月の改正では、伊勢・那智と能登は単独運転に戻りましたが、伊勢と那智は引き続き併結列車として運転されることになります。

ちなみに、那智が紀伊のルーツと言えそうです。

さて、肝心の和歌山へ直通する列車が走り出したのは少し遅くて。昭和37年3月の改正からだったそうで、普通列車に連結されて和歌山市から出発、紀和駅(当時は和歌山駅)。紀伊中ノ島駅と経由して王寺まで各駅に停車、王寺駅で急行大和の一員となった寝台車は一路東京まで・・・なお、和歌山に戻る場合は王寺で切り離されて普通列車に併結、11時過ぎに和歌山に帰ってくるというダイヤでした。
当時は、まだ紀和駅には客車区の整備施設が残っていたのでそこで寝台車の清掃等が行われていたようです。


なお、急行大和は、新幹線開業後は「伊勢」が上りと下りで下りは「大和」と上りは「那智」と併結される変則となりました。

昭和38年の編成表 中間に和歌山市行きB寝台車が連結されています。

再び昭和40年10月の改正では大和と能登が併結されたそうですが、和歌山市行きの1両の寝台車については変更はありませんでした。

昭和42年時刻表

しかし、昭和43年10月の時刻改正で大和は紀伊に統合され運転区間も王寺までとなり(奈良~王寺間は普通列車)となって和歌山線直通列車も廃止され、王寺で普通列車に乗り換えることとなり、ここに寝台車で優雅に和歌山から直通出来た時代は終わりを告げたのでした。

昭和43年時刻表から、王寺止まりになっているのがご理解いただけると思います。

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「つばめを動かすひとたち 」日映科学映画製作所1954年製作

2016-08-05 12:55:07 | 国鉄思いで夜話
ご存じの方も多いかと思いますが、かなり有名な記録映画ですよね。
58の検修する横でスカ線が走っていますから東京機関区での撮影なんでしょね。、

「つばめを動かすひとたち 」日映科学映画製作所1954年製作
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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第四話

2016-08-05 11:45:29 | 国鉄関連_国会審議
みなさまこんばんは。
しばし時間が開いてしまいました、今回は塩川運輸大臣の答弁から見ていこうと思います。
塩川大臣は当時の見解として、第2次石油ショック等もあり、「石油エネルギー使用に対する相当な経済的、社会的な制約というものが加わってくると思う」という見解を述べておられるのですが、実際には第2次石油ショックなどを経ても、昭和48年のパニックになるようなことは有りませんでしたので、鉄道をキーとした輸送力の再編は行われることは有りませんでした。

> 、現在国鉄、この国鉄は、いわば病める巨象のような形になっておりますけれども、これの体質を一回改善をいたしまして、非常な体力を回復したときにその特性を発揮し得るような、つまり先ほど説明しておりましたように、大都市間を結ぶいわば基幹鉄道としての旅客であれ貨物であれ、それを受け入れられる体勢をとっていくということができるならば、私はこれは省エネルギーの観点から言い、また国民経済の観点から言い、やっぱりそういうことが望まれておると私は思うのであります。そのためにも何としても体質改善、つまり国鉄の再建を図らなきゃなりませんと、こう思うている次第です。

江島議員の見解は、国鉄の管理局長として素直な見解だと思いますし、現在のJRに対しても同じ感覚があるのではないでしょうか。
JR四国などでもそうですが、高速道路が建設されることで当然のことながら並行する鉄道は少なからず影響を受ける。
現在京奈和道が建設されていますが、こうした開通も長い目で見れば和歌山線の経営に影響を及ぼすわけで、開通を喜んでいたら地元の線路が無くなった・・・・なんていう笑えない話も出てくるのではないかと危惧しております。
結局30年前から言われている、総合交通体系というものが未だに出来ていないのは政治の貧困と言われても仕方がないと思うのは私だけでしょうか。

参考 和歌山県京奈和自動車道建設促進協議会

> いままで感じておったのは、非常に道路関係、運輸省関係の方が、先ほどのお話にございましたように財源を持っておるということで強いですので、ぜひ閣議においても建設大臣関係に負けないようにその辺の正しい総合交通ができるようにいろいろお願いしたいと思うわけでございます。

さらに、江藤議員の質問は続き、「国鉄の有する特性も十分に発揮しうるよう配慮しつつ、具体的施策を講じて行くこととします。」ことに関して質問がなされています。

> 去年の十二月の二十九日に閣議了解事項が出ております。その中で、いろいろ拝見しておりますと、鉄道の再建のために経営改善措置ということだとかございますが、「行財政上の措置」という項がございまして、そこでは、「運輸政策の推進にあたっては、各交通機関の特性を生かした効率的な交通体系の形成を図る観点から、国鉄の有する特性も十分に発揮しうるよう配慮しつつ、具体的施策を講じて行くこととします。」と書いてありますけれども、この「具体的施策」ということに関しては何らそれ以上のコメントがないんですが、たとえばどういうことを考えておられるのか、お聞きしたいと思います。

その件に関して、運輸省鉄道監督局長山地進氏は、下記のように回答していますが。
正直歯切れが悪いといいますか、運賃政策、設備投資の問題ということでどうも逃げているように見受けられるんですね。
鉄道が、何故道路財源のような財源を使えないのかと言ったことに踏み込めていないのは、それなりの事情があったのかと思います。

> 政府委員(山地進君) いまいろいろ御議論がございましたように、運賃政策の問題が一つございます。それから、基本的な設備投資の問題がございます。それからさらに、トラックの過積み規制等いろいろ競争条件の整備の問題、それらのものを総合的に運輸政策上の配慮と私どもとしては考えているわけでございます。

簡単ではございますが、自分なりに解説を加えさせていただきました。

あと、個人的に補足させていただきますと、国鉄の特性を発揮できる分野というのは中長距離と呼ばれる輸送と、大都市圏輸送です。
大都市圏輸送はご存じのとおり、鉄道という固定インフラはその建設に膨大な費用が掛かりますが、維持は比較的少なめ、なおかつ時間単位の輸送量が大きいため大量・高速に運べば運ぶほど効率は良くなります。反面ローカル線のように利用者が極端に少ないと運賃で賄おうと思うとかなり高額な負担を乗客に強いる結果となり得策ではありません。
ローカル線自体が赤字でも、それが接続する路線のプラスになるのであれば、ローカル線の赤字分は相殺できるかもしれませんが。そうでない場合は全く意味をなさないと言えましょう。画像は和歌山線 船戸駅での交換風景

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************************以下、本文になります。***********************

○国務大臣(塩川正十郎君) いま江島さんのお尋ねになっているのは、総合交通政策の中で鉄道というものをどう位置づけていくのかという、この問題をめぐりましてのいろいろと御質問があったわけでございますが、私は将来にわたる鉄道というものは、必ず、依然として国の基幹交通機関として維持発展していくものだと思うております。
 それはあると思うております。したがって、どのように位置づけるかということの質問の中で、先ほど総務審議官が申しておりますように、鉄道としての特性というものがあるわけでございますから、これを十分発揮するような方向に投資なりあるいは管理形態というものを持っていくこと自体がこれからの鉄道のあり方にふさわしいものになってくる、こう思うて現在でもエネルギー事情が相当複雑、かつ非常に困難な状態になってきておりますが、さらにこれから進んでまいりますと、石油エネルギー使用に対する相当な経済的、社会的な制約というものが加わってくると思う。その場合に、やはり大量輸送としての交通機関、つまり鉄道というものが必ず見直されるときがおるのであります。
 したがって、現在国鉄、この国鉄は、いわば病める巨象のような形になっておりますけれども、これの体質を一回改善をいたしまして、非常な体力を回復したときにその特性を発揮し得るような、つまり先ほど説明しておりましたように、大都市間を結ぶいわば基幹鉄道としての旅客であれ貨物であれ、それを受け入れられる体制をとっていくということができるならば、私はこれは省エネルギーの観点から言い、また国民経済の観点から言い、やっぱりそういうことが望まれておると私は思うのであります。そのためにも何としても体質改善、つまり国鉄の再建を図らなきゃならぬと、こう思うている次第です。
○江島淳君 大臣のおっしゃるとおりでありまして、そういうふうにぜひお願いしたいと思うわけでございます。
 特に、私が、ひが目じゃございませんが、いままで感じておったのは、非常に道路関係、建設省関係の方が、先ほどのお話にございましたように財源を持っておるということで強いので、ぜひ閣議においても建設大臣関係に負けないようにその辺の正しい総合交通ができるようにいろいろお願いしたいと思うわけでございます。
 それから、先ほどの総務審議官からの話でも、幹線輸送ではいいけれども、いろいろ末端においてさらに経費がかかるというお話がございましたが、もちろん物流ですからドア・ツー・ドアの一貫した輸送が必要なのでありますから、それができるような鉄道にしなくちゃならぬ。そのためには金も要るということでありまして、そういうことで必要な金をどっちに向けたらいいかということを検討していただかなくちゃならぬと思うわけでありますから、よろしくお願いしたいと思います。
 それから、これも総合交通政策に関することでございますが、去年の十二月の二十九日に閣議了解事項が出ております。その中で、いろいろ拝見しておりますと、鉄道の再建のために経営改善措置ということだとかございますが、「行財政上の措置」という項がございまして、そこでは、「運輸政策の推進にあたっては、各交通機関の特性を生かした効率的な交通体系の形成を図る観点から、国鉄の有する特性も十分に発揮しうるよう配慮しつつ、具体的施策を講じて行くこととする。」と書いてありますけれども、この「具体的施策」ということに関しては何らそれ以上のコメントがないんですが、たとえばどういうことを考えておられるのか、お聞きしたいと思います。
○政府委員(山地進君) いまいろいろ御議論がございましたように、運賃政策の問題が一つございます。それから、基本的な設備投資の問題がございます。それからさらに、トラックの過積み規制等いろいろ競争条件の整備の問題、それらのものを総合的に運輸政策上の配慮と私どもとしては考えているわけでございます。
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【記録映画】Vista car1958

2016-07-31 22:42:31 | その他雑談
近鉄では日本初の2階建て電車を開発、その時のニュース映像です。
当時製作されたビスタカーの試作車で、お世辞にもスマートとは言えない編成でした、私は現車を残念ながら見たことが無いのですが、2階建て車の開発はその後の近鉄特急を象徴することとなりました。

【記録映画】Vista car1958
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和歌山線に急行が走った頃

2016-07-30 10:39:07 | 国鉄思いで夜話

今でこそローカル列車しか走らない和歌山線ですがその昔、急行列車や東京行きの列車が走っていたのを覚えているでしょうか?

和歌山線は、和歌山~王寺を結ぶ路線ですが、現在の新在家~和歌山駅間の路線は昭和36年に敷設された貨物支線で、メインはあくまでも紀伊中ノ島経由となっていました。

今では、線路跡地には家が建ち当時の面影を残すのは紀伊中ノ島駅ホーム程度です。

そして、この短絡線を使ってかつては、白浜から東京方面に向かう列車が運転されていました。

その列車が、準急「南紀観光」号でした。
これは以前にも書きましたが、レディメードの団体旅行で、東京を出発後伊勢神宮・二見浦を経由して白浜で宿泊、翌日は和歌山線・奈良線経由で京都に、京都で乗客は宿泊、列車はそのまま前日京都観光した旅行客を乗せて一足先に東京に帰着すると言うパターンで、旧形客車の台枠のみを活用して改造されたオハネ17が主力車両として使われたようです。

なお、団体専用列車用の専用車は、車体裾部にクリーム色の帯を入れていたので直ぐ見分けがついたと言われています。

当時の写真を見ると、寝台車の裾部にクリーム色のラインを引いた寝台列車の編成を見る事が出来ます。

準急「はやたま」のヘッドマーク
さらには、昭和37年には新宮発和歌山経由名古屋行き準急「はまゆう」や、白浜口(現・白浜)発京都・名古屋行き「はやたま」が運転を開始したと記録されています。(当時の準急列車は管理局長権限で設置できた。)

準急「はまゆう」の試運転

他にも、急行大和に連結される普通列車が走っていました。
急行列車にするほどの需要が無いと言うか、集客することが目的で各駅に停車しながら乗客を拾っていく形で運転されており、17:52に和歌山市を出発、紀伊中ノ島駅を経由して王寺に20:59、3時間7分かけて王寺まで到着・・・今でしたら4時間もあれば和歌山から東京に到着してしまいますのでそう考えると何とものんびりした時代だったと思います。

昭和36年の時刻表から抜粋

こちらは、和歌山(紀和)駅の案内板などでは赤字で「東京」と書かれた時刻が印象的でした。

昭和42年の時刻表を参考に書いてみました。

この列車も実は昭和43年の改正で廃止されていますので、私の記憶にあるのは、昭和42年(1967)年ですので半世紀前の記憶と言うことになりそうです。(^^♪

東京行きの直通列車は廃止されましたが、準急「はまゆう」と「はやたま」は昭和42年に急行に格上げ、その後愛称統合で「しらはま」に統一されたのちも和歌山線を経由する優等列車として活躍していました。

昭和42年の時刻表から抜粋

昭和53年の紀勢本線電化後は、「急行きのくに」の格上げなどにより「急行しらはま」は昭和55年10月の改正で、和歌山~京都間のローカル急行に格下げされてしまいましたが、一番の観光地である白浜と繋がっていないことから、昭和59年には利用者数減少と言うことで廃止されてしまいました。

それ以降は、和歌山線には優等列車が走っていませんが、和歌山線の活性化と言う意味合いからも今一度優等列車が走って欲しいなぁと思う今日この頃です。笑

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参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第三話

2016-07-29 23:42:15 | 国鉄関連_国会審議
画像 Wikipediから引用

すみません、3週間以上も空けてしまいました。
内容が内容だけに、読んでいて面白くないだろうなぁと思いつつも、こうしたこともきちんとやはり検証していくことも大切かと思っています。
この審議録は昭和55年ですから実は30年以上前に議論された話なのですが、こうした議論が今も同じことを繰り返しているのはどうしたことかと怒りを感じるとともに、現在の技術をもってすれば解決できる課題もあるもしくは、ヒントがあるのかな、なんて思っています。

昭和55年当時でも、「交通機関のエネルギー消費量は国内の輸送機関につきましては全体のエネルギー消費の一四%、ただし石油だけで見ると二六%というような比較的大きなシェアになってまいります。」と言うように、言われていますが、現状でもさほどこのシェアは変わっていないような気がします。」
さらに、現状では原子力発電が停止していることによる石油消費の増大もあり、本格的にトラック輸送等で消費されるエネルギー消費をいかに抑えるか、総合交通体系というものを道路も含めて如何に考えていくかと言う曲がり角に来ているわけです。

そこで、「交通機関のエネルギー使用量というのをいかにして減らすか。それは先生先ほどからお話ございますような、鉄道のようなきわめてエネルギー効率のよろしいところに転換をしていくということが第一番目の要件かと思います。」
というお話になっていく訳です。
そのためには、「できるだけ公共交通機関の整備、またそれを利用していただきやすいようなサービスの向上というようなものを第一義的な政策として今後とも強化していかなきゃならぬ。」
と言われているわけで、その辺は全くその通りだと言えるのですが、現状はどうでしょうか?
道路は道路で整備、鉄道はといえば鉄道で整備するけれど並行在来線は切り離しと言うことで問題が大きくなっていると言う現状があります。
この辺は、むしろ当時よりもさらに後退していると言えましょう。

また、この指摘も注目に値すると思うのですが。
総合交通体系と言いながら、実際には、船・飛行機・鉄道 と 道路(車)ということで自動車を含めた総合交通体系を目指すべきなのに、それがなされていないと言う指摘がされています。

> 総合交通政策を検討していただいておると言いますけれども、私が一番、これは全般的に言えることでございますが、この運輸委員会でもいろいろ議論されておりますけれども、交通と運輸、総合交通といいましても、ここで議論されるのは鉄道、航空あるいは海上というふうなことの議論でありまして、道路が抜けておる。道路の方は建設委員会の方でいろいろまた議論がある。いろいろ会合に出ていましても、総合交通といっても、いまじゃ一番大きいウエートを占めておる道路がいつも外にあって、そして予算その他においても道路は道路財源の確保でもう大変だ。これは絶対に不可欠のものだと言って、いろいろなところで気勢を上げておられるということでありますから、総合交通体系で道路を外した総合交通の検討ということは意味がない、のじゃないかという感じがいたしますけれども、現実的にはいろいろな会合に出席しても、わりあいに道路は道路ということで独立をしておるということであります。

結局当時もそうですが、高速道路の建設が利権となってしまってその取り分に必死になっている、それがために本来総合的に議論すべき総合交通体系(自動車輸送を含めた)と言う議論が全くできていないことを指摘しています。

さらに、質問では、「トラックの輸送がふくそうしておる。それで、もういまの東名道路がパンクするから、第二東名が必要なのだということであります。
 ところが、一方を見ますと、東海道線の方は、貨物はまだまだ余裕があるじゃないかと思うわけです。一方ががらがら、そしてしかもその投資がしてあるということならば、同じ投資をするなら、その第二東名のものの分を東海道の貨物の辺にも注ぎ込んで、そしてお客も便利なように、乗りやすい、あるいは確実に荷物が低コストで運べるように投資するということが本当の総合交通体系じゃないかと思うのでありますが、どうも私が見ておりますと、建設省関係の道路関係の方がどんどん先に進んでいるような関係がある。」

この辺の指摘は非常に注目すべきことだと思うのですが、実際現在第二東名が建設されており、160km/h走行可能な道路として建設されている。
また、鉄道に対しては嫌がらせかと思うほど地方都市などでも高速道路が鉄道に沿うように延伸されていくと言う現実、結果的に鉄道利用が減って利用しづらくなる。

高速道路を作ったことで結果的に町が疲弊したと言う笑えない現実。
実際それが現実ですよね。

少なくとも現在の問題はすでに30年前に問題提起されているわけですから、逆に言えばそこに答えというかヒントが隠されているような気がします。


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****************以下は、本文になります。***********************

○政府委員(石月昭二君) 御指摘のごとく、交通機関のエネルギー消費量は国内の輸送機関につきましては全体のエネルギー消費の一四%、それから国際輸送機関を含めまして一六%ということでございます。しかし石油の消費量ということについて見ました場合には、これは二六%というような比較的大きなシェアになってまいります。また先生ただいまお話ございましたように、やはり交通機関は移動するものでございますので、ほかの燃料転換ということが非常にむずかしいという問題で、エネルギーの確保ということについてはきわめて細心な注意を払っていかなきゃならぬ問題だと思っております。
 したがいまして、私ども先ほど申し上げましたような形で将来のエネルギーの予測というものを精密にいたしているわけでございますけれども、まあ、これも予測でございますので、ただいまのイラン・イラク戦争のような突発的な問題もございますし、細心の上にも細心の注意を重ねて予測をしなけりゃいかぬと考えております。
 同時に、交通機関のエネルギー使用量というのをいかにして減らすか。それは先生先ほどからお話ございますような、鉄道のようなきわめてエネルギー効率のよろしいところに転換をしていくということが第一番目の要件かと思います。したがいまして、できるだけ公共交通機関の整備、またそれを利用していただきやすいようなサービスの向上というようなものを第一義的な政策として今後とも強化していかなきゃならぬ。
 それから第二番目といたしましては、現在使われております公共交通機関のエネルギー効率をより高めるという形での、たとえばトラックでございましたら、むだな交錯輸送を避けるための共同輸送であるとか、そのための帰り荷のあっせんであるとかいうようなソフトの政策も強化していかなきゃならぬ。さらには将来に備えまして、非常にむずかしい問題ではございますけれども、エネルギー源の転換もしくは現在のエネルギー消費を減らすような新技術の開発というような問題を進めていくというようなハード、ソフトの両面にわたりましたエネルギー政策につきまして、目下真剣に検討しているというのが実情でございます。
○江島淳君 早くそういうことなどを検討していただきたいと思うものでございます。
 それから、いま総合交通政策を検討していただいておると言いますけれども、私が一番、これは全般的に言えることでございますが、この運輸委員会でもいろいろ議論されておりますけれども、交通と運輸、総合交通といいましても、ここで議論されるのは鉄道、航空あるいは海上というふうなことの議論でありまして、道路が抜けておる。道路の方は建設委員会の方でいろいろまた議論がある。いろいろ会合に出ていましても、総合交通といっても、いまじゃ一番大きいウエートを占めておる道路がいつも外にあって、そして予算その他においても道路は道路財源の確保でもう大変だ。これは絶対に不可欠のものだと言って、いろいろなところで気勢を上げておられるということでありますから、総合交通体系で道路を外した総合交通の検討ということは意味がないんじゃないかという感じがいたしますけれども、現実的にはいろいろな会合に出席しても、わりあいに道路は道路ということで独立をしておるということであります。
 この八〇年というのは、いままでのような非常に景気のいい時代と違って、投資についてもプライオリティーをつけなきゃならぬ時代だどいうふうなことをよく言われておりますけれども、まず道路との総合交通体系で、たとえば投資をするときも、どちらが先行するかというふうなことの議論が一番大切なんじゃないかと思うわけです。
 たとえば、いろいろちまたに聞きますと、東京-名古屋間で、たとえば第二東名高速道路が必要だということが道路関係ではよく言われております。これは主に東名間の貨物が、非常にトラックの輸送がふくそうしておる。それで、もういまの東名道路がパンクするから、第二東名が必要なんだということであります。
 ところが、一方を見ますと、東海道線の方は、貨物はまだまだ余裕があるじゃないかと思うわけです。一方ががらがら、そしてしかもその投資がしてあるということならば、同じ投資をするなら、その第二東名のものの分を東海道の貨物の辺にも注ぎ込んで、そしてお客も便利なように、乗りやすい、あるいは確実に荷物が低コストで運べるように投資するということが本当の総合交通体系じゃないかと思うんでありますが、どうも私が見ておりますと、建設省関係の道路関係の方がどんどん先に進んでいるような関係がある。
 たとえば、いま整備五新幹線のこともいろいろ地方から言われておりますけれども、これに対して国土庁の方でも資料が出ておる。私もいつか拝見したのでありますけれども、そういうふうな資料を見ますと、非常に道路の方がいいというふうな印象を与えるような資料が非公式的にもできておるというふうなことでありますから、そういうものがいろいろなところでばらまかれますと、いまの総合交通体系で、来年に運政審の結論が出るという前に、すでにもう偏ったそういったような意見が非常に進んでおるという感じがするわけであります。したがいまして、本当に国民経済的に、何に投資したら一番正しいのか、国民経済としても、先ほど石月さんが言われたように、そういうふうな最もミニマムになるかということの検討をやる前に、そういうふうな道路は道路、ほかの機関は機関というふうなことがあるというのを非常に憂えるわけであります。
 したがいまして、これはぜひ運輸大臣にも閣議なんかでその辺のことを総合的にみんなで検討するというふうなことを特に強調していただきたいと思うんでありますが、そういう点に関しまして、いかがでございましょうか。
○政府委員(石月昭二君) 先生御指摘のように、現在の交通行政は、運輸省、建設省、警察庁というような各省に所管がまたがっております。したがいまして、総合性に欠けるという問題につきましては、そういう点もあろうかと思います。しかしながら、私どもこれから運輸政策審議会で議論いたします場合には、単に運輸省所管の交通施設だけではございませんで、道路も含めまして、たとえばその道路のコスト、それからエネルギー消費、それから要すれば需要量と道路コストというような関係も含めまして、各交通機関にわたりまして、施設整備のあり方、それから優先性、優劣というようなものについても議論をしていくつもりでございます。そういう意味におきまして、道路の問題もこの際十分に議論していきたいと思っておるわけでございます。
 それから、第二東名のことにつきましては、私も新聞で承知しておるところでございますが、一つには、やはり道路投資の方が進んで、鉄道の整備がおくれるという先生の御指摘かと思いますけれども、この点につきましては、道路の方の財源調達システムというものが非常にうまくできておると申しますか、鉄道の方で、そういう資金の調達システムというものが、非常に調達が困難になっておるというような事情が一つあろうかと思います。この点につきましては、そういう問題も踏まえまして、私ども過去に資金調達のための特会というようなものも要求してまいったわけでございますが、諸般の事情でこれが実現できなかったということは先生御承知のところだと思います。
 また、道路と鉄道の優劣の問題でございますけれども、これにつきましては、やはり鉄道の場合には、端末でどうしても自動車輸送を必要とする、小運送を必要とするというような問題もあり、それから現在の輸送機関選択の場合の荷主の選択基準というものが、トータルコストで物を考える。やはり幹線上の輸送コストだけでなくて、たとえばその端末輸送、さらには保管に要する費用というようなことも踏まえて輸送機関を選択する。したがって、幹線輸送が安くとも、大量に鉄道で輸送される場合には、それを保管する必要がある。
 そういうような場合には、やはり若干高くともトラック輸送を使った方がトータルコストで安いというような、いろいろ荷主サイドの事情というものもあろうかと思いますので、この点につきましては、鉄道の輸送がそういう荷主の需要に対応するような、たとえばコンテナ輸送であるとか、機動性に富み、なおかつ小ロットの輸送が可能であるような輸送であるとか、そういう形で、鉄道の側でサービスの改善その他の努力をしていかなければならないと考えておりますし、そのような努力が現に行われているというように理解しているところでございます。
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消えた釜めし屋 天王寺駅編

2016-07-22 07:32:53 | 国鉄思いで夜話
おはようございます、今日も少しだけ昔話などさせていただこうと思います。

天王寺駅の8番線側に「釜めし屋」さんだかががあったことを覚えている方はどれほどいるでしょうか。

今は、自動販売機などが並ぶスペースですが、当時は細長い店舗が並んでいました。
思い出すだけでも、喫茶店・「すっぽんの粉末?」、それと釜めし屋さんですかね。


これらの店舗は国鉄末期の昭和60年頃から出現して平成3年頃には消えていったように思うのですが、・・・実はこちらの「釜めし屋」も国鉄の民営化に際し、職員の職場対策で作られた国鉄直営店でした。

私も郵政局に通っていた頃は、阪和線4番線ホームの屋台共々良く利用させてもらったものです。

店は本当に狭くて細長い厨房とカウンター、一応座れるように配慮されていましたが椅子の後ろがすぐ出入り口と言うことで落ち着かない事甚だしかったように記憶しているのですが、さすがに30年ほど前の記憶なのでちょっとあやふやです。苦笑

まぁ、釜めし屋さんをよく利用した一つには国鉄(JR直営店)ということで利用していたと言ったところもあったかもしれません。

こうした直営店に配置された方、多くは国労の組合員で有ったと思います。
人材活用センター・直営売店…等々
ヤード系輸送の廃止に伴う機関車乗務員を中心とする過員問題は当然のことながら仕事がない人を産んでしまう結果となり、出向や期間を決めての派遣などが行われるとともに、他省庁や地方公務員への転職といったことも行われました。

そんな中で咲いた、いわばこうした直営店は時代の仇花とでも言うのでしょうか。

やがて、これら直営売店はJRの子会社に移行し、従業員も国鉄職員から一般の採用されたおばちゃん?などに変わっていったと記憶しています。

そんな中で、私自身が一番印象に残っているのが、大阪駅に有ったカレー屋さんです。

現在も大阪駅にハートインのコンビニの横に「カレーショップ」名称はちょっと忘れたのですが・・・有ったかと思うのですが。
私の記憶が確かならば、国鉄直営店でスタートしたように記憶しています。(もしかしたらそれ以前からあったかもしれませんが、大阪駅構内でカレーショップがあって、そこで国労の元運転士がそこでカレーを販売していたと言う記憶があるからです。

何故?と思われるかもしれませんが。
天王寺駅の場合は国労バッチとか付けていなかったのですが、大阪駅のカレー屋さんでは。胸に国労バッチをして名札が元の所属を書いた名札を着用。「元高槻電車区加藤」みたいな・・・・。
感じで自己主張していました。

だからすごく印象に残っているのです。

私自身、「国鉄は潰れない」、「親方日の丸」と言った言葉を母親から聞かされていましたので、「親方日の丸の企業」が今潰されようとしていることの凄く衝撃を受けて、幸い中等部と言って働きながら学べる環境に居たことから授業が終わってから毎日図書館でそうした記事をスクラップしたり、当時の「公企労レポート」をコピーして読み込んだりしていたものでした。

国鉄改革から30年以上経っていまこうして蘊蓄を語れるのも当時こうした資料を集めていたことも大きな要因だと思っています。

ただ、複数の引っ越しと経済的困窮などで手放してしまった資料や散逸してしまった資料も多数ですが、今一度体系的に整理して自分の中で発表して行ければと思っています。
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紀勢本線を走った夜行鈍行、「はやたま」のお話

2016-07-17 11:22:02 | 国鉄思いで夜話
国鉄時代、普通列車にも寝台車が付いていた時代がありました、接客態度が悪いとさんざん言われた国鉄でしたがこうしたハード面でのサービスは意外と良かったのかなぁ・・・なんて思っています。

画像 Wikipedia

さて、紀勢本線における夜行列車の歴史を遡ると戦前まで行ってしまうのですが、あまり古い話をしても面白くないでしょうから、紀勢本線電化前後の昭和50年頃からお話を始めたいと思います。

大阪から南紀方面への釣り客御用達の列車が現在は御坊止まりになっている天王寺23:00台に発車する列車で、当時は天王寺駅から直接環状線に乗り入れる経路は無かったので天王寺始発だったのですが、行止り式のホームどのようにして列車を入れていたのでしょうか?

紀勢本線直通の夜行列車の客車は竜華区所属であり、実は環状線よりの線路から阪和線ホームに上がる線路が当時は有ったのです。
現在は撤去されていますが、今でもその遺構を見る事が出来ます。
毎日、毎日、天王寺駅で機関車の位置を入れ替えて推進運転で昼間は普通列車の発着に使う7番・8番ホームに据え付けられるのでした。
特急・急行が1番・2番ホームに入って駅には中間改札が有り、いかにも優等列車の出発駅と言う風情だったのたいし、7番線で発車を待つ新宮行き(名古屋行き)普通列車(阪和線内はノンストップ)は、寝台車の検札以外は車掌も現れないのんびりした雰囲気だったのです。

さて、ここで時代の針を昭和51年頃に合わせたいと思います。
元々寝台列車の需要は、串本方面への釣り客の一部からの要望もあったことから最後尾に1両連結されていました。最盛期は2両あったような記憶もあるのですがその辺は不明瞭です。
なお、寝台券の発行に際しては、マルスではなく天王寺駅など一部の駅で昔ながらの手作業発券でした。

それが昭和51年3月、合理化の一環でマルスに収容することになったのです。
マルスは基本的に列車名と一意で紐づけされていたため普通列車と雖も指定席を導入する場合は愛称を付けてやる必要がありました。
現在も東海道本線を走る臨時運行の快速列車が「ながら」と言う愛称を付け、マリンライナーが快速でありながら愛称があるのは、そうした理由からです。

紀勢本線が全通する以前から天王寺始発の夜行列車は有って、天王寺方からの主な利用者は、串本方面に向かう太公望向であり、それ以外は和歌山まで行乗客で、和歌山市までの直通「最終快速」の役割も果たしていました。

余談ですが、昭和40年代にはサハ4801が夜行列車として、南海なんば駅から乗り入れて、和歌山駅で連結作業をしていたようですが、昭和50年頃にはその乗入客車も廃止になっていましたが、和歌山市発名古屋行きの列車は残されており、1両だけが機関車にけん引されて、和歌山市から和歌山駅まで走っていました。

(昭和45年の時刻表から 難波始発列車ありと明記されています。)

さて、当時寝台車を連結した普通列車は全国で4つの列車、北海道の「からまつ」、山陰本線の「山陰」。長崎本線を走った「ながさき」そして紀勢本線の夜行列車には「南紀」の愛称が命名されました。


実は、この南紀の愛称ですが名前が偉大過ぎたのか、昭和53年の時刻改正で天王寺~新宮間が電化されて、特急くろしおの運転系統が分断された際、勝浦から名古屋間を結ぶ特急列車の愛称に抜擢されてしまったのです。

これにより、新宮行き夜行列車は再び愛称を失ったのですが、今度は熊野速玉大社から取った「はやたま」の愛称で運転されるようになります。


その後約6年は安泰だったのですが、昭和59のダイヤ改正では老朽化した寝台車を廃止、同時に「はやたま」の愛称も廃止になります。同時に客車は12系に変更されました。
寝台車の廃止は残念でしたが、12系客車になったことは夏場の利用者にしてみれば快適性が増したことになりました。


その後、国鉄最後の改正と言われた昭和61年のダイヤ改正では、天王寺始発の列車は残ったものの、天王寺に5時に到着する列車が無くなってしまうとともに、12系客車から165系電車6連に変更、今までであれば和歌山市をこの列車に乗れば、天王寺5:00新大阪始発の新幹線に間に合わなくなってしまいました。



電車化のメリットはその加速性を生かして阪和線内も快速停車駅に停車することで利便性を図ったほか後ろ3両は田辺切り離しで、翌日の普通電車として運用に入っていましたが一番混雑する時間に3連で165系でしたからね、郵政局に通っているころよく利用しましたが大変でした。(^^♪

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