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粟田神社

2006-11-01 15:34:34 | SIGHT

粟田神社(あわたじんじゃ) 京都市東山区粟田口鍛冶町1

平安時代 清和天皇貞観18(876)年春に神祇官並びに陰陽寮より、この年隣境に兵災有りて秋には疫病多いに民を悩ます、と天皇に奏上された。天皇らだちに勅を下され、五畿七道(全国)の諸神に国家と民の安全を祈願された。
その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として、感神院祇園社(現八坂神社)に七日間祈願した。その満願の夜、興世の枕元に一人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたれば、我を祭れば必ず国家と民は安全なり。我は大己貴神なり。帝都の東祇園の東北に牛頭天王(素戔嗚尊)に縁の地有り。その処に我を祭るべし。」と言われて消えられた。興世は夢とは思わず、神意なりと朝廷に奏上し、勅命により奉行として、ただちにこの地に社を建てて御神霊をお祭りした。
承安2(1172)年高倉天皇が祇園会を上覧された時、神輿三基を祇園社に奉納された。その際以前の神輿に素戔嗚尊・奇稲田比賣命の御神霊を安置して、当社に御鎮座いただいた。これにより、三座となる。
右座合祀の聖天は湛海宝山律師(後に生駒の宝山寺の開祖となる)が寛文4(1664)年に第一世別当となられた時より歓喜天堂に祭られていたが明治の廃仏毀釈の際に失われたと思われていた。
しかし、最後の別当第23世が還俗し、神職となり自宅にて奉祭していた。そして、會孫である現在の宮司により、御本殿右座に合祀された。


拝殿


社殿 主座:素戔嗚尊・大己貴神
   左座:八大王子命
   右座:奇稲田姫命・神大市比賣命・佐須良比賣命


鍛冶神社 天一日神


北向稲荷神社 倉稲魂命


吉兵衛大明神


出世恵美須神社 事代主神・少名彦神
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