パンセ(みたいなものを目指して)

サッカー・音楽・本・旅・それから市民生活に関すること、普通の庶民が思いつく偏見と独断に満ちた省察(?)

判断力

2017年08月13日 08時41分38秒 | あれこれ考えること

カントに「判断力批判」という著作がある
名前は知っているが、回りくどいことをあれこれ言ってるようで
ツボにはまれば面白いかもしれないが、今のところ読む気がない作品だ

ところが「判断力」という言葉はかなり気になる言葉だ
人の一生はこの判断の連続 かも知れない
その判断が良いものか(自分にとって、みんなにとって)適切でないものか
たったその一瞬の選択で未来が大きく変わってしまう

話は飛ぶが、早押しクイズの得意な人の判断というのがなかなか興味深い
その人はクイズの答えがわかっているからボタンを推すのではないということだ
問題を聞いて直感的に「これは答えることができる」かどうかを判断してボタンを押すのだそうだ
「答えることができそうな感じ」判断の根拠はこれだけだ

囲碁や将棋でも持ち時間が無いときなどは「なんとなく行けそうな感じ」とか
「どこか気持ち悪い」といった自分のなかに浮かんでくる「勘」に依存している
もちろん、これは根拠のない思いつきではなくて、長年の勉強や経験から導かれる
洞察力のようなもので、大概の場合、それは当たっているし
対局者同士も同じ感覚、勘を持つようだ

さて、人は普段の生活でこの判断をどのように行っているか
実は案外無意識に、この様な根拠のない(?)判断をしているのではないか
いや根拠が無いということはないかもしれない
彼(彼女)にとっては生きている間に経験したことをベースに行う行為であって
まったく無責任なものではないのかもしれない

「勘」のような 判断力を持つには、普通はその分野に関して詳しかったり、
長年時間を費やしていることが必要となる
ところが人は関心分野がいくつもあることはなく、メインテーマとなる関心分野は限られる
メインテーマについてはまともに「勘」は働くが、
関心分野を外れると一気に頼りないものになる
そういう時は、誰かの判断を借りることなるかもしれない
それは「識者」の意見を参考にすることになる
ところが、それでもその識者を信じられるかどうかは、今度は個人体験による
判断力が働いて、この人は信じられるかどうかを、いったん考えてしまう 
(人の得ることのできる最高の判断は、その人が信用できるかどうかの判断なのかもしれない) 

つまりは、自分のなかに浮かんでくる「判断」を消し去ることは難しいということになる
ところがこの判断を簡単にすることができることがある
それは「損得」に直結することだ
損得は関連する面が多岐にわたるので、実は単純化できるわけはないのだが
無理やり自分に関することだけに割り切って判断をしてしまえば悩まなくて済む

未来に結びつく判断といえば選挙がある
国も地方も、実はよく知らない(人間性も感じ方も)人を選ぶ事になっている
知ることができるのはその人の仲間とか、その結果可能となりそうな出来事
その良し悪しで判断が行われることになる

時々、世間とは一体どっちなんだろうと考える
一つは、自分の意見に責任を持たず、政治的に主体性がなく、劣等と評価せざるを得ない
自らの判断能力を疑うことをすらしない民衆の集合(大衆)なのか
それとも、結果的により良きものを選ぶ(最悪を避ける)能力のある存在なのか
どちらに転ぶか、、、それはその国や地方の持っている運、、なのかな

お盆にはふさわしくない、まとまりのないどうでもいい話





 



 

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