パンセ(みたいなものを目指して)

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まとまらない話(選挙の判断について)

2017年10月31日 08時43分21秒 | あれこれ考えること

迷惑な台風が2週連続して日本列島を襲い
迷惑な自分勝手な解散のせいで2週連続して選挙を行うことになった新城市
その後半戦の新城市長と市議会議員の選挙が29日終わった
可哀想なのは市の関係職員、まさにてんやわんやの様相
天候が良くない為に期日前投票を利用する人が多く
専用の駐車場に案内する人は傘をさし合羽を着て、それでも少しばかり濡れて
寒い中立ちっぱなしで、ローテーションでお役目が変わるというものの本当にご苦労様といったところ
それが2週間も続けてとなると、、ちょいと国に文句を言いたくなる  だろうな

市長選と市議会選挙は、いままでなら自分はほとんど市民の権利(投票)を発揮するだけだったが
今回は当事者や関係者とは言えないまでも、少しばかり興味を持って眺めた
でもその関心は選挙そのものというよりは別のこと
「人はどのように判断をするのか」ということ

政策論争やマニフェスト、選挙戦術や後援会の活動、ネガティブキャンペーンや途中での
現状分析、どの陣営の支持層が寝返ってどうのこうの、、といった生々しい話は
選挙を戦いとかお祭りのようにどこかハイテンションになる人
あるいは評論家風に自説を披露する人には絶好の機会だっただろうが
正直なところ選挙の勝ち負けというよりは、
人は何を根拠に選んだのだろうか、、といったことのほうが気になる

そしてそれは、そもそも論に立ち返り、人は多くの人が選択するというシステムで果たして
より良い未来を選択することが可能なのか 、、といった疑問まで及ぶ
なんとなく選んでしなう(この選び方の多様さにはどんなものが有るか)未来への選択
(はたして熟慮・理性による判断はあったか)
時間が経過してからでないと結果がでない未来に対して、はたして責任が取れるものか
責任が取れないとしたら、せめて覚悟は自覚していたか
(ナチスのは合法的に権力を把握した面もある)

でも人はこんなことは普通気にしない
ほとんどの場合、一部の人を除いて多分なんとなくという判断をする
この無意識のような判断、それが間違いなさそうなのか、、それとも危ないのか
最近読んだのが認知心理学系の「選択の科学」「ファスト&ロー」の影響もあって
このところが気になる

人は当事者にならない限り真剣に考えたり行動したり出来ないものだ
当事者でない人たちはどうしても無関心に陥りがちで当事者として考えるべき
と説かれるわけだが、強制されてもこれが出来ないのが現実
そのうちに当事者となる可能性があっても、今は当事者ではない場合は結局他人事

何か話が変な方に進んできたぞ(いつものことか)
少し仕切り直して、再び選挙時の判断について
後援会とか応援団に気が進まず参加するように強いられた人は
その選択を指示通りするのか、それとも匿名でわからないから面従腹背で
自分の中に浮かぶ上がってくるもので行うのか、、
この自分の中に浮かび上がってくるものを信じるか信じないか、、
このあたりが一番気になるところだが、やっぱり人は自分で責任もって
判断するのは面倒だし辛いと思ってしまうのだろうか

一体、何が言いたんだか、、ホントまとまらない話、情けない、、、

 

 

 


 

 

 



 

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