パンセ(みたいなものを目指して)

サッカー・音楽・本・旅・それから市民生活に関すること、普通の庶民が思いつく偏見と独断に満ちた省察(?)

「奔馬」の中で扱われた、フルトヴェングラーの音楽のこと

2017年05月15日 08時24分27秒 | 

GWにはヴァーグナーの4部作ではなくて、日本の作家の4部作を読もうとした
「春の雪」「奔馬」『暁の寺」「天人五衰」と続く三島由紀夫の「豊饒の海」だ
波長が合う作家ではないので結構苦労しているが、現在は2作目の「奔馬」
(ここに来てこれから先読み終えられるか疑問になってきたが)
その中で、本筋とはまったく関係のないエピソード(文章)に出会った

それは作品中の登場人物がレコードを聴くシーン
時代は昭和の戦前の話で、もちろん今のような環境ではない
いわゆるSPレコードの類を聴くこととなったが
ポリドール・レコードでリヒャルト・シュトラウスの「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を
フルトヴェングラーが指揮したものを聴くシーンだ

ここになかなか興味深い描写がある

このレコードは久しく聴かれなかった。そこで愉しい音楽を聴こうと思われた宮は、
冒頭に弱音のホルンで吹かれるティルの主題を耳にするや否や、自分はレコードの選び方を
まちがえた、今自分が聴きたいと思った音楽はこれではない、という感じを即座に持たれた。
それは陽気な悪戯気たっぷりなティルではなくて、フルトヴェングラーが拵(こしらえ)た、淋しい
孤独な、意識の底まで水晶のように透いて見えるティルだったからである。

相変わらず饒舌な描写と思われるが、それでも、なかなか直感的な本質はついているような
気がしないではない
フルトヴェングラーの醸し出す音・音楽は、そのように感じても仕方のない幻想を導き出す

毎年ノーベル賞候補にあがる村上春樹氏の小説にも多くの音楽のことが取り上げられる
自分が「1Q84」を読もうとしたのは冒頭にヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のことが
取り上げられていたからで、「利口な女狐の物語」を聴いて以来、ヤナーチェクは無関心で
いられない作曲家となっていた
それで、このシンフォニエッタがどのように描写されているかを読んだはずだが
例のごとく忘れてしまっている 
その他にも「1Q84」には多くの音楽が登場したが、多く登場したという印象しか残っていない

そして最近作「騎士団長殺し」はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」が扱われているようだが
今のところ触手は伸びない
どうも相性が良くないみたいようだ

話は「奔馬」の三島由紀夫に戻って、やはり何かを感じる人は、何かを感じとるのだろう
フルトヴェングラーの音は実際、何かが違う
それが何かは、言葉で表せるものかどうかわからない
ただ何かと違う、、という感じだけが残る

この「奔馬」はどうにも理解できない思い込みや、一方的な美意識に全体が支配されていて
いつまで経っても共感できないものとなっているが、この音楽に関する一文だけは納得できる 

と、文句を言いつつも
「春の雪」で舞台となった月修院のモデルとなった奈良の「圓照寺」とか
「奔馬」で取り上げられた「率川神社」には機会を見つけて
一度行ってみたいと思ったりする、、

行きたい場所とか、読みたい本、聴きたい音楽とは、
こんな風に連想のリレーで 次々に現れてくるものだ
(そのうち忘れてしまうかもしれないが、、、) 

 



 

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