パンセ(みたいなものを目指して)

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楽しみな新国立劇場の「神々の黄昏」

2017年09月22日 08時21分54秒 | 音楽

Hagen,was tust du?(ハーゲン、何をする?)

リヒャルト・ヴァーグナーの大作、ニーベルングの指輪
その最後の「神々の黄昏」を初めてレコードで全曲を聴いた時
記憶に残ったのはこのわかりやすいドイツ語のセリフだった
ヴォータンが期待を込めた恐れを知らない若者は、このハーゲンの一撃で
死の世界に旅立つことになる

それは指輪を持った者にかけられた呪いのせいで、この指輪を持ったものは
みんな不幸になっていく運命を被ることになる
指輪は元々は愛を断念した者に、世界を支配する力を与えるというものだが
ヴォータンの策略によって指輪を奪い取られたアルベリヒが、持つ者に不幸が訪れるように指輪に呪いをかけた
指輪の持ち主は呪い通りに みんな死を迎えることになる
「ニーベルングの指輪」とはアルベリヒの属する「ニーベルング族」の指輪という意味で
ワルキューレやジークフリートが舞台上では主役だが、現実的に物語を裏で支配しているのは
この「愛を断念したのもには世界を支配する力が与えられるが、それには呪いがかけられている」
指輪への欲望で、どの時代、どの世界にも通用しそうな普遍的な物語となっている 

北欧神話とニーベルンゲンの歌を手本にしながら、自分自身でこの物語を作り上げ
作曲したヴァーグナーは、人間の奥に潜む嫌なものへの洞察がすごくて少しばかり
敬遠したくなる面もあるが、どうしようもなく惹かれてしまうのもまた事実
世にいうワグネリアンとは、この魔術的な魅力から逃れられない人たちのこと
(物語というより彼の作り出す響きにぞっこん参る人の方が多いかもしれないが) 

この物語は多様な解釈が可能で、1976年のバイロイト音楽祭で演出家のシェローが
神話の物語を、モーニング姿をしたヴォータンなど現代劇に読み直ししてから
最近では少しついていけない演出まで出回るようになったらしい
(見ていないので分からないが、そういう噂)

10月は、見ることはないと思っていた「神々の黄昏」を見られる
物語は要は権力欲とか復讐に取り憑かれたものたちの物語だが
音楽がライトモチーフという人物・気持ち・自然・運命・魔法などを表したものが
言葉の後ろで奏されて、これがとても効果的で言葉で話されている以上の情報を得ることができる
(このライトモチーフはぞくぞくするほどカッコいい)

ただ困るのは、人間関係が予習しておかないと少しわかりにくいこと
このあたりは予習が必要かもしれない

ということで、前にも書いたが予習より復習が得意な方だが
今回はちょいと予習をしている
それもレコードで(フルトヴェングラーの古い録音)
それは何よりもセリフのやり取りを印刷したものが、圧倒的にCDのものより大きくて
老眼には読みやすいからだ
しかし、古いとはいうもののフルトヴェングラーの演奏は言葉が表に出るように感じられる
これは何故か考えなくては、、と思うが、今のところは物語の顛末を中心に聞くようにしている

しかし、ワグネリアンにはバカにされそうだが、ヴォータンはジークフリートに期待を寄せながら
何故、ワルワラ城に薪をたくさん配置して炎上してしまうようにしたのだろう
神々が黄昏てしまわないように、ジークフリートに期待したと思ったのだが
ここのあたりは現場で確認するしかないし、現地で誰かに聞いてみようかな(幕間に)

ところで、神々の黄昏と言うものの神のヴォータンは今回登場しない
このヴォータンについての、ちょっとしたやり取りが先日あった
小池都知事が最近のある時、眼帯をしていた
それを見たある人が「ヴォータンになっている」とつぶやいた
自分は「何と引き換えにしたのでしょう、、」と続けたら
いいね、だったかのアクションがあった

ヴォータンは片目と引き換えに何かを得た
さて小池さんは、、、
こういう分かる人しかわからない話は、ちょっと面白い
(と思うけど)

新国立劇場の「神々の黄昏」の公式サイトは⇒「神々の黄昏」


 

 

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