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まさか、外国人の作曲とは

2017-08-19 08:00:41 | 音楽
陸軍分列行進曲 ~ 昭和18年出陣学徒壮行会


昭和18年の学徒出陣。
この雨の神宮の映像を見たという人は少なからずいると思います。
私も、この映像は何度となく見たし、
そこに流れている行進曲が「抜刀隊」であるという事も知っていました。

この「抜刀隊」という歌は、
「日の丸行進曲」や「軍艦行進曲」と同じで、
その当時の日本人によって作られた曲であると、ずっと思っていました。

しかし、この「抜刀隊」
そして「抜刀隊」のメロディーを取り入れて出来た
「陸軍分列行進曲」が、まさか外国人によって作曲されたとは、
つい最近まで知らずに、ビックリしました。

この曲が作られたのは1886年(明治19年)といいますから、
かなり古くに作られた曲なのです。

大日本帝国陸軍軍楽隊の招聘教官、
(いわゆるお雇い外国人)として来日した、
フランス陸軍軍楽隊教官・シャルル・ルルーによって作曲されたのです。

ルルーは、この行進曲を作曲する前に、
西南戦争における抜刀隊の活躍を題材にとった軍歌「抜刀隊」と、
「扶桑歌」という二つの歌曲を作曲していて、
後にこの二つの曲を編曲し行進曲としたものが、
陸軍省制定の行進曲になったのです。
これは現在でも、陸上自衛隊や日本警察の行進曲として使用されています。

陸軍分列行進曲 ~Japanese army march past~



先日のブログで、
アップテンポの北京語と、
スローテンポの広東語の歌とが、同じ歌である事に、
何年間も気付かなかったという私の「耳」に自信が無くなった、
みたいな事を書いたのですが、
この曲も、ずっと日本古来みたいな思いがあったので、
そんな私の「耳」を、再び疑問視してしまったのです。

日本古来と思えば、そう思えるし、
フランス人作曲と言われれば「フランス的」だよな~とも思えるし。
私の「耳」など所詮、シロートなのかな~?


学徒出陣で思うのは、
実は私の妻の父親の事です。

彼女の父親は大正4年(1915年)生まれ。
昭和20年(1945年)の時は30歳でした。
太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)の時は26歳。

26歳の身体に何の障害も無い、普通の若者。
その身体強健の若者に、遂に招集令状(いわゆる赤紙)が来なかったのです。
そんな事って私もそうですが、
聞いた事など、まず皆無だと思います。
彼に赤紙がきていれば、妻は生まれていなかったかも知れません。
という事は私と夫婦になる事も無かったのです。

国民みなが「戦争・戦争」と大騒ぎの時に、
身体強健の26歳の若者に召集令状が来ない。
そんな奇跡みたいな事が本当にあったなんて、信じられない。絶句。

松本清張の小説に、
赤紙を巡る推理小説があった思います。
(町内会の活動とかに積極的に参加しなかった者が、
真っ先に招集され戦場に送られていった)とか・・

招集を受けながら、最後までそれを拒否し続け、
刑務所で拷問を受けながらも生きながらえたという実在の人とか。

そういった具合で(赤紙)に対する様々な出来事、
事実には事欠かない戦争秘話なのに、
一体、妻の父親が招集されなかったという奇跡的な事実は、
どういう事でそうなったのか?
真相を知りたいものです。




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