2011年3月11日。午後2時46分。
あの、忌まわしい東日本大震災が起き、
東北地方を恐ろしい大津波が襲いました。
その日から3ヶ月後の6月11日。
私は個人的に、宮城県・石巻の被災地に行き、
駅からさほど遠くない日和山(ひよりやま)公園の小高い丘から、
太平洋側を見て衝撃を受けた事は、以前のブログにも書きました。
それ以後、気仙沼・南三陸町・再び石巻・陸前高田と5回の被災地巡りをしました。
その度に、あまりの惨状に息を呑み、ただ呆然と立ちすくみ、
涙を流さずにはいられませんでした。
今回の石巻で6回目の巡礼となり、
もうこれで被災地巡礼はお終いにしようと思っていました。
と言うのは、
5年前の風景は無くなっていて、
今から被災地に行った人は、きっと「こんなもんか」としか感じないと思ったからです。
そこには、以前の風景は何処にも残ってなく、
津波というものが、どれほど物凄いものかといった風景は無いのです。
盛り土により真っ新な風景、見た事も無い風景が出来上がりつつあるのです。
その場で命を落として逝った人たちの「溜息」が聞こえてこないのです。
なので「もういいか、この辺でお終いにするか」と思っていました。
しかし、バラライカ忘年会で、
何回かご一緒した女性が、こんな事を言っていました。
彼女は、その時、石巻だったかに居て、津波に遭い、ひざ下まで津波が来たそうです。
その現場は未だに手つかずの状態なんだそうです。
同じ被災地でも、有名になった被災地(例えば奇跡の一本松)とかがある反面、
全く手つかずで現状のままといった場所がまだまだ残っているらしいのです。
彼女は被災者として、やはり私達部外者に、自分たちの現状を見て欲しい、
忘れないでいて欲しいと訴えている、そんな気がしました。
そうなんです、私の被災地巡礼はまだ行くべきなのかも知れない。
ずっと彼等を忘れない為に、祈る為に・・・
あの日の石巻。
全く、全ての街並みが海に流されてしまった。
現在の石巻。
被災者住宅も完成し、徐々に戻りつつある。
6.9メートルの津波のポール。
現在のポール。
がんばろう石巻・看板
現在の、がんばろう石巻看板。
この被災地は、山側に被災者の高層ビルが建ち、
海側は、国立公園として大きな公園となるそうです。
津波火災で全焼した門脇小学校。
この学校は記念碑として存続されるとの事。
私達の乗ったタクシーの方の話では、
この地では夜になると被災者の幽霊が多数出て、
皆、ここに来るのを嫌がったそうですが、
この名刹(西光寺)に、あのチベットのダライラマが来てからは、
全く出現しなくなったそうです。
しかし、6.9メートル記念ポールの隣に設置されている、
仮設記念館みたいな所に居た係員(石巻専修大学生)の話では、
「幽霊であってもいいから逢いたい」という方が多いそうです。
その切ない思いに、泣きそうになってしまいました。
熊本に地震があって、世間は今、そっちに心が行ってるみたいですが、
地震と津波ではまるで違います。
地震は、故郷の風景は残っています。
しかし、津波は風景そのものが無くなってしまうんです。
なにもかもが、根こそぎ無くなってしまうんです。
これほどの災害はありません。
私達は、絶対に彼等を忘れてはなりません。
私も、ずっと見続けていかなければ。
あの、忌まわしい東日本大震災が起き、
東北地方を恐ろしい大津波が襲いました。
その日から3ヶ月後の6月11日。
私は個人的に、宮城県・石巻の被災地に行き、
駅からさほど遠くない日和山(ひよりやま)公園の小高い丘から、
太平洋側を見て衝撃を受けた事は、以前のブログにも書きました。
それ以後、気仙沼・南三陸町・再び石巻・陸前高田と5回の被災地巡りをしました。
その度に、あまりの惨状に息を呑み、ただ呆然と立ちすくみ、
涙を流さずにはいられませんでした。
今回の石巻で6回目の巡礼となり、
もうこれで被災地巡礼はお終いにしようと思っていました。
と言うのは、
5年前の風景は無くなっていて、
今から被災地に行った人は、きっと「こんなもんか」としか感じないと思ったからです。
そこには、以前の風景は何処にも残ってなく、
津波というものが、どれほど物凄いものかといった風景は無いのです。
盛り土により真っ新な風景、見た事も無い風景が出来上がりつつあるのです。
その場で命を落として逝った人たちの「溜息」が聞こえてこないのです。
なので「もういいか、この辺でお終いにするか」と思っていました。
しかし、バラライカ忘年会で、
何回かご一緒した女性が、こんな事を言っていました。
彼女は、その時、石巻だったかに居て、津波に遭い、ひざ下まで津波が来たそうです。
その現場は未だに手つかずの状態なんだそうです。
同じ被災地でも、有名になった被災地(例えば奇跡の一本松)とかがある反面、
全く手つかずで現状のままといった場所がまだまだ残っているらしいのです。
彼女は被災者として、やはり私達部外者に、自分たちの現状を見て欲しい、
忘れないでいて欲しいと訴えている、そんな気がしました。
そうなんです、私の被災地巡礼はまだ行くべきなのかも知れない。
ずっと彼等を忘れない為に、祈る為に・・・
あの日の石巻。
全く、全ての街並みが海に流されてしまった。
現在の石巻。
被災者住宅も完成し、徐々に戻りつつある。
6.9メートルの津波のポール。
現在のポール。
がんばろう石巻・看板
現在の、がんばろう石巻看板。
この被災地は、山側に被災者の高層ビルが建ち、
海側は、国立公園として大きな公園となるそうです。
津波火災で全焼した門脇小学校。
この学校は記念碑として存続されるとの事。
私達の乗ったタクシーの方の話では、
この地では夜になると被災者の幽霊が多数出て、
皆、ここに来るのを嫌がったそうですが、
この名刹(西光寺)に、あのチベットのダライラマが来てからは、
全く出現しなくなったそうです。
しかし、6.9メートル記念ポールの隣に設置されている、
仮設記念館みたいな所に居た係員(石巻専修大学生)の話では、
「幽霊であってもいいから逢いたい」という方が多いそうです。
その切ない思いに、泣きそうになってしまいました。
熊本に地震があって、世間は今、そっちに心が行ってるみたいですが、
地震と津波ではまるで違います。
地震は、故郷の風景は残っています。
しかし、津波は風景そのものが無くなってしまうんです。
なにもかもが、根こそぎ無くなってしまうんです。
これほどの災害はありません。
私達は、絶対に彼等を忘れてはなりません。
私も、ずっと見続けていかなければ。
翌日、アチキたちは、市バスで「メディアテーク」に行きました。
残念ながら 月曜日で図書館などは、休刊日でしたが
7階に 被災地の当時と今のフォトが展示してありました。
やはり、当時と今を比較してみると本当に忘れては、行けないと思います。
PS.フォトメールが大変でしたらこちらにいくつか貼って頂けませんか!
あまりお勧めとはいい難いしね。
東北の悲しみを忘れない事は、日本人としての義務だと私は思います。
ところで、写真やり方が分からないんだけど、行ったかな~?