今日は「山の日」という事で、
NHK・BSでは、ドローンを使った北アルプスの番組をやっていました。
鏡平・鏡池からの有名な槍ヶ岳の写真です。
鏡平から双六岳、三俣蓮華岳~槍ヶ岳~南岳~大キレット~北穂高岳というルートでした。
ドローンという新兵器は過去は絶対に見る事のできなかった、
物凄い映像を見る事の出来る、本当に凄い優れものですね。
それは有人のヘリコプターにも出来なかった映像を撮る事ができます。
無人だからこその危険地帯にも平気で入り込めるのですから。
私もこのルートを歩いた事があります。
その頃は正確な日記など書いていなかったので、
どっちからどっちに向かったのかもうろ覚えなんですが、
行った事は間違いなくあるのです(情けない)
槍ヶ岳も2回だったのか3回だったのか正確な記憶が無いのです。
本当に情けないし、勿体ない事をしたもんです。
槍ヶ岳山荘と槍ヶ岳の頂上。
山荘から頂上までは混んでなければ30分で登れますが、
人が混雑してくると、小一時間かかったりします。
私は、初めて頂上に立った時は小雨で何も見えなかったので山荘から手ぶらで登ったのですが、
頂上に行くと見る見るうちにガスが切れ大絶景が見えてきたのです。
それどころか、生まれて初めての(ブロッケン現象)に遭遇したのです。
しかし、それを撮るカメラは山荘に置いてきているのです。
「あ~、なんという事だッ!」
おまけに山頂には、私以外に2人の男たちが居たのです。
「こいつらさえ居なければ、俺だけの頂上だったのに」
私はそいつらを蹴飛ばして叩き落したくなりました。
穂高は私が最も愛した山でした。
穂高さえあれば他に何も要らないという山でした。
と言っても、数えきれない程とかのレベルではなく、
ほんの数回でしかありません。
でも、奥穂高岳からの大展望は(日本一)だと私は思っています。
穂高岳には北穂高・前穂高・奥穂高・西穂高の4つのピークがあります。
西穂高岳。
ここから西に2時間だったかな?の所に西穂高山荘があります。
殆どの人はこの西穂高岳で、山荘に引き返します。
ここから先は、あまりにも危険で長丁場なのです。
山荘から東の奥穂高岳までが、北アルプス最難関ルートで、
コースタイムは8~10時間ですが、
当時59歳の私は12時間歩き尽めで奥穂高山荘に夕方の4時に着きました。
それを成し遂げた時は、精も根も尽き果てて、テーブルの上にぶっ倒れて、
10分間くらいは身動きひとつ出来ませんでした。
でも、その達成感、その感動は今思い出しても・・凄かった。
あれだけの達成感と感動は、私の人生では、もう多分、無いでしょう。
ジャンダルム。
この映像を見て感動しない山男は、まず居ないと・・私は思うのです。
ジャンの頂上に数人の人が立っているのが見えますね。
奥穂からジャンダルムに向かうパーティー。
ここには(馬の背)と呼ばれる危険な場所があります。
ジャンダルム・・衛兵(奥穂高岳を護る衛兵)という意味のフランス語。
これを誰がフランス語で名付けたのか?
これが〇〇岳などと名付けたら、まるでつまらない印象だったでしょうね。
奥穂高岳から一時間の行程ですが、それは超危険ルートで、
私は奥穂高からは空身(手ぶら)で行ったのと、
逆に西穂高から登ったのと2回登りました。
奥穂高岳からの山岳風景が日本一だと思うのは、
このジャンダルムと、反対側に見える槍ヶ岳があるからです。
その山岳風景はまさに(日本一)の大展望です。
これは、前穂高岳です。
このノコギリの様な形が、いわゆる(前穂北尾根)で、
昭和2年に、山をやる人は多分知っている「大島亮吉」が墜死した尾根です。
槍穂高全山縦走は59歳の時でした。
その後、後立山連峰縦走などに挑戦したのですが、
何故か身体が変化してしまい、(浮腫み)が出る様になってしまったのです。
大学病院などで精密検査をしても原因は判らず、
一旦浮腫みが出てしまうと、もうパワーなど出なくなってしまい、
それ以降、激しい登山の意欲は無くなり、
低山歩き(もともと低山歩きには、あまり興味もなく)も、
行かなくなってしまいました。
しかし、久しぶりに登山の意欲をかき立てられる様な番組を観てしまうと、
「俺はまた、あの奥穂高に行きたい」と・・思うのです。
本当に、奥穂高岳からの風景は・・日本一。
あそこに立ったら、死んでもいいと思うくらい、いいんです。
俺はもう一度、奥穂高岳の頂上に立ちたい。
NHK・BSでは、ドローンを使った北アルプスの番組をやっていました。
鏡平・鏡池からの有名な槍ヶ岳の写真です。
鏡平から双六岳、三俣蓮華岳~槍ヶ岳~南岳~大キレット~北穂高岳というルートでした。
ドローンという新兵器は過去は絶対に見る事のできなかった、
物凄い映像を見る事の出来る、本当に凄い優れものですね。
それは有人のヘリコプターにも出来なかった映像を撮る事ができます。
無人だからこその危険地帯にも平気で入り込めるのですから。
私もこのルートを歩いた事があります。
その頃は正確な日記など書いていなかったので、
どっちからどっちに向かったのかもうろ覚えなんですが、
行った事は間違いなくあるのです(情けない)
槍ヶ岳も2回だったのか3回だったのか正確な記憶が無いのです。
本当に情けないし、勿体ない事をしたもんです。
槍ヶ岳山荘と槍ヶ岳の頂上。
山荘から頂上までは混んでなければ30分で登れますが、
人が混雑してくると、小一時間かかったりします。
私は、初めて頂上に立った時は小雨で何も見えなかったので山荘から手ぶらで登ったのですが、
頂上に行くと見る見るうちにガスが切れ大絶景が見えてきたのです。
それどころか、生まれて初めての(ブロッケン現象)に遭遇したのです。
しかし、それを撮るカメラは山荘に置いてきているのです。
「あ~、なんという事だッ!」
おまけに山頂には、私以外に2人の男たちが居たのです。
「こいつらさえ居なければ、俺だけの頂上だったのに」
私はそいつらを蹴飛ばして叩き落したくなりました。
穂高は私が最も愛した山でした。
穂高さえあれば他に何も要らないという山でした。
と言っても、数えきれない程とかのレベルではなく、
ほんの数回でしかありません。
でも、奥穂高岳からの大展望は(日本一)だと私は思っています。
穂高岳には北穂高・前穂高・奥穂高・西穂高の4つのピークがあります。
西穂高岳。
ここから西に2時間だったかな?の所に西穂高山荘があります。
殆どの人はこの西穂高岳で、山荘に引き返します。
ここから先は、あまりにも危険で長丁場なのです。
山荘から東の奥穂高岳までが、北アルプス最難関ルートで、
コースタイムは8~10時間ですが、
当時59歳の私は12時間歩き尽めで奥穂高山荘に夕方の4時に着きました。
それを成し遂げた時は、精も根も尽き果てて、テーブルの上にぶっ倒れて、
10分間くらいは身動きひとつ出来ませんでした。
でも、その達成感、その感動は今思い出しても・・凄かった。
あれだけの達成感と感動は、私の人生では、もう多分、無いでしょう。
ジャンダルム。
この映像を見て感動しない山男は、まず居ないと・・私は思うのです。
ジャンの頂上に数人の人が立っているのが見えますね。
奥穂からジャンダルムに向かうパーティー。
ここには(馬の背)と呼ばれる危険な場所があります。
ジャンダルム・・衛兵(奥穂高岳を護る衛兵)という意味のフランス語。
これを誰がフランス語で名付けたのか?
これが〇〇岳などと名付けたら、まるでつまらない印象だったでしょうね。
奥穂高岳から一時間の行程ですが、それは超危険ルートで、
私は奥穂高からは空身(手ぶら)で行ったのと、
逆に西穂高から登ったのと2回登りました。
奥穂高岳からの山岳風景が日本一だと思うのは、
このジャンダルムと、反対側に見える槍ヶ岳があるからです。
その山岳風景はまさに(日本一)の大展望です。
これは、前穂高岳です。
このノコギリの様な形が、いわゆる(前穂北尾根)で、
昭和2年に、山をやる人は多分知っている「大島亮吉」が墜死した尾根です。
槍穂高全山縦走は59歳の時でした。
その後、後立山連峰縦走などに挑戦したのですが、
何故か身体が変化してしまい、(浮腫み)が出る様になってしまったのです。
大学病院などで精密検査をしても原因は判らず、
一旦浮腫みが出てしまうと、もうパワーなど出なくなってしまい、
それ以降、激しい登山の意欲は無くなり、
低山歩き(もともと低山歩きには、あまり興味もなく)も、
行かなくなってしまいました。
しかし、久しぶりに登山の意欲をかき立てられる様な番組を観てしまうと、
「俺はまた、あの奥穂高に行きたい」と・・思うのです。
本当に、奥穂高岳からの風景は・・日本一。
あそこに立ったら、死んでもいいと思うくらい、いいんです。
俺はもう一度、奥穂高岳の頂上に立ちたい。