びりたん

なつかしき冬の朝かな 湯をのめば 湯気がやはらかに顔にかかれり  (石川啄木)

考える 1

2011年11月04日 | Weblog

 わ菜園のブログを久しぶりに見ていたら、野口健さんのブログのリンク
が張ってあった。
 福島原発20キロ圏の世界
これを見て、考えた。
あんまりやと思った。



 自分の子供が、言葉を覚え。
例えば、りんごをりんごと言い、りんごとひらがなを読む。
うし、ぶたと読み、絵や写真でそれと分かる。
どんどん成長していく姿を見ていると、自分が人間であることを確認する。
この世に生まれて、こうやって少しずつ、大きくなってきたのか。

都市を車で走る。
上を飛行機が飛ぶ。
下を地下鉄が走る。

頭のいい人が、いろんなことを考え作って来た。
長い年月が積み重なった現代。


自分は現代の申し子だ。
逃げも隠れもしない。



牛には思い入れがある。酪農実習の際、牛にべろっと舌で手をなめられた時、
何か思いが通じた気がしたということ。
身体をさすると、おとなしくしていたこと。
共に過ごした日々。
そんな牛との記憶がやりばのない気持ちを起こさせる。



これは怒りかもしれない。
いったいなにを怒っているのか。

もしくは、悲しみかもしれない。
いったいなにを悲しむのか。


そうか、なるほど。
例えば、直接かかわっていないけれど、殺処分も。
食べていなくても、屠殺も。
かけていなくても農薬も・・・

あらゆる命を奪って成り立っている人間だ。
そんな社会の一員だと忘れていたことに怒り、悲しむ。
直接関わっていないということは、なんの救いにもならない。
それを胸に、少しずつ変化を願い、少しずつ行動する。


地球の歴史、人類の歴史、この膨大なうねりが現在へ
そして未来へ。


この壮大なバトン、はたして、どう次へ渡していけばいいのだろうか。








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もらう

2011年07月22日 | Weblog

 何かを他からもらうとうれしい。
 またもらう、またうれしい。

 もらうのが続くと、もらって当然と知らずに思ってしまう。

 「今日はないよ。」という言葉もなく、いつものジュースは
 その日なかった。
 なぜ、いらいらしているんやろう?
 たまたま、ある時とない時があるだけやんか。

 気づけば、いつもあると錯覚してしまう。
 これまでの間、思えば全てはそれの連続やった。

 


 昔見たテレビで、鈴木清順監督が「たまさかの美」というものを
 語っておられた。
 儚い桜や花火が人の心をとらえるように、ハッと心奪われる空の青と積乱雲の白の構成も
 すぐに変化してしまうように。

 身のまわりは日々、美しく。日々、発見の連続のはずやった。
 
 

 話変わって。
 あたかも、爪痕が元通りになる魔法があるかのように、清潔で聡明で万能な
 英雄がどこかにいるかのように、心の片隅でぼんやり思っている。
 
 ふとどこかで意見を読んで、「何言うとんねんこのおっさん」と思った自分も
 また同じように考えている部分があって、「同じか」と気づく。

 明と暗など、片方があってこそもう一方が引き立つ。

 明が多過ぎても、ほな、こなへんで暗で覆いましょか、とはならへんのと
 ちがうかなぁ。

 暗は明でなんぼでも覆いましょ・・・

 明は慣れたら、もっと明やないと明と感じなくなる思います。

 

 今、ネガティブなこと言うたら叩かれますね。

 表面的なとこばっか見聞きしてたら、また、巻き込まれて
 
 仕舞にはひどい扱いを受けるのはぼくらなんです。

 
 そんなん、まっぴらごめんですわ。
 

 

 
 
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earthquake(disaster)

2011年04月16日 | Weblog

 くるりの岸田さんの日記を読んで、平井憲夫さんという人を知った。

 3.11からずっと地震や原発事故が頭から離れない。

 今まで藤原新也さんのブログから武田邦彦さんのブログを読んで原発事故のマスコミと異なる意見を読んでいた。

 それにしても、岸田さんはミュージシャンやのによう考えたはるなぁと思う。

 
 ぼくはと言えば、ずっと震災や福島原発事故の話は夫婦でするくらいやけど、よく整理できていない。

 今住んでる伊賀で災害があったらどうするか、ちゃんと話せていない。 
非常持ち出しセットも準備できていない。

 電気を使って生活している。ネットも電気や。

 震災後、自分のくらしを見つめなおすようになった。

 そして、例えば(村上春樹さんのエルサレム賞の受賞スピーチの中に出てくる「壁と卵」の壁と卵の関係)
についても考えてみるようにしている。

 壁はもちろん巨大で堅牢、幾つあるかわからない。

 卵は弱く、一つとして同じものはない。

 

 
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internet

2011年04月09日 | Weblog
久しぶりの雨が降りました。
ここしばらく晴天が続いていたので、ほっとする雨です。
雨の前は、トラクターがあっちこっちの田んぼで耕耘していました。
よほど空気が乾燥していたのか、けっこうな土ぼこりが舞いあがっていました。
そのせいか、3日の夕方農業用貯水池で火災があり、初めて消防団員として出動しました。
幸い、小さな範囲ですみました。(釣り愛好家による煙草のポイ捨てではないかとのことです)


春シーズンホームセンターではナスやニガウリなど
野菜の苗が豊富になってきました。(今、植えると晩霜が危険と思うのですが)

びりたんでは、今夏に栽培予定のピーマンの苗が大きくなってきました。
家の裏に建てた育苗ハウスの中にビニールトンネルをして、下にもみ殻と
オカラと米ぬかなどを発酵させた踏み込み温床をしています。(現在、2回目の発酵で温床内部45℃ぐらい)
夜から早朝の気温がマイナスになることがありますが、トンネル内は10〜13℃を
キープしています。電熱線の温床などハウスを加温することに比べたらぎりぎりの
最低温度です。

引き続き、加温するために隣で3回目の発酵をさせます。
配合は、橋本力男先生から教わった炭素6:窒素4です。
オカラは水分が多いので調節して60%ほどにして、文字通り
足で全体を踏み込みます。

その他では、びりたんと言えば小かぶ(自分が言わないと誰も言ってくれない・・・)
間引き作業が続きます。

そして、2シーズン目のスナップエンドウ(品種はグルメ)。
ツルの巻きつきが弱いそうなので、テープナーやビニールテープを使ってネットに
しっかり誘引します。
それから、初挑戦の実エンドウ(品種はうすい)。
多くの方においしいと言ってもらえるように収穫までもっていきたいです。


 前回の投稿でもふれましたが、地域というものがよく分からない。
自分が育った、高島市のマキノ町上の山は高齢化が進んできた。
獣害もひどく、熊が出る、猿は隣人のように出る、猪が家の石垣を砕いた。
月に1回程度帰る父によると、大変な状況だ。
熊が来るから柿の木を切ってくれと住民に言われて、切ったとのことだ。
4〜5メートルはあった大きな木で、ずっと昔からあった木だった。
住民に若い人がいない。農業の担い手がいない。(父は仕事がないからではと言う)
約16年ほど暮らしたのに、戻ってなんとかしようと思わない自分は冷たいのだろうか・・・

関わることを避けている。

そんな立ち位置が全てに現れている。

ある時、自分のルーツは、田舎にある、農業にあると思った。
田舎で育ち、米を作る祖父母に育てられたからだ。

今、上の山では、以前はあったであろう地域の活力というか何かは、失われつつあるようだ。
家の裏の山は土砂崩れがあってはならないと、コンクリートで固められ、植えられた杉は
手入れされることもなく細長く育つ。
川はずいぶん前に護岸工事がなされ、石垣の間に生き物がいた時代は昔話となった。
川で遊び石垣に手を入れて魚をとった話はかろうじて父と共有できるが、分からない世代も増えたと思う。

そして、そんな田舎の悲鳴に手も足もでず、行って何とかしようともせず、今のところ活力がある伊賀市で自分のやりたいように農業をしている。
山形の生産者さんには、「田舎に戻って元気を取り戻すぜ!ってやれば若い力が集まって変わっていく。」
「何もできないと言って、逃げているだけだ。」と直球をいただいた。

地域のことも、日本のことも、世界中のことも考えてこなかったツケだろう。
利己的に自分の利益しか考えられないのである。

僕の好きな作家、藤原新也さんは歩く、行く、自分の目で見る。
インターネットで発信しても響く気がする。
対照的にこのブログの意味はないに等しい。

僕の人生の終わりがいつかはわからない。
そのいつやって来るか分からない時までに、一つ何かしたいと思う。
それは何か分からないが、一つやるのが精いっぱいやと思う。
むしろ一つできるかというとこだろう。
その一つというのは、誰にも気づかれないことかもしれない。
あいつは、何もしていないと言われるかもしれない。
これは全てに対してあきらめているわけではない。


閑話休題。
ときに、睡魔に襲われ横になることがある。(通報されるでと言われているが)
畑に牧草を蒔いたら、「より快適に寝るためやな。」とびり子に言われた。
日々、がんばっているのだが・・・






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communication

2011年03月26日 | Weblog
3月25日付毎日新聞朝刊の13面〜「論点」東日本大震災 住民どう救う〜
に寄稿されている3者の中で、玄侑宗久という作家さんが(ぼくは、あまり知らない人だったが・・・)
原子力発電所のことを龍にたとえておられて、さすが作家やなあと思った。

{(前半 略)津波ひとつでここまでコントロールできなくなり、そうでなくてもガラスで固化
した廃棄物は30年から50年間冷却して貯蔵し、その後は300メートルより
深く地中に埋めなくてはならない。このしぶとさは、まさに龍ではないか。
龍が太平洋プレートという巨大な亀の背で暴れているのだ。
 ヘタなプライドやウソは、龍には通用しない。龍にも市民にも、「誠」をもって
接しない国には、もとより龍など飼う資格はなかったのである。}


滋賀県のマキノ北小学校に通っていた時、山を越えて美浜の小学生が来て、原発が近くにあることを知った。
だからといって原発に興味も疑問も持たなかった。
知らないことは危険だと思う。自分が今、どんな位置にいるのか。
どんどん見えなくなっている。自分を守れなければ、当然家族も守れない。

インターネットも時々天気予報を見るだけ、毎日新聞も時間がないときは読めない、
ラジオはNHKしか聞かないが時々である。情報は少ない。

そもそも、グローバルだとか時代に(時代というものがあるのかどうか・・・)ついていけない。
頭が悪いからかもしれない。
かといって、ついていける何かがあるわけでもない。
要は、手も足も出ないのだ。


自分は今、居住地域でも、農業でも、危機管理でも、その他いろいろ、
かみ合ってないのである。
この日本がみんな連携しようとしている時期に!

ところで、何か話そうにも、さえぎられることがある。
話す速度が遅いのか。
「・・・っで。」(相手は待ち切れずにあいのてらしきものを)
その2、3秒待ってください。
テンポというそうだ。テンポが悪く、空気(空気って?)が読めない、おもしろくない
のは、あまり好まれないそうだ。

かみ合わないのは、コミュニケーションが下手だからかもしれない。



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