わ菜園のブログを久しぶりに見ていたら、野口健さんのブログのリンク
が張ってあった。
福島原発20キロ圏の世界
これを見て、考えた。
あんまりやと思った。
自分の子供が、言葉を覚え。
例えば、りんごをりんごと言い、りんごとひらがなを読む。
うし、ぶたと読み、絵や写真でそれと分かる。
どんどん成長していく姿を見ていると、自分が人間であることを確認する。
この世に生まれて、こうやって少しずつ、大きくなってきたのか。
都市を車で走る。
上を飛行機が飛ぶ。
下を地下鉄が走る。
頭のいい人が、いろんなことを考え作って来た。
長い年月が積み重なった現代。
自分は現代の申し子だ。
逃げも隠れもしない。
牛には思い入れがある。酪農実習の際、牛にべろっと舌で手をなめられた時、
何か思いが通じた気がしたということ。
身体をさすると、おとなしくしていたこと。
共に過ごした日々。
そんな牛との記憶がやりばのない気持ちを起こさせる。
これは怒りかもしれない。
いったいなにを怒っているのか。
もしくは、悲しみかもしれない。
いったいなにを悲しむのか。
そうか、なるほど。
例えば、直接かかわっていないけれど、殺処分も。
食べていなくても、屠殺も。
かけていなくても農薬も・・・
あらゆる命を奪って成り立っている人間だ。
そんな社会の一員だと忘れていたことに怒り、悲しむ。
直接関わっていないということは、なんの救いにもならない。
それを胸に、少しずつ変化を願い、少しずつ行動する。
地球の歴史、人類の歴史、この膨大なうねりが現在へ
そして未来へ。
この壮大なバトン、はたして、どう次へ渡していけばいいのだろうか。
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