「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

「終活」は「〝生〟活」

2017年07月13日 16時39分06秒 | Weblog

少し前から「終活」が話題になっている
自分が死んだ後の事を、あれこれと心配し
色々な手続きを済ませておく「活動」らしい
それも大事だが、もっと大事な事がある
それは「いかに生きているか」ということ
「前向きで賢明な生」があって初めて
「賢明で安心できる死」が訪れるはずだ

死後に関しては、軽々な事は言えない
ある人は「無」と言うし、ある宗教では
「天国(極楽)や地獄」「神の国」での
永遠の生を得られると言うし、あるカルト
では「七人の処女を与えられる神の国」
で生きられると喧伝しているが、誰も
その「後」を見た人はいない
誰かが「ただ言っているだけ」だ
まあ、大きな声では言えないが
「七人の処女を与えられる」と言うが
処女も関係を持てば、もう処女ではない
口うるさい(し、失礼…)女が七人も
常にそばにいてガミガミ文句を言われるのだ
これは、もう「天国」とは言えない
完全なる「地獄」だ
また、女性が「七人の処女」を貰って
どうするのか…? そもそも女性は天国
に行けないのか? もし行けるとしたら
代わりに「七人のチェリーボーイ」を貰うのか?
それは、一部のマニアックな女性を除
いて、皆、御免こうむるだろう
ともかく、そんな〝低俗で幼稚〟な天国は
常識で考えて「見なくとも」あり得ない
のは判る
まあ、死んだら「こうなった」という
レポートが出ない限り、「嘘が横行」の
世の中であることは間違いない
それにつけ込んで、詐欺師が跋扈する
それに騙されてはいけない
「賢明に生きる」のだ
「死後を説く」輩は、まず疑う事だ
彼らは「死」を体験していない
何故なら「生きているから」だ
臨死体験は死後の世界ではない
あれは、あくまでも「脳の活動」だ
そんなことより、「いかに生きるか」
を追求する哲学こそが、生きている
我々に必要だ

ちと話がそれた

小説家・山田風太郎(1922~2001)の著作に
人間臨終図鑑」というのがある。古今東西の
著名人の死に様を記録した名著だ
それを読んでいると、実に興味深い

例えば、アル・カポネ。誰もが知る
ギャングの帝王だ。イタリア移民の
子で、165センチと小柄だった
20年代の禁酒法時代に悪の限りを尽
くし、殺した人間は数限りない
32歳の時に、アンタッチャブル
すなわち脱税で検挙され11年の
懲役を食らう。服役中、梅毒が
進行し意味不明な事を言うよう
になる。出所後、卒中や肺炎で
苦しみ、48年の人生を閉じた
現役時代、巨万の富を手にした
カポネだったが、晩年は無一文
だった…

「風と共に去りぬ」の著者マー
ガレット・ミッチェルは、元々は
地方紙の記者だった。電力会社社
員の夫のジョンと結婚後、記者を
辞め家事に専念。その合間に、ア
メリカ南北戦争を題材とした壮大
な物語を書き始めた。27歳の時
九年後、完成した物語は世界中で
記録的なベストセラーとなる
物語に流れる〝愛〟が読者の心
を打ったのだ。その後、彼女は
作品を書くこともなく、莫大な
印税だけで暮らした
それから14年後、夫と共に映画
館に向かう途中、酔っ払い運転の
車に突進され、彼女は反射的に
夫から離れ、一人で歩道に戻ろ
うとしたが、車は夫を避けようと
ハンドルを切り、結果、彼女の方
に向かい衝突。彼女は49歳の生
涯を閉じた。夫の側を離れなかっ
たら、彼女は死ぬことはなかった
ろう。自らが書いた「風~」の主
人公のように、〝愛〟に生きてい
たならば…


中国の黄帝時代から前漢の武帝まで
の通史・百三十巻の大著「史記」を書
いた司馬遷は、漢帝の書記官だった
「史記」を書き始めた頃、親友の李
が部隊長として戦に赴いていた。李
は勇敢にも敵本陣に深く攻め入った
が、逆に攻められ全滅状態となる
李は敗戦の責任を問われたが、司馬
遷だけは彼を擁護した。それは責任
を問うた将軍への非難に通じる
武帝の怒りを買った司馬遷は、死罪
か宮刑(男根切除)を迫られる
なんとしても「史記」を完成させた
い司馬遷は、死よりも屈辱の宮刑を
選び、周囲の嘲笑のなかで仕事を続
けた。46歳の時だ。それから約10年
後、遂に「史記」を完成させ、それか
ら四年後に病死する。数ある歴史書の
中で、「史記」は時の権力に偏らない
〝真の歴史書〟として、未だに賞賛さ
れている

古来、仏教において肉食、妻帯は厳禁
である。一度の〝よう犯〟(女性との
関係)でも許されなかった鎌倉時代に
何人かの妻を持ち、子供も数人いた破
戒僧がいた。親鸞である。生前の彼は
たいした注目も浴びず、晩年は息子の
善鸞に裏切られ、失意のうちに89歳で
死んだが、彼の臨終を見た末娘が、不
安を母親に書き送っている。その内容
とは「生前、父は〝自らが入寂する際
は、確かな奇蹟が起こる。例えば釈迦
の入寂の時、大地が振動し天空に白い
虹が出たように〟と言っていたが、何
も起こらなかった。本当に父は浄土へ
行ったのか」と…。そういえば、彼の
師である法然が死んだときも、何の奇
蹟もなかったと、記録にはある
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