フィリピーナとネットで知り合い現地で会って年の差国際結婚
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今現地フィリピンでは、発給の難しくなった日本へのビザを待つ若くてマガンダのフィリピーナたちが溢れています。 日本国内の面白くなくなったフィリピンパブに惰性で通って無駄金使うより、ライブチャットで複数のアポを取り現地でマッタリしませんか? …と書いたころのフィリピーナライブチャットは良かったんですが、このところチャットのお客さんが激減して、チャットガールの質もバラケてきました。 ということで、チャット以外にもDate in Asia / TAGGED / Facebook を使って素人さんと仲良くなる方法もご紹介しています。 このブログでは、ライブチャットでのフィリピーナの選び方から、フィリピンへ行く時の注意点、チャット以外での連絡方法、そして私自身の再婚準備と同時進行で結婚手続きまでご紹介して行きます。
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今現地フィリピンでは、発給の難しくなった日本へのビザを待つ若くてマガンダのフィリピーナたちが溢れています。 日本国内の面白くなくなったフィリピンパブに惰性で通って無駄金使うより、ライブチャットで複数のアポを取り現地でマッタリしませんか? …と書いたころのフィリピーナライブチャットは良かったんですが、このところチャットのお客さんが激減して、チャットガールの質もバラケてきました。 ということで、チャット以外にもDate in Asia / TAGGED / Facebook を使って素人さんと仲良くなる方法もご紹介しています。 このブログでは、ライブチャットでのフィリピーナの選び方から、フィリピンへ行く時の注意点、チャット以外での連絡方法、そして私自身の再婚準備と同時進行で結婚手続きまでご紹介して行きます。
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いやあ低収入ですねん(^^;)
家賃と食費を引かれた形でしたが、ボーナスもなく毎月4〜6万円では、貯金もできませんでした。(^^ゞ
自営業で親と同居で低収入では結婚もできないと感じて、外へ働きに出たのは32才くらいだったでしょうか?
それから仕事を転々として、35才で結婚しました。
逗子市に住んで鎌倉で宅急便の配達を3年やり、ヤマト運輸の給料も上がってきたころに品川の実家に戻って通勤が大変なため(本当は営業所が変わって人間関係が悪化したせいですが…)退職しました。
東京海上の代理店研修生のときの給料が一番良かったですね。55万+ボーナスもありました。
ただ2年目から頑張れずにノルマをクリアできませんでした。
その後も色々な職種を経験しましたが、タクシーを始めたキッカケは、値下げで名を馳せた京都のMKタクシーが、東京でハイヤーを始めると騙されて、京都で2種免許を取って研修していてもなかなか東京での仕事は始まらず、結局タクシーとして営業が開始されたからなんです。
借金にメドがついてMKを辞める時には、もう二度とタクシーはやらない…と、心に誓いました。f(^_^)
つづく
私の海外旅行歴その3
しかしディスカバリーツアーの予約担当者が日本人なのに日本語が通じなくて、一度に2つ以上の要求をすると最初の1つしか正しく伝わらない事が何度も続いたため、国内線はPALかセブパシの公式サイトで、ホテルはagodaかホテルクラブで予約するようになりました。
ノースウエストも帰国便の時間が早朝すぎるので、4回使って5回目は溜まったマイルを消化してタダで渡比してからは、台北乗り継ぎの中華航空(チャイナエアラインズ)を多用しています。
チャイナは安いだけでなく、食事も機内サービスもPALより上だと思います。
明るいうちにマニラに着くし、帰りもマラテのホテルを8時に出ればいいので朝食が食べられます。
台北の桃園国際空港も綺麗に改築されて(まだ一部工事中ですが)、待合室でフリーwifiが使えるし、免税店やレストランは日本円が使えます。
PALの7周年記念プロモは往復3万円で、一度利用しました。
関空からセブパシに乗ってみたくて今話題の格安深夜バス往復で一度使ってみました。
次回6月の渡比では、行きがジェットスターで成田→マニラ。帰りはカミサン連れてセブパシでマニラ→クアラルンプールとエアアジアでクアラルンプール→羽田というLCCの組み合わせにしました。セブパシの遅延は当たり前ですが、欠航にならないことを祈ります。(^^;)
私の海外旅行歴その2
時は流れ、2002年に離婚してから初めて入った地元のフィリピンパブで、とあるフィリピーナに会って話をしているうちに、自分がフィリピンを含めた東南アジア諸国を無意識ながら侮蔑の対象にしていたことに気付き、痛く恥入ったのでした。
その後の数年で、沢山のフィリピーナと、フィリピーナ好きの日本人と知り合って、いつかは渡比したいと思いつつ、やっと初渡比できたのは2006年でした。
本当は3月に行く予定でしたが、1月に持病の腸閉塞が悪化し、緊急入院緊急手術となり、3ヶ月遅れて6月にフィリピンに旅立ちました。
前回の記事にもありますが、実は1977年にヨーロッパへ行った帰りに南回りでドバイで給油して、マニラに1泊しました。
ただ、乾燥した地中海の空気と違い、マニラに降り立った瞬間もわ〜っとした湿ったアジアの空気に触れて、ホテルから1歩も出ないで過ごしました。
ですからマニラに過去行っていたことすら忘れていました。
2006年には既にタレントビザが厳しくなっていて、再来日できないフィリピーナの友人が沢山いましたので、マニラとセブと、ブラカン、そしてアンヘレスに行こうと計画を立てました。
フィリピン航空(PAL)は成田からマニラとセブに直行便を飛ばしていたので、友人から紹介された旅工房という代理店に頼んで、ストップオーバーで成田→セブ→マニラ→成田という取り方でチケットを手配しました。
マニラとセブのホテルとボホール日帰りツアーは、ディスカバリーツアーに依頼しました。
セブ2泊でタレント2人に会いましたが、ドタキャンを想定してダブルブッキングしたら、2人共マクタン空港に現れて険悪なムードに…(^^;)
まあどちらも本命ではないので、翌日のボホールツアーは現地調達にしてお引き取り願いました。ヾ(^▽^)ノ
マニラでは3泊してチャットガール3組と会い、3組目はワンボックス車でホテルまで迎えに来てくれたので、マニラで合流していた日本人の友人と一緒に、ブラカンの彼女たちの家に行きました。
そこで友人と別れ、アンヘレスから車で迎えに来てくれた指名娘の家へ行き、アンヘレスの安ホテルに2泊して、バスでマニラに戻り、大きな荷物を2つ抱えて、初LRT2→LRTでホテルに帰り着きました。
アンヘレスではジプニーとトライシケルに乗りました。マニラでは、ぼったくりカレッサ(馬車)にも乗りました。(^^;)
カウボーイグリルとミュージック21とLAカフェにも行きました。
実に内容の濃い初渡比になりました。
以来、年に3〜4回行くようになりました。
つづく
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