図1 上賀茂神社の東側を流れるならの小川の傍に歌碑。
上賀茂神社の東側を流れる小川の傍に歌碑がある。百人一首にも選ばれている藤原家隆の和歌「風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける」と歌われた。ここで、「なら」とは奈良ではなくて、樹木の楢を意味する。
図2 ならの小川(御手洗川)の清冽な流れ。 加茂川の上流、柊の別れにある取水口から加茂川の水を取り入れ、神社の東側を南進した後、社家の領域で明神川と名を変えて上賀茂の農家を潤す。
春爛漫の桜狂想曲が終わったと思ったらもう葵祭りの季節!流鏑馬(やぶさめ)、禊(みそぎ)の儀、競馬(くらべうま)・・・と祭り行事が続く。賀茂街道や堀川通りの並木道の緑が滴るようである。これらの緑のトンネルの中を雅な王朝行列が通るさまは最も京都に似つかわしい。葵祭りは上賀茂、下賀茂両神社のお祭り!斎王代は葵祭りの主役で、毎年、5月4日に両神社のどちらかで禊の儀を執り行う。今年は上賀茂神社の予定!斎王代と女人列に参加する四十人の女性が御手洗川に手を浸して身を清める。下鴨神社と上賀茂神社両社で毎年交替で行われる。ならの小川(御手洗川)は 加茂川の上流、柊の別れにある取水口から加茂川の水を取り入れ、神社の東側を流れた後、社家の領域で明神川と名を変えて、上賀茂一帯の農家を潤す。賀茂一族が京都に移り住んで以来の水行政であろう。禊の儀は綺麗な水を大事にする行事とも取れる!
斉王代御禊の儀:08上賀茂神社: