Tia Viki ビッキーおばさん

2014-01-13 20:12:22 | Weblog
ビッキーおばさんが亡くなった。
夏にラパスで会った時、もう最後かも知れないと思っていた。
でも、こんなに早いとは思わなかった。
クリスマスを迎えることができなかったティアビッキー。

彼女は数学の先生だった。
生徒の前ではシャキっとして、カッコよかった。
土日は家のレストランの仕事を笑顔で手伝っていた。
毎週末遊びに行くたびに、いつも明るく迎えてくれた。

明け方までエンドレスでUNOをしたこと。
眠ってしまった私に毛布をかけてくれたこと。
日本に帰る前、家族みんなで送別会をしてくれたこと。
かわいい手土産を見るたびに、あの家族とティアビッキーを思い出す。

夏に会ったビッキーおばさんは、化学療法で鬘をかぶり眉毛もなく、痩せていた。
癌が見つかった時には、すでにステージ3だった。彼女はそれを知っていた。
でも、彼女は弱音なんてはかなかった。
「今はちょっとだけ体調が悪いのよ。」そう言って微笑んでいだ。

あれから、3ヶ月。
ビッキーおばさんは天に召された。
訃報を知らせる家族からのメールには
「最後は痛みで苦しんでいたから、楽になれて良かった」と。

きっと今頃、ティアビッキーは天国で、元気に過ごしているだろう。
だから私もビッキーが見守ってくれていると安心して、元気に生きていくからね。
今は何より、家族にきた悲しみが、いつか癒えますように。
Te quiero mucho, Tia Viki...

3年ぶりに ①

2013-01-21 07:04:23 | Weblog
リマからの2時間。
本当に着くんだと、信じられない気持ちでいた。
着いたらそこは曇りで、アウトピスタからの景色は見えなかったけど、
町に下りたら、ラパスはちゃんとそこにあった。

平日なのに朝早起きして来てくれた友達。
彼女たちに十分にお礼が言えないまま、
軽い頭痛と疲れで、彼女の家で眠った。
起きると夕方で、ダンス練習のために友達とセントロへ向かった。

ああ、プラド(大通り)!サンフランシスコ(大聖堂)!テアトロムニシパル(市立劇場)!
軽い頭痛で半分夢のような気持ちで、練習会場に向かい、
ダンスチームの他の友達と再会した。
練習を見学する私と目が合うたびに、とびきりの笑顔で目くばせしてくれる友達たち。

サンフランシスコはクリスマスのイルミネーションが美しく、
携帯電話を手に入れた私は、そこで会いたかった友達からの電話を受けた。
アバロア広場でサルチパパ屋に入り、友達を待った。
そして、涙の別れから4ヶ月後に、私はその友達に会った!

いいなー!!!!

2012-08-16 00:04:31 | Weblog
フランスへの演奏旅行、私が去った後の写真をfacebookで見た。
あまりに楽しそうで、勝手に笑顔になるのと同時に、
ああーーー!!いいなーーー!!!最後までいたかった!!
という想いで胸がきゅんとなった。

私もその間、同窓会で楽しかった。
13年ぶり、20年ぶり、に昔の友達に会ったり、
高校時代の親友と一緒にでかけたりした。
それはそれは楽しかった!!!本当に!!!
でもやっぱり彼らの写真を見ると、いいなー!!!と思ってしまう。

彼らと過ごして帰国した後は、いつも果てしない喪失感に襲われる。
これは何回経験しても慣れないし、どうにもできない。
でも、毎回そうやって耐えられないくらい寂しくなっても、
やっぱりまた会いに行きたくなってしまう。
そして感動の再会があり、素晴らしい日々があり・・・
決まって帰りの飛行機で泣く。しばらくどん底になる。

これだけ私の心を動かし続ける彼らに出会えたことに、
私は本当に感謝したい。
彼らがいなかった時の自分にはもう戻れないし、
私の人生の中で彼らがいないことはもう考えられない。
あまりに貴重で、あまりにかけがえのない、出会い・・・!

また、会いに行かなければ!!
でも今はとにかく、寂しい!!

サンティが教えてくれたこと

2012-08-13 22:36:31 | Weblog
どんどん人とつながっていき、話しかけ、友達を作っていくサンティ。
いろんなことに興味があり、どんどん人に質問する。
その人を喜ばせながら情報を聞きだすことが本当に上手で、
それをもとに物事を比較したり、理解していく。
いろいろな方法が世の中にはあることを知っていて、
視野が広く、強く、優しい。
私はそんなサンティが大好きだ。

笑顔が素敵で、イノセントで、
そこそこ穏やかで、とにかく明るい。
力が入ってなくて、適当なところは適当だけど、
ふとやる気になるとすごい速さで習得する。
ちゃんと予測して、計画を立てて、まわりをみて動く。
相手を尊重し、時間がほしいときは見守ってくれて、
いつも、何も起きないから、大丈夫。と言ってくれた。
きれいな景色が見えたときは、ほら見て!と起こしてくれた。

「もうすぐやってくる別れがさびしい」と言うと、
「それよりも出会えたことが本当に素敵だよ。」と励ましてくれていた。
でもそんなサンティは、本当に最後の最後、
列車に乗って旅立つ私を目の前に、
「さびしすぎる。」と言って涙を流し、
「もう行くね。辛すぎるから。」と最後まで私を見送らず去っていった。
14:18に列車が動き出したとき、もうサンティはいなかった。
それから連絡は取れていない。

流れ星、衛星、白い月。
川の流れる音、黄色い花、古びた教会。
バスの隣の席、ジャガイモ料理、ペットボトルの水。
DVD-R、せっけんで洗った手のにおい、
アルパカのキーホルダー。

サンティのような人になるために、
私は私の幸せをあきらめない。
絶対また笑顔で会うと、決めたから。

バスでの移動

2012-08-13 22:30:05 | Weblog
景色、なんと美しいフランスの田舎。
バスの中、100%ボリビア!!!

この人たちはどこにいても、そこをボリビアにしてしまう!
最高。

再会

2012-08-13 22:21:00 | Weblog
聞き覚えのある声がして、思わず階段を駆け下りた。
名前を呼ぶと、彼女は振り返り、その瞬間。
私たちは互いに無言で抱き合った。強く、長く。
あの再会の瞬間、確実に時が止まり、
2年半の空白は、泡が溶けるように埋められた。

今年こそ

2012-06-04 23:17:08 | Weblog
会いに行こう。
きっと。

Para mis amigos de Bolivia

2009-09-18 21:58:45 | Weblog
時間は流れる。
留まることはない。
時にそれは残酷で、
時にそれに助けられる。

少し前、まだ私がボリビアにいた頃、
時間が進まないように願った。
このまま永遠に止まってほしい、とさえ。
でも時間は確実に過ぎていった。

いつか必ず戻るから、
今は時間が早く流れることを祈って
ここでがんばるよ。
そして感動の再会をしよう。

Dia de la Amistad

2009-07-24 13:25:08 | Weblog

7月23日は「友情の日」
ボリビアは「なんとかの日」が大好きで、
年中それにあわせて祝っている。
ボリビアの日、ラパスの日、イースター、聖体拝領の日、
そこらへんは普通に休日になるけど、休日以外にも、
母の日、父の日、女性の日、こどもの日などベーシックなものをはじめ、
学生の日、愛の日、友情の日、先生の日、秘書の日、海の日、体育の日
医者の日、弁護士の日、春の日、サンファンの日、誕生日、、、
とにかくいっぱいある。
そのたびに職場ではサルテーニャやアイスを食べ、
みんなで冗談を言いながら、少しの間仕事の手を休め、
記念日を祝う。
今日のアフター7は楽団のみんなとも
「友情の日」を祝った。

大好きな彼らとの友情がいつまでも
続きますように。

違うからおもしろい

2009-06-25 14:16:09 | Weblog
日本では、しゃべりすぎる人は信用を失う。
ボリビアだと、しゃべる人のほうが信用を得られる。
日本では、道を歩いていて紙袋のそこが抜けたら、結構ショックだ。
ボリビアだと、そこらへんの人がいっしょに大笑いしながら物を拾ってくれ、楽しくなる。
日本では、みんなが長袖で自分だけ半そでだったらちょっと気になる。
ボリビアだと、半そでの人とコートにマフラーの人が普通にいっしょに歩いている。
日本では、混んだ道で人に触れないように、すれ違うだいぶ前からよけて歩く。
ボリビアでは、ぎりぎりまでよけずに結局ぶつかりながら歩く。
日本では、デブ!というと人が傷つく。
ボリビアだと、愛情をこめてデブ!と呼ぶ。
日本では、あったまるためにお風呂に入る。
ボリビアだと、お風呂で体が冷える。
日本では、思ったことを何でも口にしてはいけない。
ボリビアだと、思ったことは何でも口にしないと伝わらない。
日本では、人生はがんばってなんぼ。
ボリビアだと、人生はたのしんでなんぼ。
日本では、白い冬。
ボリビアだと、青い冬。

日本とボリビア。
この世にこんなに違う世界が両方存在することが不思議だ。
だから世界はおもしろい。