水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

一首鑑賞(42):松村由利子「もはや発芽させることなき硬き土」

2017年03月26日 16時29分38秒 | 一首鑑賞
もはや発芽させることなき硬き土おやすみおやすみ私のからだ
松村由利子『耳ふたひら』


 「卵」や「種子」が歌集を通じて散見されるモチーフである。ある時は、東京から移り住んだ石垣島の豊かな自然に向ける眼差しによって、またある時は、歳と共に生命を宿すことから遠ざかっていく自らの身体に対する感傷をもって、それは様々な角度から描かれる。詠み口より、自身の身体の変調の具体的描出が思慮深く避けられていることが見て取れるので、ここでも究明に奔走するのは控えたい。ただ「エストロゲン」の語(卵胞ホルモン)が現れる歌にドキリとし、女性特有の病が匂わされていることを感じ取ったのを記すだけに留めておく。
 私が乳がんの告知をされたのは2011年12月で、年が明ければ40歳という人生の折り返し点だった。一週間前の検査の結果を聞きに行った病院の待合で、予定時間よりかなり待たされた。診察室に入ると、癌を告げる前だったか後だったか記憶が定かではないが、医師は私に結婚しているかどうか、子供がいるかどうか訊いたように思う。検査結果についてはやはりショックではあったが、何とか平静を保とうと努めた。受診後に会計を待っていたところ、その医師が暗い面持ちで通りかかった。私は会釈したが、医師には見えていなかったか素通りだった。手術は1月末に行われ、さらに詳しい病理検査の結果、抗癌剤と放射線治療と五年のホルモン療法と、その後の治療計画が組まれた。
 先頃、術後五年目の検査を無事パスし、晴れて「放免」となるのかと思いきや、抗ホルモン剤だけあと五年は飲みましょう、三ヶ月に一回受診して下さい、と言われた時、私はがっくりと膝の力が抜けるのを感じた。お腹への注射と薬でストップさせていた生理を、抗エストロゲン剤で閉じ込めたまま閉経へと持っていく算段なのだと、言われずとも理解できた。

  重い蓋がふっと外れることがある三つくらいの子ども見るとき
  もっともっと産みたかったよ一年中花咲く島をずんずん歩く


 松村はある本のあとがきで「短歌をつくりはじめたきっかけは、息子の誕生だった。日に日に変わってゆく赤ん坊の姿をとどめておきたくて、スナップ写真を撮るように歌にした」と述べている。そのような松村にしてみれば、ある時点で子どもを産む希望を絶たれたことは身を切られるような痛みを伴うものだったのかもしれない。それでも気持ちに折り合いをつけ、穏やかに暮れていこうとする心を波立たせる人の存在に遣る瀬ない思いを抱く。
 マタイによる福音書19章12節に「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」というイエスの御言葉がある。子どもを授かることに頓着せずのうのうと独身生活を送ってきた私には、乳がん罹患は耐えられないほどの災厄とは言えない。こうしてわりと大らかに受け止めているのも、傍から見るとある種の強さを感じさせずにはいられないようだ。そこから主を証しできるのであれば、これもまた「天の配剤」と私は思う。

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