水の門

背景をながれるもの。ことば。音楽。スピリット。

一首鑑賞(39):三枝浩樹 “「聖顔」の黄の人はまなこ瞑りおり”

2017-01-03 14:26:13 | 一首鑑賞
「聖顔」の黄の人はまなこ瞑りおりそこ過ぐるときただようわれは
三枝浩樹『みどりの揺籃』


 この歌は、三枝が清春美術館に立ち寄っての感懐を詠んだものである。一連の詞書から、「聖顔」の絵はジョルジュ・ルオーの手に成るものの一つと判る。
 インターネットで「ルオー 聖顔」を画像検索すると、ルオーによる「聖顔」を幾つか見ることができる。かっと目を見開いた作品もあるが、三枝が見かけた「聖顔」のイエスの眼は沈黙のうちに閉ざされていたという。三枝は「こんな哀しみに充ちた人間の顔を私は知らなかった」と詞書に洩らしているが、「聖顔」の閉ざした主の眼は通りかかる者を射すくめるかのような、それでいて温かい、深い面差しであるのを私も感じた。
 一連中には、次の歌も置かれている。

  三度(みたび)否み三度応えし使徒をおもいしばしばも眼を閉ざしたまわん

 とすると、眼を瞑った「聖顔」の前の三枝を捉えたのは、十字架に架けられる前の深夜、イエスを三度「知らない」と否定したペトロを振り向いて見つめられた主イエスの眼差しであろう。ルカによる福音書22章60〜62節に『だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。』とある。ペトロを見つめた後イエスがゆっくり瞬きしたことを、私は想像した。その時ペトロは、イエスがそこに居ても居なくても自分を見つめ続けている方だと瞬時に悟ったに違いない。早鐘のように胸は鳴り、大きな後悔がペトロに押し寄せた。しかし、主の十字架刑を免れさせることは叶わなかった。

  ヨハネの子シモン、ヨハネの子シモン、ヨハネの子シモン……と三度(みたび)問いましき

 これは、掲出歌のすぐ後に続く一首である。ヨハネによる福音書21章にある、復活後のイエスが食事の後ペトロに三度「わたしを愛しているか」と問うた場面を掬い上げているのは明白だ。同章17節にはこう書かれている。『ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
 私達の変わり身の速さに、主はしばしば「眼を閉ざしたまわ」れるかもしれない。それは、私達を慈しみ、それゆえ悲しむからでもある。イエスは目を瞑るときも、私達を心の眼でご覧になっている。私達はその前に立ち止まることしかできない。
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