土曜日2週連続のNHKのドラマ「とんび」はなかなか良かったです。
ちょうど主人公の男の子と私が同い年くらいで、堤真一が演じる父子家庭のお父さんというのが、まさしくあの昭和の時代、体をはって生きて子供を育ててくれた私たちの両親に通じるものがありました。
高度成長期に入る頃の日本、いや高度成長期の真っただ中でも、今に比べれば日本中がはるかに貧しかったですが、でも「とんび」のように親がなくても周囲みんなが子供を育ててくれて、「なんとか食っていける」という時代でもありました。
私が子供のころ、家の近所に「鳶のさんちゃん」と呼ばれているオジさんが住んでいました。さんちゃんはいつも夕方5時くらいに銭湯に入って湯船につかると大きな声で「浪曲子守唄」(逃げた女房にゃ未練はないが〜ってやつ)をがなり、その声が商店街にこだまし、近所の子供たちを毎度怖がらせるという存在でした。子供が歌うような歌でない「浪曲子守唄」が近所ではやり、母たちを悩ませました。
そしてさんちゃんはお酒が入っている状態が日常で、恵比寿駅や渋谷駅でも印半纏を着て大の字に寝ているさんちゃんを目撃したこともありました。
さんちゃんは商店街の福引きで1等のママチャリを当て、薄緑の自転車を自慢げに乗り回していました。
お酒が入っていないときのさんちゃんはおとなしくてやさしいオジさんでした。ときどきうちのお店にもやってきて、パチンコででも当てたのかチョコなどくれましたが、なにせ「逃げた女房」のオジさんなのでもらうのが怖かったのを覚えています。
大学生のころ、日比谷線でさんちゃんと一緒になりました。さんちゃんはパリッとしたジャンパー姿で、おもむろに内ポケットから老眼鏡を出すと「日経新聞」を読み始めました。
私はびっくりして家に帰って母に報告すると「さんちゃん、明治大学出てるのよ」と教えてくれました。
さんちゃんの人生に何があったかは知りません。
毎日毎日酔っ払っているので、慢性的に麻酔がかかった状態であったので、肝臓がんがまったく痛まず判明して1週間で死んでしまいました。
「とんび」はそんなさんちゃんみたいな、オジさんたちが日本を支えてくれていた時代の、とてもよいドラマでした。
ちょうど主人公の男の子と私が同い年くらいで、堤真一が演じる父子家庭のお父さんというのが、まさしくあの昭和の時代、体をはって生きて子供を育ててくれた私たちの両親に通じるものがありました。
高度成長期に入る頃の日本、いや高度成長期の真っただ中でも、今に比べれば日本中がはるかに貧しかったですが、でも「とんび」のように親がなくても周囲みんなが子供を育ててくれて、「なんとか食っていける」という時代でもありました。
私が子供のころ、家の近所に「鳶のさんちゃん」と呼ばれているオジさんが住んでいました。さんちゃんはいつも夕方5時くらいに銭湯に入って湯船につかると大きな声で「浪曲子守唄」(逃げた女房にゃ未練はないが〜ってやつ)をがなり、その声が商店街にこだまし、近所の子供たちを毎度怖がらせるという存在でした。子供が歌うような歌でない「浪曲子守唄」が近所ではやり、母たちを悩ませました。
そしてさんちゃんはお酒が入っている状態が日常で、恵比寿駅や渋谷駅でも印半纏を着て大の字に寝ているさんちゃんを目撃したこともありました。
さんちゃんは商店街の福引きで1等のママチャリを当て、薄緑の自転車を自慢げに乗り回していました。
お酒が入っていないときのさんちゃんはおとなしくてやさしいオジさんでした。ときどきうちのお店にもやってきて、パチンコででも当てたのかチョコなどくれましたが、なにせ「逃げた女房」のオジさんなのでもらうのが怖かったのを覚えています。
大学生のころ、日比谷線でさんちゃんと一緒になりました。さんちゃんはパリッとしたジャンパー姿で、おもむろに内ポケットから老眼鏡を出すと「日経新聞」を読み始めました。
私はびっくりして家に帰って母に報告すると「さんちゃん、明治大学出てるのよ」と教えてくれました。
さんちゃんの人生に何があったかは知りません。
毎日毎日酔っ払っているので、慢性的に麻酔がかかった状態であったので、肝臓がんがまったく痛まず判明して1週間で死んでしまいました。
「とんび」はそんなさんちゃんみたいな、オジさんたちが日本を支えてくれていた時代の、とてもよいドラマでした。










