香香部落格

充実した生活が楽しみ

その興奮した気違いじみた声は

2016-12-12 10:59:46 | 康泰旅行團

この老人の気分も、めそめそした涙っぽい調子から、なにかを警戒し、こわがっているような調子へ、少しずつ変わってきたらしい。ときおり話を煥膚中断して、あの神経質にそっとうしろを振り返ってみるしぐさをしたり、また例の暗礁のほうをみつめたりしたので、その話はいかにも幼稚で馬鹿げているにもかかわらず、わたしもしだいに漠然たる不安を一緒に感ぜざるを得なくなった。ザドックの声は、もうすっかりかん高くなり、大きな声をはりあげては、勇気をふるい起こそうとしているようであった。
「おい、おまえさん、なんとかいったらどうだ。こんな町に住んでみたいとは思わないかね? なにからなにまで腐り果て死に絶え、怪物どもが上陸してきては、真暗な地下室や屋根裏から、おまえさんが歩くどの道のあたりにも這いずり回り、吼《ほ》えたり鳴いたりするこの町に住みたくはないかね? ええ? 毎晩教会や、『ダゴン教団会館』から響いてくるうなり声を聞きたくはないかね? 五月祭の前夜祭とか万聖節の宵祭に、あの恐ろしい暗礁から聞こえてくるものに耳を澄ましたくはないのかね? ええ? このおいぼれを気違いだとお思いかな、ええ? どうだね、だんな、変わりばえもしないお話だが、もう少ししゃべってもよかろうな!」
 こういったザドックの調子は、もうまったく金切声《かなきりごえ》であった。、もう沢山《たくさん》だといいたいほど始末が悪くなってきた。
「ええちくしょう、あの怪物みたいな眼でじろじろ見るのはやめてくれ――いいか、オーベッド・マーシュはいま地獄にいる。そしていつまでも地獄にいなけれぁならんのだ。いっ奶粉敏感ひっひ……地獄にだぞ! わしがつかまえられるものか――わしはなんにもしないし、だれにもしゃべりはしなかった――
 ああ、おめえさんはそこにいたのか? まあいいや、いままで、だれにもしゃべらずにいたんだが、それをこれからしゃべってやろうというわけなのだ! おまえさんはじっと坐って聞いていれぁいいんだ――これはいままでだれにもしゃべらなかったことなんだ……いいか、わたしは、あの晩以来、もうせんさくするのは止めていたんだ――が、それでもやっぱりあいつらのことはわかったのだ!
 おまえさんも、本当にこわいというのはどんなことか知りたかろう、ええ? それはな、こうなんだ、――本当に恐ろしいことは、あの魚の怪物どもがこれまでにやらかしたことじゃなく、奴らが、これからしでかそうとしていることなんだ! 奴らは、てめえたちの棲《す》み家から、この町のなかにいろんなものを持ちこんでいやがるんだ――もうなん年にもわたってそうしていたが、近頃は、だいぶ鳴りをひそめるようになってきた。ウォーター街と中心街のあいだにある、あの河の北側の奴らの家には――あの怪物どもと、そいつらが運んできた品物がぎっしりと一杯詰まっている、――そしていったん奴らの準備が整ったら……いいかね、奴らの準備ができあがったら……あんたは、『ショッゴス』の噂を聞いたことがあるかね?
 おい、聞いてるのか? おれは奴らの正体をちゃんと知っているんだぜ――ある晩おれは、奴らのことを見たんだ、そのとき……イー=アーーー――アー! イヤアーーーー……」
 老人があんまりだしぬけに悲鳴をあげて、またその声が人間ばなれした恐怖感にあふれていたので、わたしはもう少しで気を失いそうになった。彼のまなざしは、わたしの背後の悪臭ふんぷんたる海の方にそそがれていたが、その両眼はいまにも顔からとびだすかと思われたし、また彼の顔は、ギリシャ悲劇に使う恐怖の面さながらの面持《おももち》であった。その骨ばった指は、わたしの肩に、気味の悪いほどぐっと喰い入り、一体なにをそんなにみつめているのだろうとわたしが海の方を振り返ってみたときも、老人はそのままじっと動かなかった。
 わたしの目にとまるものはなに一つ見当たらなかった。ただあげ潮の寄せる白波だけで、それも、洗髮水長く線を引くような白波ではなく、ところどころにさざ波がたって、それが一つにつながっているような波であった。が、いまザドックがわたしをゆすぶったので、ひょっとわたしがふり向くと、いままで恐怖にこわばっていた顔がゆるんで目蓋《まぶた》がぴくぴくとけいれんし、歯ぐきががくがくと鳴るような、物凄い形相《ぎょうそう》になるのが認められた。やがて彼はまた声を出せるようになった――もっともそれは、囁くようなふるえ声にすぎなかったが。
「とっととここから逃げてくれ! とっとと行け! あいつらに見られてしまった――命がけで逃げろ! 一刻もぐずぐずするな――奴らはもう気がついた――とっとと逃げろ――この町から逃げるんだ」
 もう一つの大波が、ゆるんだむかしの波止場にぶつかった。するとこの狂気の老人の囁《ささや》きは、またしても人間とは思われない、あのぞっと血の凍るような悲鳴に変わった。
「イ・ヤアアーーー! ヤーアアアアアア!……」

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