ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

すぐバレるのに…

2009-01-31 17:58:59 | 脳みその日常
あることに憧れを抱く人(仮にAさん)がいるとしましょう。ある時、Aさんが憧れの職業についている人(仮にBさん)と知り合いになったとします。するとAさんは他の人たちに、さも誇らしげに「いや~、この前Bさんと呑んじゃってねえ」とか「Bさんって、こんな人なんだよ」などと話します。

Aさんの気持ちもわからないではありません。まあそんな話をするのは別にいいんです。でも残念なのはAさん自身がちょっとした勘違いをしてしまうことなんですよ。「Bさんと自分は知り合いなのだ」そこまでで終わればいいんです。

でも、さらに話を聞いていると、その知り合いである自分(Aさん)はその業界通であるかのように振る舞うわけです。つまり自分は業界の人間でも何でもないのに、その人の脳内では自分(Aさん)が業界人になってるんです。

これはね、見ていて本当に痛々しい限りなんですよ。なぜかというとそれぞれの業界にはそれぞれ特有の感性というものがあります。これはその仕事に従事している人でないとわからないことでもあるんです。ところがAさんはBさんから聞いた話を受け売りにして「いや~、●●については▲▲なんだよね~」などとうそぶくわけです。

確かにBさんは業界の人ですから、その発言は間違いじゃありません。でも、その発言をしたAさんに発言の根拠とかそれに類する質問をすると、たちまちしどろもどろになってしまう。Aさんがそこで目を覚ませばまだ救いようがあるんですが、前述の通りAさんの頭の中はすでに自分が業界人になりきってるわけです。こうなるとどうしようもなくなります。よっぽど、

「あなたはその道のプロでも何でもないでしょ?」

と、言ってあげたくなりますが、敢えて言いません。仮に指摘したところでその場の雰囲気が悪くなるだけですから…。早く気づいて欲しいと思うばかりです。

知ったかぶりはいけません。メッキはすぐに剥げるもの。脳内妄想するのは自由ですが、それを外に出してしまうと恥をかくことになってしまいます。でも、こんな人は意外に多いんですよねえ。
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勤続10年目だとか…

2009-01-29 07:33:33 | 脳みその日常


ひと昔といえば通常10年前のことをいいます。実は先日の講義の時、世話人のオッチャンから本講座が今年で10年目になるという旨のお話を聞きました。そう言われてみればそうなんです。そのようなことはまったく思ってませんでした。

でも、改めて考えるとこの講座は月に一度行なっているので、その内容はさておき、回数だけをカウントしてみるともう120回近く話していることになります。また、1回の講座は2時間なので単純計算しても240時間近くも喋っているという恐ろしい数字が…。

そもそもワシは人前に出るのがとても苦手なんです。それに加えて人前で話をするなんてのはまっぴらごめん。できればひっそりと暮らしていたいタイプなんです。ワシのことを知っている人はきっと「またまたご冗談を」と言うかもしれません。でも実際のところ、そういう目立つことをするのは本意じゃないんですよ。

ならば、なぜ苦痛だと思うことを続けるのかというと、いくつかの理由があります。ひとつは自分にとって勉強になると思うからです。確かに人前で話すのは苦痛です。しかし公開の場で受講者の方々にお話しするにはきちんと勉強しておかなければなりません。その場の思いつきとかウソの情報を言うなんてことは言語道断。講師失格です。たとえ話すテーマが自分の得意でない内容であるとしても、立場上それなりに勉強する必要があるわけです。そうしたことからすると講座で話をするのは自分にとって良い刺激になるんですよ。もともとコツコツと勤勉に勉強するタイプではないので、このような機会がなければ勉強しようなんて思わないからです。

話し続けているもうひとつの理由は「需要」があるからです。この講座の受講者数は大して多くないのですが、毎回欠かさず出席する方が何人もいます。知的な刺激を受けたいと思う人たちなのでしょうね。そうした学習意欲のある方々がいるわけですから、専門的に学んだこちらが知識を「供給」するのはある意味で使命なのかもしれません。

当講座の台所事情なんて常に火の車で、応分のギャラなんてもらえません。いえ、説明のために購入する資料代を計算すると冗談抜きで毎回赤字になります。でも、いいんです。ワシは別にそれで食ってるわけじゃないんですから。むしろ自分の学んだことが誰かの役に立つのであれば幸せだと思うからです。それにこの講座によって勉強する機会が与えられるんですから逆に感謝すべきなのかもしれません。

上の写真は今回の講座の後で行なわれた新年会の料理のほんの一部です。腹一杯食って呑んでも一人前3,000円程度。もちろんワシはクルマですから呑みませんでしたけどね。
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昨年末の新宿南口

2009-01-27 04:24:00 | 脳みその日常
本日は講座の準備にてんてこ舞いなので昨年末に撮った写真で勘弁していただきます。



これは新宿南口にある高島屋デパートの通路に飾られたイルミネーションです。ピカピカしてキレイでした。近くではたくさんのカップルが愛を囁いていたようです。まあ、この雰囲気だったらどんなに寒くてもロマンチックな気分になるでしょうねえ。

昨日、ここを通ったのですが、もちろんもうイルミネーションは撤去されていました。かなく暗くなった通路には熱々のカップルに代わり、住所不定の方々があちこちで眠ってました。景色変われば何とやら…です。
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空気を支配するモノ

2009-01-26 06:22:57 | 脳みその日常
「後から考えると、あの時空気にのまれていたな…」これは誰しも経験があると思います。なぜそんなことをしてしまったのか、まったくわからぬまま過ぎてしまうという経験です。その空気の中にいる時、理性は働かなかったのでしょうか。いや、たぶんそれなりの理性は誰にもあったでしょう。でも、その場の雰囲気とか空気に従って行動してしまう…。

この現象は最近の言葉でいうところの「KY」とは違います。空気を読めていても抗うことができないまま流されてしまうのです。一体これはどういうことなのでしょうね。結論から言えば、何らかの力がその瞬間の空気を支配したのです。それはオカルト的に表現するなら空気を動かしたのは「創造主(神)」なのでしょうし、歴史的表現をするなら「時代」というものなのでしょう。

例えば先日某国大統領の就任式がありましたね。ほとんどの方がご覧になったと思います。それにしてもあの熱狂たるや何なんでしょうか。ある種のトランス状態でしたね。もちろんあそこに集まった人々は彼の熱狂的支持者でしょうから「ハイ」になる気持ちもわからないではありません。

でも冷静になって考えてみましょう。彼はまだ某国のために何か改革を成し遂げたわけじゃありません。単に就任しただけです。そもそもヒーローというのは何らかの成果を上げてはじめてヒーローと賞賛されるんでしょ? 順序が逆ですよ。

あの就任式をモニターから見ていて、ワシは「う~ん、何か違和感があるなあ」と思いました。ある種のイヴェントとはいえ、人々はちょっと熱くなりすぎじゃないかな、と。もっとも、某国にしてみれば1日も早い「英雄の登場」を望んでいたのかもしれません。いや、むしろそれだけ某国の状態は逼迫しているのでしょうね。

どのような形であれ、またどんな人が就任してもいいと思います。結果として某国が、ひいては世界の生活が安定すればね。ただ、気がかりなのは某国民の望むような成果が出てこないことが判明した時です。これだけ持ち上げられたのですから反動も凄いのではないでしょうか。そうならないことを願うばかりですが…。
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「おもてなし」についての考察

2009-01-25 05:52:36 | 脳みその日常
客を扱うことを「もてなし」と言いますね。これは何も不自然な言い方ではありません。ところが、これに「お」をつける場合があります。「おもてなし」です。たとえば旅館などの宣伝文句によく「心を込めたおもてなし」というフレーズがありますが、こういうのを見ると、ついヘソ曲がりに考えてしまうのです。なぜなら、

おもてなし = 表無し = 裏がある

という図式が頭をよぎるからなんです。「そうか、このもてなしには裏があるんだな。ホストは何か良からぬことを企んでいるのだな」と。もちろん、ほとんどのホストはそんな意味でこの「おもてなし」を使ってはいないと思います。でも、中にはそうでない、いかにも裏がありそうな「おもてなし」を経験することがあります。だからこのヘソ曲がり思考を払拭することができないのかもしれません。

旅館などはそもそも金儲けの営業としてやっているので、仮に裏がありそうなもてなしを受けても特に驚くことはありません。その場限りで終わりますからね。ところが個人間の付き合いで妙に手厚いもてなしを受けた場合はちょっと考えてしまうことがあります。その付き合いが昔から続いているのならいいのですが、初対面あるいはまだ付き合いが浅い場合には勘ぐってしまいます。

「この人は何らかの打算があってワシに気に入られようとしているのではないか?」

他人を疑うのは良いことじゃありません。ワシは基本的に人間は性善説に基づいていると考えているので、できるだけその人を信じようと心がけています。でも、世の中には疑いたくなる人っているもんなんですよ。現にワシを何らかの形で利用しようとする人をこれまで何人も見てきました。面白いのは、そういう人はワシが利用するに値しないと見るや、態度を一変させることです。ホント、見事なほど冷淡になります。これぞまさに「おもてなし」だったわけです。

「もてなし」は嬉しいものですが、「おもてなし」は嫌だなあ。
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放置とパンク、こらこら

2009-01-24 07:02:05 | 脳みその日常
たまには他愛のない話でもしましょう。

先日、馴染みの美容院へ行ってきました。この美容院については以前書いたことがあるかもしれません(サイト内検索で「美容院」と入力すれば出ます)。ワシにとってここは気楽な場所のひとつなので、どんなにカットが下手でも許せるところなのです。美容師のオバチャンはといえばこちらを客と思ってないかのごとくテキトーに扱うんですが、それがまた居心地が良いんです。

それにしても今回は笑ってしまいました。いつものようにカットが終わり、洗髪台で髪を洗う段になりました。シャンプーを泡立てて作業が行なわれていた時、店の電話が着信。電話はアシスタントの人が出たのですが、どうも話の要領が得ない様子。すると、オバチャン、それに気づいて、

「電話、誰なの?」
「●●さんという方なんですけど…」
「う~ん、誰だろね。…もしかして千葉の人?それとも横浜の人? ちょっと聞いてみて?」

アシスタントの女性は促されるままに相手の人にどちらの人か聞きました。

「千葉の人だそうです」

すると、オバチャン、急に慌てた様子でワシに

「ちょ、ちょっとこのまま待っててくれる?」

ワシが返事をしようとした時、オバチャンはすでに電話に出ていました。「相変わらずだなあ」と苦笑していたのですが、困ったのはワシがいま置かれている状態です。何せ頭はシャンプーまみれになった状態で、仰向けに寝かされているんですからね。身動きが全く取れないんですよ。

それが数分ならばいいんですが、電話はちっとも終わる気配がありません。面白いのは、こうした状態に置かれた時、人は何を思うのかということです。いわば放置されているわけですから、一見の客とかプライドの高い客だったらきっと怒りが沸々と湧いてくるんだろうなと思いました。「こんな店には二度と来ないわよ!」と。

でもワシは可笑しくてたまりませんでした。「もしこのままずっと放置されたら髪の毛はどういう状態になるんだろうな」とか「次の瞬間地震が来たら格好わるいよなあ…。こんな状態で発見されるんだろうか。シャレにならんなあ」など、もうね、どこまでも妄想が膨らんできたからです。

20分くらいは放置されていたでしょうか。泡立っていたシャンプーの泡は当然ほとんどが消滅し、髪にペト~っとくっつくありさま。また仰向けに固定されているというのも意外に疲れるものです。思わぬ発見(?)でした(笑)

オバチャンは十分に話し尽くしてから洗髪台に戻ってきました。

「あらあら、ごめんね~」

そして何事もなかったかのように作業を再開。髪についた泡が消えていることもすっかり忘れているかのように…。

洗髪が終わってから聞いた話によれば、美容師の修業時代の仲間が今度集まるそうなのですが、なぜかオパチャンが幹事なのだそうです。で、先ほどの電話の相手は昔の仲間で、会に出席するか迷っていたので明確な返事を聞いていたのだとか。

う~ん、理由はどうでもいいけどさ、客を放置しちゃあマズイでしょうに。美容院の洗髪台って、まるでマジックで行なわれるような浮かんでいる人みたいだし、頭が泡まみれだから動けない。それが困るわけですよ。そんなことをオバチャンに伝えました。すると、オバチャン、何て言ったと思います?

「気にしないの!そんなことにいちいち」(いや、気にしてよ)

これで終わるかと思いきや、さらなるサプライズが…。濡れた髪を乾かしてから、オバチャン、おもむろに手に何かをつけてワシの髪につけはじめたのです。

「なにしてんの?」
「ああ、これ? パンクの人みたいに頭のてっぺんを尖らせようと思ってさ」
「はぁ???」
「ほらほら、面白いでしょ?」(ちっとも面白くない!)

完全に遊ばれとるワシでありました。とほほ。
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才能ってのはさ…

2009-01-23 05:38:32 | 脳みその日常
昨日の補足みたいになりますが、「才能」というのは何も特別なものではないと思います。確かに才能といえば芸術的なものとか技能的なものを想像するかもしれません。「あの人には才能がある」と聞けば、その人には何か凄い力があるように思えるでしょう。もちろん芸術家や文化人などに人並みはずれた能力があるのは事実です。でも、思うに、才能というのは誰もが持っているものなのじゃないでしょうか。

例えば英語で才能を意味する語に「タレント(talent)」があります。でも、やはり才能を意味する語句には「ギフト(gift)」もありますね。注目したいのは後者のほうです。ギフトには贈り物という意味もあります。一体なぜギフトには両方の意味があるのでしょうか。なぜこの単語は贈り物と才能の両方を意味するのでしょうか。

私見ですが、ギフトというのはもともとは創造主がすべての人間へ与えた贈りものを意味したのではないでしょうか。その性質が芸術的なものであったり、技能的なものであったりした場合、現在使われるような「才能」という意味に転じたように思われます。

もしそうだとするなら、どんな人間にも何らかの力が神から与えられているはず。それは何も芸術的なものでなくてもいいわけです。たとえば学力に秀でる人もいれば、運動能力が優れている人もいます。人間同士で比較すればそれらは個体差として片付けられてしまうかもしれません。

でも、もっと広い視点で考えてみたらどうでしょうか。世の中には様々な職業があります。近年は終身雇用なんて制度はほとんど壊滅しつつありますが、それでもひとつの仕事を長年続けている人もまだまだたくさんいますね。

なぜこのような人は同じ仕事をずっと続けられるのでしょう。安定した収入を確保するためというのも辞めない理由ではあると思います。でもそれなら途中で他の仕事に移ってもいいわけです。でも、そうはしません。ならば辞めない理由が他にあると考えるのが自然ですね。

となると、考えられるのは現在続けている仕事が好きだから、もしくは辞めたいと思わないからですね。そう、これが今回注目する「ギフト」なのです。だいたいですよ、ひとつの仕事をずっと続けられるなんて凄いことじゃないですか! これこそまさに「続けられるという才能」にほかなりません。

ワシは何もカルヴァンの職業召命観を持ち出すつもりはありません。ただ、今日イメージされている「才能」というのは極めて特殊なものに限定されるのであって、ことさらそれを「才能、才能」と囃し立てる必要はないと言いたいのです。たまたま創造主から与えられたのが特殊な能力であるかそうでないかだけの違いであり、種類の違いはあっても「贈り物」はひとしくすべての人に与えられているように思うのです。

現在まだ自分がどのような仕事をすればよいのか決めかねている人もいるでしょう。でも焦ったところで自分の天職が見つかるとは限りません。機が熟せば知らないうちに自分の「場所」が出てくるものです。それは後になってからわかります。「あの頃は随分焦っていたけれど、そういうことだったのか」と。今は不安でしょうけど、なあに、のんびり構えるほうが精神衛生上いいですよ。
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学びの階梯(下)

2009-01-22 04:56:30 | 脳みその日常
問題はここから。ちょっとした才能に恵まれ、運良く壁を越えられたと思える人がいるとしましょう。いや~メデタシ、メデタシとなりそうですが、そう簡単にはいきません。なぜなら実技の最終目的は自己表現だからです。

表現するとはどういうことなのでしょうか。簡単に言えば「自分らしさを出すこと」です。そのためにはどうしたらよいのでしょう。そうです、考えるというプロセスが必要なのです。基礎レヴェルでは先生の指示通りにすればよかったのですが、自己表現となるとそれだけでは済みません。猿真似では通用しないのです。

多くの上級レヴェルの人がいます。また中にはプロフェッショナルと自称する人もいます。でも、残念なことにこれらの中には「考える」ことができないで苦しんでいる人も多いのです。なぜなのでしょうか。理由のひとつには習う最初の頃から教師が本人に考えさせる癖をつけさせなかったからです。長年考えないことが習慣となっていた人に、いきなり「考えろ!」と言ったって、そりゃ無理な話。だから苦しむのです。

となると、最初の話と矛盾することになります。習うより慣れろが上達の早道なのに、いつしか最初から考える習慣をつけろ!とは…。教える立場からすると、これは本当に頭の痛い問題なんです。どうしたらこの相反する問題をクリアできるのか。ある程度のレヴェルから先は生徒本人の「才能」に委ねるべきなのでしょうか。

でもですよ、ひとくちに才能といいますが、そもそも才能って何なんでしょうね。才能はそれぞれの人が生まれもったもの。それを他人がど~のこ~の言う性質のものじゃありません。いや、言えません。

それぞれの人がどのように「感じた」のかを表したのが「表現」といわれるものです。ということは、ある程度の表現手段を習得して、さらに何かを感じられる人であれば才能をもった人ということになりそうです。とすれば、別にその人が深く物事を考える能力がなくたって良いということになりますよね。

そうすると、教師のやるべきは生徒に「感じる力」をどう培わせるかということになります。もっとも、生徒にそのような能力をつけさせるなんて本当は無理な話なんです。だって「感じる」のは本人なわけでしょ? こちらとしては生徒に様々な情報は提供できるかもしれません。でも、それ以上は本人の感受性次第ということになるのですから。

それにしても才能とはかくも不思議なものだと思います。才能、才能とよく言いますが、よくよく考えてみればわからないことだらけ。教える側がそれについてよくわかっていないのに、そうしたわからないものを引き出そうとか伸ばそうとするのは果たして正しいことなのでしょうか。むしろ教える性質のものではなく、生徒の自主性に完全に任せるものなのかもしれません。

ああ、このように書くと誤解されるかもしれませんね。「もしかして教えることに対して悩んでいるの?」と。いえいえ、決してそんなことはありませんよ。逆です。変貌していく生徒を見るのが楽しくて仕方ないんです。ただ、心の片隅には常に上記のようなことが「ひっかかっている」だけなんですけどね。

(了)
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学びの階梯(上)

2009-01-21 03:26:45 | 脳みその日常
教える仕事をしていると様々なことに気づかされます。最近思うのは「教わる側の資質」についてです。もっと簡単に言うと、どのような人が早く上達するかということです。

結論から言いますと、早く上達する人はその習い事に熱心です。そりゃまあヤル気のない人が上達するわけがありません。でも、もっと重要なのはその人がどれだけ素直にこちらの指示通りにするかということなのです。

つまり、いくらヤル気があっても素直でない人はなかなか上達しません。もって生まれた性格が仮に素直であっても、物事を身体で覚えようとしない人はダメです。このようなタイプの人はこちらが望んでいないのに深く考えすぎるきらいがあります。要するにまず頭で理解しようするので、それが上達の妨げになるんですね。

もちろん考えるのは大切なことです。ところが歳を重ねるにつれて余計なことまで考えるようになってしまう人がいます。これが一番の問題なのです。言うなれば、きれいに舗装された道路をそのまま進めばいいと指示しているのに、このようなタイプの人はどういうわけか脇道を探そうとします。そして自ら道なき道を進んだ挙げ句、勝手に迷子になるという始末。

もうね、始末に負えません。なぜこちらの言う通りにしないのか不思議でなりません。疑り深い性格なんでしょうかね。確かに物事は疑ってかかるのは間違いとはいえません。でも、教える側から言えば、このような人ほど教えにくいものなんです。だって一番楽な道を教えているのにその道を行こうとしないんですから…。いえ、こういう人って本当にいるんですよ。

もっとも、ここまでの話は基礎レヴェルでのこと。さらに上級レヴェルになれば別の要素が求められます。いくら性格が素直で熱意があっても「越えられない壁」が出てきます。それを越えることができるのはやはり「才能」にほかなりません。どんな人だって基礎的なことはマスターできます。でもそこから先は才能がモノをいうのです。

(つづく)
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阿武隈高原と北関東道

2009-01-19 01:53:52 | ドライブ関連
数日前、いつものように演奏会に行きました。通常だとそのまま帰宅するのですが、この日は何となく気分が良く、そのままドライヴ・モードへスイッチがオンに。といって、特に目的もないのですが、とりあえず常磐道に乗ってみました。

いつも思うのですが、常磐道は水戸まで片側3車線なので道がとても広く感じます。それにほとんど直線なので出そうと思えばスピードは無限に…(笑)いえいえ、もう若くないのでそんなチャレンジはしませんけどね。

水戸から先は2車線になります。このあたりまで来て、ふとこのままどうしようかと我に返りました。まあ、ここまで来てしまったのだから、そのまま行ってしまおう! なんと無計画なドライヴなんでしょうねえ。我ながら呆れます。

結局、福島県いわき市まで来てしまいました。このまま常磐道を進むと東北一周の旅になりかねません。それはさすがにまずいので「いわきジャンクション」から磐越道へ。つい数時間前まで東京にいたのに、気づけば福島県、そう、福島県なんですよ! おぉ、なんたること!

まあ、せっかく来たのでどこかのパーキングで記念写真でも。立ち寄ったのは「阿武隈高原パーキングエリア」。



下の写真をご覧になればお分かりかと思いますが、もうそこそこの雪がありました。ちなみにこの日猪苗代湖方面は雪が降っていたようで、磐梯熱海ICから西はチェーン規制がされていたようです。

  


猪苗代湖方面に行くのはやぶさかではありませんが、そのまま進むと北陸道に行ってしまいます。うーん、これもよろしくない。そこで「郡山ジャンクション」から東北道に合流して東京方面へ。

ああ、やっと家に近づく…。と思いながら走っていました。ところがですよ、「栃木都賀ジャンクション」まで来た時、思い出さなきゃいいことが頭に浮かんだのです。

「おお、そういえば、ここから常磐道まで北関東自動車道が開通したんだっけ」

なんたることでしょう。そのまま進めばストレートに東京に行けたものを…。なのにクルマは何の躊躇もなく北関東自動車道に流入していました。まさに「オー・マイ・ガッド」の心境ですよ。好奇心とは、かくも恐ろしきものなり。

走っていた時間が深夜だったこともあるのですが、この路線はとにかく交通量が少ないです。あまりにヒマだったので記念写真を(良い子は絶対にマネしちゃダメよ)。左がトンネルの中、そして右が真っ暗な車道です。

  


そんなわけで、あまりに寂しい道を走り続けて常磐道の「友部ジャンクション」経由で帰京しました。この日走った距離は580km。もうね、アホとしか言いようがありませんよ、ええ、ええ。
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国際展示場駅

2009-01-11 14:30:23 | ドライブ関連


先日、30分ほど歩いただけで足がつりそうになったワシです…って、老い老い。う~ん、このツッコミはシャレになりません。実際のところ老いはじめているんでね。

さて、本日ここ東京は快晴でどこかへ行きたい気分なのですが、いまひとつ目的地が思い浮かびません。そこでといっては何ですが、昨年末に撮影したもので未発表のものを出すことにしました。

これは「東京臨海鉄道りんかい線」の駅のひとつである「国際展示場駅」です。そしてこの駅には「ゆりかもめ」も乗り入れているそうな。ワシはめったに電車に乗らんし電車にもまったく興味がないので、どうでもいいことなんですけどね。ただ、まあ、深夜にもかかわらず光り輝く駅舎には思わず吸い込まれるように近づいてしまいました。

…というわけで、今回はこれでおしまい。
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新春豪華版(笑)

2009-01-02 06:03:56 | ドライブ関連
あけましておめでとうございます! 皆様にとって今年が良き年でありますよう心より祈念しております。

さて、新年最初の記事は豪華特大版でお送りいたします。なぁに、豪華といってもただ写真を多く掲載するだけなんですけどね(苦笑)まあ、いいじゃないですか、見た目だけでも華やかになれば。

まずご覧いただくのは長野県の原村ペンション・ヴィレッジで開催中のイルミネーションの写真です。これは「星降る光のページェント in 原村」と題された催しで、昨年の11月22日から毎夜イルミネーションが点灯しています。もっと早めに行こうと思っていたのですが、なかなか都合がつかず、年末に時間を見つけて出かけてきました。

催しのメイン会場となるのは「八ヶ岳自然文化園」で、入り口付近にデ~ンと見えるのが次のイルミネーション。



これを斜め後ろから撮影したのが、これ。



そしてその中央で一番キレイに見えているところを拡大したのが右の写真です。なぜこの電飾ばかりを見せるのかって? 理由は簡単です。メイン会場といいながらピカピカしていたのがこれだけだったからなんですよ。ほかのもあったのかもしれないのですが、あたりは真っ暗でしたし、おまけにこの日は吹雪という悪天候。地元ナンバーのクルマは雪には慣れているのでスイスイですが、首都圏から来ている「田舎者」(ここを中心に考えればの話です)にしてみれば吹雪いて視界が明瞭でない夜間なんて、まさに恐怖そのもの(なんでしょうね)。

いや、その前に首都圏からの訪問者はさ、この時期、なんでノーマル・タイヤで来るんでしょうね。吹雪いていればスリップするのは当然でしょうに。だから、おっかなびっくりの低速運転になっちゃうわけです。邪魔だっちゅーに。このブログを前からお読みいただいている方ならおわかりかと思いますが、ワシはもちろん先月の頭から冬用タイヤを装着しております。

東京に住んでいるのに冬用タイヤは必要ないと思っておられる方も多いでしょう。まあ、そりゃあ冬の間地方に行かない方ならそうかもしれません。でも、ワシの場合いつどこへ行きたくなるかわかりませんからね。だから毎年12月から3月までは「冬服」に着替えるわけですよ。

チェーンを携行すればいいじゃないかって? それもそうなんですけど、スタッドレス・タイヤを履いてしまえばよほどの豪雪地帯に行かない限りチェーンなしで走破可能ですし、かじかむ手でチェーンを装着せずに済むじゃないですか。スタッドレス・タイヤはホントいいことずくめなんですよねえ。

おっと、話が逸れてしまいました。メイン会場で少しガッカリしたので、近隣を回ってみました。近隣というのは通称「第2ペンション・ヴィレッジ」と呼ばれる場所です。面白いことにそれぞれのペンションでイルミネーションが飾られているんですよ。たとえば、こんなのとか…。



こんなのもありました。



女の子を連れて行けば、きっとキャーキャー言われること間違いありません。もっとも、ワシには無縁な話ですけどね(泣)

ささ、気を取り直して…。実はイルミネーションは第1ペンション・ヴィレッジのほうにもあります。もっとも目を引くのは八ヶ岳鉢巻道路に面した「八ヶ岳美術館」の前にあるこれです。

この電飾はかなり大きなもので、見応え十分。ついでにその足下の画像を貼っておきますね。どうでもいいって? まあ、そういわずに。




この催しは今月7日までらしいので、興味のある方はお早めにお出かけ下さい(イルミネーションの点灯時間は18:00から22:00とのこと)。
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