鋭幸の庵

寺なし坊さん四苦八苦

年末のあれやこれや。

2020年12月28日 | 日記
携帯を機種変更したらアドレスも(そんなつもりはなかったのに…)変わってしまい、ブログに投稿するための作業をしたら、ワイモバイルのアドレスを受け付けてもらえない事が判明。どうにかパソコンから投稿できそうですが、写真のアップはどうしよう…。

さて先日「お坊さんも宗教とは関係なくするんですか?」と聞かれました。はい、やりますクリスマス。

私の中で「神様が世界を創造された」物語はしっくりこないのですが、そうした表現から、貧しい人や弱い立場に置かれた人を兄弟として愛した人として、イエス=キリストに敬意を払いたいのです。

それに「見返りを求めず、姿も見せずに、人に贈り物をする」人の代表がサンタさん。年末「児童施設にサンタさんのプレゼント」とかのニュースを聞くと、素直にうれしい気持ちになります。

いつもは生活に追われて自分の事しか考えられませんが、季節ごとの宗教行事などをきっかけに、属性の違う人の事や未来や過去を考える事で、気持ちが楽になれたり人に優しくなれる気がします。

今年はコロナ禍で大変な一年でしたが、飲食業や医療従事者の方のご苦労は如何ばかりかと拝察します。正直まだまだ長い戦いかもしれませんが、心は折れないようにしなやかに。

振り返れば、東日本大震災と原発事故の年の瀬は、この言葉を言うのも躊躇いがありましたが、先が見えないときにこそ未来に希望を託す言葉を交わし合いたいものです。

皆さま「どうかよいお年を」。

合掌


哀悼、板橋興宗老師

2020年07月18日 | 日記
修行時代に目をかけて頂いた当時の總持寺ご住職で、福井県の御誕生寺を再興された板橋興宗老師が遷化されました。

修行僧に率先して作務や坐禅に勤しまれながら、いつもにこやかに振る舞われていたお姿が印象的で、修行僧の一人ひとりに手を合わせて「お早うございます」と声をかけておられた姿を忘れる事はありません。

年々歳々、人同じからず…。

コロナ禍で荼毘式もひそやかに執り行われたとの事ですが、何のお返しも出来ませんが、老師のお側近くにいた時間は私の宝物です。

ほんとうに、有り難うございました。

合掌

「弁栄展」に行きました。

2020年07月02日 | 日記

先月はじめ、柏市沼南庁舎の郷土資料展示室で開催中の「弁栄展」に行ってきました。

山崎弁栄師は柏市生まれで「大正の法然上人」と慕われた浄土宗の名僧。展示会の予告では、法話でアコーディオンを奏でたり米粒に念仏を書いたりといった逸話が紹介されていましたが、実際に足を運んで弁栄師の魅力にはまってしまいました。

まず交遊関係に垣根がなくて、違う宗派やキリスト教の人ともフレンドリーな人柄が伺えます。「聖母子」のイコン画に触発されて描いた「子安観音」の絵の展示も。

そしてインド巡礼のお土産に、インドの土を混ぜた粘土で作った仏像が展示されていましたが、とにかく好きな仏教をシェアしたいという熱いパッションを感じました。私ならインドの土で作った仏像は自坊に安置…と思ってしまう我が身が恥ずかしいですA(^_^;)。

アクセスは柏駅からバス移動でやや不便ですが、無料で館内撮影可。小さな郷土資料室の書画展ですが、私には仁和寺展以来のオススメの展示です。9月30日まで開催、お近くの方は是非!

変えられないもの、変えられるもの。

2020年05月03日 | 日記
今回のコロナ禍で気になって調べたのですが、お寺の墓地管理で扱う「埋葬火葬許可証」死因欄の「一類感染症等、その他」という記載は、ご遺体は死後24時間を経過しないと埋葬・火葬できないという原則が、法定感染症ではその限りでなくなる、という区分なのだそう。

急逝された志村けんさん、岡江久美子さんのニュースで胸が痛むのは、病院で家族が看取る事も出来ずに、そのままご遺骨になって帰宅される事。…ご遺族のお辛さは、ただただ拝察するばかりです。

座右の銘にしているニーバー(アメリカの神学者)の祈りに「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を我に与えたまえ」(女子パウロ会HPより)という言葉があります。今はまず「変えられないものを受け入れる」ときなのでしょう。

家族が外にも出ず一緒に過ごす時間が長いので、なるべくストレスなく過ごす工夫をしています。不謹慎ですが贅沢な時間。…一応は坐禅の宗派のお坊さんなので「ただじっとしている修行」の成果が今になって試されているのか知らん。

写真の蓮の葉は、去年咲かせた蓮の(もやしみたいな…)地下茎から育ちました。同居のタニシとドジョウとホテイ草ともどもバケツで共生しています。

せざるを得ない悪

2020年04月22日 | 日記
昨日は草刈りと庭木についた毛虫の駆除。脚立に乗ってバーナーで落とすのですが、もともと苦手な毛虫が自分の方に落ちて来たり、夜中にうなされそうな作業で…ああ殺生!南無阿弥陀仏。

このコロナ禍で多くの経済活動が自粛を迫られていますが、そもそも生活のための活動の多くは、人間が栄えるために自然を壊したり、人の欲を焚き付けたりして成り立つ活動であって、しないで済めばそれに越した事はない気がします。

万事が経済優先の世の中が、自然の猛威を前にして立ち止まり、命の重さを考える契機を与えられたと考えるなら、このコロナ禍は奇貨であるかも知れません。

福島の子ども達を山形県米沢市で遊ばせる「青空保育たけの子」さんに支援カンパ送金。…いくらか罪滅ぼしになるか知らん。