《期待を込めて新国立の『蝶々夫人』を観る》
オペラを観はじめてから2014年で3年と少し経っていたころですが、やはり正直言うと日本人によるオペラ上演にはどうしても抵抗感というか違和感を覚えてしまって、知人の根っからのオペラファンの意見などを聞いて日本人キャストの出ている作品をテレビで観たり、新国立にも足を運んでみましたがやはり納得のいくものとは出逢えませんでした。タイトルロールほか4人ぐらいは外国人キャストで演じられるわけですが、私の中にはアルフレッドと名乗ってもどうしても中村さんにしか見えないわけで・・・・ビジュアル的なことはハナから承知していても、偏見といわれようがあのヨーロッパや外国の層の厚い歌い手たちの豊かな声と演技を観てきたのでどうしてもこの違和感は拭い去れません。それでも、日本人歌手の中に”私のお気に入り”が出現することを願ってこの時も足を運ぶことにしたわけです。2015年の今でも決してそれを諦めているわけではありません。そして、これなら日本人が舞台のオペラなのだからいけるのではないか、と出かけたのが『蝶々夫人』でした。
キャストは2011年の歌手たちです
☆2014年2月8日(土)開演14:00 新国立歌劇場
☆プッチーニ 『蝶々夫人』
☆出演 蝶々夫人: アレクシア・ヴルガリドゥ
ピンカートン: ミハイル・アガホノフ
シャープレス: 甲斐栄次郎
スズキ: 大林智子
ゴロー: 内山信吾
ヤマドリ:小林由樹
☆指揮 ケリ=リン・ウィルソン
☆演出 栗山民也
☆演奏 東京交響楽団
☆オペラ難易度 C (音楽評論家黒田恭一さんの著書に
よるものです)
☆おすすめ度 悲 中 (音楽評論家 加藤浩子さんの著書
によるものです)
まずはこれも逆に突っ込まれそうな蝶々さんが外国人なのはどうなのか?と言われそうですが、2014年の上演の際のヴルガリドゥは細面でかつらもよく似合い、それほど違和感はなく聴くことができました。それと同時に脇役で重要な役どころのスズキ(何もカタカナにしなくても鈴木さんでいいのに)を歌った大林智子さんは声量的にもたっぷりとしていて(もっともこの日は最前列だったのにオーケストラに負けていなかったということで満足して聴いた歌手のひとりでした)よかったと思います。なぜこういう人たちが海外でもっと歌うことに挑戦しないのか不思議でなりません。ま、ともかく、この分だときょうはいけるかも、と思って観始めたのですが、却って日本人が演じる日本人がパッとしなかったのです。これはどういうことなのかよくわかりませんが、やはりオペラという表現方法は日本人の文化ではなく、無理があるということなのでしょうか。
蝶々夫人役のヴァルガリドフは初日こそ体調が悪く降板したものの、私が観劇した千秋楽にはのびやかで優しいソプラノの響きを堪能させてくれました。第一幕目では少し声のインパクトが弱い気がしましたが(やはり、この役は日本人で観たほうがよかったかも・・・なんて一瞬後悔したかも)、声の強弱にメリハリがついてきて,その心中を表現するのがとても自然で(つまり、自分の声をコントロールしたり自己分析が出来る)smartな歌手だと思い、中盤ぐらいからは(やはりソプラノは外国人じゃなくてはね)という風に変わってきてしまいました。素人はこれだから大変なのです。常に混乱し自分を納得させつつ観ているのです。で、ヴァルガリドフはヨーロッパでも同役で成功を収めているそうですので実力はあるのでしょうね。
だからこそ言いたいのです。いつまでも海外からのゲスト頼みではなく、海外で鍛えてきた日本人歌手がもっと多ければ蝶々さんの役はすんなりと日本人が歌えるのに、と私はいつも日本人歌手に期待を込めて「海外に挑戦してください!」と思っています。とのかくこの日はスズキ役の大友さんををのぞけばやはり細かいことですが、日本人の動きがちょこまかし過ぎてプッチーニが書いたオペラにはそぐわない感が強くて困りました。イタリア語って結構わからないようで上手下手が判りますからね。それでも、新国立の合唱団は世界の歌劇場の中でもとびぬけてうまいと、そしてプログラムはとてもよく編集されていて読みやすい(それはそうです、日本語ですからね)とそれは強く思ったのでした。
アレクシア・ヴルガリドゥはうまく日本人になっていました
2011年の公演の際の動画がアップされていますので、新国立でのオペラ鑑賞を決める手掛かりにしてみてください。どこか一か所でも日本人の日頃の努力が感じられれば、あとあと日本でもオペラを存分に楽しめる日が来るかもしれませんから。https://www.youtube.com/watch?v=H2Yy2pPdDhQ
さて、次はピンカートンですが予習で観たDVDはMET版ですのでこれは比較しても仕方がないのですが演出力で圧倒されてしまい、ピンカートンの役どころはどうでもよかったものでした。その役を昨今世界中の歌劇場を席巻しているロシア人ソリストの中のひとり、ミハイル・アガホノフが務めていましたが、強烈な印象はなかったもののやはりロシアオペラ界の底力は感じました。ふくよかな体型ではありましたが、繊細な耳なじみの良いテノールでオーケストラをスルっと声が飛び越えてきました。虫が良すぎるピンカートンというよりは人が良すぎて人の悲しみに気付かないそんな男性かなと。MET版のM・ジョルダーニよりは雰囲気は良かったと思って観てきました。
ピンカートン役のミハイル・アガホノフ
この日の演奏は聴き慣れてきて実力を高めているな、と思っていた東フィルではなく東京交響楽団でした。日本のオーケストラも来日する有名指揮者達に鍛えられて数年前より弦の音一つとってもだいぶ力強くなってきたと私は思っています。この日も聴かせどころを女性指揮者のリン・ウィルソンがうまく引き出していて目をつぶって聴いていれば私の耳にはウィーンで聴いているのとそれほど差がないかと・・・とそこまで言うと何様?な感じですが、正直最近の日本のオーケストラは結構いい線まで来ているのではとひとり思っております。演出も新国立の演目の中では一番よかったと思っています。舞台の色彩が美しかったです。何しろ、回りすぎた『セヴィリア』で懲りていますからシンプルな舞台設定は大歓迎で落ち着いて観ていられます。とまぁ、わたしがなんだかんだと御託を並べても、新国立には結構な人数の観客が押し寄せているわけで私と同じようにソリストは外国人でないと、どうのこうのという人はそもそもここにはいないのでしょう、と思った次第です。最後にもうひとつ、どう考えてもプッチーニは日本と中国を混同している曲を書いているのでそこも違和感の原因の一つになっているのかもしれませんね。
☆こんなたよりのないオペラノートではなく新国立劇場のプログラムにも「プッチーニヒロインの背景~プッチーニとその妻、という解説を寄せている音楽評論家加藤浩子さんのブログはこちらから。http://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/