自分と自分以外の人との違いを知ることは、多くの場合、驚きや感動、反省をともなう。
エニアグラムでは自分のタイプ以外に8つのタイプの人がいる訳なので、学べば学ぶほど相手と自分との違いに冷静になれる。
どうして、これまでこの人と上手くコミュニケーションがとれなかったのか?
そのことに気づくと何とか上手く意志の疎通を図ろうと様々な工夫をするわけで、その過程において、自分のコミュニケーションの悪い癖にも向かい合うことになる。
エニアグラムでは「自分が何に囚われるのか」という傾向について知ることができたが、それが「フィルター」になって相手の話を「歪めて」受け取ってしまっていたり、相手に対しての「思い込み」や「決めつけ」が働いてしまい、相手の真意をありのまま理解することを妨げてきていたことに気づくことができた。
採用や教育の仕事に関わっていると、このようなことは避けなければならないと感じることが多く、もちろん日頃から意識はしているつもり。
先入観で物事を見すぎていないかな?って、自分チェックねっ。
相手から白いボールを投げられたら、白いまま受け取る。
私のフィルターを通すと、赤くなったり、真っ黒になったり、はたまた虹色になったりしないか、ありのままの声を受け取ることの難しさを感じることは度々ある。
相手がそう「思った」のなら、それをありのままに受け入れる、そう「感じた」のであればそれをありのままに受け入れる、
相手と同じものを一旦は「わかちあう」ことからコミュニケーションは始まるのだと思う。
こんなシンプルなことが私には当初、意外と難しかった・・・。
相手との違いは楽しいものである。相手を鏡として自分の姿を映して見る。
ほっと和む自分、敬意を抱く自分、羨ましく思う自分、逃げ出したくなる自分、触発される自分、いろんな自分が見えてくる。でも、どれもこれも本当の自分、いろんな自分に気づくねぇ・・・気づくから成長するのだと思う。
いくつになっても感度の高い「錆びない人」でいたい。
それが私の中での成長を意味しているのかもしれないナ。
エニアグラムでは自分のタイプ以外に8つのタイプの人がいる訳なので、学べば学ぶほど相手と自分との違いに冷静になれる。
どうして、これまでこの人と上手くコミュニケーションがとれなかったのか?
そのことに気づくと何とか上手く意志の疎通を図ろうと様々な工夫をするわけで、その過程において、自分のコミュニケーションの悪い癖にも向かい合うことになる。
エニアグラムでは「自分が何に囚われるのか」という傾向について知ることができたが、それが「フィルター」になって相手の話を「歪めて」受け取ってしまっていたり、相手に対しての「思い込み」や「決めつけ」が働いてしまい、相手の真意をありのまま理解することを妨げてきていたことに気づくことができた。
採用や教育の仕事に関わっていると、このようなことは避けなければならないと感じることが多く、もちろん日頃から意識はしているつもり。
先入観で物事を見すぎていないかな?って、自分チェックねっ。
相手から白いボールを投げられたら、白いまま受け取る。
私のフィルターを通すと、赤くなったり、真っ黒になったり、はたまた虹色になったりしないか、ありのままの声を受け取ることの難しさを感じることは度々ある。
相手がそう「思った」のなら、それをありのままに受け入れる、そう「感じた」のであればそれをありのままに受け入れる、
相手と同じものを一旦は「わかちあう」ことからコミュニケーションは始まるのだと思う。
こんなシンプルなことが私には当初、意外と難しかった・・・。
相手との違いは楽しいものである。相手を鏡として自分の姿を映して見る。
ほっと和む自分、敬意を抱く自分、羨ましく思う自分、逃げ出したくなる自分、触発される自分、いろんな自分が見えてくる。でも、どれもこれも本当の自分、いろんな自分に気づくねぇ・・・気づくから成長するのだと思う。
いくつになっても感度の高い「錆びない人」でいたい。
それが私の中での成長を意味しているのかもしれないナ。
エニアを学んで痛感したのは、自分がいかに自分のタイプらしいフィルターを通して外界を認知しているか、ということでした。
特に人とのコミュニケーションにおいては、相手の言葉を自分なりの解釈でしか受け取っていなかったですね。「自分だったらそんな事を言うときは、こういう気持ちだ。だから彼女もこういう気持ちなんだろう」みたくね。殆ど無意識にそう思っていたと思います。「同じ人間同士なんだから」みたく。
けれど、相手が違うタイプであれば、同じ言葉であっても違う気持ち・考えで発しているわけで・・・自分のフィルターを通さずに相手の真意を捉えようとしていも、これは甚だ困難だなぁと感じた次第です。
なので、今はなるべく私は「今も私はきっと自分のフィルターでこう解釈したのかもな」と思うようにしてます。そうすると相手の言葉をもっと聞こうという気持ちになって、自然と相手の話を幅広く考えようとするんですね。相手がもっとしゃべってくれると「ああ、そういうことだったのね!やっぱり自分の最初の解釈とは違ってたな」と思うこともしばしば・・・。
毎回これが出来ればいいのですが、とっさの時とかストレス時においても、常にこのようなスタンスでいることのいかに難しいことよ・・・。
「感度の高い錆びない人」って、実にいい表現ですね!ん~、それだぁっ!!
ホントそうよねぇ、真意を捉えるのは難しいわ・・。ころんさんの「今も私はきっと自分のフィルターでこう解釈したのかもな」と思うようにしているというのは参考になったナ。私の場合、自分の感情不在でコミュニケーションがなされすぎる。相手中心過ぎて、自分に何ら意識がいかない。それでも大きな問題はこれまでなかったけど、これからは自分の感情コンディションがどぉなっているのか観察していきたいと思ったよ・・・
んー、今回も私に気づきをありがとう!