きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

愛でぶつかる

2017-03-24 04:33:23 | 日記
世の中

一見


利害関係


ビジネス


公私の使い分け


そんなところで回っているように思える。



そうしたところをわきまえているひとが


立派な大人だとアピールする。


糞食らえだ!



どこまでいっても



個人への愛で世の中は動く



愛で 真っ正面からぶつかる



わたしの内側は愛でぶつかれる



だから愛でぶつかる相手が


本当に愛で殻を打ち破れるまで



わたしはあきらめない。



相手がどんなかっこいいこといっても


そんなかっこいいことばで


ひととひととの関係はつくれないんだよ。



糞食らえだ!



ひとは愛でぶつかるときのみ



ひとにもどれる。




この冷たいビルの墓みたいな東京



毎日が激烈なドラマだ。


ドラマが終わるとわたしはひたすら寝る




このブログにふらりとはいる人にもいいたい。



愛でぶつかれ と



体のいいコメントなどいらない。




愛でぶつかる 人間関係以外はわたしはいらない。
















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8 コメント

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Unknown (Blue Cats)
2017-03-24 08:53:17
愛でぶつかる人は

バランスだとか
メリットだとか

そんなことを掲げたりしない

愛は愛なんだ

そんなことも気づけないのか

わたしは
愛を信じて生きていく
素朴な感想 (さよ)
2017-03-24 13:15:42
言葉が

強烈過ぎて

ご馳走が

褪せて見えた
忌避 (黒猫)
2017-03-24 15:12:21
愛でぶつかって砕けました
その人たちはわたしを見ると逃げます、怯えます。
わたしは明らかに避けられています。その人たちの態度を見ると非常に悲しくなって、ぶつかる前より一層孤独になりました
Unknown (bluemoon)
2017-03-24 17:48:25

>だから愛でぶつかる相手が
本当に愛で殻を打ち破れるまで
わたしはあきらめない。



ここに主眼があるんですかいな?


相変わらず

伝わりにくいですな。

久しぶりにむかついた (スナフキン)
2017-03-26 21:14:41
愛の押し売りほど めんどくさいものはない

相手の事を考えてこその愛

自分主体の ”愛”なんて 単なる自己満足

我々はJWが放つ 自己満足の”愛”に大迷惑を被ったのだ

”愛” の押し売りなんて 私はいらない
Re:久しぶりにむかついた (bereshit007)
2017-03-26 21:35:11
いいことだ。
あ 怒ってるね~ (新緑)
2017-03-26 22:52:06
わたしもバランスいいコメントよりこっちの方がいいな。
でも この間の「偏屈の洞窟」っていうネーミングはセンス良いと思ったよ!気に入った!
私がそういうタイトルのブログを始めたいくらいだよ。
スーさんも隠れ偏屈だからけっこうお似合いの場所だよ。

>だから愛でぶつかる相手が
本当に愛で殻を打ち破れるまで
わたしはあきらめない。

わたしもここが主眼なんだねと思ったよ。
いいなと思う。そうなんだよ!と思う。

ベれさんはエホバの証人だった時と変わらず
毎日愛を原動力に生きているんだと思う。
ビジネスで接する自己防衛やへつらいでカッチンコッチンの人にも臆することなく。

でもね…
JW系愛の押し売りには本当にうんざりだよね。
そして私達にはJW脳で愛を押し付けてくる現役親もいるから
やっぱり辞めた1世の方たちとは、べれさんみたいに今改めて親孝行ができたり、
JWから離れたお子さんもいらっしゃって、可愛らしいお孫さんの顔を見る日も来るかもしれない
そんなことを含めた人間としての普遍的な愛に穏やかな視線を向けられる方たちとは
悲しいけれど立ち位置が違うとも思う。
もちろんエホバの証人の時に培った生きとし生けるもの全てへの愛情は持っているつもりだけど。

わたしは特に最近、あんなに愛して育てたのにとか
サタンの手先になってとか
愛情と脅しを混ぜた論法で親から経済的援助を要求されたので
JW教育?JW的誘導法?を生々しく思い出しました。

とどっち付かずのつまらないコメントをしてみる。

普段怒りや哀しみを表に出さないスナフキンさんの笑顔に一瞬でも癒される人が明日もいると思います。

死ぬまで生きるしかないから
明日も頑張ろう。
偏屈的訂正 (新緑)
2017-03-26 23:07:47
エホバの証人の時に培った生きとし生けるもの全てへの愛情
って書いてしまったけれど
それはあの洗脳だかマインドコントロールだか知らないけどそれでも一生懸命に若い命を燃やしていた頃に
っていう意味で
エホバの証人だから培えたわけではない。

親に不従順とよく叩かれて
叩かれると親を睨みつけてまたそれで叩かれるような子供だったけれど
今は組織を非難する不信仰なサタンの手先らしいけれど
それは、そういう愛情を育む能力は
私が、誰もが心の中に育つべき種子のように持って生まれて来るものだと思う。

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