都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた社寺、史跡の写真と由緒などの記録。
時には、読書の抜粋。時には庭の花の写真の記録。

子育地蔵尊 地蔵坂

2012-12-20 08:57:49 | 都内散歩
子育地蔵尊(地蔵坂:北区中十条)
【場所】東京都北区中十条2-9
東十条駅の南側出口を出て右手に進むと「十条跨線橋」。この橋で線路を渡ると中十条交番前の信号で左手に「子育地蔵尊」があります。地蔵様の対面は交番です。
「街MAPお地蔵さん巡り」によると古くはこのお堂の裏手の急坂(地蔵坂:地蔵を左手にして進むと東十条駅の線路わきに出る急坂の短い道)の途中に立っていたそうです。
【建立時期などは不明
地蔵尊の前には庚申塔があり1791年(寛政3年)の銘がある。当日は確認していないが「右より練馬みち 左より豊島道」と道しるべが刻まれているということです。
この地蔵尊もそのころからのこの地で子授け、子供の安全と成長を見守ってきたのであろう。
【お地蔵様の姿】
子育地蔵尊の姿は厄除の祈願?の赤い帽子で涎掛けをしていました。ハスの花のうえに立つ立像。涎掛けに隠れてはいましたが左手に宝珠、右手に錫杖(しやくじよう)を持ち、頭を丸めた僧形の立像と思いました。つまり、幼児を抱いている像ではない、幼児が足元にもいないので一般的な地蔵尊の姿をしている子育地蔵尊です。
地蔵坂の子育地蔵尊について知りえたことはこれがすべてです。
【地域の人々と地蔵尊】
ここに来る前の姥ケ橋延命地蔵尊・子育地蔵尊でもお花が手向けられ、きちんと清掃されていました。この地蔵尊も同じように活き活きとしたお花、千羽鶴が手向けられ、整理されていました。この地域の人々がみんなで子供を見守り育てている心、親や祖先を大事にしていこう姿がここに表れているように感じました。

ここでウィキペディア「地蔵菩薩」から私が理解した地蔵尊について記します。すべて引用・抜粋であります。私の誤解もありますので原典をご参照ください。
地蔵菩薩
【地蔵菩薩】
地蔵菩薩の敬称が地蔵尊。サンスクリット語ではクシティ・ガルバで、仏教の信仰対象である菩薩の一尊(仏様の分類では、如来、菩薩、明王、天部・・となりますので如来を目指して修業中)。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言う。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられている。一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。
【日本における菩薩】
身近な現世利益・救済信仰の対象として菩薩が尊崇の対象とされてきた。日本で広く信仰される主な菩薩としては、観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、子供を救うとされ、道端にたたずみ最も庶民の身近にある地蔵菩薩などがある。
【像容】
一般には剃髪した声聞・比丘形(僧侶の姿)で白毫があり、袈裟を身にまとう。装身具は身に着けないか、着けていても瓔珞(ネックレス)程度。左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ形、または左手に如意宝珠を持ち、右手は与願印(掌をこちらに向け、下へ垂らす)の印相をとる像が多い。

【日本における地蔵信仰】
平安時代以降、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになった。
賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵菩薩が守るという民間信仰もあり、子供や水子供養でも地蔵信仰を集めた。
また道祖神と習合したため、日本全国の路傍で石像が数多く祀られた
【各種地蔵名】緑字はお参りしたことのある地蔵を示す
≪病苦の身代わり≫
化粧地蔵、おしろい地蔵、延命ぽっくり地蔵、洗い地蔵、赤地蔵、味噌なめ地蔵、あごなし地蔵、塩地蔵、あんこ地蔵、首なし地蔵、首切り地蔵、足切り地蔵、紙張り地蔵、腰折地蔵、咳止め地蔵、生木地蔵、ぬりこべ地蔵、目洗い地蔵、くろかね焼地蔵、へちま地蔵、縛られ地蔵
≪子宝・子育て守護≫
賽の河原地蔵、子育て地蔵・子安地蔵、子守地蔵、三体地蔵、腹帯地蔵
≪厄除け≫
釘抜き地蔵、とげぬき地蔵、引導地蔵、水子地蔵六地蔵、苦抜き地蔵、毛替り地蔵、船乗り地蔵
≪災難予知・危難防御≫
汗かき地蔵、しばられ地蔵、芋地蔵、火焼け(ほやけ)地蔵
≪延命・開運・勝利≫
延命地蔵、延命ぽっくり地蔵、首つぎ地蔵、勝軍地蔵、日限地蔵、開運地蔵、無尽地蔵

以上
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