くるちゃん

温泉旅行
時事漫歩
趣味悠々

人生激情1474(戦災震災)

2012-02-10 14:51:03 | Weblog
 1945年8月15日敗戦。
生地満州は修羅場と化した。ロシアが日ロ平和協定を破り猛攻撃を始めた。
在住日本人は家、財産を捨て否応なしに撤退をせざるをえなかった。
父はまだ戦地にあり、母は三人の子を抱え必死の逃亡を計った。
チチハルから大陸を南下、釜山港から命からがら博多港にたどり着いた。
そして母は親元をたどり、貨物列車にぎゅうぎゅう詰めで北海道を目指した。
物ごころ付いたばかりの子供にとっては戦後の混乱は過酷だった。
ちっこい子供を抱えた母にとってはもっともっと過酷なものだったはずだ。
この時母は、30歳。子は6歳を頭に5歳4歳と育ち盛り食い盛りだった。
衣食住、すべてが欠乏のどん底で、生き方は手探りだったはずだ。
多くの死を見てきた。生きて帰国できたのが奇跡だったようなものだ。

「人生は、働き、努力して地位を得、妻をめとり、子を授かり、家庭を築く。
老いては仕事を離れ、悠々自適、余生を楽しむ。これぞ男冥利というものぞ」
 学ある先生と言われる人達の、何と単純明快な人生訓か。
 だが、こんな美辞麗句の言葉は空念仏に等しい。
人生は努力して報われるなら苦労のしがいはある。
だが、現実は違う。人生は運が総てだということを知らされた。
世の中は幸運に恵まれた者だけが羽ぶりを利かし、不運な者は脱落してゆく。
わずかな才能を費やして生きるために仕事につき、不当な扱いや、恥を忍んで
妥協を重ね、なんとか生き延びて晩年にやってきた。多くの同輩がそうだった。
生きた証を残せた人は限られている。名を残せた人は幸運な人だったろう。
ほとんどの人が名もなき市井の藻屑となって、埋もれて行ったはずだ。

 ならば、ささやかでも子や孫の行く末に望みをもてるだけでもよしとしようか。

 まだ生存している母はよく言う。
「今の東北大震災の被災者には同情するけど、あの頃よりはまだいいよ。
 国や世間が心配してくれるから。あの頃はだ〜れも手助けしてくれなかったよ」
ジャンル:
ウェブログ
キーワード
東北大震災
コメント (1) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« 人生激情1473... | トップ | 人生激情1475... »

コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (にし&かずき)
2012-02-11 19:05:12
じいちゃんー、誕生日
日おめでとう!(^-^)

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL

あわせて読む