やっと原稿から釈放された。
よく、こんなことを言うのがいる。
「私、自分の書いた作品って、どれも可愛くって!」
一本書くのに数ヶ月、どうかすると数年、稀には数十年越し、という場合があるのが小説の執筆である。
数百枚の原稿の隅々、描写の文言の一字一句さえ諳んじるほど寝ても覚めても書かされるのである。
いい加減、飽きる。
こんなもの、二度と顔も見たくない、と口走りながら、新人賞に向けて投函する清々しさといったらない。
それに、意図するにせよしないにせよ、小説などというものには必ず書き手の精神的排泄物が混入する。
全部自分のモノだ。
見たくないものほどよく目に付き、嫌でもそれと知れてしまう。
たとえ他人にはわからないことであったとしても、それがかなり恥ずかしい。
人間、自分のすべてを完全に受け入れられるのは死んだ時だけであるという。
生きている癖に自分の作品が可愛くてたまらない、とは一体いかなる心境なのであろう。
私には理解出来ない感覚である。
今回はとにかく大変だった。
去年の年末に書き始め、二月の頭には大体に書き終えて推敲、という日程を組んでいたのだが――。
十二月にまずPCのグラフィックカードが壊れ、続いて次々と蛍光灯やら電気の球が切れ、眼鏡が壊れてPCのモニターもイカれた。
他にも、書斎のアコーディオンカーテンも壊れたし、十数年愛用した目覚まし時計も壊れてしまった。
だいたい、三日おきぐらいに家の中の何かが壊れる、そんな具合であって、その都度半日ぐらいが潰れて執筆どころでもない、という有様であった。
悪いことは重なるものである。
そうする内には電気スタンドが壊れ、レーザープリンターのトナーもお亡くなりになり、ブチ切れながら寺町の電気屋に行くと、通いつけのタニヤマムセンも潰れていた。
ミドリになっていた。
何やらイケメンのアニキが店頭で通行人に気合をかけていた。
その意気やよし。
だが、この種の電気屋に付き物の、980円の電卓だのカードサイズのラジオだの束売りのホカロンだの、無駄な物欲と冒険心を鼓舞するワゴンセールがないではないか。
それだけではない。
こんなもの、ワゴンで一山だろう、と思うような中国製品が美的にレイアウトされているのだ!
胸騒ぎを抑えつつ、まずは照明のフロアに行き電気スタンドを見た。
無段階に光度を変えられるとか紫色に光るとかリモコンがついているとか小さくて邪魔にならないとか。
そんなものしか置いてない。
実に下らない。
私が欲しいのは、設計技師や受験生が使うような、機能的なそれである。
なんだ、ゴミしか仕入れないのか、この店は、と悪態を吐きながらPCのフロアへ移動する。
ずらりとレーザープリンターが並んでいるが、トナーがない。
トナーはないのか、と訊くと、養殖ハマチみたいな店員が至極面倒臭そうに、
「お日にちをいただいてもいいのでしたら、お取り寄せは出来ますけど?」
などと言う。
レーザープリンターを何だと思っているのか。
ちょっとした印字しかしないなら、こんなものは買わない。
山ほど刷るからレーザーなのだ。
トナーなど、すぐになくなるものであろう。
プリンターを売る癖にトナーを置かぬとは何たることか。
しかも、客が店頭まで来るのは、すでに無くなっていて、すぐに入手したいからだ。
「お日にち」をかけても大丈夫なら、とっくの昔に通販で注文しているに決まっている。
なんという堕落ぶりか。
ミドリよ、私のタニヤマムセンを返せ。
私はあの、チープな店内BGMのサンバのリズムをもう一度聴きたい。
結局、京都の電気屋街であったはずの寺町で、私はトナーを買うことが出来なかった。
憂慮すべきことである。
ヨドバシカメラがあるではないか、と慰めてくださる方もあるが、京都駅の周辺は、それはそれは辺鄙なところだ。
トナーを買いに出て、ついでにフラフラ立ち寄るところがない。
あそこにあるものと言えば伊勢丹と京都タワーぐらいではなかろうか。
京都タワーのマスコット「たわわちゃん」
↓
女の子であるらしい。
映像の途中でマイクが拾う、観衆の女児のコメントがとても素晴らしい。
それにしても
「たわわちゃん」
淫靡なネーミングである。
これが名前だけでなく実際にもたわわちゃんであるなら、私は用事がなくともヨドバシカメラ
……やはり疲れている。
私はさっきから何の話をしているのだろうか?
とまれ、今年の十二月は何でも片っ端から潰れ、何も出来なかった――と、こんな調子で大晦日を迎え、気がついたらおせち料理を買い損ねてそのまま一月に突入、前にも書いたとおり、私は正月をおでんだけで過ごす羽目になった。
栄養不足が祟ったのか、それとも執筆直後の故障地獄で疲れが出たのか、年始早々に風邪をひき、一月の中旬ぐらいまで寝込んでしまった。
もちろんのことだが、執筆どころでもない。
風邪も治り、やれやれ、遅れを取り戻そうか、と執筆を始めたのが1月下旬、残り時間はこの時点で一ヶ月と十日ほど、それで私は二百五十枚の原稿を書かねばならなかった。
一ヶ月ちょっとで二百五十枚。
細かい話はもう思い出したくもない。
プロットで十日かかり、冒頭五十枚で一週間が潰れ、そこから二百枚。
書き辛いところで詰まるなどしながら推敲も含めて二週間である。
締め切りの前の三日間は身体を横にする余裕もなかった。
PCの前で座ったままつぶれて二時間、三時間眠るだけである。
因みに、主たるエネルギー源はおでんとアルコール燃料であった。
冗談抜きで死ぬかと思った。
もう何もしたくない。
何も考えたくない。
すっかり放心状態である。
ドフスで穀物パンを二万個も焼いてしまった。←ココがドフスの記事
早く人間になりたい。
よく、こんなことを言うのがいる。
「私、自分の書いた作品って、どれも可愛くって!」
一本書くのに数ヶ月、どうかすると数年、稀には数十年越し、という場合があるのが小説の執筆である。
数百枚の原稿の隅々、描写の文言の一字一句さえ諳んじるほど寝ても覚めても書かされるのである。
いい加減、飽きる。
こんなもの、二度と顔も見たくない、と口走りながら、新人賞に向けて投函する清々しさといったらない。
それに、意図するにせよしないにせよ、小説などというものには必ず書き手の精神的排泄物が混入する。
全部自分のモノだ。
見たくないものほどよく目に付き、嫌でもそれと知れてしまう。
たとえ他人にはわからないことであったとしても、それがかなり恥ずかしい。
人間、自分のすべてを完全に受け入れられるのは死んだ時だけであるという。
生きている癖に自分の作品が可愛くてたまらない、とは一体いかなる心境なのであろう。
私には理解出来ない感覚である。
今回はとにかく大変だった。
去年の年末に書き始め、二月の頭には大体に書き終えて推敲、という日程を組んでいたのだが――。
十二月にまずPCのグラフィックカードが壊れ、続いて次々と蛍光灯やら電気の球が切れ、眼鏡が壊れてPCのモニターもイカれた。
他にも、書斎のアコーディオンカーテンも壊れたし、十数年愛用した目覚まし時計も壊れてしまった。
だいたい、三日おきぐらいに家の中の何かが壊れる、そんな具合であって、その都度半日ぐらいが潰れて執筆どころでもない、という有様であった。
悪いことは重なるものである。
そうする内には電気スタンドが壊れ、レーザープリンターのトナーもお亡くなりになり、ブチ切れながら寺町の電気屋に行くと、通いつけのタニヤマムセンも潰れていた。
ミドリになっていた。
何やらイケメンのアニキが店頭で通行人に気合をかけていた。
その意気やよし。
だが、この種の電気屋に付き物の、980円の電卓だのカードサイズのラジオだの束売りのホカロンだの、無駄な物欲と冒険心を鼓舞するワゴンセールがないではないか。
それだけではない。
こんなもの、ワゴンで一山だろう、と思うような中国製品が美的にレイアウトされているのだ!
胸騒ぎを抑えつつ、まずは照明のフロアに行き電気スタンドを見た。
無段階に光度を変えられるとか紫色に光るとかリモコンがついているとか小さくて邪魔にならないとか。
そんなものしか置いてない。
実に下らない。
私が欲しいのは、設計技師や受験生が使うような、機能的なそれである。
なんだ、ゴミしか仕入れないのか、この店は、と悪態を吐きながらPCのフロアへ移動する。
ずらりとレーザープリンターが並んでいるが、トナーがない。
トナーはないのか、と訊くと、養殖ハマチみたいな店員が至極面倒臭そうに、
「お日にちをいただいてもいいのでしたら、お取り寄せは出来ますけど?」
などと言う。
レーザープリンターを何だと思っているのか。
ちょっとした印字しかしないなら、こんなものは買わない。
山ほど刷るからレーザーなのだ。
トナーなど、すぐになくなるものであろう。
プリンターを売る癖にトナーを置かぬとは何たることか。
しかも、客が店頭まで来るのは、すでに無くなっていて、すぐに入手したいからだ。
「お日にち」をかけても大丈夫なら、とっくの昔に通販で注文しているに決まっている。
なんという堕落ぶりか。
ミドリよ、私のタニヤマムセンを返せ。
私はあの、チープな店内BGMのサンバのリズムをもう一度聴きたい。
結局、京都の電気屋街であったはずの寺町で、私はトナーを買うことが出来なかった。
憂慮すべきことである。
ヨドバシカメラがあるではないか、と慰めてくださる方もあるが、京都駅の周辺は、それはそれは辺鄙なところだ。
トナーを買いに出て、ついでにフラフラ立ち寄るところがない。
あそこにあるものと言えば伊勢丹と京都タワーぐらいではなかろうか。
京都タワーのマスコット「たわわちゃん」
↓
女の子であるらしい。
映像の途中でマイクが拾う、観衆の女児のコメントがとても素晴らしい。
それにしても
「たわわちゃん」
淫靡なネーミングである。
これが名前だけでなく実際にもたわわちゃんであるなら、私は用事がなくともヨドバシカメラ
……やはり疲れている。
私はさっきから何の話をしているのだろうか?
とまれ、今年の十二月は何でも片っ端から潰れ、何も出来なかった――と、こんな調子で大晦日を迎え、気がついたらおせち料理を買い損ねてそのまま一月に突入、前にも書いたとおり、私は正月をおでんだけで過ごす羽目になった。
栄養不足が祟ったのか、それとも執筆直後の故障地獄で疲れが出たのか、年始早々に風邪をひき、一月の中旬ぐらいまで寝込んでしまった。
もちろんのことだが、執筆どころでもない。
風邪も治り、やれやれ、遅れを取り戻そうか、と執筆を始めたのが1月下旬、残り時間はこの時点で一ヶ月と十日ほど、それで私は二百五十枚の原稿を書かねばならなかった。
一ヶ月ちょっとで二百五十枚。
細かい話はもう思い出したくもない。
プロットで十日かかり、冒頭五十枚で一週間が潰れ、そこから二百枚。
書き辛いところで詰まるなどしながら推敲も含めて二週間である。
締め切りの前の三日間は身体を横にする余裕もなかった。
PCの前で座ったままつぶれて二時間、三時間眠るだけである。
因みに、主たるエネルギー源はおでんとアルコール燃料であった。
冗談抜きで死ぬかと思った。
もう何もしたくない。
何も考えたくない。
すっかり放心状態である。
ドフスで穀物パンを二万個も焼いてしまった。←ココがドフスの記事
早く人間になりたい。










