手作りの塾と、明日へ

一念発起して立ち上げた私塾。
難しいのは、承知の上。自らが、どこまで行けるものか。峠の向こうにあるものを確かめに行く。

賭けようとしているものは

2017年08月14日 01時57分35秒 | 日記
まだ暑い日は続きそうだ。
しかし、気がつけばもうお盆ではないか。

毎年この時期になると、夏の暑さに勢いがなくなるのを感じる。
前にも書いたかもしれないが、例えるなら、父親が老けて怖さがなくなることに似ている。
あんなに憎らしかったものが、力が衰えて怖くなくなってしまった途端寂しさに襲われるのは何故だ。
平和になって良いことのはずなのにどうして。
人は無論生きているが、人の気持ちもまた生き物ということか。
心は常に変わり続ける。
憎らしさのほんのすぐ後に愛おしさが来たとして、何ら不思議ではないのかもしれない。

ともあれ。
私が今賭けようとしているものは何なのか。
ややもすると、すぐに分からなくなる。

学習指導を必要とする子供の助けとなること。
教師としての自らの資質に疑問を持ち、教員免許は取得しないことに決めた大学時代。
それからいろいろあって今、私塾の塾長として学校教育を陰から支える道を志しているわけであるが、道は険し過ぎるし、
そうこうするうち、志そのものが揺れて来るなどということを飽きもせずに繰り返している。

でも、何だかんだ言って、私が賭けようとしているものは、やっぱり「良い線いっている」んだと思う。
昔からそういうところがある。
自分のことをむやみに良く言うつもりはないが、見る目はあるほうだという言い分である。
何一つ自慢できるようなものを積み上げることなくこんな年になってしまったという口であるが、良いものを良いと見分ける力は自然に身についていると自分では思っている。
「質の悪いパターン」と引かれても一向に構わない。
自分で思っていることは思っていると言えばいい。

私は久しく周りからどう思われるかなど気にせずに生きようとしている者である。
であるが、こうやって人目にそこそこ付くはずのブログなど、書き物に思いの丈をしたためようとする時、無意識のうちにいろいろと他人からの批判を頭の中で計算している自分がいたりする。
時には批判されることを想い、やる気を失くして書くこと自体を止めてしまうなどということもよくある。
しかし、そんな小心者ではいけないいけない、しっかりしろ。
何しろこの先、モンスターペアレントとの闘いも待っているし、言うことを聞かない子供との闘いがあり、お金がないこと、独り身の問題などなど、山積みだ。
ともかくだ。
賭けようと思えるものがあって本当に良かったと、事あるごとにそうしみじみと感じていたりする。
だから、これで良いのである。

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