ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

三宅一択!! 政治家三宅博候補の魅力(その2)

2016年07月09日 | 政治

ちょっとした合間をぬってブログを書いています。
以下は「靖国神社前での演説」三宅博候補の文を下記のリンクをクリックの上、お読み頂ければと思います。
http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/da51e6f4351255c11f9ad32e10278781

★ 次は現在最新の文です。
http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/3e5b6159e700be4180d9572d24a2d04b

「炎天下の選挙戦の渦中において思うこと」
                                            平成28年7月6日 
                                  
猛暑に覆われる大阪で連日街頭に立ち、車上で訴え選挙カーで府下の各地をまわりながら感じた。

顔中真っ黒になり腕は炎熱でヒリヒリしながらも、喉が渇けばクーラーボックスの中の冷水を飲み口にすることが出来る。

先の大戦を振り返ればジャワ(インドネシア)、そしてビルマ(ミャンマー)のインパールをはじめとする各地、

またニューギニア戦線のジャングルで、若き日本軍人たちはどれほど喉の渇きや飢えに苦しんだであろうかと偲ばれる。

みんなどれほど故国日本が恋しかったであろうか。

どれほど家庭でおくった日々がなつかしかったであろうか。

また硫黄島やサイパン、そしてラバウル、太平洋の各地での戦いの日々は本当に辛く苦しいものがあったであろう。

その飢えと渇きと病と、そして戦いに斃れて亡くなっていった数多の若き英霊たちの姿を思えば目頭が熱くなり胸がつまる思いがする。

また満州やシベリアの凍土では我々の想像を絶する寒さであったろう。

そして過ぎし日露のあの戦いで、一瞬のうちに全滅した三千名の白襷隊(しろだすきたい)の英雄たちの尊さや国を思う気持ちを振り返れば、

現代のこの豊かさの中に身を置き、怠惰な日々を送る自分自身が申し訳無さで一杯になる。

多くの英霊の苦難の日々を思い浮かべれば、一身を捨てて政治の任にあたるのは彼らの偉業に比べれば千万分の一以下の務めでしかない。

彼らの純粋さに比べれば恥ずかしさに顔をあげることさえ憚れる。

英霊の皆さん、本当にありがとうございました。

恥ずかしながら多少なりともその御後に続きたいと思います。


                        小さな戦いの中に身を置く三宅博   午後4時選挙事務所にて



★ 次は、今までの三宅博氏の人物なりを紹介する文をご紹介します。
三宅先生は「自分はこれをした」など何も仰らないので、私はこれを見つけて三宅先生にお伺いしました。
先生はおおいにテレていらっしゃいました。


1、「ある支援者の方からのメール—三宅博さんが踏切に飛び込んで老女を助けた」

7月下旬のある朝のことです。

出勤のため、近鉄・高安駅に向かった私の耳に、聞き覚えのある声が入ってきました。この日は、三宅博さんが私の最寄駅の駅前でマイクを握って朝立ちをしていたのでした。「頑張って下さい」と近寄って握手をして別れたのですが、そのしばらく後に大変な事態が起こっていたことを、私は後日知りました。

この駅前の踏切は、結構幅があり、しかも特急がかなりのスピードで通過するので、横断にはとても注意を要します。この日、この踏切の真ん中あたりで、一人の高齢の女性がよろよろ歩いているのを、演説中の三宅さんが発見しました。すでに遮断機が下りていたのですが、三宅さんは躊躇なく踏切内に飛び込んでその女性を助け出そうとしました。しかし、彼女は「構わんとって、構わんとって」と叫んでなかなか言うことを聞きません。この騒ぎにホームの駅員も気づいて事なきを得たのですが、近所の人の話では、この女性は数日前にも踏切内に入っていたそうです。

以上のことは、その場におられたお二人のボランティアの方から聴きました。三宅さんご本人とは、その日から今日まで幾度かお会いしましたが、私にはこの話を一度もされませんでした。

とっさの時にどういう行動を取るかで、その人の本音や覚悟がわかるものですが、三宅博さんには当たり前のことだったのかもしれません。こういう人こそ、国家の運命と国民の生命を託せる政治家であると改めて思った次第です。(以上)


2、過去の講演より抜粋

この国は多くがですね、国民もわれわれ政治家自身も大きな勘違いをしているんではないかなと、ゆうふうな思いが致します。

政治家といういうのは、非常に難しい法律あるいは経済運営そういったものを習得し、そういう複雑なニーズに応えなければならない立場であるというのが、多くの有権者あるいは政治家自身の考えであると思うんです。

けれどもこれは根本的な部分で勘違いをしているんではないかなと思うんです。

それじゃあ政治家に求められる最大の本分、資質および使命は何かといいますと、これは「道を説き道を樹(た)てる」ということなんです。

人の道・国の道、この部分を体現するのが我々の仕事ではないかなという風に思います。

この部分が忘れられて色んな政治的なテクニック、あるいは法律の微に入り細に穿ったようなことばっかりに目を奪われて、本来の道を説き道を樹てるというこの部分が忘れられているんじゃないか。

たとえば我々政治家に求められる最大の使命は、国民の精神的なリーダーになるということなんです。

しかもこれは単に言葉だけじゃなしに、自らの生き方をもって多くの国民の方々に感銘や勇気と希望を与える、そのような姿を指し示すのが我々に課せられた最大の仕事であろうと私は思います。(以上)

三宅先生の素晴らしいエピソードは他にもたくさんあります。私もあちこちから知ったのですが。

★全国区比例は「三宅博」「三宅ひろし」「みやけひろし」など個人名をご記入ください。




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