ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

石井望長崎純心大学准教授の「緊急【歴史戦】講座」~行ってきました。

2017年05月28日 | 政治

★ 5月26日は「通州」、この日は私は参加していないので、参加された方のご感想を載せます。

石井望先生が通州事件と尖閣問題を語る。

通州事件は中国ではまだ関心事項になっておらず、自慢話として語られている。

ネットでは南京事件はなかったので通州事件の写真を使ったと書いている者もいる。

通州事件は中国に対する歴史戦で極めて決定打になると。

尖閣問題については国際法よりも文化面で戦うべきと主張する。
魚釣島の名称は日本が付けたもので航海技術も琉球の方が優れており、尖閣問題でもブーメランのように嘘がバレてくると。

中国語が出来、こうした問題の第一人者の石井望さんの活躍に今後も期待したい。
(佐藤和夫氏のフェイスブックから)





★ 長崎純心大学准教授が「緊急歴史戦講座」を東京にて開催され、さっそく行きました。頂いたレジメに「今日の論題」があります。

<講師からのメッセージ>
今年(平成29年)5月12日、内閣官房領土・主権対策企画調整室は、平成28年度に沖繩平和協力センターに委託して尖閣史料を調査した結果を公表しました。その中に西暦1819年に琉球王族が尖閣で上陸調査した記録が採用され、各社が一齊報導しました。これに對し、「琉球王族は日本人ではない」などの歪曲の聲が、チャイナからも日本國内からも揚がってゐます。そもそも日本人とは、歴史的に如何に定義すべきか。調査に從事した特別研究員個人として、この歴史戰こそ避けて通れぬ最大の要所だと心得て、史料の眞相を解説いたします。


★ 注目の事柄
1、幕府は琉球を領土として対外宣布。
・・・西暦17世紀後半から、対蘭(オランダ)「御條目(ごじょうもく)」を暦年申し渡し、オランダ側にも記録あり。
第五條「琉球船は属国の船なので強奪不可」琉球だけが他潘と異なる「属国」か。
➡琉球は福州へ暦年貿易船を派遣。
海上安全を必要とした。
他潘は対外貿易の安全を要せず。(講演会の資料より)


2、琉球人は日本人である。 国会答弁試作。
・・・「琉球問題でなく、日本の領土形成史の一環。琉球人の定義でなく、歴史的日本人の定義」

3、日本の領土形成史の中の琉球。・・・ここは詳しく年代ごとに説明されています。

4、薩摩が琉球を実効統治。

5、チャイナは琉球で実行統治ゼロ。

6、西暦1819年、琉球王族が尖閣に上陸、公式に調査。官房委託調査報告書の真相。


史料は多くのことが書かれており、今回だけでは書けないので後日書きたす予定。

★ 私が最も興味を持ったのは3の「日本の領土形成史の中の琉球」でした。
古代からの歴史を説明される中で、16世紀末にこんなことがあったのです。

長崎をポルトガルに割譲。長崎は固有の領土ではなくなった。
豊臣秀吉により各地平定が進む。
朝鮮出兵の軍勢に琉球が加入。

これには驚きました。長崎はポルトガルに割譲されたことがあったなんて・・・。
ネットではWIKIでもあまり詳しく書かれていません。
それでもしつこく調べると本当にそのような事実があったのです。

ところで「サン・フェリーぺ号事件」、というのがありました。
今回のポルトガルではなくスペインですが、これを調べるとキリスト教の布教後、そこの国を乗っ取るということなのです。
秀吉はすぐに取り締まりました。(第一、キリシタン大名の大村藩はポルトガルに長崎を献上するなんて言っても、長崎の統治権なんてないのでした。こんなことがあるからキリスト教を取り締まった理由はよく理解できます。)

ところで「フェリーぺ」という船の名称ですが、スペイン皇帝フェリーペ2世(1527~1598)のことではありませんか。ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」に出てくる「無敵艦隊」を誇る英雄でもありながら、実際はローマカトリックの傀儡でもあった・・・オペラでは「王冠は教会の前に膝を屈しなければならないのか」と嘆く孤独な老王の名場面があります。

石井先生のお話は興味が尽きず、歴史や文学の専門の勉強もうとい私ですが、ヴェルディのオペラから「アッシリア」「古代ローマ」「中世」「イタリア統一戦線・・・リッソルジメント」などを知って興味深々でした。

三宅先生が歴史や文化をお話された時も、私は勝手にオペラから学んだ歴史を頭の中で二重にして納得していたものです。
石井先生も、音楽家などのたわごとに驚いていらっしゃるかもしれませんが、オペラを専門とする私はお話がよく理解できるところが多いのです。

石井先生が仰った中で「沖縄独立というが、長崎独立こそ根拠がある」と「ポルトガルに割譲された長崎」のことを説明され、一笑に附す、という感じでした。でも下手をしていればそのまま「長崎はポルトガル領」として恥の歴史を作ることになっていたのですね。危ないところで日本はそれを乗り越えました。

そして2の「国会答弁試作」で、「一般的日本人の概念を常識で答えたもので、一般的には縄文時代以来の日本文化に沖縄県は含まれていたと認識され、西暦1609年から薩摩潘による統治開始も一般常識となっている」ということ、
単に沖縄の事だけで云々するのではなく「日本の領土形成史の一環、琉球人の定義でなく、歴史的日本人の定義」として発表されていることです。

4の「薩摩が琉球を実行統治」という項目で、石井先生はズバリ「近代法以前、半独立的状態は琉球のみにあらず。
・・・人類の国家的発展史は突然中央集権や絶対主権が成立したのではない」と。
そして「明治7年台湾出兵、清国が突如、琉球の主権を主張。明治12年・13年、宮古八重山割譲交渉。」
そこで「明治の複雑な日清交渉。再議に乗るのは下策。明治維新以前の前提として琉球は日本であった」

さすが石井先生です。(「配慮」ばかりして外国に譲る日本政府、ますます自分の首をしめているように私は思います)

あと5・6も興味溢れるお話でした。
石井先生の今回の講演会、youtubeになるのかな・・・また石井先生のサイトを注目しておきます。

追伸・・・さっそく石井先生のサイトに出ていました。このことは今回の講演会の中でも重要なことです。
次回に書きます。

石井先生のサイトから

昨日の一般社團法人日本沖繩政策研究フォーラム講座「琉球王族尖閣上陸史料の真相」の配布資料です。PDFはこちらから
https://drive.google.com/open?id=0B2MwcvRggQjpZThzUFNPQlNEYzA
ダウンロードして下さい。講座ビデオは後日ユーチューブより配信致します。
下は、講座でご紹介した對蘭條目五箇條の第五條琉球附則です。



上記の写真は対オランダ條目五箇條の第五條琉球附則。


ブログのティールーム



石井先生の推薦曲で、シューマンの「ピアノ協奏曲」、ピアニストはマルタ・アルゲリッチです。
講演後、アルゲリッチのピアノがお好きと伺いました。

Martha Argerich, Schumann - Piano Concerto in A minor OP. 54 (1976) ,Franz-Paul Decker





コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石井望先生の講演会のお知ら... | トップ | 緊急講演【いしゐのぞむ准教... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ポルトガルの件 (いしゐのぞむ)
2017-06-03 11:16:37
ポルトガルは、十六世紀末の時點では、そんなに怖れるほど強くなかったと思はれます。秀吉はスペインのマニラに攻め下らうと計劃しましたし、千六百二十四年にオランダが臺灣西南部を占領するまでは、臺灣海峽の制海權を完全に日本が握ってゐました。問題はその頃から以後だと思はれます。その頃から次第に日本周邊で日本の力を南蠻紅毛が凌駕し始めた、といふのが私の感觸です。

ポルトガルに興味を持ちました。 (石井望先生へ)
2017-06-03 20:36:15
ポルトガルといえば洋菓子を日本に伝えたくらいにしか
思っていなかったのですが、そんなことがあったとは。

大変な驚きで当時の日本人がよく頑張ったと思いました。
日本は欧州の植民地にならなかったのが、フィリピンなどと違うところで、フィリピン人の名前はスペイン人の名前、
しかし日本も当時は洗礼名などで(ガラシャなど)、やがてそれが日本名から別に発展などと想像ですが危ないところだったと思うのです。

私の乏しい知識から感想を主にして書いていて、それから少しずつ理解ができるようになりました。
ありがとうございます。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治」カテゴリの最新記事