日伊文化交流協会

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映画:『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』

2014年08月21日 12時17分07秒 | おすすめの映画
今年は、イタリア映画の当たり年!って思っていて、全体的にずっと褒め言葉が続いていましたが、久々に、退屈な作品でした。
ある意味、イタリア映画の王道と言うか、こういう系統の物を良く見るので、「ブルータスお前もか?」って気分ですが、横のオッサンがイビキをかいて寝ていたのには参りました。

さてさて、どんな作品かと言いますと、ローマの市街地を取り囲む環状線(鉄道ではなく、高速道路の環状線)付近で巻き起こるヒューマンドラマを描いたもので、ドキュメンタリーと言う位置づけです。
で、ドキュメンタリーだからか、なんと出演者の名前がチラシにも(今回はパンフレットを買わず)公式サイトにも全く載っていないのです。
過去にドキュメンタリーと言われる作品はいくつも見ていますが、出演者の記載がないっていうのは初めて・・・
とりあえず以下詳細です。

 
 この映画で唯一笑いを誘った没落貴族


■映画:ローマ環状線、めぐりゆく人生たち(原題:Sacro GRA)
■監督:ジャンフランコ・ロージ
■原案:ニコロ・バッセッティ
■撮影:ジャンフランコ・ロージ
■編集:ヤーコポ・クアドリ
■出演:(記載なし)
■製作:2013年/イタリア/93分


『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』公式サイト


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《あらすじ》
イタリア最大の環状道路「GRA」は、ローマ市街を取り囲み、そこに暮らす人々と共に存在する。環状線の内と外では大きく景色が違い、外側には、長閑な牧場が佇む一方で、その道路は常に激しく行きかう車の騒音で満ち溢れている。
その環状道路を取り巻く人たちもまた様々だ。
昼夜と問わず働く救急隊員。棕櫚に寄生する昆虫を研究する植物学者。ブルジョアを装う没落貴族、車上生活をするゲイの男、ウナギ猟師、そして、飛行機の爆音にさらされるアパートで暮らす老いた父と娘、これらの人々の生活が、全く交差することく、環状道路を挟んで淡々と描かれる。
個々の生活を、一つの風景として描くことで、懸命に生きる人々の生き様が浮かび上がってくる。

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 サイトには両性具有とありましたが、
 普通のゲイっぽかったけど



まぁこんな風にあらすじをまとめましたけどねーーーー。
我ながら、よくまぁこんな上手に書いたものですこと~。って思うぐらい、全く何の展開も、ストーリー性も、感動も、共感もない映画でした。


えっ 毒舌過ぎ?


いやいや、まぁ映画の日でもない日に行って、1800円も払って見たら、思わず金返せ! と叫びたくなるこの自分を抑えるのに精いっぱいでございまいたわ。
もともと私は、本もドキュメンタリーをあまり読まなくて、読書量のうち、小説が98%を占めるだろうと思われます。
それだけに、映画と言うのは日常を離れて、何か物語の世界に引き込んでくれることを期待して行くのに、その映画館の中でダラダラと日常を見せつけられるのが嫌なんだと思います。
そこに、何かを汲み取ろうとする気持ちが起こらない感じですね~。
せめて、彼らの生活にもう少し踏み込んでもらえたら感情移入もできたんでしょうけれど、断片的な会話だと流れがわからなかったです。
最初からこういう作品が好きで行く人と、「とりあえずイタリア映画だから見ておこうかな~」ぐらいの気持ちで行くと恐らく退屈します。
映画館のそこかしこで、船を漕いでいる人を見かけましたからね~。


 
 次々と入る無線の呼び出しに疲れる救急隊員


まぁただ、ドキュメンタリーと言うのはホントなのかな?って思います。(つまり演技をしていない)
今まで、ドキュメンタリーといいつつ、カメラを何台も使って撮影してるやん。って言うのとか一杯ありましたし、そういうのに比べたら、すべて固定カメラだし、効果音とかBGMとか一切なし。照明もなくて、だから画面が暗い・・・
聞こえてくるのはすべて生活音だけ。

それにしても、ドキュメンタリーとは言え、主体性のあるインタビューもなし、ナレーションもなし。ある一人の人生を深く掘り下げるわけでもなく、脈絡なくシーンが代わり、一体何を伝えたいのか良くわかりませんでした。


 
 うなぎ漁師。
 漁獲量が減っているのは世界的規模のようです。


そう、私はドキュメンタリーが苦手と書いたけれど、たとえば良く映画化される、デザイナーのドキュメンタリーフィルムは結構面白いし、画家の一生を描いた作品とかも好き。(ルノアールやモディリアーニとか)で、テレビで言えば、「NHKスペシャル」や、「仕事の流儀」とか「アスリートの魂」も好き。
だけどこれらに共通して言えるのは、核となる人物がいる。またはテーマがあることなんです。


 
 映画全体的に、早朝なのか夕暮れなのかよく
 わからない時間帯ばかりで構成されていました。


この映画にはそれが見当たりませんでした。何気ない日常を描くのが「イタリア映画らしい」部分かもしれないけれど、脚本もなし、ドラマチックな出来事もなし、笑いもなし、単に家族や友人とのおしゃべりが淡々と続くだけでした。
さらには、あらすじに書いた登場人物はそれぞれ全く交わることがなく、沿線沿いに暮らす人々をカメラで捉えただけなので、普通に観光客として眺めるのと何が違うのか?と思いました。

またこれ以外に、女性ばかりが集まるミサのシーンや、ストリッパー達の舞台裏のシーン、アジア人のDJが広場で音楽を流して数人が踊るシーン、墓地を掘り返して無縁仏の一角に埋め戻すシーン、路側帯で空の写真を撮る修道士、などが脈絡なく挟まれ、

「この人たちは一体何をしようとしているのかう?」

と言う疑問符ばかりが浮かびました。


 
 ローマって旧市街を外れると、すぐ牧場だったりします。

ここまでこき下ろしておいて、言うのもなんですが、
素直に、へぇーーー。すごいね。と思えた個所は2か所。

騒音に満ちた狭いアパートでクラス父娘がいるんですが、最初私は父と孫と思うぐらい、お父さんが高齢な感じ。
娘は遠くて顔が見えないんですが、父親がとにかくしゃべるしゃべる。それもまぁくだらないと言うか、意味のないと言うか、(それが日常なわけですが)

「ほら、あそこの家、向かいの大きな家だよ、いつも電気が消えているけれど、誰も住んでいないのだろうか? 隣の家は時々灯りがともるね。でも大きな家の方は誰もいないようだな。」

とか、あとはなんだったかなぁ~。とにかく覚えてないような内容。
でね、その延々と続く独り言のようなおしゃべりに対して、娘は決してパソコンの前から離れないけれど、うるさがらずに丁寧な相槌を打つんですよ。
私なら、聞いてるだけでイライラするし、「ふーん、へーーー、それで、そうよかったねーーー」ぐらいの相槌しか打てないと思うのに、すごいなと。
あと、うなぎ猟師の妻はウクライナ人らしくて、イタリア語が読めないんですが、その奥さんに丁寧に読み聞かせたり、苦しい生活の中に、幸せそうな風景が垣間見えました。

一方、お金持ちなんだかどうだかビミョーなのが没落貴族。

 
 国賓のレセプションに行くため正装をしている。

  「~世紀に遡る」
  「〇〇家の血を受け継ぐ」
  「〇〇より叙勲された」
  「騎士の称号を持つ」

とにかくこういう言葉が大好きで、(それが唯一彼の、矜持でもある)貴族であることをアピールしようとするのですけれど、部屋に置いてある調度品は素人が見ても、ハリボテにしか見えないガラクタばかり。
部屋数は多いし、映画やテレビの撮影用に貸し出している、重厚感のあるサロンもあるものの、普段彼がくつろぐ部屋には、星条旗があったり、仏像があったり・・・、
そうすると、最初は大理石の彫像かと思えた物も、安物臭く見えてします。

実際、イタリアではこういう肩書にこだわる人が結構たくさんいて、レセプションの席では、選挙に出る人がかけるタスキみたいなのをかけてみたり、滑稽だなぁ~。って思います。

こんな感じでビミョーに不幸な人ばっかりが登場する映画で、なんだかすっきりしません。
まぁでも今のところ、2014年度ワースト1位は『ポンペイ』ですが・・・(ブログにアップすらしていない)
今月はあと2本イタリア映画が公開されるので、それに期待します。


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