風わたる丘

お目当ての創作小説に読むには、私のサイト「古都旅歩き」から入られると便利です。

第160回古都旅歩き創作「あの日のように」

2017-06-15 15:50:30 | Weblog

第160回古都旅歩き創作

  「あの日のように」  作 大山哲生

 六十六歳のある日、私は京都の伏見稲荷大社から稲荷山に上ろうとしていた。稲荷山は、私が小学生時代によく遊んだ場所だから懐かしい。

 近所の子といっしょに虫取りに来たこともあったし、クラスの友達とふもとのお産場池でアメンボをとったこともあった。また、夏休みの終わり頃には、町内の子どもらで稲荷大社に行き、宿題の写生をした。そして、毎年初詣は家族全員で稲荷山を一周すると決まっていた。これほどさように私と稲荷山の関係は深い。

 稲荷山には、独特のにおいがある。地中のバクテリアが繁殖して落ち葉を腐らせるにおいである。稲荷山のにおいは他のどことも違って独特で、そのにおいが私の郷愁を呼び起こすのである。

 今日は、平日である。午前十時に私は稲荷山の途中にいた。

 この時間は、私にはなんとも言えない甘酸っぱい時間なのである。それは、自分が小学校を抜けて稲荷山にいるという幻想が私を包むからである。

 稲荷山の石段を一歩ずつ上りながら、私は思った。

「みんな、どうしてるかな」

私は五十年前の砂川小学校の五年二組のクラスメートを思い出していた。私のいないクラスで懐かしい顔が泣いたり笑ったりしている顔が浮かぶ。

 私のことを皆心配してるかな、などと思ってみる。

 行けども行けども朱色の鳥居が延々と続く。私はなにやら時間の流れが混濁していくような気持ちになった。

 私が五年生の時のことである。

 五月のある月曜日だった。その朝、登校しようと茶色いビニールの学生カバンを手に持って私は血の気が引いた。軽い。時間割をそろえるのを忘れていたのである。休みの前の日は、体育と図工と算数であったから、持って行く勉強道具は算数だけでよかった。

 ところがこの日は六時間の授業がある。少々慌てながら一つずつ確認して、カバンに教科書などを入れていた時、算数のノートからぱさりとプリントが落ちた。

「あ、このプリント、宿題やった。しもた、忘れてた」私は、動揺した。

「お母さん、宿題忘れてた、どうしょう」とべそをかきながら私は言った。

 母親は柱時計をちらっと見ながら「仕方ないでしょ。今からやるわけにはいかないから、学校に行ったら先生に宿題忘れましたって正直にいいなさい」と言った。

 そうは言われても私の心は不安と後悔で張り裂けそうになる。問題は体育だ。

「おかあさん、トレパンあるか。今日体育あるねん」

「もっと早く言いなさい」と言いながら、母親は家を出て長屋の空き地の物干し竿までトレパンを取りに行った。「てっちゃん、まだ濡れてるわ。今、アイロン掛けるから待ってて」と母親は言いながらアイロンを用意した。

「お母さん、はよやってえな。学校、遅れるやんか。はよやってえな」と私はせっついた。

 母親も慌てていたと見えて、トレパンをひっくり返してはアイロンをあてている。

「お母さん、はよやってえな」と私は母親に涙声で言った。

 全部用意ができたのは、柱時計が九回なってしばらくした頃だった。

 町内で家に残っているのは私だけであった。しんとした町内の寂寥感が私をさらに不安にした。

 私は、泣きながらカバンを持って家を飛び出した。

 私は、遅刻して登校するのははじめてだった。先生の怒った顔が浮かんだ。友だちの怖い顔も浮かんだ。こんな時間にはとても学校には行けない。学校に近づくにつれて私は気後れし、膝からがくがくと力が抜けていった。

 私は、途中にある酒屋から少し入ったところに西島君の家があるのを思い出した。西島君の家には大きな門柱が立っている。おまけに、昼間に人はいない。私はカバンを西島君の家の門柱の陰に隠すと、一目散に稲荷山に行った。

 平日の午前十時というのは子どもがうろつくことが、決して許されないような時間帯である。

 誰かに見つかるとずる休みしたことがわかってしまうので、稲荷山のふもとの十石橋から左に下りてお産場池に行った。

 お産場池の周りは木々が生い茂っており、どこからも見えない場所が一カ所だけある。私はそこの小さな岩に腰掛けた。

 しばらくすると心臓の鼓動が収まった。みんなが学校から帰る頃に、家にかえれば誰にもずる休みしたことがわからないだろうと思った。今、思うと実に浅はかであるが、そのときはそれが『完全犯罪』のようなものだと確信していた。

 昨日宿題をしておけばよかった、昨日時間割をそろえておけばよかった、と後悔の念が湧いてきた。昨日は藤森神社の縁日だった。私は朝から藤森神社に行って日がな一日縁日で遊んだ。宿題のことなんか、思い出しもしなかった。

 目の前の水面をアメンボが丸い波紋を作りながら動いていた。

 そのとき、はっと気がついた。今日は給食が食べられない。残念だなと思ったが今更学校に行くわけにもいかない。だんだん、おなかが空いてきた。のども乾いてきた。

 みんなどうしてるかな、と心配になった。友達の顔が浮かんだ。

「しまった、今日は学級新聞を印刷する日だった。いっしょに印刷するはずだった白尾さんは困っているやろな」などと五年二組のことをいろいろと考えた。

 お日様が少し西に傾いたからそろそろみんな学校から帰る時間だ。

 私は岩から立ち上がると、稲荷山から町に出た。途中、カバンを取りにいって、そのまま家に帰った。

「ただいま」私は家の戸をあけた。

 家の玄関には担任の西田先生と母親がいた。

「てっちゃん」

「大山くん」

と、二人は同時に声をあげた。私の心の中に、とても悪いことをしたという気持ちが少し湧いた。

 と同時に二人に叱られるという恐怖に襲われた。

「大山くん、みんな心配してたんよ。どこに行ってたん」と先生は言った。

 母親は、涙ぐんでいた。

「大山くん、おなか空いてるのと違う。給食の食パンを持ってきたよ。今日は大山くんの好きなジャムがついてるよ」

 私は、家の中に入ると食パンにジャムをぬって食べた。空腹に二枚のパンはあっという間に胃袋に消えた。

「大山くん」と先生は玄関から呼んだ。

「新聞係の白尾さんは、大山くんといっしょに印刷したいって言ってたよ。明日は白尾さんと新聞の印刷だよ」

「うん、わかった」私は少しだけ元気が出た。

 五十有余年経った今、私はあの日の出来事を思い出しながら、稲荷山の石段を上っていた。

 平日の午前十時というのは、私にとって甘酸っぱい時間なのである。

「みんな、どうしてるかな」

 延々と続く赤い鳥居の中は、さながら時間が行き来する通路のようであった。

ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第160回古都旅歩き 天龍寺、... | トップ | 藤井四段の強さ »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
面白かったです。(^_-)-☆ (光台のお友達)
2017-06-18 07:02:44
大山さま

早速、少し読ませて頂きました。

今は大人になった老人でも?どなた様にも在る幾つかの【夢で魘されそうな】子供の頃のリアルな思い出。。?

朝出かけに読んで丁度良い長さ、読み易くて、リアルで、楽しいです(^^♪
Unknown (作者)
2017-06-18 07:53:49
お読みいただきありがとうございます。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む