創作童話 「夢の紫」 作 大山哲生
昔、京室町の屋敷に時の将軍足利義政が住んでいました。
義政の弟と義政の子どもとの将軍の跡継ぎ争いに端を発した争いも、すでに大名同士の戦になってしまっており、将軍義政と言えどもどうにもできないところまできていたのでした。何年も何年も戦が続き、京の町は焼け野原になってしまい、南の羅城門から帝のおられる御所が見通せたほどでした。世に言う応仁の乱です。
義政公は、だんだん戦にいやけがさしてきました。
春のある日、義政は大原の里に野がけに出かけました。その日はうらうらとしてとても気持ちのよい日なのでした。
もう少し遠くまで言ってみようとおつきの家来に声をかけ、寂光院をさして歩き始めた時でした。義政は、切り株につまずき折り悪く足をくじいてしまいました。義政は、あまりの痛みにその場にうずくまってしまいました。
家来が心配するのですが、義政は足を押さえて「おお痛い」と言って立とうとしません。
途方にくれていると、どこからともなく一人の娘がやってきて、
「どうなされました」と聞くのです。
義政は、声の方を振り返りました。そこには、目元すずやかな美しい娘が立っておりました。義政は今までみたこともないその娘の美しさに息を飲みました。
娘は「足をくじかれましたか。いい薬草があります。今手当をしてさしあげましょう」
と言いました。
娘は薬草を石ですりつぶすと義政の足に塗り、自分の持っていたさらしで巻いてくれました。「これで痛みはたちどころになくなりましょう」と娘は言いました。
「娘、名はなんと言う」と義政は聞きました。「紫と申します」と娘は答えました。
しばらくすると、あれほど痛かったのがうそのように足がかるくなり、痛みが消えていきました。
「おお、痛みがきえた。歩けるぞ」義政は大きな声で言いました。娘に礼を言おうとあたりを見回すと、娘の姿はすでに消えていました。義政は、あの美しい娘にもう一度礼がいいたいと思い、近くの村に娘のことを聞きにいかせました。
村の長がいうには「この村には、紫という名の者はおろか、そんな年頃の娘もいない」ということでした。
義政公は、後ろ髪を引かれる思いで屋敷に戻ってきました。いつもどおりお堂のお詣りをしたときに、観音菩薩の顔が今日会った紫という娘とそっくりなことに気がついたのでした。
「はて、あの美しい娘は観音菩薩の化身であったか」と義政は深く観音菩薩に帰依するようになりました。
ある僧の勧めもあり、義政は一願発起して京都の北白川に慈照寺という寺を造営し、観音堂を造りました。そして、あの紫という娘に似た観音菩薩を深く信仰する生活を送ったのでした。
後の世の人はこの寺を、金閣になぞらえて『慈照寺銀閣』と呼びました。そして義政の心に思いをいたし、慈照寺の庭に咲いたかきつばたを「夢の紫」と呼んだということです。