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第161回古都旅歩き創作 「七月二日」

2017-06-28 15:43:53 | Weblog

第161回古都旅歩き 創作

  「七月二日」 作 大山哲生

 十六年前の下津山中学。

 校長は小谷純一郎、教頭は私。年齢は三歳しか違わない。小谷純一郎先生は、名前があの元首相に似ているだけではなく、ライオン丸のような髪もそっくりなのであった。そのくせ照れ屋さんだから風貌との落差がおもしろい。

 ある日、二年二組で男子二人がけんかをした。当初は単なるけんかと思われたが、担任によると入学時から続いていたいじめということであった。

 私は、加害者Aの保護者に電話した。

「こういう事案がありましたので、本日中に学校の方におこし願いたいのですが」

電話には母親が出て「それは父親でないとわかりません。父親は京都府内のあるところに単身赴任しています」と言う。なんとか父親の電話番号を聞き出すと、私はすぐに単身赴任先の父親に電話をした。

「はい、Aですが」と父親が出た。

「A君が友達をいじめて大けがをさせました。一度学校におこし願いたいと思いますがいつなら来られますか」

「Aはやさしい子やから人をいじめたりはしません。学校側の勝手な思い込みと違いますか。勝手に決めつけないでほしいものです。悪いのは相手ですよ。相手が謝罪したらこっちも謝罪しますわ。へっへっへ」ということであった。

 その後話をしたが、埒があかない。

「学校側が今こっちに来て話がしたいというのなら会って話をしてもいいですよ。遠いですが」と父親は相変わらずへらへらとしている。

 私は小谷校長にそのまま報告した。報告を聞くなり顔を上気させた小谷校長は、

「大山君、すぐに二人で父親宅に行こう。大山君はバイクだし、ぼくもバイクだ。きっと早く着く。直接会って言い聞かせてやらなきゃ気がすまんよ」と息巻いた。

 私は家で支度を済ませると、待ち合わせ場所としていた京都伏見深草の警察学校前にスクーターを走らせた。

 午後八時に私が着くと、すでに小谷校長は青い大型バイクの脇で待っていた。

「お待たせしました」

「おお、それじゃ出発しようか」と小谷校長はヘルメットをかぶり始めた。

 かくして私の大型スクーターと、小谷校長の青い大型バイクは、夜の町に走り出した。町の灯りの中を走って行く。しばらくすると郊外に出たと見えて、町の灯りが遠くでゆらゆらと揺れる程度になってきた。

 亀岡方面に走ったような気がするが、どこを走っているのかよくわからない。

私はほとんど灯りのなくなった道を小谷校長のテールランプだけをたよりに走った。ほとんどの信号が点滅にかわっており、ほぼノンストップである。

 午後九時半。とある食品工場の近くのアパートに着いた。そこに二台のバイクを置くと、ある部屋をノックした。

 「はい」と出てきたのは、五十前くらいの男であった。

「Aさんですね。下津山中学から参りました。私は教頭の大山です。こちらは小谷校長です」

 Aの父親はまさか二人が本当に来るとは思っていなかったらしく一瞬たじろいだ。その後部屋に入って三人で話した。

まず私が事案の説明といじめと断定するに至った理由を述べた。それでも、父親は頑として自分の子はいじめなんか絶対にしないと言い張る。

 ここで小谷校長の堪忍袋の緒が切れた。約一時間、猛然と父親に説教をした。

Aの父親はことの深刻さをやっと理解したのか、「息子が申し訳ないことをしました」と謝罪した。私は、その場で父親に、被害者宅に謝罪の電話を入れてもらった。

 私と小谷校長は再びスクーターとバイクに乗り、それぞれの自宅へと帰ったのであった。

 私が自宅に着いたのは夜中の二時過ぎであった。

 「お久しぶりです。小谷先生。十六年ぶりですね」と私は大型スクーターのスタンドを立てながら声をかけた。

 七月二日、午後八時。場所は京都伏見深草の警察学校前。

「ああ、大山君かね。あれから十六年にもなるかな。元気そうだね」と小谷先生は相変わらずきれいな標準語で話した。横には青い大型バイクがある。

「はい、元気にやっています。十六年前、私が教頭の時小谷校長先生と組んで例の父親宅に乗り込んだのが七月二日でした。そして今日も七月二日」

「不思議だね。あのころ我々は最強だったな。理不尽なことには二人とも一歩も引かなかった。ぼくも頑固だが大山君も相当な頑固者だとわかったよ」と小谷先生は笑いながら言った。

「今となっては楽しい思い出です。この警察学校前で待ち合わせをするのもあのとき以来二度目ですね」

「そうそう、十六年前のあの日もここだったね」と小谷先生は遠い目をして言った。

「あのとき、二人のコンビはよく息が合った」と久しぶりに会った小谷先生は懐かしそうに言った。

「そうですね。あの頃は二人とも燃えていましたからね」と私は相づちを打った。

「ところで、今日は大山君が何か直々に依頼があるとか」

「えっ、ぼくが聞いたのは小谷先生からぜひ頼みたいことがあるということで来たんですが」と私は言った。

「そりゃ、おかしいね。ぼくは何も頼まないし大山君もなにも依頼していないということなら、どうして我々はここにいるんだろ」

「連絡はメールでしたから、誰かが私たちをここへ呼んだということになりますね」

「だいたい、この場所を待ち合わせに使っていたのを知っている人間となると限られてくるね」と小谷校長は言った。

私は、そのことには触れずに、小谷先生と思い出話をした。三十分ほどすると、小谷先生が、「今日は久しぶりに会えてうれしかった。それじゃ、そろそろ引き上げるとしようか」

「そうですね。お互いに近況はメールでやりとりしましょう」私はそう言って小谷先生と別れ、スクーターで帰路についた。

 その年の十二月、一枚のはがきが届いた。差出人は小谷久子とある。

 私はすぐに文面を読んだ。小谷先生が十月に亡くなったという知らせであった。私はその事実を素直に受け入れることができた。隅の方には手書きで「主人は七月に大山様と会えてとてもうれしかったといっておりました」と書かれていた。

 半年前の七月二日。小谷先生と会ったとき、先生はやつれていた。少し病的で歳を重ねたやつれようではなかった。それと、そのときに小谷先生が乗っていた大型バイクは、色こそ十六年前と同じだったが、今買ったばかりというほど新しかった。

 あのとき小谷先生は病気であったと思われた。もう一度私と十六年前のまま会いたいということで、先生が私にメールを送ってきたに違いないと思った。

 しかし、そんなまどろっこしいことをせずに普通に会いたいと言えばいいものをと私は思った。いかにも、照れ屋さんらしい小谷先生のしそうなことだ。

 私の教頭時代は、小谷校長抜きでは語れない。私が教頭職を大過なくやれたのは先生のおかげだ。

 そして、自分が校長になってみると小谷先生の決断がいかに勇気を必要としていたかを思い知らされたのであった。 

小谷先生には感謝しかない。小谷校長先生、やすらかに。

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3 コメント

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?? (川尻洋)
2017-07-05 16:58:10
ご無沙汰しております。数年前、日吉ヶ丘の同窓会でお隣だった川尻です。
良い話を読ませて頂き、有り難うございました。時々思い出したかのように、アクセスさせて頂いていますが、また宜しく!
?? (川尻洋)
2017-07-05 16:58:40
ご無沙汰しております。数年前、日吉ヶ丘の同窓会でお隣だった川尻です。
良い話を読ませて頂き、有り難うございました。時々思い出したかのように、アクセスさせて頂いていますが、また宜しく!
ありがとうございます (大山)
2017-07-05 19:19:57
読んでいただきありがとうございます。これからもがんばりますのでよろしくお願いします。

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