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第189回古都旅歩き小説 「ピース」

2018-02-15 14:12:57 | 小説

189回古都旅歩き 小説

  「ピース」 作 大山哲生

「お父さんと妻の綾子が呼ぶ。

「このバラ、きれいよ」と綾子が声をうわずらせる。

ここは、京都府立植物園。

東紀夫は、三十六年間公立学校教員として働いた。定年退職してからは妻の綾子とよくバラ園に行く。今日も春バラを見にやってきた。五月の陽は柔らかくそよ吹く風は官能的ですらある。やっと本当の春がやってきたようだ。上着なしで植物園を歩いていると身も心も空気に溶けるかと思えるほど軽くなる。

 妻の綾子はバラが好きで家の庭でも育てている。だからバラを見て歩きながら綾子はひとつひとつ解説してくれる。カメラをもった紀夫はそれを聞くのが楽しみである。

「ほらお父さん、ピース」と言いながら綾子は白とあわいピンクとクリーム色の混ざったバラを指さした。

「うわ、きれいに咲いてるな」と言いながら紀夫はカメラを構えた。

ピースというバラは、ナチス支配下のパリから密かにその苗が持ち出されアメリカに渡った。アメリカでこのバラがお披露目された日にベルリンが陥落したところから、このバラはピースと呼ばれるようになったのである。このバラは第一回の国連総会の会議場を彩り、人々から絶賛された。ピースというバラは、ドイツでは「世界で最も美しいバラ」と呼ばれイタリアでは「幸せのバラ」と呼ばれている。ピースは、多くの専門家が二十世紀を代表するバラだと口をそろえる。交配の親としても優れており、その子孫に名花といわれるバラが多く存在する。ピースの美しさは、他のバラを圧倒する。神々しい。その神々しさは見ていて涙が出るほどである。

それほど美しく気高いバラなのである。

紀夫は、このピースというバラが好きである。このバラを見るととても幸せな気持ちになる。その夜、デジタルカメラで撮った写真をパソコンで整理していた時に、紀夫は突然ある風景を思い出した。

東紀夫が京都堀川の団地に引っ越してきたのは、昭和三十一年(1956)の六月であった。東紀夫が五歳のときであった。

京都の堀川通り沿いに何棟か並ぶ三階建ての団地であった。一階部分はすべて店になっており、何棟かの団地が並んで堀川商店街を形成している。

 東紀夫は両親と姉と四人家族であった。父親は公務員。市役所に勤めている。父親は紀夫をかわいがった。父親は紀夫がおもちゃをねだるとたいてい買ってくれた。紀夫が組み立て飛行機がほしいと言ったときも母親はだめだといったが、父親はこっそり買ってくれた。紀夫はだから父親が好きだった。

 母親は、どちらかと言えば厳格であった。紀夫のおやつにはミルクキャラメルしかだめだと言う人だった。ミルクが入っていることが理由だった。

 姉は真由美といった。小学四年であった。真由美は紀夫をかわいがった。真由美が友達の家に遊びに行く時に紀夫は、いつも真由美についていった。

その年の十月。四人家族のはずだが、父親は家にいなかった。

父親は若い頃に結核を患ったことがあった。職場の検診のたびにびくびくしていたが、このときの検診で肺に影があるということで、医者から入院を命ぜられたのである。父親の入院したのは大学病院であった。

 紀夫は、家に父親がいないのでさびしかったが、母親から父親はすぐに帰ってくるからと言われてがまんした。

十月のある日、

「真由美、のんちゃん、今日はお父さんのお見舞いにいこうか」と母親が言った。母親は、東京で学生時代を過ごしたせいか、標準語に近い言葉を話す。

「のんちゃん、今から病院までいくんやで。市電に乗るとこもあるけど歩くとこもあるからしんどい言うて泣いたらあかんで」と真由美は言った。

紀夫は、少し胸を張って、

「うん、ぼく泣かへん」と大きな声で言った。

市電の停留所についた。停留所の周りにはオート三輪や荷車が走っている。向こうにはロバのパン屋も通っている。まるで停留所だけが海の中の小さな島のようだ。

 市電を降りて、少し歩いた。

着いたところには、木造の大きな二階建ての建物がいくつも並んでいた。外壁には板が重ねられていて薄い緑色に塗られていた。

「真由美姉ちゃんの学校みたいや」と紀夫は言った。

「そうやな、のんちゃん、あたしの行ってる待賢小学校みたいやな」

紀夫は、夏休みのラジオ体操の時に、真由美に一度だけ待賢小学校に連れて行ってもらったことがあったので思い出したのであった。

病棟の玄関には両脇に柱が二本。正面には恐ろしく背の高いドアがある。真由美は先頭になって色のはげた丸いノブをかちゃりと回す。紀夫は真由美に続いて建物に入った。中に入ると、薄暗い。つんとした薬のにおいが漂う。

「お父さんは、どこにいるんや」と紀夫は聞いた。

「お母さん、何号室 ?」と真由美は振り返って母親に聞いた。

「百五号室よ」と母親は言った。

廊下の部屋番号を見上げた真由美が「のんちゃん、こっちや」といいながら紀夫の手を引いていった。

「真由美、のんちゃん、この部屋よ」母親は行った。

 百五号室にはベッドが両脇に六つ並んでいる。寝ている人、見舞いの人と話している人、ベッドに腰掛けて本を読んでいる人、様々な入院風景であった

 父親は一番奥の窓際のベッドにいた。

「お父さん、お変わりありませんか」と母親は言った。

父親は「ああ、なんともないさ。入院なんかしなくてもいいようなものだが、まあ仕方ないな。ああ、真由美も紀夫も来たのか。ちゃんとお母さんの言うこと聞いているか」と言った。

「うん」と真由美は少し恥ずかしそうに、

「あたしものんちゃんも賢くしてる。ときどきのんちゃんはわがまま言うけどな」と言った。

「ぼく、そんなん言わへんで」と紀夫は口をとがらせた。

父親の手元には、小さな薬の空き箱がある。

「お父さん、それなんや」と紀夫は聞いた。

「これか、これはな鉱石ラジオや。お父さんが作ったんや」と父親は言う。

箱をあけると線がごちゃごちゃしている。

「紀夫、このイヤホンを耳に入れてみ」そう言うと父親は箱の中をごそごそさわり始めた。

「あ、聞こえた。お父さんラジオ聞こえたで」と紀夫は大きな声で言った。周りのベッドから笑い声がした。

「聞こえたやろ。こんな簡単なものやけどちゃんとラジオやからな」と父親は言った。

「ふーん」と紀夫は答えた。

父親はベッドの横から、ボストンバッグを取り出した。

「お父さん、それなに。おみやげか」と紀夫は言った。

「のんちゃん、これはお父さんの洗濯物や。今日はお母さんが新しいのを持ってきたんやで」と真由美は言った。

 一通り用事を済ませると父親は、

「また来いよ」と言った。紀夫は病室の出口で振り返って手を振った。

病棟をでると、真由美は病棟と病棟の間にある花壇を見つけた。

その花壇は実に美しいものだった。歩くところにはレンガがしいてある。その両脇には色とりどりのバラが咲いていて地面が見えないほどである

「わあ、花や。お母さん、のんちゃん、ここは花がいっぱいあるで」と真由美は声をうわずらせた。

「本当にきれいな花ね。それも色とりどりで」と母親は言った。

真由美は紀夫の手を引いて、花壇の間を歩いている。

「のんちゃん、黄色い花がある。あっちには赤い花や。のんちゃん、あそこには桃色の花もあるで」と真由美はさらに紀夫を手を引く。

「お母さん、これなんの花 ?」と真由美が聞いた。

「真由美、ここに咲いてるのは全部バラよ」と母親は答えた。それは見事なバラ園であった。

「ここの花壇はバラがたくさん咲いてるわ。ほんまに全部バラや」と真由美は母親に言った。

「バラにはトゲがあるから気をつけてね」と母親は言った。

真由美は長細いバラの花壇を見て歩きながら、

「これは赤いバラや。きれいやな。これはピンクのバラ、これは白いバラ」と真由美は順番に見ていきながら唄うように独り言を言う。ひときわ高くアーチに沿って咲いているバラもある。

 その下には白いベンチがある。

あるバラの前に来ると、「赤、ピンク、白」とうたうようにくちずさんでいた真由美は立ち止まった。真由美はしげしげとあるバラを見ている。

 それは不思議な色のバラだった。白っぽい花びらの先の方にいピンクがかかり花の中心部は薄いクリーム色をしている。

「お母さん、このバラ、珍しい色してる」と真由美は母親を見上げて言った。

「本当。珍しい色ね。すごく上品な色ね」と母親はいった。

「うん、上品な色や」と紀夫は言った。

「のんちゃんはお母さんのまねっこやんか。でも、のんちゃん、このバラきれいやな」と真由美は言った。バラの下に名札が土に差し込んである。

「ピ、-、ス。お母さん、このバラの名前はピースて言うねんて」と真由美は言った。

「のんちゃん、このバラはピースて言う名前やで」と真由美は紀夫を手を握りながら言った。

「ピース」と紀夫は言った。

「そうや、このバラはピースや」と真由美は言った。

 その時、病室の窓から父親がにこにこ笑いながらこちらを見ていた。紀夫は父親目があうと照れくさそうに笑った。

そうやって中庭のバラを一通り見てから、紀夫たちは家路についたのであった。

それから二度、紀夫は父親の見舞いに行った。父親は元気にしていた。

 二度ともあのピースというバラは咲いていた。

 それからしばらくすると父親は退院して堀川の家に帰ってきた。紀夫は、父親が帰ってきてしばらくは父親にくっついて離れなかった。

「お父さん、あのラジオは」と紀夫は聞いた。

「ああ、あれか。あのラジオなら隣の人がほしいというのでやってきたよ」と父親は言った。

紀夫は少し残念な気がした。

 父親が退院した翌年、紀夫の一家は堀川の団地から伏見深草の集合住宅に引っ越しをした。

 紀夫は四月から深草の砂川小学校に入学した。

いつしか、あのピースのことすっかり忘れてしまった。

 紀夫は、パソコンの画面に映し出されたピースの写真を見ながら、あの病棟の中庭のバラ園を思い出していた。柔らかい日差しの中でバラというものを始めて見た日、なにより父がいて母がいて真由美がいた。そして目の前にはピースというバラがあった。

 紀夫は、ピースというバラを見るたび幸せな気持ちになるのは、あ幸せな瞬間があったからだと懐かしく思い出すのだった。

そして今はピースというバラが紀夫と妻の綾子をつないでいる。あのときも今も、ピースは、幸せのバラだとつくづく思うのだった。

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