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「杉原千畝」で日本人はダマされるな! My favorite +

2015-12-08 05:20:07 | 日記

なんて誰かさんへの戦争協力プロパガンダがまた始まったので、以下転載

「杉原千畝」で日本人はダマされるな! My favorite ~Osaka, Japan~ 杉原千畝礼賛=日本政府悪玉 2015/12/2(水) 午前 11:43
http://blogs.yahoo.co.jp/xx_leon_xx77/65106991.html



杉原千畝が映画化されて、「命のヴィザ」が独り歩きして、これがさらに世の中に広まり、世界に広まっていくことに危機感を覚えます。

以前の記事にも書きましたが、この美談は大きな間違い(引用注:《でたらめ》のほうが適切)が含まれているということです。

杉原千畝の話で日本人はダマされています。
http://blogs.yahoo.co.jp/xx_leon_xx77/63724222.html

大きくその「間違い」ふたつを指摘すると

1 本国の指示に逆らって、自らの意思で職務を遂行した。
2 その結果、戦後仕事を失うことになる。


この2点が最大の間違いですね。

これを日本人が喜んで広めるようなことをするということは、戦時中の軍部はナチスと同じ穴のムジナであったということを広めるということです。

日本の軍司令部は残忍でユダヤ人を助けなかった。日本ってヒドイ国だったけど、杉原千畝は素晴らしい!

杉原千畝の職務内容を否定しているワケではありません。本国の指示通りに仕事をしただけです。

左翼&反日勢力は巧妙に「杉原千畝伝説」に入りこんで、「日本人の英雄」をダシに日本国そのものを貶めようとしています。

日本の外務省は杉原さんにビザ発行の許可を与えなかった。
            ↑ ウソ

日本は通過ビザの発行を許可しているのです。

松岡洋右外務大臣が来栖三郎駐独大使に宛てた、昭和15(1940)年7月23日付「猶太(ユダヤ)避難民二対スル通過査証取扱方注意ノ件」

最近欧州方面ヨリ本邦(註:日本)経由米国大陸諸国渡航ノ猶太避難民多数アリ 現ニ日本郵船伯林 (註:ベルリン)支店ニテ之等避難民ノ本邦米国間ノ輸送ヲ引受ケタル者ノミニテモ六百名ニ上リ(中略)之等ノ者ニ対シテハ行先国ノ入国許可手続ヲ完了セシ 者ニ非サレハ通過査証ヲ輿ヘサル様取扱方御注意アリタシ

日本郵船ベルリン支店が引き受けた、日米間航路に乗船する亡命ユダヤ人避難民が600名にもなったが、彼らに対する日本通過ヴィザ発給は、最終目的地たる諸国の入国許可手続を完了した者に限るように、という訓令であります。

 親枢軸外交、或いはナチス寄りと根拠のない批判を受けることが多い松岡洋右ですが、彼が欧州の在外公館に与えた指示は、日本外務省として至極当たり前のことでした。 (引用注:一緒に芝居させられてていた?)

最終目的地の入国許可を得ていない者には、通過ヴィザ発給を見合わせよ。

これが日本国政府の見解であり、それを忠実に守り、実行した外交官が杉原千畝でした。


また杉原は

「日本の提示条件を満たさない避難民の日本行き乗船を、ウラジオストクで拒否せよ」 
と意見具申しています。

これは杉原が日本国政府の方針に忠実に従っていたことに繋がります。

松岡外相がリトアニア(カウナス)の杉原に発した訓令

最近貴館(註:在リトアニア日本公使館)査証ノ本邦経由米加行「リスアニア」人中携帯金僅少ノ為 又ハ行先国ノ入国手続未済ノ為本邦上陸ヲ許可スルヲ得ス之カ処置方ニ困リ居ル事例アルニ付此際避難民ト看做サレ得ヘキ者ニ対シテハ行先国ノ入国手続ヲ完了 シ居リ且旅費及本邦滞在費等ノ相当ノ携帯金ヲ有スルニアラサレハ通過査証ヲ輿ヘサル様御取計アリタシ

杉原副領事発 松岡外相宛電報

当国(註:リトアニア)避難民中ニハ近クニ中南米代表ナキト当館ノ引揚切迫ヲ見越シ先ツ現在唯一 ノ通過国タル我査証方願出ル者アリ而モ我査証ハ蘇側(註:ソ連側)ニ於テモ米国方面出国手続上ノ絶対条件トナシ居ル等事情斟酌ニ値スルモノアルニ鑑ミ 確 実ナル紹介アル者ニ限リ浦塩(註:ウラジオストク)乗船迄ニ行先国上陸許可取付方本邦以遠ノ乗船券予約方並ニ携帯金ニ付テハ極端ナル為替管理ノ為在外資金 ヲ本邦へ転送方手配スル場合敦賀ニ予報方手配方夫々必要ノ次第ヲ承知スル旨申告セシメタル上右実行ヲ条件トシテ査証シ居ルニ付右手続未了ノモノニ関シテハ 至急浦塩ニ於テ乗船拒絶方御取計アリタシ

現代語訳で簡単に要約しますと、

松岡
「最近おたくのリトアニアから来た避難民が小銭だけもって、行き先の入国手続きが終わってないまま日本上陸を許可せざるを得ないケースが多い。 そこそこのお金を持ってる、入国手続きを完了したものでなければ、ビザを発給したらダメよ。」

杉原
「リトアニア避難民の中には、近くに中南米諸国の在外公館がないこと、また日本公使館のリトアニア引き揚げ(ソ連の同国併合による)が切迫していることを 理由に、しかもソ連がアメリカ方面への出国には日本の通過ヴィザ取得を絶対条件としているため、現在、亡命のための唯一の通過国となってしまった日本の通 過ヴィザを要求する者が多い。
そうした事情は酌んだうえ、確実な身元紹介がある者に限って、行先国の入国手続を終え、しかも日本からのの乗船券を予約し、為替管理について日本側の提示 する条件に従う旨申告させ、かつこれを実行した者にのみ、通過ヴィザを発給してます。 この手続を終えていない者については、ウラジオストク港で日本行き の船への乗船を拒絶するよう、外務省の方で取り計らって欲しい。


滅茶苦茶当たり前の外交官業務をやっている杉原千畝なのです。


亡命する国(最終目的地)の入国手続(ヴィザ取得)を終えていない者に万一、日本政府が通過ヴィザを発給した場合、全世界規模の難民問題が発生してしまうのは自明の理。

いくら「人道的」とはいえ、そんなメクラバンを押すような日本は無責任大国ではなかったのです。

それらをねじ曲げて、日本政府悪玉論をすり込もうとする・・・

いかにも左翼の好きな歴史観で英雄を作り上げていますね。

「日本政府の反対を押し切ってビザを発行した! そしてそれが原因でクビになった!」
         ↑ ウソその2

クビになったというのもウソです。

日本は敗戦後、GHQ占領下に置かれました。敗戦国、占領されてる国は外交を行うことは出来ないのです。即ち、公使も外交官も大使館もなくなったのです。

戦争で負けるというのは、それくらい厳しい現実があるのです。

当然、外交官であった杉原も仕事はなくなったわけです。(引用注:つまり、失業した。たいていのアウトサイダーは失業というか公職追放されたのでした。杉原さんは?→1947年 帰国。外務省を退職。東京PX、米国APONJE商会、ニコライ学院教授、NHK国際局、国際交易(株)等に勤務。1985年1月イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞」(諸国民の中の正義の人賞)を受賞)

クビにされたとかいうのは真っ赤なウソです。

まともな日本人であれば、杉原千畝を英雄扱いしてはいけないのです。彼は当たり前の職務を本国の指示通りに遂行したにすぎないのですから。

くれぐれも反日勢力の片棒担ぎなんぞ、やめて下さい。



杉原千畝の話で日本人はダマされています。 My favorite ~Osaka, Japan~ 杉原千畝礼賛=日本政府悪玉 2013/6/11(火) 午後 6:44
http://blogs.yahoo.co.jp/xx_leon_xx77/63724222.html 

・・杉原千畝はドラマ化してたんですね。終戦60周年ドラマスペシャルとかで・・・反町隆史主演で 「六千人の命のビザ」 というタイトル。



FC2動画でオープニングをチラ見出来ましたが、ソッコーでウソが出てきましたw



いやいや、背いてませんってw

日本国の方針ですってw

しかし我々の周囲には数多のウソが常識として出回っていますね。

当たり前のウソを常識として認識しないように学んでいき、日本の先人を貶める陰謀にダマされないようにしましょう。



フリーメーソン-97  杉原千畝  2008/5/13
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/691.html


杉原千畝(1900-1986)    リトアニア切手


杉原千畝(すぎはらちうね)は、第二次世界大戦中に、日本と同盟関係にあった、ナチスドイツから迫害を受けていたユダヤ人が、シベリア-日本経由で、アメリカやパレスチナに亡命できるようビザを発給し、6000人ものユダヤ人を救った外交官です。

1940年(昭和15年)7月27日の朝、バルト海沿岸の小国リトアニアの日本領事館に勤務していた杉原は、いつもと違って外がやけに騒がしいのに気がつきました。 

1939年9月、ナチスドイツとソ連の密約により、両軍が同時にポーランドに攻め込み、ポーランドを東西に2分割し、

1940年5月にはナチス親衛隊(SS)全国指導者のハインリヒ・ヒムラーの命を受け、ドイツ国防軍が接収したポーランド軍兵営の建物を利用し「アウシュビッツ第一強制収容所」が開所され、迫害を逃れるために、多くのユダヤ人がリトアニアに逃れてきていたのでした。


フリーメーソン-96  アウシュヴィッツ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/690.html
フリーメーソン-95  アドルフ・ヒトラー  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/689.html


何故、リトアニアかといえば、オランダ、フランスもナチスドイツに破れており、ナチスから逃れるには、シベリア-日本経由の道しか残されていなかったからであります。

そして、ナチスにパスポートまで奪われたユダヤ人もおり、彼らとしては何とかリトアニアの日本領事館で、日本行きのビザを発給してもらう他なかったのであります。

しかしながら、ドイツと同盟関係にある日本の立場としては、これを認めるわけにはゆきません。  杉原はユダヤ人たちから、ポーランドでのユダヤ人迫害の話を聞き、苦悩の末ビザを発給することに決めました。

領事の権限では、これほど多くの人々にビザを発給できませんから、何度も日本政府に暗号電報で許可を求めましたが、厳格な要求を満たしている限り発給できるとするだけで、OKの返事は返ってきません。

8月3日には、ソ連がドイツとの密約どおり、リトアニアを併合し、日本領事館に8月中の退去命令を出し、日本の外務省からも 「早く撤収せよ」 との指示があり、杉原はこの一ケ月間で一人でも多くのビザを発給することを決意します。

自分の身の安全、また将来を捨ててでも、人間としてこの理不尽な迫害にあっている多くのユダヤ人を助けることに決めたのです。

そして、毎日300枚のビザを書き続け、万年筆は折れ、ペン先にインクをつけて書き続けました。 そして一日が終わると、疲労で倒れこむ杉原の腕を、妻がマッサージし、また次の日から一日中書くという毎日が続きました。

ソ連から退去命令が何度もでて、ついに8月28日に領事館を閉鎖し、撤去しなければならなくなりましたが、杉原は自分の泊まるホテルの情報を張り紙し、ユダヤ人たちは杉原のホテルに押し寄せ、ありあわせの紙でビザを書き続けました。

9月1日の早朝、撤去期限が過ぎ、ベルリン行きの列車に乗り込みましたが、窓から身を乗り出して、杉原はビザを書き続けました。

ついに汽車が走り出し、

「 許してください、私にはもう書けない。 みなさんのご無事を祈っています。 」

と杉原が言うと、ユダヤの人々は深々と頭を下げ、

「 スギハラ、私たちはあなたを忘れません。 もう一度あなたに会いたい 」

と、杉原の姿が見えなくなるまで、見送ってくれました。

ビザをもらったユダヤ人たちは、数百人ごとの集団となって、数週間をかけてシベリアを横断し、ウラジオストクの日本総領事は、手厚くユダヤ人たちを、日本郵船のハルビン丸で、日本に送りとどけました。

1940年(昭和15年)10月6日から1941年6月までの10ケ月間で、1万5千人のユダヤ人がハルビン丸で日本に渡ったことが記録されています。  敦賀から神戸に向かった心身ともに傷ついたユダヤの人々を、神戸のユダヤ人協会、キリスト教会、赤十字などの日本人たちが暖かい援助の手を差しのべました。

後に、多くのユダヤの人々が、 「 日本人は優しかった 」 と言ってくれています。

そして、ユダヤ人たちは、神戸と横浜から、アメリカやパレスチナ(今日のイスラエル)に渡ってゆく事ができたのです。

「杉原千畝が日本政府の命令に背いて、ビザを発給した」 と 流布する人達がいますが、それは大嘘です。

当時の日本政府の国是は、 「人種平等」 であり、ナチスドイツから度重なるユダヤ人排斥を要求されますが、それには一度も迎合しておらず、当時日本海軍管轄下であった上海では27000人を超えるユダヤ難民が保護され滞在しており、ドイツ外相からも非難されています。

ただ、同盟関係があった以上、表立って杉原領事にビザ発給の許可を出すわけにはいかなかったので、あえてあいまいにするために返事をせず、厳格な要求を満たしている限り発給できるとし、現実は外務省ネットワークで、リトアニア、ウラジアストク、敦賀、神戸に手を回しており、ユダヤ人たちを何のトラブルもなく移送させていたのです。


インサイダーの間ではシナリオがあったという気がしますね


もし、日本政府の方針が杉原領事を非難するものであったなら、ウラジアストク、敦賀、神戸など、いずれの場所からでも追い返すことは出来ていたのです。

またしても、お馬鹿な日本人が、日本政府の方針に反して・・・の流布を流し、誰もがそう思っていたのですが、調査の結果それが間違いであることが明確となり、ホロコーストの杉原領事の記念プレートから、 「本国の命に反し」 という文言が削除された事実があります。

その後、杉原はリトアニア退去後、ドイツの首都ベルリンを訪れた後、1940年にチェコスロヴァキアの在プラハ日本総領事館、1941年に東プロイセンの在ケーニヒスベルク総領事館、その後1946年(昭和21年)までルーマニアのブカレスト公使館などヨーロッパ各地を転々とし、各職を歴任。

第二次世界大戦の終結後、在ブカレスト公使館で家族と共にソ連に身柄を拘束され、1年間の収容所生活を送っています。


1947年(昭和22年)に日本に帰国するも、占領軍総司令部から各省の職員を減らすようにという命令が出て、杉原にもその矢はあたり、外務省を退職。

その後、イスラエルの大使館から電話があったのが、1968年(昭和43年)8月の事で、杉原に救われた一人、ニシュリという男が参事官として在日大使館に勤務していました。

ユダヤ人達は28年間も杉原を探していて、ようやく見つける事ができたのです。

ニシュリは、杉原に会うと、一枚のぼろぼろになった紙を見せました。 杉原からもらったビザであります。  そして杉原の手をかたく握って、涙を流しました。


翌1969年(昭和44年)、杉原は招待されてイスラエルを訪問。 出迎えてくれたのはバルハフティック宗教大臣、領事館でユダヤ人代表として杉原に交渉した人物であります。

バルハフティック大臣は、杉原をエルサレム郊外にあるヤド・バシェムという記念館に案内しました。  これは、ホロ・コーストの犠牲者を追悼するとともに、ユダヤ人を救った外国人を讃えるための記念館で、杉原はそこに記念樹を植え、勲章を受け取りました。

その記念館には、 「記憶せよ、忘るるなかれ」 という言葉が刻まれています。



1985年(昭和60年)1月、杉原はイスラエル政府から 「 諸国民の中の正義の人賞 」
を、日本人としては初めて授けられ、すでに病床にあった杉原の代わりに、夫人と長男がイスラエル大使館での授賞式に参加しました。


そして杉原は病床のまま、翌昭和1986年(昭和61)7月31日に心臓病で死去。 


彼が残した言葉は、純朴な人らしく

「 私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。 私には彼らを見殺しにすることはできなかった。  」 

                                  杉原千畝 享年86歳


A JAPANESE HOLOCAUST RESCUER
http://www.youtube.com/watch?v=KA_xNVtRsjo


映画『杉原千畝 スギハラチウネ』を観た方たち、主演の唐沢寿明さんたちに、是非知って欲しいこと。日本国は「八紘一宇」の精神のもと「ユダヤ人保護政策」を取っていました。 目が覚めて思うこといろいろ 2015/12/08 07:05
http://bakahabakanarini.blog.fc2.com/blog-entry-869.html

・・

【馬渕睦夫氏】
「杉原旋風」というのがありましてね。
その時私はイスラエルにおりましたから前線で見てたんですが
あれも不思議なんですよね。

突然ですね、杉原さんの「命のビザ」の問題がわ~っと
出てきた。
あれはですね、私は本でも触れたんですが、もう外務省の
人間は全部わかってるんですよ。

「あんなこと起こるはずがない。」

つまり、本国政府の命令に反してはビザは出せないんです。
これが実務的に見れば出来るはずない。

たとえやったとしても本国政府は「そんなのはダメだ」と
拒否しますからね。

でもつまり、杉原千畝がカウナスで出せたっていうことは、
日本政府が「OK」したんです。


【西村幸祐氏】
だから東条英機がユダヤ人救ったんですよね。

【馬渕睦夫氏】
ええ、別途それはね。
救ってましたね。

それから杉原千畝だけじゃなくて他のいろんな人もたくさん
出したんです、脱出ビザを。

ということは、日本政府は「OK」したんです、
ビザを出すことを。


それをあの時の「旋風」は何かというと、もう、上から下まで、
それから右から左まで、全部「日本政府が拒否した」と。


つまり「NO」と言ったのに、それに人道的範囲、観点から
杉原さんが出したと。
だから助かった、というんですけどね。

【西村幸祐氏】
そういう切り口だけなんですよね。

【馬渕睦夫氏】
あれは嘘なんです。
あんなことで入国できないですね。

【西村幸祐氏】
その辺もやっぱりそこで情報操作が出てきて・・・。

【馬渕睦夫氏】
あれは「日本政府を悪者にする」という圧力ですね。・・ (引用注:「しっかり反省してちゃんと協力しろよ」と・・)

++
戦争屋への戦争協力の陰謀にもダマされないようにしましょう。

















おまけ

「勇気の証言 ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」が開幕しました 創価大学 2015年10月10日
https://www.soka.ac.jp/news/information/2015/10/12225/

 第二次世界大戦終結から70年を機に、ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺の歴史を振り返り、平和と人権について考える「勇気の証言―ホロコースト展 アンネ・フランクと杉原千畝の選択」が10月8日、東京都豊島区の東京芸術劇場で開幕しました。



 この展示会は、1994年から2007年に全国73会場を巡回した「勇気の証言―アンネ・フランクとホロコースト展」に続くもので、本学と国際的な人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター(以下、SWC)」の共催によるものです。




7ヵ国の大使館、駐日欧州連合代表部、外務省、文部科学省、東京都、東京都教育委員会、国連広報センター、NPO法人「杉原千畝 命のビザ」による後援、創価学会平和委員会の協力のもと、28点の資料・144点のパネル等を集めての展示会となりました。








世界権力構造の秘密 Eustace Mullins 2 原爆ホロコースト
http://satehate.exblog.jp/7590315/



杉原千畝が書き残していたユダヤ人ビザ発給の本当の理由 天木直人   
http://new-party-9.net/archives/2992

・・ その中に、杉原まどかさんの次のような発言を見つけた。

 「・・・外務省公電など計20点の登録申請物件の中に、杉原家にある祖父の自筆手記2点が含まれています。祖父は78年に書いた手記の中で、『全世界に隠然たる勢力を擁するユダヤ民族から永遠の恨みをかってまで、(中略)ビザを拒否してもかまわないのか、それがはたして国益にかなうことだというのか』と、ビザの発給にいたった心情を打ち明けています・・・」

 これはものすごい発見である。

 人道的見地からの発給だっただけではない。

 ユダヤ人の報復をおそれて発給した事を、自らの手記で認めていたということだ。

 ちなみに杉原さんが副理事長をつとめるNPO法人「杉原千畝命のビザ」が取り組んでいる活動は、「命の大切さ」と「平和の尊さ」を世界に発信する事であるという。

 そこにはパレスチナ人の命の大切さや、中東和平の尊さについての発信も含まれているのだろうか

++
日本人の命は?


杉原千畝 スギハラチウネ

監督 チェリン・グラック
脚本 鎌田哲郎 松尾浩道
製作会社 日本テレビ放送網
製作:中山良夫市川南、熊谷宜和、藪下維也、石川豊、三宅容介、松田陽三、久保雅一都築伸一郎、大塚雅樹、井戸義郎、城朋子、和田倉和利

チェリン・グラック(Cellin Gluck 、1958年3月3日 - )は、和歌山県出身の映画プロデューサー、映画監督。



米国人だが日本で生まれ育ったことから日本語はネイティブである。そのため日米合作映画の製作に関わることが多い。

トランスフォーマー(2007年) ※助監督
20世紀少年シリーズ(2008年 - 2009年) ※海外ユニット演出












テンプル騎士団とロスチャイルドの結婚 投稿者:Legacy of Ashes の管理人 投稿日:2015年12月 7日(月)16時20分3秒
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3473

・・彼らは、シオニストのやり方を批判する者に対しては自分達が名づけたホロコーストを持ち出して批判をかわした。


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10 コメント

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odeko (撤退から半年後に何かが起こる・・・)
2015-12-09 18:53:22
1989(666)年末「バブル株価のピーク」
・・・
その年の初夏
バブル経済絶頂期に
どういうわけか
「フィディリティ(ピラミッド&目ん玉企業)投信」が
日本から撤退・・・

翌年初頭よりバブル経済大崩壊!!

現在
マクドナルド(メーソン企業)が閉店計画
アジアだけでも700店舗閉鎖予定とのこと
・・・

すると次は・・・戦争・・・でしょうカネ?!
脚本家の悪意がちりばめられた映画 (momo)
2015-12-15 22:24:33
この映画の脚本家である、「鎌田哲郎、松尾浩道」は、恐らく反日左翼なのでしょう。

歴史的事実を偽ってまで映画を作る、この映画の目的が何処にあるのか?
この映画を見せることは、洗脳と同様の行効果を生み出します。

当時の日本は血も涙もない軍国主義で、杉原千畝らの少数だけが、ヒューマニズムあふれたマトモな日本人だったんだ!と。

つまり、底辺に流れた「日本軍=侵略=残虐非道」という歴史観への洗脳。
では、この歴史観は真実だったのでしょうか。

映画まで作って、その目的(自虐史観)を叶えようとする彼らの邪悪な意志そのものが、左翼の本質を露わにしています。
恐らく、鎌田哲郎、松尾浩道らは、「戦後のマスコミや教育界」の中で育てられて来たのでしょう。

GHQの占領政策に屈して、「日本軍=侵略=残虐非道」であると、戦後の日本で報道し教育して来た、日本のマスコミと教育界。
・・・ところが、この戦後日本の仕組みさえ知らない人が多い様です。

知らされない歴史の真実。

19世紀から20世紀は、欧米の列強国が植民地を求めアジアに進出(侵略)していった時代です。
欧米の植民地になりたくない日本は、主権を確保し欧米と対等に話し合うために必死で軍備を増強していったのです。
そして日露戦争で勝った日本は世界の一等国になると同時に、今度は、白人至上主義の欧米にとって、目障りな存在と
なっていったのです。
もし日本が戦わず 欧米の力に屈し、白人の植民地となっていれば今の日本は存在しません。
もともと日本は侵略する欧米と対等に話し合うために軍事力を高め、アジアの独立と尊厳をかけ和解したかったのです。

日本がアジアに進出したの目的は2つ。
1.アジアに覇権を求める欧米と同様に、日本も自国の国益と防衛の為にアジアに進出したのです。
2.欧米の列強によるアジア侵略を阻止し、アジアに自由と独立を取り戻す為に進出したのです(大東亜共栄圏)
・・・・しかし、戦後の日本では正反対のこと(日本だけが悪だ)と教えています。・・・それはなぜか?
それまで欧米の植民地であったアジアが、その後どうなったか? 結果が全てを語ります!

日本がアジアに進出した「結果とその波及」を観れば一目瞭然です。
ベトナム    1885年からフランスの植民地     1945年独立
フィリピン   1900年からアメリカの植民地     1946年独立
マレーシア   1895年からイギリスの植民地     1957年独立
インドネシア  19世紀中頃からオランダの植民地   1945年独立
カンボジア   1863年からフランスの植民地     1945年独立
ラオス     1899年からフランスの植民地     1953年独立
ミャンマー   1886年からイギリスの植民地     1943年独立
インド     19世紀中頃~イギリスの植民地    1947年独立
パキスタン   19世紀中頃~イギリスの植民地    1971年独立
バングラディシュ19世紀中頃~イギリスの植民地    1971年独立

●戦後の常識を持って、あの当時の常識(趨勢)とを同列視して判断するのは間違いです。
70年前の世界常識 と 今の世界常識 は大きく違っているからです。
つまり、現代の物差し!を使って過去の歴史を計るな!ということです。
この盲点を戦後、教育者やマスコミはGHQ占領政策に従って巧みに利用し 日本国民が誤解するように
仕向けて来たのです。 ・・・今でもそれに気付けず騙される人が続出しています。

当時は、世界中で白人国家が、植民地政策で富を搾取する為に覇権(侵略)を進めていた時代です。
当然、その波はアジアにも、そして当時の日本にも、押し寄せて来たのです。

そんな当時の世界情勢の中で日本も覇権をし、自国の防衛のために「戦時態勢!」をしていったのです。
もしも日本が侵略戦争という名目で断罪されるのであれば、同様に、欧米諸国も侵略戦争で断罪されるのが公平です。

当時の日本は、アジアの独立と尊厳をかけて侵略する欧米と戦い、アジアから駆逐しようと決断したのです。

欧米各国の侵略(植民地政策)に逆らい、アジア圏を守ろうとする日本人を 快く思わない白人達は、日本を屈服させようと
互いに連携し資源を持たない日本に貿易封鎖を始めました。

日本が資源の供給を絶たれた場合、当時の1千2百万の人々が失業することが目に見えていますから、それは日本国の壊滅を意味するわけです。

もし、あなたの家の周りを完全に封鎖されたら、あなたの生活はどうなるでしょう?
一人なら戦いを避け餓死の道を選ぶこともあるかも知れませんが、しかしあなたが大勢の家族を養っていたら、それでも
家族全員に戦争反対だからと 餓死を強要するのですか?

アメリカの思惑は、自ら宣戦布告をせず、まず日本側から戦争の口火を切らせることにありました。
当時の大統領ルーズベルトは戦争をしない という名目で大統領になりましたから。

ルーズベルトは白人至上主義者WASPで、執拗なアジア侵略の野心を秘めていました。
当時のルーズベルト大統領は、既に 国家非常事態・臨戦態勢を宣言し、日本との戦争に、準備万端だったのです。 
そしてハルノートは、日本に先制攻撃をさせたい!という彼らの恣意的な挑発でした。

日本に先制攻撃をさせれば、アメリカ市民も怒り、国民共々に堂々と参戦できるからです。
つまり、日本は、屈服し欧米の植民地になるか、或は、打って出るかを迫られた訳です。

植民地になるということは?

日本が欧米の植民地になるということは、そこに住む私達が人間としての扱いを受けることなく、「人間の機能を持った
便利な使い捨ての道具」とされることです。
植民地の人々に未来や人権などありません、永遠に搾取され使い捨てられることになります。
とうぜん経済大国としての今の日本、今の私達の生活など存在しなかったでしょう。

あの時もし日本が戦わなかったら戦死者・戦没者は少数だったことでしょう。 ・・・では、植民地を選んだ場合の日本は?
人権も 自由も 平等も 教育も無く、死ぬまで搾取され続ける日本人、・・・当然、日本は独立国では無いわけですから。
もし日本が戦わなかった場合、果たして私達が今の日本と比べ「素晴らしい人生だと実感できるのか?」です。


亡国のギブ・アンド・テイク!

戦後のマスコミと教育界は、GHQの指示通りに捏造の歴史による自虐史観を日本国民に与えることで、GHQから戦後の利権や地位を得て来た「敗戦利得者」と化しました。

占領軍の目的!は、日本弱体化(自立させない)

つまり、アメリカは戦争に勝つことで物理的に日本を支配しました、がしかし精神的な支配は まだでした。
つまり、日本が再び興隆してアメリカに刃向わない様にと、日本人の国家観や愛国心を破壊(日本を弱体化)することが、GHQ占領政策の基本方針でした。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (War Guilt Information Program)・・・日本人・洗脳政策。

日本軍=極悪。 アメリカ軍=正義。
この歴史観でないと、アメリカ自身が行ったホロコースト、つまり、原爆投下や無差別爆撃が、自己正当化できないわけです。

●その為に利用されたのが、日本の マスコミと教育界と学者と赤旗です。
「日本軍=侵略=残虐非道」・・・自虐史観の誕生です。

この自虐史観は、日本が独立した後でも、マスコミや教育界で継続されました。
彼らは、「日本軍=侵略=残虐非道」で国民を扇動してきた手前、今さら「あの歴史観は嘘でした」とは言えません、自分達の地位も名誉も利権も全て失いますから。
ですから保身のためにも未だに、自虐史観を主張し続ける訳です。 そんな彼らを「敗戦利得者」と言います。

こういった体制が戦後レジームです。

この戦後体制に気付いていないと、マスコミや日教組・高教組・全教祖、コミンテルン教授の末裔らが、70年間 創った環境に飲み込まれ、騙され続け、自分で自分の首を締めてゆく方向へと扇動され続けるでしょう。
そういった戦後の環境を知らなければ、敗戦利得者の創る環境に毒され、種に染まれば赤くなる!の例えの通りになります。
無自覚なる反日人間の誕生です。

こういった戦後の日本の素性を知れば、この映画の背後に隠される、狡猾な意思(旧日本軍への印象操作・自虐史観)も見破ることができるでしょう。
Unknown (Unknown)
2017-03-02 12:10:56
単純にそっちのほうがストーリーとして客の注目を集めやすいだけ
日本人だまされてる? (どこがウソ?)
2017-05-09 19:06:01
外務省が杉原に、ユダヤ人に最終目的地のビザを取らせろと言ったけど、目的地の大使館が無いからできるはずがない。それで杉原が外務省に探りを入れると、日本通過のビザがあれば北・中南米行きの船に乗れるって言っちゃってる。(外務省がそれ杉原に言ったらダメでしょ)。形として杉原は外務省の指示に逆らってるし、ユダヤ人を救ったのも事実。この話のどこがウソで、日本人がだまされてるのかな?
とりあえず長い (せご)
2017-06-15 20:33:43
先ずは自己紹介しろ
タイトルなし (ゆうき)
2017-06-15 20:40:40
百聞は絵本に如かず

上手いこと言ったつもりでいるんですかね?

無駄に長い君のblogは公衆便所の落書きに如かず

こっちの方が、内容も偏ってる割りにショボイ君のblogを読んだ人たちには納得する人多いと思います。
ウンザリ! (ああ)
2017-07-17 22:54:46
パール判事やマッカーサーを引き合いに出した田中正明の『日本無罪論』の様な朝鮮人レベルの捏造を繰り返すクズウヨに いちいち反論しても仕方ないんだけど、1991年10月3日当時の外務政務次官が杉原幸子(ゆきこ)夫人を招き、人道的かつ勇気ある判断を高く評価、杉原家に謝罪し名誉回復してるよね!(本人はビザ発給の件で、外務事務次官から辞めてもらうと言われた という認識で外務省を去っている。)依願退職の人間が何で外務省から謝罪と名誉回復を受けるのかな?それと WW2の日本兵戦死者の6割が餓死か栄養失調なんだけどこれが近代戦と呼べるのかな?
Unknown (Unknown)
2017-08-05 15:44:40
反日左翼なんて書くと本当かどうか信じられなくなるなあ
Unknown (Unknown)
2017-09-08 10:29:40
ここに書かれているように、松岡氏から入国手続きが済んでないモノにビザを発給するなと言われた。
が、手続きが済んだモノにしかビザを発給してないと嘘をついて、手書きじゃ間に合わないので、最後はゴム印まで作ってバンバン発給してたのが事実。
よって、結果として日本政府に逆らったっていうのが常識的に考えられるでしょう。
どっちかといえば、右寄りなんでパヨクは大嫌いですが、こうやって杉原氏の名誉を傷つける輩も許せません。
Unknown (Unknown)
2017-09-14 12:42:09
外務省は伏魔殿。政治思想の左右関係なく外務省は当時も今もそういう組織である位の認識は持っていた方がいいんじゃない?杉原氏に関してはこの組織を擁護する気なんて全くしないけどな。

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