順風ESSAYS

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法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
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参議院議員選挙について

2007年07月31日 | 時事
「被害者は誰でしょうか?」

これは昨年、とある法科大学院の入試の面接で最初に聞かれた質問だ。社内規則に違反して取引をしたが結果として利益が出たという場面で、当該社員に会社はどのような対応をすべきか、という設問があった。私が規則どおり何らかの処分は免れないと切り出したのに対して出された質問がこれだった。ある規則が何を守ろうとしているのか、どういう性質をもっているのか、を考えさせる非常にいい質問である。単に「規則だから」という思考では不十分な場合もある。

今回の参議院選、gooブログの編集ページには「公職選挙法について」という注意書きがあった。その内容は次のようなものだ。

「選挙に関する記事を投稿の際は、公職選挙法違反(刑事罰の対象となります)および利用規約違反にご注意ください。主な注意点は以下の通りです。①特定の候補者を「応援したい」といった表現は選挙の事前運動、選挙運動またはこれらに類似する活動とみなされる可能性があります。「選挙区の友人に薦めます」といった表現も含まれます。②単に街頭演説があったという出来事を記述するだけであっても、特定の候補者ばかりを掲載するような場合には、当該候補者を支持する選挙運動とみなされる可能性があります。③街頭演説を撮影した写真や動画を投稿することは、選挙運動用の文書図画の頒布に該当するとみなされる可能性があります。④特定の候補者の失言シーンだけを集めた「落選運動」は選挙運動またはこれらに類似する活動とみなされる可能性があります。この他にも公選法違反に問われかねないケースが想定されますので、記事投稿の際には十分ご注意ください。」

私はいつも選挙後しばらくして記事を書くので問題はないのだが、この注意書きを見て「被害者は誰ですか?」と問いかけたくなった。先の設問と同じく直接の被害者を観念しにくい性質をもつ規則だが、ここに挙げられている行為が選挙の公正を害するのか、非常に疑わしい。早急に公選法をネット社会に対応させる必要があるだろう。海外でもこの状況は"Surprisingly"と形容されている(参照)。

さて、前置きはこれくらいにして本題に入ろう。私の地域は東京選挙区で、定数5人のところ候補者は20人。今回は自民対民主という構図に乗っかる気になれなかったのと、参議院選ということで、「こういう人が議員として発言してくれたら」という候補者本位で選んでみることにした。とはいっても、候補者は衆議院より全般的に小粒である。略歴と実績をみてみると民主党の鈴木寛氏が図抜けている。政策をみても概ね常識的だ。

となると普通ならこのまま鈴木氏への投票ということになるが、ここは5人区。今の衆議院選にはない戦略投票の醍醐味がある。事前の選挙情勢を伝えるニュースでは、5枠のうち4枠を民主党の2人と自民党・公明党1人ずつで確保する見込みで、残りの1枠を自民党の丸川氏・無所属の川田氏が争い、共産党の田村氏が追いつくか、という構図と説明されていた。中でも鈴木氏はトップということで、私の票にかかわらず当選は確実な情勢である。残りの1枠の争いに関わることにした。

まず丸川氏であるが、選挙権問題で自爆し、このままでは当選しないほうが本人のためにもいいのではないか、という状況であった。キャッチフレーズ「日本人でよかった」にも違和感がある。「○○人」という表現は出自のニュアンスも含むので、「日本国民」と表現したほうがいいのではないか。多様性に配慮し切れていないという感想をもった。インタビューでも予め用意していたこと以外は要領を得ず、投票する気にはなれなかった。

対する川田氏。公示があり選挙ポスターが一斉に貼られたころ、まず目を引いたのが川田氏であった。「あ、立候補するんだ」という感想。無所属ながら、行く先々の掲示板できちんとポスターが貼ってあり、ちゃんとした支持組織があることがうかがえた。これは見込みがあるかも、と思っていた。政策等をみても投票をやめようかな、と思う事柄は概して見当たらず。こういう独特のバックボーンのある人が議員になるのもいい、と感じた。

ということで選挙区は川田氏に投票することにした。比例も同じく候補者本位で田中康夫氏に投票することにした。

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以上が投票日までの話。以下結果について。
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結果は次の通り(確定投票、8位以下は長くなるので省略)。

大河原雅子   民主 新  当 1,087,743  
山口那津男   公明 現  当  794,936  
鈴木  寛   民主 現  当  780,662  
丸川 珠代   自民 新  当  691,367  
川田 龍平   無  新  当  683,629  
保坂 三蔵   自民 現     651,484  
田村 智子   共産 新     554,104  

意外性を多く含む結果であった。感じたことは、東京は浮動票がかなりの影響力をもつ、戦略投票が顕著、アナウンスメント効果も絶大、ということであった。民主2人については鈴木氏から大河原氏への票の流れがあったことは間違いない。自民の保坂氏も磐石という予測で油断した面もあったあだろうし、票も丸川氏へ流れただろう。収入と政治が直結しない境遇にある有権者が特定の支持政党をもたないことは自然なことであるが、ここまで結果が読めないとは思っていなかった。戦略投票ができるのは参議院選しかないが、次回は素直に投票を決めようかと思っている。

比例も田中康夫氏が当選。今回は冒険に出て死票も覚悟していたが、両方とも死票にならないという結果になった。さらに全体をみてみれば、民主党の躍進と自民党の大敗。岡山で自民党大物の片山氏が落選したのが象徴的で、「姫の虎退治」という何とも絶妙なキャッチフレーズ。こんな面白い選挙区があったとは知らなかった。また、公明党が選挙区で3議席落とすという激震。なんとなくつけていたTBSラジオで、勝谷誠彦氏が「みんなが選挙に行けば公明党も落とせるんだ、選挙の面白さがわかったか」といった趣旨のことを話していて印象的だった。

選挙報道に言及すれば、NHKは大河原→鈴木→川田→山口という順番で当確を出していった。川田氏の当確はNHKが他局よりかなり早い段階で出した。出口調査に自信を持っているんだなと最初は思ったが、結局3万票しか差がなかったことを考えると、与党候補者の当確判断を慎重にし後にすることで苦戦を演出する意図があったように思う。実際は丸川・川田・保坂が三つ巴で激戦という開票状況であった。

今後の国会運営について、法案審議において民主党が硬直的に出るか現実的に協調の態度に出るか、難しいところである。国会が麻痺してしまえば批判が民主党にも向かいかねないが、一方で妥協すると今回支持した人から失望されてしまう。「民主が勝ったのは自民の批判票だ、必ずしも全面的に支持されたわけではない」という理解に立つならば現実路線をとるべきだが、メディアから批判されてしまうだろう。自民党がこれを見越して法案をどう提出するかも興味深いが、極端な内容のものは出せなくなっただろう。

今回の選挙はついつい開票情報を夜遅くまで追ってしまったが、早く日々の仕事に帰ることとしよう。

サッカー・アジアカップ2007

2007年07月29日 | 時事
スポーツの話題は滅多に書かないが、今回よくテレビで観たので思ったことを書くことにする。サッカーに詳しい方から叱咤されるかもしれないが、ご堪忍を。

日本の戦いが終わった。今大会、私は予選のUAE戦・ベトナム戦、決勝トーナメントのオーストラリア戦・サウジアラビア戦をフルで地上波のテレビで観戦した。ちょうど夕食後の時間であったので多くの試合を観ることができた。そういえば、ベトナム戦あたりから角澤アナの実況ではなくなったが、当初の予定通りのことなのだろうか。私は「テキトーに言ってればいいんだろ?」と思っているに違いない彼の実況が好きではなかったのだが、いなくなったらいなくなったで心配になる。ある種の名物であった。

今日の韓国戦はランニングをした関係で後半から観ることになった。その限りでは、負け相当、いや、負けて痛い目見たほうが今後のためになる、と感じる内容であった。終盤は点が入る気がしなかった。自分が監督であったら自ら辞任を申し出てもいい、と思うほどだった。準決勝のサウジアラビア戦も普通に相手が強かったので、この順位は妥当な結果だろう。基本的にオシム体制には好意的だったけれでも、今のままでは厳しいと感じる。「まだ発展途上」というが、その言葉に不安を抱いたアジア大会であった。

今大会における顕著な特徴は、終盤相手が守りに入ってから打開することができなかったことだ。各試合ともボール支配率は6割を超え圧倒的だが、パス回しからゆっくり攻撃する方法しか持っておらず、新たな工夫を可能にする選手がいなかった。ドリブルで切り込む選手がいない。三都主がMFとして必要だろう。切り込める選手としては水野が期待できたが、経験のなさからか決勝トーナメントで投入されることはなかった。ここは冒険してみるのがよかったと思う。特に韓国戦は、巻→山岸でポストプレーの可能性を消すより試したほうがいいと感じた。

采配においても、後から投入される選手がフィットしない。羽生はある程度効果的であったが、佐藤は走りながらのダイレクトプレーが持ち味でカウンター的な早い流れでこそ力を発揮するだろうに遅い展開では生きる場面は少なかった。矢野は、同タイプの選手として日本には巻しかいないんだ、と観る人にわからせる動きしかできなかった。選手層の薄さは大会中も繰り返し指摘されていたことである。替えがきかない結果、レギュラーの疲労も蓄積させることになった。

ネガティブなことばかりでは悲しいので、収穫だと思ったことを書いてみよう。まずオーストラリアに勝利できたこと、少なくとも不甲斐ない試合をしなかったこと。これでワールドカップの記憶を清算し、ライバル関係として対等なスタートラインに立つことができた。次には、高原が絶対的なエースとして立場を確立したこと。今大会でのゴールはいずれも素晴らしかった。しかしこれからは相手から研究されることになるので、もう一人のFWを使った攻撃手法も考えていく必要があるだろう。

今後について、素人ながら個人的に思う選手選考を書いてみる。FWは、結局2006年と同じだが高原と柳沢が一番ではないか。巻ではテクニックの面で問題が残る。国内組編成で巻を使うなら前田と組んだところを観てみたい。佐藤はもう一人スピードタイプの選手と組ませるのがいいのではないか。田中達也でどうだろう。MFは前にも書いたように三都主が必要。あと長谷部も観てみたい。スーパーサブとして豪快なシュート力がある鈴木規に期待したいが、まだ代表レベルではないのかな。DFは闘莉王が加われば何とかなるのではないか。

コンフェデレーションズ・カップに出場できず残念だが、2010年に向けて完成に近づいていって欲しい。今回のアジアカップでもわかったように、アジアの各国もかなり力をつけてきている。ワールドカップ予選も苦しい展開になるだろうが、ぜひともいい結果を残してもらいたい。毎回のことながら、大一番が続きプレッシャーがかかる中でプレーをする選手たちの精神力には敬服する。

超執刀カドゥケウス(ニンテンドーDSソフト)

2007年07月23日 | ゲーム紹介
超執刀カドゥケウス・オフィシャルサイト

今月はじめのゼミ発表終了の解放感の勢いでゲームを買うことに。通学途中にある家電量販店で悩んだ末、このゲームにした。他の購入候補は、世界史トレーニング・百人一首・水族館シュミレーション・レイトン教授であったが、世界樹の迷宮と同じアトラスのゲームであり、価格も安かったのでこれに決めた。特に価格はDSソフトが全体的に中古でも大して値が下がらず割高感がある中、廉価版ということで新品が2000円台後半に収まっており、実におトクである。

簡単に内容を紹介すると、新人外科医である主人公が、手術を重ねるにつれ一時的に常人にはない速度で執刀できる能力を開花させる(ゲーム中では能力が発揮されると時間の流れが一時的に遅くなる)。その能力を買われた主人公は、医療特務機関に移り、医療テロ集団が撒く殺人寄生虫「ギルス」と対決し、謎を解き明かしていく、というものだ。メインは外科手術アクションで、下のタッチパネル画面にタッチペンでメスや縫合糸・ピンセットなど道具を持ち替えて作業をする。具体的なイメージは動画をみてもらえばわかるだろう。

私は指先が不器用なほうで(そのおかげで中高時代ゲームに熱中せずにすんだが)、マリオすら満足にプレイできず、実質的にみて今回がアクションゲーム初めての挑戦であった。最初の数回のステージはチュートリアルでやり方を丁寧に教えてもらえるが、手順が身につくまではパニックでてんてこまいになる。手順の正確さと素早さが同時に必要で高難易度の操作が要求され、各ステージ初見でクリアできることはまずない。買ってきて数回プレイをしてみて、思わず「なんでこんな難易度の高いゲームを買ってしまったんだ、レイトン教授のようなヌルいゲームにすればよかった」と悔いてしまった。

しかし慣れてくるにつれだんだん上手になり、クリア時のランクもCばっかりだったのがいきなりBやAを出せるようになった。全体を通してポイントは「縫合の素早さ」であり、途中からタッチペンでは追いつかずエンピツを持ってタッチパネルと格闘することになった。芯の磨耗が少ないステッドラー鉛筆に感謝。そして何とかストーリーの終わりまで進めることができた。買ってから約2週間、携帯ゲーム機として適度なボリュームだろう。さらに意欲のある人向けに隠しステージもあるが、私にはそこまでやり込む気力はない。

ストーリーに目を向けると、先の紹介でも触れたように「医療テロ集団」「人工の寄生虫」といったファンタジーの要素が入ってくる。これを現実味がないと言うこともできるが、私は成功だったと思う。現実の病気であると「実際苦しんでいる患者がいるのにゲームで切り刻むのはどうか」といった倫理的な問題が絡んでくるが、そのような問題を避けつつストーリーの主題をきちんと表現することを可能にしている。そして強力な寄生虫が次々と登場するという構成でプレイヤーの熟練と合わせた流れを作ることも可能にしている。

他にも、登場するキャラクターが個性的で厚みがあり、作品世界に引き込まれる感覚がもてる。漫画雑誌に連載してもいいくらいだと思う。外科医の主人公と手術助手のパートナー中心に話が進んでいくが、二人が最後まで仕事上の信頼関係のままで終わり、安易な展開に流れなかったのもよかった(その後は各自の想像にお任せ、ということだろう)。

日本ではまだあまり知名度は高くないが、海外で特に人気で各種の賞を受賞したようで、Wii版も発売されたほか、続編も企画されているとのことだ。一回のステージの制限時間は原則として5分であり、携帯ゲーム機として手軽に空いた時間にしたい、という忙しい人のニーズにもきちんと応えている。一度クリアしたステージはその後いつでも挑戦することができ、スコアやランクを上げることができる。アクション苦手な人も、私でもクリアまでこぎつけられたのだから、ぜひプレイしてもらいたい。

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以下ネタバレ注意。
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印象に残ったところをプレイ談として書いていくことにする。まずはデフテラ初登場のところ。ここでは2組登場時全く歯が立たず、ソフトを真っ二つに割ってやろうかと思うくらいヤキモキした。そんな中、2組開幕直後に超執刀発動、すると運良く2組同時に結合、その後も間髪入れずに結合が続き、一気にクリアすることができた。結合の如何は運に左右されるが、レーザーをもっと使い、超執刀を2組開幕直後に使うことで対処することが可能に。原罪のステージでは困難なくクリアすることができた。

次は「キリアキ5人連続治療」のところ。3人治療すればクリアできるとわかったので3人治療して残り2分以上放っておいた。しかし画面上は4人目になっていたので時間がゼロになって「この患者で終わりですね」と言われることに。想定外。結局4人治療することに。3人目で超執刀を使ってしまったのでてんてこ舞いになりながらも何とかクリア。

ゲームオーバーになると主人公が去ってしまう。終盤になってくると失敗しても誰も責めないような状況なのに去ってしまうのが面白い。一方で爆弾解体のステージでゲームオーバーになると画面が真っ暗になり、「リプレイしますか?」の文字だけ出てくる。さすがに生き残れないか…。

一番頭を使ったのがテタルティ。開幕直後に超執刀発動してできる限り取り除く。このとき楔をあらかじめ抜いて増殖を防いでおかないといけない。知らない間に楔が復活していてあれよあれよと増殖という事態に陥ることがしばしば。再び対戦したくないギルスでナンバーワンだ。反対にトリーティは難易度が高くない。STARTボタンを有効活用することを勧めたい。一時停止して各色を確認する。

改善要望としては、ソフトリセットを用意してほしかったのが一番かな。


エンディングのスクリーンショット

わたくしごと

2007年07月19日 | essay
My life is based on reason. There is no doubt.
Though love holds many dangers, my secret is out.
(Days and Days / Fantastic Plastic Machine)

反抗期は自己決定を親から自らに移す過程のように思う。その後、主に大学生にあたる年代での精神的成長は、自らを社会に適合させる過程であろう。親や教師に保護され主役として扱われていた状態から、何でもない脇役の一員になる。RPGで言えば、世界を救う勇者を気取っていたが、実際は村人Aであることを自覚していくようなものだ。主役になるのは、誕生日や発表会など特別なときだけになる。

毎日の生活に目を向ければ、大人になるにつれ合理性が要求される。子供のころは大人からみれば無駄なことばかりしていた。消しゴムを車に見立てて子一時間、など。大きくなるにつれ、夏休みの勉強計画を立てたりゲームを買ってもらうために何かに役立つと親を説得したりして訓練を重ね、一日のスケジュールをカチッと考えるようになっていく。休日は有意義に使えないと満足できないようになり、電車に乗る時間も有効に使えないかと頭を悩ますようになる。私は未だにぼんやり文章の題材を考えるなど全く有効でない使い方をしているが。

私が通っていた大学では、多くの人が3年次にキャンパスを移る。ここで学生らしい浮わついた雰囲気が一気に薄れ、社会に近づく感覚をもつ。秋には進路選択をし、必要なことから優先順位をつけ、計画的に取り組んでいく。さらに大学院に入ると、益々勉強を中心に合理的に生活を組み立てるようになる。時間がいくらあっても足りないくらい「やるべきこと」があり、こうしてPCのキーボードを打っている時間も基本的に無駄と感じられるようになる。周囲をみると、大学を卒業すると全体的にブログ等の更新頻度が極度に落ちている。時間がないというのもあるが、合理的に考えて優先順位が下がる、というのが本当のところだろう。

そんな生活をしていると、普段の考え方の癖にも影響が出てくる。先日、未だに昨年夏に電車の中で思い巡らせたことをどう表現しようか考えていて、新たな題材を探そうとしていないことに気がついて愕然としたものだ。年齢を重ねるにつれ基本的に考えは積み重なって洗練されていくと思っていたが、そのような単純な発展ではないようだ。知らず知らずのうちに一方向ではない変質が起こっている。思いを綴ること自体が子供っぽいという感覚になっているかもしれない。

このまま日常の忙しさに身を委ねて考えることをやめてしまうのか。それは楽なことかもしれないが、なるべく避けたい。学問の先端を担う学者が時折「世間知らず」「非常識」などと言われるのは、自由な発想が合理的な生活では割り切れないことを現しているように思う。それは学問に限らず各場面で生きる事だってあるはずだし、その人の個性を形作るものだ。若き日の無駄な考えを、今では表に出さない危なっかしい秘密の考えを、そのまま消してしまうのではなく、温めておきたい。