luxemburgさんの所に死刑廃止に関するロベール・バダンテールの演説の翻訳が送られたことに端を発し、何となくの雰囲気でブロガーの間に連載エントリが生まれた。おみゃーもやってみろよ、と言われ、腰軽く乗った結果がこれである。
◇◇◇◇開幕――
西園寺邸から始まって、お玉屋敷、とむ丸邸と続いた「死刑廃止論行脚」4軒目。麗子、玲奈、ばあやの3人組は、今回は東京都のはずれにやって来た。さびれた商店街を抜けると雪国……じゃなかった、殺風景な灰色っぽいマンションが建っている。そのエントランスに足を踏み入れかけながら――
ばあや:(レースのハンカチで汗を拭きながら)お嬢さま、玲奈さま。いろいろな方のお宅を訪問して死刑廃止の問題をお考えになる、というのは結構でございますよ。ばあやも大賛成でございますけれども、何もこんな所まで足を運ばれなくても……。お玉さんやとむ丸ちゃんのママと、もう充分にいいお話ができたことですし。
麗子:でも、お約束してしまったんですもの。疲れていたら、今日はばあやはご遠慮する?
ばあや:そんなわけには参りません! 特に華氏さんとやらは、例の下品な猫の友達だそうじゃございませんか。お耳を汚すような言葉など口にされませんよう、私が睨みをきかせておかなければ。
玲奈:正直申しまして、今日の方とのお話は、あんまり成果は期待できません。専門的な知識など全然お持ちではありませんし、その上「いくじなし宣言」などというものをされている頼りない方ですしね。でも死刑廃止論の迷宮をたどるには、一筋のアリアドネの糸だけを頼みにしてはいけませんでしょう。存在そのものがカオス、みたいなわけのわからない人にも1度ぐらいは会ってみる価値があるかもですわ。……ささ、入りましょう……。
(などと3人が気乗りしない顔を見合わせて小さなため息をついた時、植え込みの陰から「おっ待ったせ〜。ごめんごめん」という調子外れの声)
麗子&玲奈:きゃああああ
ムル:そんな変な声出さないでよお。麗子ちゃん、お久しぶり〜。いつも綺麗だね〜。玲奈ちゃん、初めましてッ。
(しなやかな身ごなしで飛び出した、顔見知りのノラ猫。その後ろから、一回り小柄な若い猫がはにかむような笑顔を覗かせる)
ばあや:ま、また問題猫が……。シッシッ。お嬢様、玲奈様、こんな変な猫は無視して、さっさと参りましょう。
ムル:待った待った。今日、話のお相手するのはおいらなんだぜ。
麗子&玲奈&ばあや:ええええええ〜!! 華氏さんとやらはどうしたのよ。
ムル:けけけ。あいつはね、珍客を迎えるってんで朝からシャカリキで掃除始めたんだけど、柄にもないことするから持病の胃痙攣起こしやがったの。つくづくバッカだよな〜。で、またおいらに代役してくれってさ。今日は相棒も連れて来たぜ。ほら、トマ、ぼーっとしてねぇで挨拶しろよ。
トマ:(目をパチパチさせながら)初めまして……僕、トマシーナといいます。華氏んちの居候で、ムル兄貴の弟分です。こんな辺鄙な所に、よくいらっしゃいました。
麗子:まぁ、可愛い〜。ムルとは随分違うわね。
トマ:華氏がご用意していたお華氏……じゃなかった、お菓子を持ってきました(と、傍らのバスケットを前足で叩く)。召し上がりながら、兄貴とご歓談くださいませ。
ばあや:ご、ご歓談って……ここで?
ムル:あそこの公園で。ピクニックみたいで感じいいじゃん?
……ということで、公園の片隅の四阿に陣取り、ドドールの紙パック入りコーヒーと、3袋まとめて1000円の安物のクッキーを前に置いて3人と2匹の奇妙なお茶会が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇
麗子:先日は、とむ丸ちゃんのママさんと有意義なお話をしましたの。ママさんはロベール・バダンテールの演説を読んで感激なさったんですって。
ムル:華氏も一応、読んでたよ。あ、玲奈ちゃん、翻訳のお礼言っておいてくれってさ。あとバダンテールの『そして、死刑は廃止された』も読んでね。あいついい加減な奴だけど、それでもしばらく考え込んでたぜ。で、おいらも付き合って一晩中、死刑廃止について話をしたんだ。あいつとおいらの意見はベクトルがだいたい一致してるから、充分に代理が務まると思うぜ。バダンテールさんって言えば、あの人、14年前に日本に来たことがあるんだよね。
玲奈:ムル、あなた、その時のことを知っているわけ?
ムル:やめてくれ〜。まだおいら、生まれてるわけねぇだろ。猫の長老に聞いたのッ。その時に通訳をした鵜飼哲っていうフランス文学の研究者がね、バダンテールにこう言われたんだって。「ここ(日本)はこんなに犯罪率が低いんだから、死刑なんて、何かの間違いで放置されてるだけなんじゃないの?」。日本で死刑が存続していること自体、驚きだったみたいだね。「死刑は廃止しましょう」だけじゃなくて、「なんでまだ、死刑なんていう前時代的な変なものがあるの?」という問い掛けも大事だと思うよ。
玲奈:バダンテールさんの演説の、どの部分に感銘を受けました?
ムル:全部……というのが正確だけど、そうだなぁ、特にここんとこが印象に残ってるね。
【自由の国ではほとんどあらゆる所で、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されています。世界のこの色分けは単純な偶然の一致ではなく、ひとつの相関関係を表しているのです】
玲奈:続けてバダンテールはこんなことを言ってますわね。国家は市民の命を奪うところまで、市民を意のままにする権利を持っている。――死刑はそういう考え方に由来しているのであり、ここに死刑の本当の政治的な意味があるのだと。確かに、これは死刑を考える時の「核」ですね。国家に対して、命を奪う権限まで与えるのかどうか。国家は国民を誰彼かまわず殺すわけじゃないけど、国の制度が国民と国家の関係を象徴しているとしたら、死刑がある国は民主主義ではなくて全体主義、独裁制が支配していることになる、という考えには頷けますわ。
ムル:権力は限りなく肥大して、常に一人歩きする危険性を孕んでいる、ってことじゃぁねえの? だからこそ厳しく縛っとく必要があるのにさ、人間はそういうこともわかんねーのかなあ……。おいらたち猫の世界の方が、よっぽどまっとうだぜぇ。国旗・国歌もねぇし、国境もねぇし、死刑もねぇしよ。
ばあや:カンボジアが死刑を廃止したのは、ポル・ポト政権下で虐殺を経験し、国家にそういう手段を持たせてはいけないと思ったからだといわれておりますわね。
麗子:そう言えばドイツの死刑廃止(厳密に言えば死刑廃止の復活)も、背景には第二次大戦下のジェノサイドに対する反省があったと言われておりますし。
トマ:(クッキーを頬張りながら小声で)じゃあなんで、日本は死刑廃止しなかったのかなあ……。ジェノサイドはあったけど、自分の国の中でやったことじゃないから、ピンと来てないのかな?
玲奈:あ、この子、いいこと言うわね(と、トマの頭を撫でる)。
ムル:うぉっほん。死刑廃止運動を続けている安田好弘弁護士って人は、『現代思想』っていう雑誌のインタビューに答えてこう言っている(2004年3月号)。
【死刑があるかないかは、国家が何によって支配されているかということです。国家の強さの問題だとも思います。逆に言うと国家の中にいる市民がどれほど管理され統制された中で生活しているかなんです。高度に政治的な問題だと思います。】
安田さんは死刑の廃止/存続は宗教的な背景とは関係ない、とも言ってるんだよ。国家の力があまり強くない所、武力で支配されていない国で、死刑が廃止されていく。イタリアは第二次大戦前に廃止してたんだけど、ムッソリーニが政権を取った時に復活したんだよね(現在は廃止)。ドイツの場合だってヴァイマル共和国の憲法で死刑は廃止されていたのに、第三帝国の時代にその条文が停止されたそうだしさ(現在は死刑廃止条文再生)。死刑ってのはさあ、国家が国民をひとつの方向に余念なからしめようとする時に出てくる制度、って気はするよな〜。
麗子:よく、宗教の問題だという方がおられますけれど、あれは間違いなのね。
ムル:と、おいらも思う。ヨーロッパで廃止した国が多いのはキリスト教の思想との関係で、っていう人がいるけどさあ。キリスト教を背景にした死刑肯定論、てのもあるんだぜ。十字架の上でイエスは「父よ、この人達を赦してください。なぜなら彼らは自分のしていることを知らないのですから」と言った、と聖書に書いてあるそうだね。逆に言うと「自分のしていることを知っている人間」、つまり確信犯に対する赦しはない、なんて解釈する人もいるらしい。神学者とかの中にはさ。死刑は救済である、みたいなことをいう人もいるそうだよ。おいらは直接、会ったことないけどさ〜。仏教徒でもイスラム教徒でも、それぞれの信仰する宗教に基づいて死刑肯定論を展開する人と、廃止論を唱える人がいるしさあ。宗教の話は切り離した方がいいと思うんだよな。純粋に政治的な問題に宗教だのを絡めるのは、フェアじゃねぇと思う。ヨーロッパで死刑を廃止した国が多いのは、国境を接した国々が血みどろの争いを繰り返し、人が人を殺すということの意味を痛切に考えさせられた果てにたどり着いた地平、って感じもする。言ってみれば、流され続けた膨大な血と涙であがなった地平、さ。世界は、その地平にもっともっと敬意払った方がいいと思うな。
玲奈:宗教以外にも、たとえば「特殊な文化的背景」論なども切り離した方がよくないかしら。「日本には、死んでお詫びするというメンタリティがあって」うんぬんとおっしゃる方がいますわねえ。あれも変ですわね。
麗子:ただ、問題は遺族感情というのですか、「加害者を許せない」と叫ぶ被害者遺族の気持ちですわね。これを強調されると、麗子はどう考えればいいのか当惑いたしますの。
玲奈:ええ、バダンテールも死刑廃止演説の中でそれに触れて「人間の自然な感情です」と言っていますね。そのうえで、「個人的報復を否定するのが歴史の流れ」と述べているわけですけど.……。
ばあや:そのことですけれど、お嬢様、原田正治さんという方が『弟を殺した彼と、僕』という本を出されています(2004年刊行、ポプラ社)。原田さんの弟さんはトラックの運転をしておられ、勤め先の社長・Hに保険金目当てで交通事故を装って殺されたのでございます。裁判では原田さんも証言台に立って「極刑を望みます」とおっしゃり、死刑が確定した時も「当然だ」と思われたそうです。でも、その後で拘置所から来たHの手紙を読んだりするうちに、会いたくなるのですね。直接、罵ってやりたいと思ったのだそうですが、彼が謝ってくれたことで気持ちが落ち着いた。許したわけではないけれど、直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されたと原田さんは書いておられます。面会は4回にわたり、手紙のやりとりも続きました。2001年に死刑が執行された時、原田さんは「H君(と、加害者を君づけで呼んでいる。年齢は原田さんの方が少し上)の死で、僕の彼に対する憎しみや怒りは癒されるわけではない。でも、彼ともっと交流させて欲しかった」という意味のことを原田さんは書いておられます。
ムル:ばあさん、よく知ってるじゃーん。さっすが年の功。あっ、イテテ(ばあやに耳をつねられた)。ぼうりょくはんたーい。
玲奈:原田さんという方は、死刑廃止の運動をしておられますね。アムネスティの集会などで講演なさったり。死刑は被害者遺族を置き去りにするだけ。殺人を犯した人には、生きて、償って欲しいと思っておられるようですね。
麗子:愛する人を殺されたら、感情が激している時は誰だって犯人に対して「殺してやる!」と叫ぶと思いますわ。でも加害者を殺しても、被害者と共に過ごしていた生活が戻るわけではありませんわね。加害者が死刑になって溜飲が下がったというのは、関係ない他人が言うことですわねえ。対岸の火事、の感覚で。
玲奈:溜飲が下がったというのは関係ない他人が言うことって、その通りですわ。原田さんのような被害者の遺族が死刑反対の意思表示をすると、関係ない他人から「なんで死刑にしろと言わないんだ」という脅迫のような反応がくる、という話も聞いたことがあります。そういう反応、ちょっと悲しいですね。
ばあや:ただ、さっきも玲奈さんが言われました通り、人間の復讐心をどのように解決するか、という問題はありますね。ひどい目に遭ったら、恨みを晴らしたいという。身内や友人を無惨に殺された人間が苦労して仇を討つ、加害者を殺すという話は、古今東西たくさんあります。そして、喜んで受け入れられてもいるのでございます。
ムル:父親を裏切ったオフクロとその愛人に娘が復讐をする『エレクトラ』とか、愛する男を殺された女が1人ずつ復讐していくという『黒衣の花嫁』とかさ。それから世界中の神話でもお伽噺でも……たとえば……
麗子&玲奈&ばあや:ストーップ! このバカ猫!! 華氏さんの影響か知らないけど、本の題名とかをズラズラ並べるのは止めなさい!
ムル:へいへい。今日は3人もいるから分が悪いや。おいトマ、おまえ何笑ってるんだよッ。まっ、ともかく復讐譚はほんと多いし、結構いい話的に読み継がれてもいるよね。人間の中には、ひどい目に遭った時、「恨み晴らさでおくべきか」みたいな感情があるのは確かだと思う。ましてや身内とかが殺されたりしたら……。
麗子:憎悪し、殺してやりたいと思うのは当たり前?
ムル:そういう感情はあるだろうよね。それをいいとか悪いとかは言えないさ。麗子ちゃんたちも名前聞いたことがあると思うけど、池田浩士っていうドイツ文学の研究者がいてさ。この人は死刑廃止論者なんだけど、死刑廃止委員会が編集した年報とかで、いつも言ってることがあるんだよね。
【死刑廃止を考え、また口にも出すとき、そのつど逃げることの出来ない自分自身への問いがあるとすれば、それは、おまえの大切な人を無惨に殺害した犯人が死刑になる時も、おまえはそれに反対するか――という問いかも知れない】(上記年報2005年版・インパクト出版会刊行)
ほんと……軽く答えることはできない問いだよね。おいらだって、たとえば愛している猫がおもしろ半分に人間に殺されたりしたら――と思うとゾッとするさ。随分前だけどね、おいらの友達の子供が浚われて、化粧品会社だか薬品会社だかの実験に使われて死んだことがある。その時おいらの友達は、一生許さない、(実験に携わった人間達を)殺してやりたい、と叫んで血のような涙を流し続けた……。わかるんだよ。憎悪で身を焼かれるような、その気持ち。たださあ……復讐心を心ゆくまで満足させることに合意したら、ヴァンデッタの世界になるじゃん。
玲奈:『Vフォー・ヴァンデッタ』?
ムル:それは映画!! おいらが言ってるのは、一族同士が何代もにわたって、血で血を洗う復讐を続けるというやつ。むかしコルシカ島にあったものとか聞いたことがあるけど、なーに、何処の国だって多かれ少なかれそういうものはあったと思うよ。父親を殺された息子なり娘なりが、相手を殺す。次はその子供達に殺される……。憎しみの連鎖、ってやつだよなあ。そういう連鎖を断ち切るために、人間は必死で宗教とか哲学とかをこね回してるんだと思うけどな。
麗子:個人の復讐は禁じた社会でも、「代わりに法の下で復讐してもらう」制度は残りましたのよね。永遠の報復合戦にピリオドを打つための方策、という方もおられますわね。
トマ:ねえねえ、個人的復讐の代替、って考え方はおかしくない? 復讐心は感情の問題だもん。法律にはなじまないよ……。
麗子:そうね。報復感情や憎悪や、人を差別する心や……みんな、私達がひとりひとり苦しみながら解決していかなければいけないんですわ。
玲奈:感情と言えば……とむ丸ちゃんのママさんが、「死の囲い込み」というお話をしてくださいました。カミュのお父さんがギロチンによる処刑を目撃した後、家に帰って激しく嘔吐したことなどを話され、「いま、処刑が目の前でおこなわれたら、私達の感性はどれだけ耐えられるでしょうか」って言っておられましたわ。公開されないから、私達は考えずにおれるのだと。
ムル:非公開性の問題だけど……日本でも、明治になるまでは死刑が公開されていたよね。むろん全部の死刑がじゃないけど。市中引き回しをして、河原で首斬ったりさ。キリシタンの磔なんかも公開されててさ。残虐な刑を見せることで「おまえらも犯罪を犯すと(おかみに逆らうと)こうなるぞ」と脅しつけたわけ。何処の国でも同じだけど。それを見て、カミュのお父さんみたいに耐えられない思いを抱く人もいただろうけど、その一方で、素敵な見せ物みたいに喜んでた人々もいると思うんだ。ほら、昔は村とか小さな集団の「私刑」ってのがあったじゃない。重大な犯罪じゃなくても、たとえば物を盗んだとか放火したとか姦通したとか……集団のモラルやルールに違反した人間を、生き埋めにしたり、村はずれの丘でしばり首にしたりさ。それを嬉々としてやった人々がいて、さらにその何倍何十倍も、ワクワクしながら見ていた人々がいるわけでね。彼らだって、今の麗子ちゃんたちと違う人間だってわけじゃないんだぜ。死刑を公開したとするじゃん? そしたら、それを楽しむ連中がいる……と言うよか、楽しんでしまうものが誰の心の底にも潜んでるんじゃないかとおいらは思う。実際に首を斬る役目の人は別としてさ、見ているだけの方は、自分が手を汚すわけじゃあないもん。今この瞬間だって、ネット上に残虐な写真が流され、それにアクセスして興奮する人間がいる。強姦願望を持つ人間や、単なる好奇心で人を殺してみたいという人間もいる……。
麗子:人間の中には、そういう残虐性もあるんだと言いたいわけですの?
ムル:うん。死刑の公開は、そういう残虐性をエスカレートさせてしまう危険性もないじゃない。むろん、近代以降多くの国で死刑が非公開になったのは別の理由だけどさ。とむ丸ちゃんのママも言ってるように「臭いものにフタ」って感じで隠してるわけだけどね。善良な庶民の皆さんには関係ありませんよって。市民の目から隠すのは、多くの人が近代以前のように「おかみの言われることは何でも正しい」とは思わなくなってるからかも。「おかみ絶対」じゃあない場合は、「見せしめ」のつもりで見せたものが逆の効果を生みかねないからね。ま、処刑の公開は国家の側にも市民の側にもリスクがあるということさ。ただ、さっき言った残虐性のことは、麗子ちゃんたちにも考えて欲しいんだ。自分の中のそれと向き合って、その上でひとりひとりがそれを昇華して欲しいんだよね。さもなきゃ戦争の放棄や死刑の廃止をしても、いつかまた、何かでうまく刺激されて「あいつを殺せ」の声が復活する危険性が残ると思うんだよな。
玲奈:うーん、バダンテール演説を読んで、死刑のない期間は殺人発生件数が減っていたということを知って、死刑という制度が人間の残虐性を拡大しているんじゃないかと私は思いました。
ムル:むろん、そういう面もあると思うさ。ただ、もともと存在しないものならば、刺激されも拡大されもするわきゃあない。
麗子:人間の残虐性……そんなものの存在など信じたくありませんけれど、あるんでしょうね……。
ムル:おいらみたいなご意見無用の野良猫が言うのは変だけどさ……人間てほんと、どっちに転ぶかわからない、危うーい生き物だと思うんだよな。自分の中にある衝動みたいなものをきちんと分析して、それを乗り越える哲学を持てるかどうか。それが人間が崇高な存在でいられるかどうかの境目だと思うけどね。あっ、哲学なんて言ったけどさぁ、カントが、サルトルが、ラカンが、なんてこと言ってるわけじゃあねぇよ(そうい言えばカントの死刑肯定論は有名だけどさぁ、彼の論理を突き詰めれば究極のところ、ぐるっと回って死刑否定論と重なったりするんだよな)。もっと……何というか、素朴な……生き物の倫理、みたいなものかな。そんな、むつかしく考えるようなことじゃないと思うんだよな……。
ばあや:日が傾いてまいりましたよ。お嬢様、玲奈様、そろそろお戻りになりませんと……。
麗子:そうね。じゃ、失礼しましょうか。
ムル:名残惜しいけどさー、泊まってもらうわけにもいかないし、じゃあこの辺でね。次も何処かに行くの?
麗子:ええ。ぷらさんのお宅にお邪魔しようかしらって。
ムル:ああ……あの人は感覚の鋭い人だからね。全く違う角度から、普通はなかなか気がつかないことをしゃべりまくってくれると思うぜ。華氏なんぞに会ってゴタク聞くより、ずっとおもしろいはずさ。こんなこと言うのはシャクだけどよ、華氏にしてもおいらにしても、所詮は小理屈をこね回してるだけさ。生半可な知識だの理屈なんざ弱いもんで、ひょんなことですぐコロッとひっくり返る。最後まで残るのは感性だけだって……いや、これは華氏がいつも言ってることだけどね。
トマ:(最後のクッキーのカケラを慌てて飲み込みながら)ばいばーい。また来てね。
麗子&玲奈&ばあや:(もう来るか、こんなとこ)










>人間てほんと、どっちに転ぶかわからない、危うーい生き物だと思う
というのに同感します。でも、その危ういところを克服する力も持っている、と考えたい。
死刑の復活と全体主義の復活が軌を一にした、というのは、私にとって新たな指摘で、とても頷けました。
なるほど。
中華思想もそれに似てますね。
敵は子孫を全て根絶やしにしなきゃならんってやつ。
>人間の残虐性……そんなものの存在など信じたくありませんけれど、あるんでしょうね……。
>強姦願望を持つ人間や、単なる好奇心で人を殺してみたいという人間もいる……。
俺はバリバリ持ってますね、正直な話。
そういう禍々しい欲望なんて誰でも持ってるでしょうから。
寧ろ人間は残虐であるからこそ、他の生物とは違うのかもしれませんね。
もちろん、それを理性で押しとどめるのも人間ですけど。
日本になんで死刑制度が無いかご存知無い人って沢山いるんですよねー
日本の懲役は最高二十年。
これは何処の世界を見てもびっくりなほど短い。
無期懲役と言っても、何も問題を起こさねば殺人犯でも十年程度で出所できる国。
窃盗などでも初犯なら執行猶予付きというのもかなり多い。
現に中国からの犯罪者で「中国での生活よりも楽」って奴が多い。
死刑をなくすなら、先ず無期懲役を廃止。
さらに懲役刑の増加及び、終身刑の設立が必要ですかねぇ。
まぁ刑に触れる内容については議論は徹底されなければなりませんけど、刑が重いとかどうこうなんていう以前に一言ですかね。
犯罪やんなきゃそれでいいじゃん。
>俺はバリバリ持ってますね、正直な話。
>そういう禍々しい欲望なんて誰でも持ってるでしょうから。
>もちろん、それを理性で押しとどめるのも人間ですけど。
彼に理性があることを彼と周囲の人たちのために心から祈っています。
このエントリーで触れている、死刑の本質的な問題には一切久々さんからのコメントがなかったのがちょっと残念です。コメントつけにくかったかな?
>自由の国ではほとんどあらゆる所で、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されています。世界のこの色分けは単純な偶然の一致ではなく、ひとつの相関関係を表しているのです
>国家は市民の命を奪うところまで、市民を意のままにする権利を持っている。――死刑はそういう考え方に由来しているのであり、ここに死刑の本当の政治的な意味がある
私についていえば、このエントリーに参加して、ここの部分を読めてよかったと思っています。
私はこう思うのです。
法とは「他者の人権を侵害した場合のみ、その侵害を行った人物の人権を侵害することが出来る」と言うことではないのでしょうか?
人権侵害は基本的に【悪】です。ですから国家や法といえども、刑罰が悪であることの本質は変わらないわけです。ですから刑罰は犯罪者が他者の人権を侵害しないような処置にしか過ぎないのではないでしょうか?そうでなくては【法】の正当性を失ってしまいます。決して法は被害者の復讐代行システムであってはならないと思います。
このように考えると、犯罪者を殺す、と言う行為になんら必然性がないのです。つまり国家権力には人間を殺す権利はないのです(これは亀井静香氏の廃止論にも通じると思います)。法が殺人を否定しているのにその法が殺人を犯すのは大いなる矛盾なのです。
そればかりかそのことにより真相は闇の中となってしまうことはオームの麻原の例をとってもよくわかると思います。
少し考えて見ましょう、死刑以外の刑罰で法が否定している行為を法自身が行っているのは【監禁】だけなのです。この【監禁】には必然性があります。他者の安全のためです。
もう、十年近く前になるでしょうか?池袋の通り魔殺人事件の被害者の家族(当時中学生と高校生の兄弟)の「死刑廃止論の批判ページ」が開設され話題になったことがあります。被害者の感情はよくわかります。彼等の前で私も一言も発言することは出来ませんでした。しかし、敵討ち、は周囲の人間は何とかそれを止めさせるべきであると同様に、死刑(法)は復讐代行システムであってはならない、と私ごときは考えるわけです(^^ゞ
何か都合の良い方向にをあっさりと解釈されていますが、
キリスト教の「汝の敵を愛せよ」という教えと死刑廃止の関連性は無いんですかね?
キリスト教ほどの巨大宗教なら、その中に例外的な死刑賛成の人や宗派がいるのは当たり前のことだと思います。
反例を示すことに説得力は無いです。
>自分の中のそれと向き合って、その上でひとりひとりがそれを昇華して欲しいんだよね。
死刑の残酷性を非公開性の問題に絡めて強調されていますが、犯した犯罪の残虐性に言及しないのはおかしいと思います。
犯した犯罪の残虐性に対してもキチンと向き合ってくださいね。
なんか死刑の残酷性にしか目を向けてない議論に見えます。
こんな美味しい所だけつまみ食いの論ではなく、本当に死刑制度の是非について真正面から向き合った論ってないんですかね?
知ってたら誰か教えて下さい。
結局は「汝の敵を愛せるか?」ってことになるのかな?
何が矛盾なのか分かりません。
【監禁】を禁じている法律で犯罪者を【監禁】する矛盾を許容できるのはなぜ?
法律はルールであり、刑罰はルール違反に対するペナルテイである。
ルールで禁じていることをペナルティとして科すことに何の矛盾があるんでしょうか?
ペナルティの内容がルール以前の問題として(思想、文化、宗教、etc.)不適切だというのであれば分かりますが。。。
ちなみに「ペナルティ≠復讐の代行」です。
犯した犯罪の残虐性に対してもキチンと向き合ってくださいね。
華氏さんは(私も)、多くの凶悪犯の弁護士をつとめたロベール・バダンテール氏の死刑廃止演説を全文、そして、同氏の著書「そして、死刑は廃止された」(作品社)も読んでいらっしゃいます。この二つは、犯罪と死刑について深くかかわりを持ち、犯罪の残虐さと被害者と加害者の不幸にいやというほど真正面から向き合った人の死刑廃止論です。ここにコメントをいただいたのもなにかの縁です。もしご存知でなければ、ぜひお読みいただきたいと思います。(演説の訳はいずれ公開の予定です。)
したがって、華氏さんと私(このエントリーに参加した者として)が犯罪の残虐性に向き合っていないというのは残念ながら当たっておりません。そのことにこのエントリーで言及していないからといってそのことを無視しているわけではありません。
ところで、みみかきさんもわざわざコメント欄においでいただきましたので、以下の引用部に向き合って意見をおうかがいできれば幸いです。
>自由の国ではほとんどあらゆる所で、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されています。世界のこの色分けは単純な偶然の一致ではなく、ひとつの相関関係を表しているのです
>国家は市民の命を奪うところまで、市民を意のままにする権利を持っている。――死刑はそういう考え方に由来しているのであり、ここに死刑の本当の政治的な意味がある
行くとこ行くとこでそれぞれその場の会話があって楽しいですね。
> 「なんでまだ、死刑なんていう前時代的な変なものがあるの?」という問い掛け
ホント、大事だと思います。「これこれの犯罪に対して、私は死刑しかないと思いますよ」と言う人もいるのですが、それはむち打ち刑のある国で、一定の犯罪に対してその国の人だけが「むち打ち刑しかないじゃないですか」といっているのと同じです。
「テロ」事件をあげる人がいたりしますが、ロシアの劇場占拠で多数の死者が出た事件でも死刑は求刑されませんでした。ロシアが文明国の仲間入りしたいという意思を明確にしたといえます。「死刑しかない」犯罪なんて、ないと思いますね。
>残虐心とか
そりゃぁ銃で人を撃ってみたいとか、あいつをバラバラにして殺してやりたいなんて、心の隅で思うことなんてたいていの人間はあるのでは?
溶鉱炉の側とかビルの屋上とかから「ここに飛び込んだらごうなるんだろう」とか。
ま、そういう事を思うことは結構あります。
けど、考えることと実際にやることは違います。
官能小説を好む人が強姦しますか?
猟奇小説を好む人が残虐な殺人をしますか?
それと同じことです。
>死刑
俺はバリバリ賛成ってこと前に言いませんでしたっけ?
殺人、強姦、麻薬売買、誘拐。
この辺は特殊な事情(もう生きる金すらないとか)じゃなく、ただの遊ぶ金欲しさとかそういうのなら、死刑でよし。
それが嫌なら犯罪すんな。
このくらいまでやってもいいかも。
http://d.hatena.ne.jp/torix/20060520
>とほほ氏
でも日本では二十年しか刑務所にぶち込むことはできませんです。
現に酒鬼薔薇は今弁護士になってますからね。
死刑ができんのならとっとと終身刑設立までいかないと。
そもそも懲役の問題としても
・刑務所がそろそろ満杯
・新しく刑務所建てるも、囚人を養うのも税金
・三食寝床付きで、場所によっては冷暖房完備。ホームレスがごった返してる世の中なのに。
・それで公正するのならともかく、再犯するやつがかなりいる。
luxemburg氏
これを読んでもそう言える?
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/780846.html
てか犯罪しなきゃいいじゃん。
ルールを破るってことは、それに値するリスクを持ってるんだから。
犯罪しなきゃいけないほど生活が追い詰められてるってわけじゃないんだから。
>俺はバリバリ賛成ってこと前に言いませんでしたっけ?
ひとこと申し上げておきますが、ここは私の(しょーもないブログであろうとなかろうと)ブログのコメント欄です。貴君用の掲示板ではありません。私の所にコメントを書いて下さる方たちは、貴君の意見を聞くために常駐しておられるわけではありません。
貴君が死刑存続論を述べられた記憶はありますが、管理人の私でさえ「そう言えば……」という程度。ましてやコメンテーターの方に「言いませんでしたっけ?」とおっしゃるのは、ちょっと場が違うのではありませんか(本来なら削除したいところですが、こういうことはご遠慮いただきたいという見本として残しておきます)。管理人である私でも、記事に「以前も言ったでしょう」などとは書きませんよ(そういう意味のことを言う場合は、前の記事にリンクを貼ります)。その1回だけ、覗いて下さったという方もありますからね。
どなたであれ、私が書き足りなかったところを補強すべく論を展開してくださったり、きちんとした反論を述べて下さるのは大歓迎ですが、「ご自分用の常設掲示板」のように使われるのはご遠慮いただきたい。何度も言いますように、持論の展開はなるべくご自分のブログで(お持ちでなければブログなり何なりの開設を)。
さて、劇場占拠事件ですが、新聞によると
「子どもら300人以上が殺害された事件の重大さから極刑を望む世論も強かったが、96年の欧州会議加盟を機会にロシアは死刑執行を凍結しており、判決も欧州との関係を配慮した形だ。」
これが「死刑でなければならない犯罪はない」という現実です。理解できない方からは、欧州の天地は複雑怪奇かもしれません。実は私自身この現実に戸惑いを感じます。
> 犯罪しなければいいじゃん
私たちは、犯罪に対する反動もしくは応報や措置を論じています。あなたの議論は病気に対する処方が問題になっているときに、「病気しなきゃいいじゃん」と言うにひとしいですね。こういう議論の前提を欠いたコメントは、よく言って「まぜっかえし」、私のブログの基準では「荒らし」です。
あなたの書き込みを見るたびに、華氏さんの寛容さに驚き、どんな方なのかの興味が尽きません。おそらく寝坊だろうとは想像しています。
いえ、村野瀬玲奈氏との議論との中で言った覚えがあったのですが……(たしかその発言に対して返信もきてた覚えが)
とりあえずすみませんでした。
uxemburg氏
>横槍
俺の行ってるブログは大体がこういう感じなので、そのような感覚でやってしまいました。
気分を害したらすみません。
>リンク先
こういう公正不可能と思える人はどうすべきなのでしょうか?
>劇場占拠
ロシアはロシア。日本は日本。
ロシアみたいに刑務所満杯になったりとかしてもいいなら。
しかもその国はその分刑期が長い。
先ずそっちが優先されるべきでは?
>私たちは、犯罪に対する反動もしくは応報や措置を論じています。あなたの議論は病気に対する処方が問題になっているときに、「病気しなきゃいいじゃん」と言うにひとしいですね。
はぁ?
病気の人は「病気になろう」ってなるわけじゃないでしょう。
犯罪者は「犯罪やろう」ってやってるんですから。
犯罪には選択の自由があり、犯罪を選んだ場合はそれなりのリスクを負う。
病気は悪いことをしていないし、他人に故意に迷惑をかけているわけでもない。
犯罪は故意に他人への人権を侵害してる。
もはや、先進国でそう考えるのは日本とアメリカの半分ほどだけです。中国か北朝鮮に行けばあなたの考えは常識でしょう。
> ロシアはロシア。日本は日本
死刑廃止を考えるときはその国の法制度を前提としないで何が妥当かを考える必要がありますが、あなたの思考はハムスターの遊具のようなもので同じところを回っているのでしょうね。
> 病気の人は「病気になろう」ってなるわけじゃない
「たとえ」というのは「同じ」といってるのではないんですよ。AはBのようなものだというときはAとBは似ているけど違うところはあるんです。「たとえ」というものの構造を理解するのはちょっと難しかったかもしれませんね。
このたとえで大事なことは事前か事後かというところです。ある事実に対処しようという会議をしているときに、そもそもその事実がなければよかったんだと発言しているようでは、いずれクビですよ。生じないように対策をどう立てるかを同時に考えるのはいいですけどね。事前を語るにしても、あなたのような完全自由意思論で通用したのはフォイエルバッハ(心理的強制説の人のほうです)の時代までです。
まあ、話しても時間の無駄のようですね。今後お答えすることも、というか読むこともないでしょう。
他人事のように言って申し訳ないんですが、久々氏は試金石だと思うのです。ですから...、
さて、久々氏。
ご紹介の記事、覗いてみました。
私も犯人に対しては非常に強い憤りを感じます。こんな輩、死刑になって当然! という感情に全く共感できないとは申しません。 ただ、手放しでは共感できない「何か」もあるんです。
そしてその「何か」が、久々氏と犯人とから似たような波長を感じ取ります。
遺族はしばしば犯人に対して謝罪を求めます。死刑が課されることを望みながらも、謝罪を求めたりする。これは一見、矛盾した態度だと思いませんか? 殺せ!ということは、突き放したということでしょう? にもかかわらず、謝罪を求めて繋がろうとする。 私はどちらも本当の感情だと思っています。尋常ならざる体験で、突き放す感情が沸き起こる。でも、正常な部分も残っていて、そこが謝罪を求めて繋がろうとする。そんな風に解釈しています。
で、かの犯人の態度ですが、これはそんな「繋がる心」を踏みにじったものですよね。誰だって、心を踏みにじられたら怒ります。
事の重大性において久々氏と犯人は比較になりませんが、やっていることは「繋がる心を踏みにじる」こと、ではありませんか? ここに集う皆さんは、皆「繋がる心」を持っている人たちです。そういった人たちの繋がりをあなたは切断しようとしている。久々氏の意見がそうだというのではないですよ。違う意見の人を頭から排除しようとする人たちではないことくらい、理解できるでしょう? 問題は繋がろうとするか、否か、です。
でも私は久々氏が、100%、繋がりを切ろうとする人だとも思えない。その証拠に、いまだにココにコメントし、場合によっては謝罪もする。繋がろうとする心はあるはずなんです。
貧しい家庭の母親が小豆を盗んで病気の子供に「あかまんま」を作ってやるんです。子供が「あかまんま」が食べたいって言うものですから。その罪で母親は「人柱の刑」を受け、氾濫を起こす川の橋脚にくくりつけられて殺されるのです。
とても怖かったのです。残虐な犯罪は勿論怖いです。でも、それより怖いのは、人間です。十代の終わり頃、浅間山荘事件がありました。集団にせよ、国家にせよその中に帰属したことでその中のルールに縛られ、命まで支配される。
ブラッドベリが言っているのはそんなことではないのかなと思いました。
人が人を裁くより以前に、人間の残虐性が私は怖いです。
>自由の国ではほとんどあらゆる所で、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されています。世界のこの色分けは単純な偶然の一致ではなく、ひとつの相関関係を表しているのです
上記についてですが、これが死刑廃止論を読むたびに失望する点です。
死刑制度の是非を問うことと上記のような話は本質を外れていると思えてなりません。
自由の国(先進国かつ民主主義国って意味?)が死刑廃止って本当でしょうか。
アメリカの一部の州や台湾やシンガポールに自由は無いってことですか?
死刑廃止がキリスト教的思想と無関係ということを一部の例外を述べることで証明できるのであれば、
自由の国でも死刑制度は成立しうることは上記の反例で既に証明済みではないですか?
こんな論に何の意味があるんでしょうか?僕には理解できません。
死刑廃止国にも、存置国にも、それ相応の思想や信条があっての制度でしょう。
それがキリスト教的思想やその他の思想に依拠しているのであれば、僕は彼ら廃止国の判断を尊重します。
自分の考えを広げるためにも、彼らの信条をもっと深く理解してみたいと思います。
ですが、ここで論じられていることは「宗教や文化なんて関係ない」「先進国は廃止しているから」
「死刑廃止=進歩的」、何の意味も感じません。
日本人は何も考えずに死刑制度を容認している訳ではないと思うし、日本人の思想、信条が自由を阻害する
後進的なものだとも思いません。
少なくとも近年の日本では政治犯を死刑にしたり、国家権力の都合で死刑が実施されたりしたことは
無いと信じています。(僕がナイーブ過ぎるかもしれない可能性は否定しません。)
死刑は単なる制度であり、制度を慎重に運用する仕組みは日本でも機能していると思います。
>国家は市民の命を奪うところまで、市民を意のままにする権利を持っている。――死刑はそういう考え方に由来しているのであり、ここに死刑の本当の政治的な意味がある
これは単に制度の運用の問題だと思います。
非人道独裁国家なら適当な犯罪をでっち上げて逮捕して軟禁なんてこと平気でするでしょう。
となると刑罰制度自体が政治的な考えに由来している可能性は無いのでしょうか?
死刑制度だけ特別に政治的な意味がこめられていると判断する理由は何なんでしょうか?
「凶悪な犯罪者の極一部の命を奪う→善良な大多数の市民を意のままにする」この間の論理展開に飛躍が
ありすぎるのでは無いでしょうか?
論理世界と違って現実世界においては風は吹いても桶屋はたいして儲からないと思います。
最後に、他国がどうだとか、犯罪抑止効果がどうだとか、法律の矛盾がどうだなんて枝葉の議論だと思います。
枝葉の都合の良い部分だけ切り取って論を展開しても説得力は無いと思います。
なぜ死刑制度を廃止しなければならないのか。
仮に「どんな理由であれ例え凶悪殺人者であっても人の命を奪うことはできない。」という考えならば、
その犯罪者が奪った命についても言及するべきです。
そして、この点をどのようにクリアして(しなくても良いけど、クリアにできない事は表明すべきでしょ。)
いるかを合わせて論じなければ、片手落ちと見られてもしかないのではありませんか?
本エントリが「軽いノリでオチャラケ漫才風に死刑廃止論を紹介してみました。」
という趣旨のエントリでしたら、すいません、空気を読めないヤツだと笑ってください。
無粋なコメントをして申しわけありません。>廃止論者の方々
紹介された「そして、死刑は廃止された」については、僕の求める本質に触れていそうに思えましたので、
探して読んでみます。(Amazonにはユーズドしかないですね。。。)
ご紹介ありがとうございます。
B:理由があれば人を殺してもよいが、また自分は殺してしまうかもしれないが、国は人を殺しはならない。
C:自分は殺すことはないが、理由があれば人を殺しても良いので、国は人を殺してもよい。
D:自分は殺すことはないが、理由があれば人を殺してもよい。だが国は人を殺してはならない。
E:いかなることがあろうとも人は殺してはならないし、自分が殺すこともないが、国は人を殺してもよい。
F:いかなることがあろうとも人は殺してはならないし、自分が殺すこともないので、国は人を殺してはならない。
G:自分は殺すかもしれないが、いかなることがあっても人を殺してはならない。だが国は人を殺してもよい。
H:自分は殺すかもしれないが、いかなることがあっても人を殺してはならないので、国は人を殺してもよい。
皆さん、どれですか?
自分のところでやれ、って華氏さんに叱られそう。
ところでBの質問、テニオハがおかしいですね。
殺してもよいが → 殺してもよいし
上
おk。
じゃぁ先進国は軍備を持ってるから、日本も持とうか?
核も持つ?
中
>死刑廃止を考えるときはその国の法制度を前提としないで何が妥当かを考える必要がありますが、あなたの思考はハムスターの遊具のようなもので同じところを回っているのでしょうね
その国によって犯罪の質、再犯率とか違うしなー。
ひとくくりにして全部ダメってのはどうかと思う。
そもそも中国とか北朝鮮から「本国で犯罪するよりも日本で犯罪する方が罪が軽い」っている奴らが犯罪やりに来るってのも少なくない。
その状況下で死刑廃止ですか。
下
だから犯罪に対するリスクが高ければ、それだけ犯罪をしようという気はおこらないでしょう。
愚樵氏
>でも私は久々氏が、100%、繋がりを切ろうとする人だとも思えない。その証拠に、いまだにココにコメントし、場合によっては謝罪もする。繋がろうとする心はあるはずなんです。
犯罪と意見とは違うかと。
私の場合は、「謝罪などいらん。殺せ」って思う人間ですから。
被害者の遺族らは、内心そう思ってても、死ぬ間際くらい自分の罪を認めたらどうだ、と思うのではないでしょうか。
>質問
ちょっと助詞とかが読みにくいのですが……
Aですかね。
世の中には「腐りきった、どうしようもない人間」っていますし。
>本エントリが「軽いノリでオチャラケ漫才風に死刑廃止論を紹介してみました。」という趣旨のエントリでしたら、すいません
オチャレケで書いたふうに読めたとしたら、私の力量不足です。我ながら、まことになさけない。
死刑について語るなら、問題のすべてを網羅し、ひとつひとつに関してきちんと意見なりを書くべきであるかも知れません。しかし何万字もの記事にする時間的余裕はなく、第一、そんなもの読んでくれと言っても誰も読む気になれないでしょう。私はいくつかの問題や自分自身の考えていることの断片を、メモのように書き記して公開しているに過ぎません。これをひとつの手掛かりにして、共に考えていただければ――という気持ちです。
>「凶悪な犯罪者の極一部の命を奪う→善良な大多数の市民を意のままにする」この間の論理展開に飛躍がありすぎるのでは無いでしょうか?
そうでしょうか。私は死刑という制度は、「国家に、国民の命まで奪う権利を与える」ものだと思っています。それを是とするか非とするか、という問題だと思いますが。「死刑を廃止した国は、イコール文明国である」とは私自身は思いません。文明という言葉自体、難しいものがありますし。ただ、人間の社会は、「悪いことをした奴は抹殺すればいい。それで万事解決」という考え方を否定する方向で進んできたのではないか、という気はしています。
>刑罰制度自体が政治的な考えに由来している可能性は無いのでしょうか?
むろん「ある」と思います。死刑制度だけに、政治的な意味合いがあるわけではありません。ただ死刑というのは決定的に不可逆な刑罰。その意味で非常に特殊なものだとも思います。
いうまでもなく慣例とは未知なるものとか、実行しがたいものからなる底深き深淵の上に長い年月をかけて張り巡らせてきた人間の英知の糸とも言うべきものである。それなくして社会は存立できず、さらに言えば、個々の人間においても、それはそれで己の内部に狂人を閉じ込め居る存在と規定するならば、かろうじてそれを外部に噴出するを防止しているのは、法律などでは断じてなく、この慣習であるのに気づくのだから。
所謂革新派は、人を悪くするのは「制度」であってこの「制度」を改革すれば人はみな善意の塊として生きていけるというが、諸「制度」を単に合理的に整えれば、人は皆幸せになれるのか、という問いをもう一度考える必要はないのか。
そもそも、犯罪者が犯罪者になってしまったのに、社会の責任を感じないのでしょうか?小林にしても宅間にしても、あのような歪んだ性格にさせてしまったのはなぜなのか?その責任は、我々自身の社会にあるのではないですか?
犯罪者は、最初から犯罪者だったわけではないのです。
それなのに、凶悪な事件の罪を犯罪者にのみかぶせ、それを社会的に抹殺することで決着を付ける。これが本当の解決だとは私にはとても思えないし、我々にそんな資格はないと信ずる。
そんなだから、いつまで経っても「我々」は、犯罪者の再生産を繰り返す。
私が一番言いたいのは、自分がもし、小林や宅間のような境遇に生まれ育ったら、やはり彼らと同じような犯罪を犯してしまうかもしれないと感じられるか、という事だ。
そうはならないと断言できる自信は、少なくとも私にはない。
つまり、犯罪者は我々の社会自身が生んだものと考えるなら、彼らを死刑にしたところで、何も解決しないのは明白だ。社会が、彼らを教訓として生かし、彼らから学ぶ事なしに、彼らを生み出した社会が犠牲者に対する持つ罪を償うことなどできない。
>私が一番言いたいのは、自分がもし、小林や宅間のような境遇に生まれ育ったら、やはり彼らと同じような犯罪を犯してしまうかもしれないと感じられるか、という事だ。
その点を考慮するために裁判所があるんでしょう?
>社会が、彼らを教訓として生かし、彼らから学ぶ事なしに、彼らを生み出した社会が犠牲者に対する持つ罪を償うことなどできない。
そこを判断するのは司法の仕事であって、立法の仕事ではないのでは?
生かすことでどうして教訓になるのか教えていただきたいのですが……
俺は「罪を犯すと、殺されちゃうんだよ」とかの方がもっと効果的かと。
今の時代、反政府で死刑なんてありませんし。
>それなのに、凶悪な事件の罪を犯罪者にのみかぶせ、それを社会的に抹殺することで決着を付ける。これが本当の解決だとは私にはとても思えないし、我々にそんな資格はないと信ずる。
まぁ初犯なら、その論理も通りますね。
けど、二回も三回も逮捕されている連中に、公正の可能性があると思っているのでしょうか?
現に、小林薫も再犯。
>そんなだから、いつまで経っても「我々」は、犯罪者の再生産を繰り返す。
フィリピンでは激減させてますが。
http://d.hatena.ne.jp/torix/20060520
もちろん、日本に必ずしも当てはまるとは言えませんけど、死刑があるからと言って再生産するとは限りませんがな。
私のコメントに反論にもならん駄文を返さんでくれたまえ。
そもそも、あなたに向かってコメントを言ってるんじゃないんだからね。自分の持論を展開したいなら自分のブログにでもすきなだけ書けばよい。
> その点を考慮するために裁判所があるんでしょう?
裁判所は社会の罪を裁くところかね?
裁判所で裁けない罪を問題にしていることすら読み取れないんだね。
> まぁ初犯なら、その論理も通りますね。
これで反論のつもり?犯罪者が反省するかどうかなんて問題にしていないのが分からんのかね?そういう犯罪者を社会が作ってしまったことを問題にしてるのが分からんのかね?
もともと、君に私の言うことが分かるなどと最初から期待していない。分かりもしないのに下らんコメントをしないでくれたまえ。
これを書いてるムダな時間が本当に勿体無い。
> 核も持つ?
「猿マネ」しか想像できないみたいですね。被害者への補償、刑務所出所後のケアなど犯罪に対して向き合う動きの中でそういう考え方が克服されてきているわけです。人間ですから、まねするのはそういうことですね。
大体日本は立派な軍備を持ってますね。その上、「先進国は核をもつ」っていえますか?
> その国によって犯罪の質、再犯率とか違うしなー。
いやいや、「ロシアはロシア、日本は日本」というところで思考が止まってるでしょ、と言ってるのです。再犯率が、とかいうなら「ロシアはこうだから、こう日本とは違う」という議論すべきですね。どうせそのあとの議論が展開できないなら止まったままですが。
> そもそも中国とか北朝鮮から「本国で犯罪するよりも日本で犯罪する方が罪が軽い」っている奴らが犯罪やりに来るってのも少なくない。
> その状況下で死刑廃止ですか。
金があるところにくるだけでしょう。犯罪者の多くは何を都合のいいことを考えてるのか知らないけど、どこか根拠なしに「つかまらない」と言う心理と言いますね。リスク判断の問題だとしてもつかまったときのことを考えてくるやつというのはほとんどいないでしょうね。作り話ですね?
>だから犯罪に対するリスクが高ければ、それだけ犯罪をしようという気はおこらないでしょう。
どれだけつかまるか、という検挙率の問題ですね。死刑とはつながらないですね。死刑が抑止力になるというはっきりとしたデータでもあるなら別ですけどね。残念ながら下がっているというデータのほうが多いです。
そこまで無理して死刑にしたい情念だけはほめてあげたいです。
>裁判所で裁けない罪を問題にしていることすら読み取れないんだね。
だから、本人の意思じゃなく、社会にも責任がある場合には、その分を考慮して罪が軽減されるんですよ。
>犯罪者が反省するかどうかなんて問題にしていないのが分からんのかね?そういう犯罪者を社会が作ってしまったことを問題にしてるのが分からんのかね?
逆に問う。
社会に原因が無い犯罪って何?
そんなことを問題にすべきことか?
> 「猿マネ」しか想像できないみたいですね。被害者への補償、刑務所出所後のケアなど犯罪に対して向き合う動きの中でそういう考え方が克服されてきているわけです。人間ですから、まねするのはそういうことですね。
だって日本の政治家ってサル真似しかせんし。
克服できてる?
それなのに再犯率とかそこまで下がってませんけど。
>大体日本は立派な軍備を持ってますね。その上、「先進国は核をもつ」っていえますか?
軍備と言う割りには敵地攻撃用のものが無いんですけどね。
核だって、先進国どころか途上国で持ってる国もありますし。
>いやいや、「ロシアはロシア、日本は日本」というところで思考が止まってるでしょ、と言ってるのです。再犯率が、とかいうなら「ロシアはこうだから、こう日本とは違う」という議論すべきですね。どうせそのあとの議論が展開できないなら止まったままですが。
>リスク判断の問題だとしてもつかまったときのことを考えてくるやつというのはほとんどいないでしょうね。作り話ですね?
「日本の刑務所、中国生活より楽」=外国人被疑者、刑罰恐れず〓警察白書
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200309291501.html
外国人の犯罪率も異常です。
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hitori040506.htm
ロシアには外からの脅威はありませんからね。
>死刑が抑止力になるというはっきりとしたデータでもあるなら別ですけどね。
あれ?さっきフィリピンの例出さなかったっけ?
アメリカでも一時期実質的に死刑廃止状態&早期の仮釈放やったら犯罪率が急増したけど。
そもそも、日本の刑罰では最大で20年しか懲役がない。
死刑を廃止にするなら、その代わりに終身刑や刑期の増加をするべき。
けど、その犯罪者を養うのは国民の税金ってことを忘れないでほしいかな。
あと例に出したロシアだが、刑務所が既に満杯状態だそうだ。
歌の大会で一位になった奴は出所できるってイベントが開催されたりもしたっけな。
> >裁判所で裁けない罪を問題にしていることすら読み取れないんだね。
> だから、本人の意思じゃなく、社会にも責任がある場合には、その分を考慮して罪が軽減されるんですよ。
その実例を挙げて証明してね。宅間や小林を生んだ社会の責任が、どう裁かれたのか、そこまで言うなら証明出来るんでしょうね。楽しみです。
「社会の罪を裁く」と俺がいつ書いた?
幻覚?
裁判所の出した結論は
被害−社会の罪>死刑の値
ってことだろ。
罪が軽減された例ね。
酒鬼薔薇とかがいい例だろ。
あいつは殆どが社会の罪ってことになって軽い罪で許され、なんと現在弁護士生活やってんだし。
(ちなみに被害者の母親は記憶喪失)
しかも父親は自分の息子の私立大、大学院への学費を払ってるくせに被害者への賠償はしてない。
さらに被害者に対して謝罪とか墓参りどころか逆に罵倒してますがな。
こういう奴が社会復帰して戻ってくるんだからなぁ。
社会復帰はもちろんごめんだが、こいつを終身刑にして三度の飯とか風呂とかを税金で支払うってのも腹立たしいな。
家がなくてホームレスやってる連中もいるのに。
> 「社会の罪を裁く」と俺がいつ書いた?
ということは、
> >裁判所で裁けない罪を問題にしていることすら読み取れないんだね。
という私の指摘に、
> だから、本人の意思じゃなく、社会にも責任がある場合には、その分を考慮して罪が軽減されるんですよ。
と答えたことは、反論になってなかったと自分で白状したわけだね。そういう君には、これを再度指摘しておくよ。
> 分かりもしないのに下らんコメントをしないでくれたまえ。
> これを書いてるムダな時間が本当に勿体無い。
どこかの誰かみたいに「人間は生まれながらにして平等です」とか言わないしね。
人間は生まれながらに不平等だし、不公平だ。
年収億単位の家に生まれるか、百万以下の家に生まれるかで人生は変わる。
親も選べはしないんだから、皆が平等になることなんて不可能。
確かに妙な環境で育った場合は人格が歪むだろう。
犯罪者に走るだろう。
でもそれは社会の罪かもしれないが、つまるところ「運がなかった」としか言えない。
その運も差し引きして判決を下すのが裁判所。
で、その社会の罪だが、どう裁くというのか。
誰に責任があるわけでもなく、成り行きと運任せで様々なものが複雑に絡み合った結果。
まさに「神のみぞ知る」の世界。
裁くことなんて最初から不可能。
問題にするべきではないというわけじゃないが、それと死刑制度とは別問題。
> で、その社会の罪だが、どう裁くというのか。
で、私がいつ「社会の罪を裁け」と言った?
反対に、社会に罪があるがそれはどこでも裁けないと言ってるんだが?
どこでも裁けないが罪はある。では、社会はその罪にどう応えるべきかを問題提起している。ヨーロッパなどで、犯罪被害者支援の政策が充実しているのは、この視点があるからだ。
http://homepage2.nifty.com/ootahiromi/iroiroigirisu1.html
> 被害を防止できなかった社会の責任として、ある種の被害者救済が必要
どうやら久々君の主張は、「社会の罪」を問題にするのはおかしいということらしい。でも、世界の流れをみると、おかしいという方がおかしいようだがね。
読み間違えてたみたいだ。その点は謝る。
でもその救済を差し引いた分でもっても、死刑になってるってことでしょ?
さらに周りの国を見てみると、既に刑務所が満杯で入りきらないほどの国や、日本の刑務所の方が本国の生活より楽って国や、異様に日本が嫌いで日本人に対しては何をやってもいいって国や、国ぐるみで誘拐してる国。
欧州にこんな国々に見事に囲まれてる国があるのでしょうかねぇ。
日本の刑罰は他国に比べて非常に甘い。
日本の場合懲役刑が最高でも二十年なんだから、刑務所に長期間ブチこむことも不可能。
死刑以外なら刑務所の待遇はかなりいいぞ?
死刑を廃止する前に、懲役刑を一気に増加させる方が先。
それとも何?
人の全てを奪い、遺族をもズタズタにしても、二十年程度の時が経てば、反省していなくても何事もなかったかのように暮らせるような国にしたい?
ちなみに、死刑制度で犯罪者が減少したのはカナダぐらいですよね。
逆に死刑制度を継続している日本は50年で犯罪は激減しました。(無論、死刑制度だけが原因じゃないけど。)
以前に例をあげた、徹底した犯罪者掃討を行なったダバオでも異常な治安回復を見せました。
不謹慎承知で言うけど、死刑反対論者の家族全員を、中世の拷問並みの惨たらしい殺しかたされても、そいつらは死刑に反対するのかねぇ。(昔そういうマンがあったけ?)
>どうやら久々君の主張は、「社会の罪」を問題にするのはおかしいということらしい。でも、世界の流れをみると、おかしいという方がおかしいようだがね。http://www.jca.apc.org/~haikiren/poll.html
社会の罪じゃないが、死刑存続の主張は日本のなかでは普通ですけど?
そんなもんできるわけないでしょ。死刑制度の原点はここにあるんですね。反対論者は意識を相対化することが出来ねーんですよ。自分が被害者やその家族には絶対ならないという決め付けけが彼らをとても固い鎧で防衛してるのでしょう。つまり観念の世界でのみ自分が主人公になれるという、アレですよ。
「死刑賛成論者は意識を相対化することが出来ねーんですよ。自分が加害者やその家族には絶対ならないという決め付けが彼らをとても固い鎧で防衛してるのでしょう。」
ということにもなってしまって収拾がつかなくなりそうです。
ホワイトさん、あなたの上のコメントのような言い方では、被害者の遺族に対するケアの推進や、犯罪のない社会を目指す取り組みが吹き飛んでしまうように私には思えます。
それから、上のエントリーの中の原田正治さんのことをホワイトさんはどう考えるかぜひおききしたいと思います。
> 読み間違えてたみたいだ。その点は謝る。
謝る必要はないから、同じ間違いを犯さないようにしてくれ。
> でもその救済を差し引いた分でもっても、死刑になってるってことでしょ?
情状酌量されたとして、それで社会は何か、その罪に対する責任を果たしたのか?問題が全然違うことが分かりませんか?
> 日本の刑罰は他国に比べて非常に甘い。
> 日本の場合懲役刑が最高でも二十年なんだから、刑務所に長期間ブチこむことも不可能。
ネットで調べても、この主張が間違いだとすぐ分かる。君への宿題としておくよ。
> 人の全てを奪い、遺族をもズタズタにしても、二十年程度の時が経てば、反省していなくても何事もなかったかのように暮らせるような国にしたい?
間違った事実を根拠に論を展開しても、結論は通常、間違いにしか到達できない。もっとも、2度以上間違うと結論だけ正しくなる偶然はありうるけどね(爆)
> ちなみに、死刑制度で犯罪者が減少したのはカナダぐらいですよね。
カナダでの死刑廃止後に殺人犯が大きく減少したのは有名だね。しかし、君が証明すべきは、「死刑が凶悪犯罪の抑止」になっているという事ではないのかい?ということは、死刑を廃止したら、ほぼ必ず凶悪犯罪が増えないといけない。それを示して、初めて抑止に効果的だと言えるのだよ。しかし、現実は増えたところも、減ったところも沢山ある。どうも、抑止力とは関係ないというのが大勢の見方だ。
> 不謹慎承知で言うけど、死刑反対論者の家族全員を、中世の拷問並みの惨たらしい殺しかたされても、そいつらは死刑に反対するのかねぇ。
あまりにも不謹慎な質問だが、あえて正面から答えてあげるよ。
むろん憎むだろうね〜、その犯人を。
しかし、憎いのはその犯人だけじゃない。そういう犯罪者を生んだ全ての事が憎い。そして、家族を守れなかった自分自身もね。
では、その反省なしの凶悪犯罪者がそのまま死刑になったとしたら、私はそれらの憎む対象に何の復讐もできない。そいつが、自分の罪の深さを自覚させることができなくて、どうやって復讐できるというのか?そいつに、なぜ犯罪者になってしまったのかを語らせ、全ての関わった人たちと社会に、その自覚と反省を促すことなしに、私の復讐は終わらない。そしたら、そいつを昔イジメてた久なんとかという奴にぶつかるかもしれんね(爆)。
そして、決して忘れてはならないのは、家族を守れなかった自分の罪を償い、犠牲者の無念を活かすにはどうすればよいかだ。それは、犯罪の原因を究明し、社会にそれを告発して、少しでも同じような犯罪が減るようにするしかない。少しでも同じような犠牲者を出させないことでしか、失われた命を活かす道はないからだ。
そう、これらの復讐と自分の罪を償うためには、罪の末端実行者だけを尻尾切りされては絶対に困るのだ。これは奇麗事などではない。
> http://www.jca.apc.org/~haikiren/poll.html
> 社会の罪じゃないが、死刑存続の主張は日本のなかでは普通ですけど?
これについては華氏さんが分析しているが、私の思っていたよりずっと廃止しても良いと考えている人が多くて驚いたね。死刑廃止の主張は日本でももう普通と言うことだ。フランスでさえ、廃止した当時には存続論者が多かったのだよ。
http://plasticdoll-peace.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_49eb.html
これ↑に取り替えておいていただけますか?
あと、「死刑廃止FAQ」という企画を秘書課広報室では考えております。良い記事を見つけましたらお知らせください。m(__)m
このエントリーもコメント欄に良い回答がありますね。もう一度ぜひTBください。