華氏451度

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結城昌治著『虫たちの墓』

2006-09-14 22:10:20 | 本の話/言葉の問題

〈20年ぶりの『虫たちの墓』〉

 1か月ほど前に、結城昌治『軍旗はためく下に』を紹介した。この小説は戦争体験者に取材した話がベースになっているのだが、同じ取材から生まれた小説はもう1編ある。『軍旗はためく下に』の翌年(1971年)に書かれた『虫たちの墓』である。3日ばかり前、急に必要になった本を探しがてら本を整理していると(本棚をいくつ並べても間に合わず、その前や、廊下にまで本を積み重ねているのだ。おかげで何が何処にあるのか自分でもさっぱりわからない。整理整頓能力ゼロなのである)、重ねられた下からこの本が出て来た。奥付を見ると、もう20年も前に買ったものだ。そう言えばその頃、結城昌治の本を読みあさったっけ。

  文庫本だからかなりヨレヨレになっている。「あ、こんな所に隠れていたのか」と懐かしくてその場に座り込んで読み始めてしまい(皆さんもよく、そういう経験しませんか)……結局最初の目的だった本はまだ見つけられないままだが……。もののついでに、この本もご紹介を。『軍旗はためく下に』と同じく、これは正面切った反戦小説ではない。登場人物達が明快な反戦思想や国家に対する批判などを語ることはほとんどないし(戦争や国家に対する嫌悪は満ち満ちているが)、彼らはある意味で卑怯で言い訳がましくもある。言い換えれば毅然としていない。ただ、それだけになお、この小説は「私達もその場にいたらそうであったかも知れない」姿をつきつけて切ない。

  既に絶版だが、お読みになりたければ図書館にはあるだろうし、買おうと思えばインターネットでも買えるはずだ。

 〈国家に裏切られた男〉

 これは「国家に裏切られた人間達」の物語である。主人公――というより狂言回しの役を振られているのは村井というごく平凡な中年の会社員だが、彼は同年代の多くの男と同じく、徴兵されて戦場に赴いた経験を持つ。しかも戦後、捕虜を殺した容疑でB級戦犯として捕らわれ、絞首刑を言い渡された男であった(サンフランシスコ条約の締結に伴って無期に減刑され、その後、日米関係の好転に伴って減刑が重ねられた)。

  その村井が、戦場で一緒に過ごし、現在もわずかに付き合いを続けている阿久利から「門馬が自殺したそうだ」と聞く場面で、小説は幕を開ける。そして葬式にも行ったという彼から、「西関が来ていた」と聞き、「もうたくさんだ」と思って逃げていた過去に呼び戻される。西関というのはかつて村井が属していた大隊の隊長で、村井(たち)は彼を殺してやりたいほど憎んでいたのだ。その西関と、門馬は戦後もひそかに関わりがあったらしい。門馬はなぜ死んだのか。なぜ、西関のことを隠していたのか。村井は否応なく、自分の過去への旅を始める。

 〈戦中・戦後を生きた群像〉

 小説では戦中と、戦後間もない時期における彼の体験――「波のうねりのように押し寄せてくる」「忘れかけていたさまざまな過去」が描かれる。だが彼を主人公と呼べるかどうか。村井と関わる登場人物達は、その出番の多寡にかかわらず、村井と同じぐらい、時には彼よりも強烈な印象と共に舞台を横切る。その意味で、彼はやはり主人公ではなく狂言回しと言うべきだろう。

  わざと体を壊して徴兵を逃れようとした「前科」によって(懲役1年の後、戦場に送られてきた)、ことあるごとにリンチの対象になり、ついに小銃をくわえて自殺した男。敵前逃亡した男。他の部隊がつくっている農園に芋を盗みに行って射殺された男。そして、村井たちの隊の捕虜になったアメリカ兵――村井は彼の「管理」を命じられて片言の英語でしゃべるうちに親しみを感じるようになり、「平和なときに知り合ったら友達になれたかもしれない」などと思ったりするのだが、「死を決した最後の総攻撃」の前に、捕虜を連れたままでは行動の邪魔になると判断した上層部の命令で斬首したのである。

  復員してみると家は空襲で焼け、両親も死んでいた。彼は叔父の家に身を寄せ、叔父の商売を手伝い始める。ちっぽけな闇商売で、むろん法律に反しているのだが、「国家は自分たちにもう、何の言う権利はないはずだ」と村井は開き直っていた。やがて恋もするが、捕虜殺害の件で関係者全員に逮捕令状が出ていると聞き、すべてを捨てて逃亡する。その逃亡の中でも彼は何人もの男女と出会う。かつての画家志望の仲間で(村井は美術学校の学生だったという設定)戦後はヤクザになり、縄張り争いで刺殺される男。彼をかばい、泊めてくれた夜の女。……

〈卑劣の類型〉

  村井は偽名を使い、露天でいい加減な品物を売る詐欺商売の仲間に入るなどして生き続けたが、ニセの戸籍を作ろうとしたのがきっかけで、ついに捕まってしまう。留置所で彼は、阿久利や門馬など、同じ隊に所属して捕虜処刑(殺害)事件に関わったもと兵士達と再会する。その時、彼らから、大隊長である西関が処刑事件の詳細をすべて喋ったのだと知らされる。ただし西関は「自分はマラリアで寝ていたため、何も知らなかった。後になって知らされた」と主張しているという。現場の兵士が早まって勝手にやったことだ、というわけである。むろんそれは嘘で、捕虜の処刑は軍司令官→師団長→連隊長→大隊長の順番でおりてきたのだが、彼らは口を拭って「知らない」と言う。現場に対して西関が直接命令を下したことを証言できる副官や、現場指揮官である中隊長、小隊長はすべて戦死しており、厳然と存在するのは捕虜処刑の事実だけ。直接に手を下した村井が主犯であり、立ち会った阿久利らは共犯というわけである。

  西関に下された判決は無罪。彼は自分一人が助かるために、調査官に迎合し、かつての部下達を売ったのである。だから村井は西関をずっと憎んでいたのだが、憎む理由は裁判のことだけではない。西関は戦争中も、兵士達の戦死の数を自分の手柄のように誇るくせ、自分は常に安全な所を身を置き、軍隊という組織の中でうまく立ち回ることばかり考えて恩給の計算に余念がないという男だった。彼のために、死ななくてもいい兵士までが大勢犬死にをした(やや類型的な書き方なのかも知れないが、著者はこれでもかというほど西関という男の卑しさを描いている。西関は個人ではなく、あるいは象徴として用意された人物であるかも知れない)。

 〈終わらない旅〉

  村井は過去を訪ねて憑かれたように歩き回り、門馬が隠していた暗い部分を知り、最後にはついに西関にも会う。だが、彼の旅は終わらない……。『虫たちの墓』の最終章の題は、「終わらない旅」である。

 やや蛇足だが、著書の中の文章を1か所だけ紹介しておく。

【日本は小さな島国だ。ヨーロッパのように、となりの国へ逃げるというわけにはいかない。逃げれば、たちまち捕まってしまう。だから例えばフランスのように、レジスタンスの運動は不可能だったし、反戦思想の持ち主はことごとく投獄された。いや、それよりも――と村井は思った。日本でも反戦運動が可能な時代があったに違いない。しかし、村井が生まれたときは、そういう時代が過ぎ去っていた。子供の頃から軍国主義で育てられ、国のために死ぬことを教えられて成長した。民衆が愚鈍だったというなら、村井もその一人に過ぎなかった。戦争の是非を疑うことすら知らず、ただ祖国のためと信じ、軍隊は嫌いだったが、当然の義務として戦列に加わった】

 飲み屋で学生から戦争について質問され、嫌ならなぜ拒否しなかったのかと尋ねられた村井が心の中で呟く言葉である。

  日本でも、反戦運動が可能な時代があったに違いない。――そうなのだ。ふつうの国が、半年や1年でいきなり軍国主義国家になったわけではない。長い戦前があり、その間に少しずつ地獄への道が拓かれていったのだ。後から見て「なぜ気がつかなかったのか、馬鹿だなあ」と笑うのはたやすいが、もしかすると私達だって、半世紀1世紀先の人々から同じように笑われるかも知れない。 「なぜ拒否できなかったのですか」と聞かれて、たとえば現在まだ乳幼児である者達や、これから生まれる子供達は、「国のために死ぬのが正しいことだと教えられて、そう信じていたのです」と答えられるかも知れない。だが私達には、そういう逃げ口上は用意されていないのである。……

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地獄への道 ヨーロッパ サンフランシスコ条約
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4 コメント

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こ、これ・・・ (luxemburg)
2006-09-14 22:55:18
 と書くと、お、「一書」しか読まないluxemburgが読んだのか、と思われたかもしれませんが、読んでるわけがありません。
 ただ、3日ほどしたら、私のブログに来て、「あなたならこの悲しみがわかるはず」とかおだててとにかく読ませるだろうな、と思ったので、先に図書館の蔵書を検索してみました。ありましたから注文しました。とにかく昔から本をすすめられるのが苦手で。
luxemburgさん、どーも (華氏451度)
2006-09-14 23:21:05
お早いお越しで(ああ、びっくりした)。

>3日ほどしたら、私のブログに来て

よくおわかりで(汗)。そ、それで早々に手を打ってきましたか。いや、すぐ本を勧めたがるのは単なる癖(悪趣味!)でして。話のついでに「そういやぁ、あそこのコーヒー、安くて旨いよ」と言うみたいなものですから気にしないで下さい。

あ、ほかの皆さんもです。寝言なんで。
Unknown (ひげたま)
2006-09-15 00:20:06
「戦争は悲惨だから二度と繰り返してはなりません!」的な、ある意味パッケージ化された本は正直ニガテなのですが(我ながらひどい話です)、この本なら唸りながら読めそうです。

ちなみに大岡昇平の「俘虜記」は興味深く読みました。

機会があれば読んで見たいと思います。
庶民の戦争責任 (ましま)
2006-09-15 16:21:58
 こんにちは。TBありがとうございました。
 戦記物のような本は、あまり好きではないというより、避けている傾向がありました。戦後になって、前だけを見て歩こうという気分からです。
<日本でも反戦運動が可能な時代があったに違いない。しかし、村井が生まれたときは、そういう時代が過ぎ去っていた。
 最近、若手の学者の中にも庶民の戦争責任を問う意見があります。ある外国人学者は、当時のマンガ本などを見ても一般人が好戦的だったことがわかる、などと本質を見誤った論調を展開してます。 そういった傾向も、コワい一面です。

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