華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

私は「市民」ではなく「大衆」である(……ような気がする)

2007-03-23 23:56:55 | 雑感(貧しけれども思索の道程)

〈私は……「市民」だろうか?〉

 市民、という言葉がある。これに違和感を持つのはおかしいかも知れないが……昔から私の感覚の何処かに、「う~ん。あたしゃ、そういうちゃんとした存在じゃないんだよなあ」という気持ちがあったりするのだ。

 随分前のことだが、ブロガー仲間の愚樵さんが「庶民vs市民」という記事を書かれ、それを読んでからますます気になり続けていた。(そう言えば愚樵さんとは随分ご無沙汰している。元気でやっておられるかなあ)

 愚樵さんは、庶民を「自立的でない集団」(場の倫理によって思考する人達)、市民を「自立的な個人」(確立された自我を持ち個の倫理によって思考する人達)と、定義づけておられた。これはむろん、彼がそれが正しい定義であると主張しているわけではなく、ものを考え、話を進めていくための「一応の定義」である(と、私は受け取った。言葉というのはそういうものである)。

 あのエントリは私にとって非常に示唆に富んでいたのだけれども、それを踏まえた上で、私は「自分は市民なのだろうか」あるいは「市民であろうとしているのか」と何度も首をひねった。私は「場の倫理」というものが好きではない。と言うより、もともと常に頭の中がとっちらかっていて何でもワンテンポ遅れがちな人間なので、場の倫理にうまくついていきにくい、というだけなのだが。それでも、私は自分自身のことを「市民、じゃないなあ。庶民、あるいは大衆だよなあ」とよく思う。

 覚えておられるだろうか。かなり前に「マル金とマルビ」という言葉があった(念のため言っておくと、ビというのは貧乏の意である)。この言葉がやけに流行したとき、私の中に耐え難いほどの不快感が満ちた。そして「私は断固として、マルビの側である」と宣言したことを今も鮮やかに覚えている。勝ち組と負け組、選ばれた人間と選ばれなかった人間、目覚めた人間と無明長夜に踏み惑う人間、強い人間と弱い人間……エトセトラ。すべてについて、私は後者であり、その立ち位置を死ぬまで忘れずにいたいと思う。「市民と庶民(大衆)」という構図も、私の中では同じようなニュアンスを持っているような気がする。

 私はさあ、そんなぁ、リッパな存在じゃあねぇよ。大した知識もないし賢くもないし、ひとさまに自慢できる能もねえ。理路整然とモノを言えるようなタマでもねぇよ。おそらく死ぬまで藻掻き続けるだけの存在さ。でもさあ最低、人間としてやっておくべきことと、やっちゃあいけないことぐらいはわかっているさ。それを馬鹿だと嗤う資格が――いんや、体張って嗤う覚悟が、おまえにはあるか??

 

〈埋もれていた一冊の本〉

 急に話が逸れるが……『差別 その根源を問う』(朝日選書)という上下2巻の本がある。買って読んだのはかなり前――ごく若い頃のことだが、先日本の整理をしている時に、埋もれていたのを見付けて読み直した(我が家は足の踏み場もないほど乱雑な形で本が溢れており、友人達の間で古書店の倉庫のようだと言われているのだ……泣)。ちなみにこの本は「狭山差別裁判」と呼ばれた狭山事件(注1)の判決を契機とする鼎談を、1冊にまとめたものである。

(注1/1963年に起きた女子高校生殺害事件で、被差別部落出身の青年が逮捕された。捜査も裁判も予断に基づいておこなわれ、冤罪事件のひとつとして名高い)

 狭山事件についてさほど知識があるわけではなく、本などで少し読んだだけであるけれでも――読めば読むほどジクジクと「課題」が湧きだしてくる。上記の本はその課題を考える手掛かりとして貴重な1冊だったように思うが、今日書き留めておきたいのは差別の構造とか、差別とは何か、といった問題ではない。

 同書は作家の野間宏と安岡章太郎がホストになり、テーマごとに作家や法律家などを招いて話をするという形式になっている(だから鼎談、なのだ)。どの章も興味深いのだけれども、読み直して特にひっかかったのが、中上健次(注2)を招いての章「市民にひそむ差別心理」だった。

(注2/早世した作家なので、今の10代20代の人の間ではあまり知られていないかも知れないが……私は『蛇淫』や、有名な『枯木灘』などを読んだときの衝撃を今もありありと覚えている。文体は必ずしも私の好みには合わないけれども、あの執拗なほどの重い炎は忘れがたい)

 

〈永遠の遊行者――行きずりの旅人でありたい〉

 中上は鼎談の中で、「定住と遊行の違い」について言及している。

【この「市民」がクセモノなのだと思う】

【差別というのは町の問題ですよね。ぼくが聞いた話ですが、部落の人が日本からブラジルに行った。途中の船の中ではみんな仲間という感じだった。ところが、向こうに着いた途端に差別が始まった。だから、問題は町の成立ということにもかかわってくる。つまり、歩いているときとか動いているときとかは仲間で、パッと止まるとよそよそしくなる】

【で、狭山事件を考えますと、デッチ上げをやる側のリアリティーはいくつも考えられますね。つまり、後から来た者は土着の者から差別される。それから、職もなしに渡ってくるというのは、うさん臭いと差別される。そういうのが重なってくる。(中略)セックスの問題でも、一夫一婦制というのは定住している者にしか、町の中にしか、ないんじゃないかと思う。動いている者は、そんなことはどうでもいいんだ、みたいな感じになっている】

【遊行の人ってのは何をしでかすかわからないみたいな感じが、定住者にあるんじゃないか。定住者、つまり今で言えば「市民」なんだと思う】

 細かく引用しているとキリがないのでサワリの部分だけにとどめておくが、中上は市民をマジョリティー、そこからはみ出した遊行の人をマイノリティーと規定している(この規定も――しつこく繰り返すが、「絶対の定義」ではないはず、である)。

 私は……目覚めた市民であるよりも、行方定めぬ漂泊者でありたい。ギリギリ可能な限り、集団の規範だのモラルだのからも解き離れていたい。それを許容されることだけが、私のささやかな望みだ。私の原点は、ただそこにこそある。

 しばしば遊びに行くブログの管理人で、「ヘタレ同盟」(何だ、そりゃ)の仲間であるdr.stoneflyさんは、私が酔っぱらって書き込んだコメントに対して丁寧な返事を下さった。

【戦前のようになったら「日本を脱出する」というようなことを言われていたような気がするのですが、そう言わずに日本に居続けましょうよ。それこそがヘタレの神髄とは思いませんか? ヘタレ道を極めましょう(爆)。】

 えへへ。ヘタレ道かあ、いいかもですね。ヘタレで何が悪い。あたしゃ庶民じゃあ。(いかん、今夜も酔ってます……たまには素面でブログ書かないといけませぬな)

 いつもの通り、「細かい話は抜き」の酔言失礼。差別の本質とは何か――等々については、また暇を見て書き止めておこうと思う。

◇◇◇◇◇◇

  息苦しい世の中は嫌だ――と叫ぶブロガー達のゆるやかな連帯の輪、Under the Sunに参加しています。今節のコラムのお題は「選ぶ」。私も「あらかじめ用意された選択肢」というタイトルで短いコラムを書いていますので、もしお暇がありましたらどうぞ。

◇◇◇◇◇◇

 私は「保守二大政党なんて認めないぞッ」という立場ので、基本的には「民主党を支持」していません。ただし「前進と後退を繰り返し」「行きつ戻りつしながら」わずかでも前に進むことを是とし、さらに言うならば民主党にもう少しシャキッとして欲しいという思いを込めて、戸倉多香子さんを支持しています。

 

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2 コメント

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Unknown (とくら)
2007-03-24 10:29:28
私も市民という言葉に違和感を持つひとりです。私がやってきたことを説明する時に、市民活動とか市民運動と表現されるのですが、深く考え出すと、う~ん、ちょっと違う、と思ってしまいます。以前、まちづくり活動と言われて、これも違う、という記事を地元新聞の連載の時に書いたこともあり・・・。
市のまちづくり基本条例づくりの審議会委員だった時に、市民(周南市民といわゆる市民と二つの意味もあり)と住民という言葉にこだわって、ちょっと発言したけど、議論が続かなかったので、会議の進行を遅らせても悪いと思って、こだわらないことにしましたが・・・。
これまでうまく表現できなかったのですが、大衆ですか。うん、そうかもね。私は多くの中のひとりだ ってかんじ?

周南市民の市民じゃなくて、いわゆる市民という方の市民って、私にとっては、やはり外国からきたものというイメージです。そんなこんなで悩みながら、活動してきましたが、それを説明するとめんどくさいことになるので、こだわらず、「市民が力をつけなくては・・・」、なんて訴えています。(苦笑)

最近は選挙の時に市民派という言葉を使う人が増え、ますます市民という言葉がイメージダウンしていますが、政治と結びつくと庶民派という言葉も 大衆の側だ!という言葉も、なんだか腐ったイメージになる(と思う)のはなぜでしょう?

でも、先日、潮流ー統一地方選ーという朝日新聞の特集記事(?)に市民団体の代表が参院選に挑戦するというような表現で私をとりあげてくださっていて、そこの記事のタイトルは、「脱しがらみ 市民派勢い」となっていました。取材を受けた時、市民という言葉に違和感がある、というようなことを言いました。いつもそんなことを言ってますが、やはり市民と表現するのがわかりやすいのでしょうね。
わー、何が言いたいのかわからなくなってきたので、このあたりで・・・。
またやっちまった (dr.stonefly)
2007-03-24 14:53:01
すみません、またやっちまいました。
もうオリジナルを思い出せず、探ってみたら「いくじなし同盟」だったんですね。それがワタシのなかでは「いい加減同盟」となり、ついには「ヘタレ同盟」と昇華してしまいました。
もう既に華氏さんの意図する「いくじなし同盟」からかけ離れすぎてますね。困ったもんです。
しかしね、「ヘタレ道」は深く険しいものかもしれません(笑)。市民、庶民、ヘタレを一度真剣に考えてみます。(ワタシのなかでは、庶民とヘタレは違うかもしれないなぁ)
そうそう、愚樵さんどうしちゃったんでしょうねぇ。

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華氏さん周辺で面白い話をやっている模様  私は「市民」ではなく「大衆」である(……ような気がする) 2007-03-23 23:56:55 等身大の「葛藤」みたいなものが、今の状況を代弁してくれていて共感 論理をこねくり回す哲