6時間授業。
クラスがスタートして、30日。実質の1か月。ということで、本格的に学級目標をここ数日話し合っていた。
ここ数年、学級目標は1か月後にしている。特にクラス解体の時は尚更だ。
クラスの状態や方向性が学級目標に反映されていた方が学級目標は子供たちにとっていっそう意義のあるものになる。
クラススタート時に、学級目標について話し合って、決めるクラスをよく見る。でも、そこで、出てくる言葉は一般的だ。「なかよし」「協力」「思いやり」「助け合い」「ベストを尽くす」などなど。
でも、これは子供たちの本心から出た言葉なのだろうか。子供たちは、本当に、今のクラスは、これらの言葉を目指すべきだと思っているのだろうか。学級目標といえば、このワードだよね~というレベルではないだろうか。
そんな学級目標だと、作って終わりという状態を生みやすくなり、「ヒドゥンカリキュラム」が生じる可能性が高くなる。
教師が主導権を握って、学級目標を作るならクラスがスタートしてすぐでもよいとボクは思っている。教師主導なんて、子供たちの自主性を重んじてない!なんて批判もあるだろうが、本当に学級目標といえば、この言葉だよね~というレベルで作ることが自主性を重んじることなのか。
教師は願いや見通しを持って、クラスを担任している。子供たちに委ねるよりは、より現実的であり、より意味のある、意義のある目標を立てられるはずだ。そちらの方がよいのではないか。
さて、ボクのクラスでは、ボクがこの1か月種をまく。子供たちの問題意識をできるだけ引き出せるように、子供たちが進むべき方向性ができるだけ明確になるように、徹底して種をまく。
そして、1か月後、その問題意識を整理し、共有化し、方向性を明確にし、そこに教師の思いを重ねて、学級目標を作る。なんて仰々しいことを書いてしまったなぁ・・・。
今年の学級目標は、「輝く、最高の『あの日』に向かって~3つの『本』/基『本』から『本』気へ。そして『本』物へ」。
さて、次はこの学級目標をどう活かしていくかだ。
コンサドーレが引き分ける。調子のよい水戸。しかもアウェイということも考えれば、分けてよかったのかもしれないが、戦い方が今ひとつ。今後にまだ不安を残す。
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