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知能の物語
中島 秀之【著】
価格 ¥2,916(本体¥2,700)
公立はこだて未来大学出版会(2015/05発売)
エンジニアなら、測定データをパターン認識して自動判定するプログラムを作ったことがある人も多かろう。
そのときうまく動作しただろうか?
たいがいは、ちょっとした例外的なデータがあるとすぐ動かなくなり、そのデータを食わせてもマトモに動くようにプログラムを改造すると、また別のちょっとした例外的なデータで動かなくなり、という堂々巡りにうんざりすることこの上ない。
「人間が目で見ればすぐできるのに、何でこんなカンタンなことをするだけで俺はこんな苦戦してるんだ」
と思うわけだ。
コンピュータは決められた手順のとおりにアホみたいな膨大な計算をするのは大得意だが、人間のように直感的にだいだい合ってる答えをどこからともなくポンと出せるようにはできていない。
なぜか?
それが知能というものだ。
ときに、エンジニアは思う。
「人間の知能とは、いったいどうやって実装されているのだ?」
「いや、そもそも知能とは何か?」
コンピュータの黎明期より、この問題は多くの研究者の注目を集めてきた。
この問題について、専門外の人が読んでもギリギリ理解できるくらいまで、かなり踏み込んで書いてあるのがこの本である。
いや、もうちょっと正確に書くならば、高等生物と同じ知能をコンピュータに実装しようとするとどういう問題にぶち当たるか? それを解決するためには何が必要か? ということが書かれている。
もはや専門分野の入門書でもあり、哲学ですらある本だ。
地図を渡して最適ルートを求めるようにコンピュータに指示するとして、マトモなものができるだろうか?
川をわたるのはかなりしんどいという条件をアルゴリズムに入れていなければうまく動かない。
それを入れたとして、こんどはまた別の問題が・・・。
この問題はなぜ発生するかというと、人間なら常識的に知っている知識をコンピュータが知らないからであり、その人間の常識をすべてコンピュータに入力しようとすると非現実的に膨大なインプットが必要となり挫折を味わう。
この現象をフレーム問題という。
AIを実装しようとしたエンジニアが哲学者より先に見つけた哲学的課題であったらしい。
では、なぜコンピュータが常識を知らないかというと、コンピュータは人間のように身体があるわけではないからであり、だから環境と分離した体を持たない演算ユニットだけのコンピュータは人間に追いつかない。
環境と分離して知能だけ存在するというのは無茶ぶりのようだ。
・・・とまあ、この本はそういう調子で書いてある。
それを面白いと感じ本を買ってみようと思うか、だからどうしたと思うかは人それぞれかもしれない。
「A・Iが止まらない!」というマンガ作品。
ラブひなの作者である赤松健氏の初連載作であり、単行本は我が家にもある。
今にして思えば、体を持たない、または初めて体を手に入れた初期は、サーティは人間との食い違いが目立つものだった。
しかし最後は人になっていた。
それも身体があってのものだろう。
先に紹介した本の著者が人工知能を研究しつづけた末に到達した結論に、氏は既に到達していたのである。