教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ニュースの感想に客観性は存在しない

2015-12-21 21:45:56 | 経済/経済/社会
【大阪】国歌不起立で減給処分は適法!!58歳教諭の訴えを棄却wwwwwwwwwwwww|NewsTimes
http://nstimes.com/archives/42350.html



こういうニュースを見るたびに、わたしの客観は
「統計的に大多数の教員はこんなくだらんことで裁判起こそうなんてナメたヤツではない」
と知識を披露する。

それと同時に、わたしの主観は
「やっぱり教員にはマトモな人間はおらんのかwww」
と嘲笑する。

これはどちらが正しいのか?

統計的には客観が正しく、心理学的には主観が正しい。

なぜか?

少なくとも我輩が見てきた中学校の教員は、生徒がこんなことをすれば即座にタコ殴りにして言うことをきかせるたぐいの人間しか見たことがない。
そんな教員しかいない中、当の教員がそんな行動をとったところで、ほんの少しも共感を得られるはずがなかろう。

主観とはそういうものだ。

つまりこれは、ニュースの感想に客観性は存在しないということでもある。

実はこういう現象は投資判断に多大な影響を及ぼすことがある。

わたしの見てきた中でも、
奴「ニュースで○○が暴落したって言ってたけど? もうおしまいなん?」
俺「あんたね、たしかにニュースでは暴落って書いてあるかもしれんけど、長期トレンドでほぼ右肩上がりになっていたのがちょっと戻しただけだよ。チャートを1度でも見たことあるヤツならそれがドシロウト向けのウケねらいのニュースだって誰でも気づくぜ」
奴「でもTVのニュースでそうい言ってたよ?」
俺「俺の言ってることがウソだと思って反論したいんなら、チャートを見て俺の言ってることの真偽を確かめてから話してくれんかね…」
なんてことは何度も見てきた。

世間では信じるものは救われるなんて言うヤツもいるようだが、
基本的には信じるものがすくわれるのは足元だとでもいいましょうか。



客観とは、統計である。
ニュースの文面にはない。

主観とは、個人の経験を用いた全体推論である。
これもニュースの文面にはないが、文面によって他人の主観を操作することは可能である。